167 椿の見解
元哉が何を話し出すのかと一同が注目する中、彼はゆっくりと口を開いた。
「今回の教国の動きとは直接関係ないかもしれないのだが、ドワーフの街から山脈に進んだ所に魔素が地面から大量に噴き出す場所があった。その魔素を吸収した魔物は強力な個体になって、どうやらその魔素につられてベヒモスやヒュドラといった強い魔物も出現した」
元哉はここで一旦話を区切ると横からさくらが口を挟む。
「そうそう、私が両方とも倒すつもりだったのに、兄ちゃんがケチだからベヒモスしか倒せなかったんだよ」
さくらはまだその時のことをかなり根に持っているようだ。最大のお楽しみに関しては彼女も絶対に譲れないのだろう。それにしても伝説級の魔物2体を一度に相手しようという彼女の考えの方がこの世界の常識からはるかに逸脱したとんでもないものであるとを彼女自身まったくわかっていない。この常識はずれこそがさくらの持ち味ともいえるが、一般的には甚だ理解され難い。
「そうなんです、私はちょっと事情があって宿で待機していたんですが、その間にまさかとんでもない大物に出会っていたなんてちょっとびっくりしちゃいますよね」
ロージーは二日酔いでダウンしていたことはひた隠しにして二人から聞いた話に乗っかっている。ドワーフたちが盛り上がっている雰囲気に釣られてつい何杯も飲んでしまったエールのことは死ぬまで秘密にしておこうと彼女は考えていた。
「ロージーさんは具合でも悪かったんですか?」
だが彼女の考えをよそにソフィアが心配顔で尋ねてくる。メイドとして働いていた彼女はつい周囲の人たちの体調なども気になってしまうのだ。
「んん? あっそうか! あの時ロジちゃんは二日酔いでダウンしていたんだよね」
肝心なことはまったく覚えていないさくらは何故かロージーの二日酔いの件だけが記憶の片隅に残っていて、ペロッと真相を暴露してしまった。当の本人にはまったく悪気はないのたが、記憶力の悪いさくらがたまたま覚えていたのはロージーにとっては大きな不幸だった。
「何でさくらちゃんは思いっきりバラしちゃうんですか!」
ロージーは強く抗議をするがもう後の祭りだ。全員の視線が『一体何をやっているんだ?』という残念な意味合いを強く込めてロージーに集まる。彼女はその視線に耐え切れずに手で顔を覆って体を小さく丸めるしかなかった。
「もうお酒は絶対に飲みません!」
しばらくしてようやく立ち直ったロージーが最初に口にした言葉だ。それ以上に雰囲気に流されやすい自分に対する戒めの言葉として全員の前で宣言した。だが冷たい視線はなおも治まる気配がない。居心地の悪さに涙目で再び体を小さくするロージー。
「まあ、その件はいいとして話に戻るぞ」
あらぬ方に話が進んで大きく脱線した軌道を元哉が本来の場所に戻す。彼の一言でようやくロージーに向けられていた冷ややかな視線は終息して、元哉の話の続きを待つ姿勢に戻っている。
「バハムートを呼び出して吹き出し口自体は塞いだのだが、ヤツの話ではどうやらその穴は人の手によって穿たれたものらしかった。問題は誰が何のためにそのようなことをしたのかという点にある。ちょうど地中の魔素が流れる地脈の浅い部分を測ったように狙って穴を開けていたそうだ」
ここまで詳しく元哉が事情を報告したことで一同は『これは只事ではない』とようやく気がつく。特に魔法に造詣が深い橘やフィオの表情は深刻だった。地面から大量の魔素が噴き出すとそれは付近一帯を覆って大変な事態を引き起こすとわかっているだけに、慎重に考える必要性を感じている。だが沈黙するこの場の雰囲気を破ったのは椿だった。
「なるほど興味深い話ね。地球にも地脈や竜脈といった考え方があるけど、この世界には本当に魔素が流れる脈が存在しているのね。それはいいとして、その目的と実行した者を特定するには『この件で誰が最も得をするか』を考えるのがいいでしょうね。でも、誰もいない無人のような場所にそんなものを作り出してもおそらくは誰も得をしないから、目的はたぶん何らかの実験のようなものを行ったと考えるべきね」
椿は元哉たちの先輩に当たる能力開発校の2年生だ。彼女は橘さえも軽く凌駕する頭脳と魔法の分析力を持つ稀有な人材だった。その椿が元哉の話を聞いて割り出した結論は非常に信憑性が高い。表情一つ変えずにさらに話を続ける椿。
「もうひとつ、誰にも気づかれずにドワーフの街を抜けてその場に行くのは困難な話しよね。さくらちゃんみたいにドラゴンで飛んでいくか、或いは・・・・・・」
そこで椿は橘を見つめる。ここまでヒントを出したんだから早く気づけと言わんばかりの表情だ。橘も椿の発言を聞きながら一つずつ頭の中でパズルのピースを組み合わせていた。
「或いは転移の魔法ですね、椿さん」
「正解!」
ガラリエの街に一人でやって来てさくらに返り討ちにあった勇者をその場から連れ去った転移の魔法、その遣い手が自ら転移してそこで何らかの実験を行ったと考えるのが最も妥当と二人は判断していた。
何しろ地脈の存在を正確に割り出して、そこに魔法で場合によったら深さ千メートルを超えるような穴を開けていくなど大魔王の魔力を以ってしても途方もない作業なのだ。それを完璧に実行する者となるとその存在はこの世界で自ずと限られてくる。
「どうやらこの件に関しても教国の人間が一枚噛んでいる可能性が高いということだな。やつらの動向には注意しよう。それとまったくの別件になるがディーナ、王都に店を構えている革職人を明日城に集めてくれ」
獣人の森に向けた教国の侵攻に対する作戦会議は後日偵察後に行うこととして、元哉はオーガの革を鎧に仕立て上げる職人を集めることをディーナに要請した。帝国の職人に注文しようとしたのだが、新ヘブル王国の職人の方がレベルが高いと耳にしたので、製作の時間が少なくなるのを承知でここまでオーガの革を持ってきていたのだ。
「わかりました、明日の朝一番に集まるように街中に触れを出します」
「そうしてくれ、何しろ大量の注文だ。一人でも多くの職人の手を借りたい」
ディーナは元哉の役に立てるのと、職人たちに仕事が回って彼らが潤うことの両方の意味で喜びの表情だ。この国は食糧事情こそこの冬を乗り切る程度には改善したが、まだ貧しさから抜け出したとはとてもいえない状態なのだ。内政の担当者として少しでも住民に仕事が回るのは非常に喜ばしいことだ。
「それで元哉さん、大量って一体どのくらいの注文なんですか?」
「革鎧を一千着だ」
「ええーーーー!!」
大量と聞いていたがその数はディーナの予想をはるかに上回っており、彼女が大袈裟に近いような驚きの声を上げるのは無理もなかった。
「元哉さん、予算の方はどのくらいになるんでしょうか?」
財務の一切を引き受けているディーナにとっては職務上最も気になる点をおずおずと元哉に尋ねる。『あまり予算がないからまけてくれ』と言われても彼女にとっては住民の生活が懸かっているだけに簡単には飲めなかった。
「予算は帝国金貨で10万枚用意してある。材料はこちらから支給するから何とかやってほしい」
日本の貨幣価値に直して10億円に当たる金額をサラッと提示する元哉にディーナは開いた口が塞がらない。
「も、元哉さん・・・・・・ということは職人の手間賃だけで1着当たり金貨100枚になりますが、そんな大金を出してくれるんですか?」
物価の安い新ヘブル王国では金貨100枚などといったら5年は暮らしていける大金だ。それをポンと出す元哉の気前のよさに財政担当者としては足を向けられないところだろう。
「気にするな、出所はさくらが倒した皇帝オーガを売った代金だ。さくらも承知している。結構な金額を出す分、職人たちには大急ぎで完璧な仕事をしてもらいたい」
「はい、それは勿論です。それにしてもまたさくらちゃんはベヒモスの他にも皇帝オーガなんてとんでもない魔物を倒しましたね!」
自分が書類仕事に追われている間にも自由に外で遣りたい放題のさくらを羨ましく思うディーナだが、彼女のの生き方を決して真似出来ないと承知している。何しろ神様ながら生まれつきの自由人だ、何者にも縛られないで好きなように出歩くのがさくらには一番合っている。
「まあそれでも王様になった以上はさくらも多少の自重はするだろうな」
そうであってほしいという願いを込めた元哉の言葉に『それはどうだろう?』という疑いの念を込めた視線を送るディーナだった。
次回の投稿は火曜日の予定です。