166 二人の王
予定よりもちょっと早いですが投稿します。
翌日、元哉たちはドワーフの街を出てヘルムートが待っている山間の開けた場所にやって来る。すでに念話で今日出発すると伝えてあるので、さくらが呼び掛けるとワイバーンを引き連れて颯爽と大空からその雄大な姿を現した。
「ルーちゃん、お待たせ! これからはなちゃんの所まで飛んでもらうからよろしくね!」
大地に降り立ったヘルムートの足をポンポンと叩きながらさくらは目的地を告げるとドラゴンからは『任せろ!』という念話が返ってくる。この何日かどうしていたのかと尋ねると、ワイバーンを引き連れて適当に狩をしながら山の上の誰にも見つからない所に隠れていたそうだ。ロージーが様子を見に来た時はその気配を捉えたヘルムートがワイバーンを単独で彼女の元に向かわせていた。飛行機代わりに利用するのが申し訳ないほど気が利く、まだ若いとはいえ優秀なドラゴンだ。
一行を乗せたヘルムートはその翼を何度か羽ばたかせると優雅に空に飛び立っていく。それを追いかけてロージーが騎乗するワイバーンも助走をつけて大空に舞い上がった。天候は快晴で少々肌寒いが、空の旅にはとても条件のよい環境だ。ドワーフの街から南に行けばそこはもう西ガザル地方で、大魔王が待つ王都のベツレムには一日で到着する。
獣人の森を飛び立つ前に教国の街ナバーロとその周辺のいくつかの街の上空を飛行しながら偵察は行っており、その結果元哉とロージーの襲撃の報復として獣人の森へ大軍で押し寄せようとする気配は襲撃の直後だったこともあって表立って特に何も見当たらなかった。
問題はその後の教国の態度がまったくわからないことで、獣人たちの戦いへ向けた準備を進めると同時に教国が本当に仕掛けてくるかを見極める必要があると元哉は痛感している。
「兄ちゃん、本当にヤツらは攻めてくるのかな?」
さくらの表情は『ぜひ教国にはもう一度派手に侵攻してもらって思いっきり叩き潰してやりたい』という気持ちがはっきりわかる程戦いを願う気持ちが顔に出ている。
「そうだな、今までの教国のやり方を総合的に判断すると必然的に答えは『イエス』に辿り着くだろうな」
帝国に攻め込んであれだけの被害を出した直後にも拘らず、教国はゾンビの軍勢を新ヘブル王国に送ってきた。これは元哉の推測に過ぎないが、おそらく上層部から彼らが信仰する教義に関わる何らかの指示が出ている可能性が高い。地球でもニュースになるように、宗教が絡むいざこざは時に自らの陣営の犠牲を度外視して敵国に攻め込んだりテロ行為を働く暴挙に出る危険な土壌を生み出しやすい。
その上、元哉とロージーは教国が人とは見做していない獣人を助け出すためにひとつの街の守備隊を殆ど壊滅に追い込んでいた。これはミロニカルの女神を信奉する教国の教義に思いっきり泥を塗ったに等しいのだ。放っておくとその教義に傷がつきかねない由々しき事態だ。さぞかし上層部の連中ははらわたが煮えくり返る思いをしていることだろう。
「じゃあやっぱり早く森に帰って、私が王様として獣人たちを鍛え直さないとだめだね」
獣人たちの王がいつまでも不在というのは問題なので『早く帰ろう』というのは確かにその通りだ。だが、どうやらさくらはかつて帝国や新ヘブル王国で兵士たちを地獄に叩き落した訓練をここでもやらかそうとしているらしい。
「そうだな、兵士を強くしておけば、仮にさくらが不在の時でも教国の侵攻など恐れる必要がなくなるからお前がいいと思う通りに遣って構わない」
元哉はあっさりとさくらの意見を肯定する。ここにこの世界で3番目の特殊戦闘部隊の発足が決定したのだった。しかも今回は人族に比べて身体能力で圧倒的に上回る獣人たちの部隊だ。果たしてどこまでこの二人はこの世界の戦いのあり方を変えようというのだろう。
南回りに大山脈を迂回して飛んでいるとすぐにガラリエの街が見えてくる。ここで一旦地上に降りてワイバーンとロージーの休憩を取って、ちゃっかりとさくらは早めの昼食でお腹が膨れてから再び大空に飛び出していく。
本来ならば橘たちが待つベツレムには1週間前に到着している予定だったが、さくらが獣人の王になったり、皇帝オーガを倒したり、ドワーフの街まで行っているうちに予定が大幅に遅れる結果となった。おそらく元哉たちの到着を待ちかねている大魔王をはじめとしたパーティーの面々はかんかんになっていることだろう。小言を言われるのは覚悟の上で大急ぎで魔王城に向かって一直線に進む一行、ワイバーンにとっては少々きついペースだがロージーには頑張ってもらうしかない。
ガラリエを過ぎればもう王都は目の前だ。途中のヘブロンの街を見下ろしながら3時間の飛行で王都が視界に入ってくる。空を旋回するドラゴンの姿を見掛けて住民たちは手を振って歓迎している。もう彼らにとっては毎度お馴染みの光景なので誰もその姿に恐れを抱くことは無い。
魔王城の中にふわりと降り立ったヘルムートとその背に乗った元哉たちを係りの騎士たちが直立不動で出迎える。何しろ大魔王様の婚約者と姉が戻ってきたのだから、彼らにとっては主君の家族を出迎えるための万全の体制をとっている。さくらがヘルムートにお礼を言ってその巨体が魔法陣の中に消えていく頃、バテバテの姿でロージーと彼女が騎乗するワイバーンが着陸した。ロージーは元哉たちと一緒に馬車に乗り込んで、ワイバーンの方は騎士たちが20人掛りで仲間が待っている飼育場に引き連れていく。さくらが命令したので大人しく騎士に従うワイバーンだった。
「元くん、待っていたんだから!」
執務室に入ってきた元哉の姿を見るなり橘は彼に飛びついてくる。元哉の腕でしっかりと抱きとめられた橘は満面の笑みで彼を出迎えていた。戻ってきた彼の顔を見た瞬間に今まで抱いていた寂しい思いは一気に吹き飛んで、幸せいっぱいに包まれている。
元哉たちの到着を聞きつけて、ずっと魔王城に残っていた椿、フィオ、ソフィアの3人も執務室に駆けつけた。そして抱きついたまま一向に元哉から離れようとしない橘にジトーっとした視線を向けている。それぞれの口からは『チッ!』『まったく!』『はー・・・・・・』というリアクションが二人に向かって放たれたが、そんなものはまったく目にも耳にも入らない橘だった。
そして遅れて最後にディーナがやって来た。彼女は別室で書類と格闘しており、どうしてもキリの良いところまで終わらせなければならないために、真っ先に駆けつけたい気持ちを堪えて何とか書類を片付けたのだった。
「予定よりもずいぶん遅くなってすまなかった。色々と片付けなければならない出来事に見舞われてこんなに時間が掛かっってしまった」
一先ず全員に頭を下げて詳しい話は落ち着いてからしようと元哉は執務室の据付のソファーに全員を座らせて、それを見て橘専属のメイドたちがお茶の準備を開始する。彼女たちはまだ若いながらよく訓練されており、橘のためならばワイバーンに乗って何処までも着いていく覚悟を持って彼女に仕えていた。
一息入れてお茶を口にしながら一同は元哉が話を切り出すのを待っている。その間にさくらはすかさず出されたお菓子に手を伸ばした。この国の食糧事情が元哉と橘のおかげで一気に好転したため、今までは贅沢でとても口に入らなかった嗜好品が庶民でも手に入るようになっていたのだ。
「むほほほ、なかなか美味しいね!」
舌の肥えたさくらもその味にかなりの満足をしている。何を隠そうこのマドレーヌに似た焼き菓子は元々のレシピを橘が提供しているのだ。それを王宮に勤める調理人たちが試行錯誤しながら作り上げた一品だった。それにしてもこれから行われる話の張本人のさくらがこのような態度で大丈夫なのだろうか。
「俺たちの到着が遅れた最大の原因なんだが、さくらが獣人の王になった」
「ええーーーー!」
事情を知っているロージーと冷静な椿以外は揃って驚きの声を上げる。
「さくらちゃん、いつか遣るんじゃないかとは思っていましたが、ついにやっちゃいましたね! どうせ橘様に対抗して王様になりたくて力ずくで獣人たちを脅かしたんでしょう!」
ディーナはさくらのことをよく知っているだけに彼女ならば絶対にやりそうな手荒な手段のいくつかを頭に浮かべながら発言した。彼女が普段からこのような目でさくらを見ているのは、さくら自身が過去に行ってきた様々な悪魔のような所業の成せる業だ。決してディーナに彼女に対する悪意があるわけではない。
「そんなこと無いよ! いつも可愛らしいさくらちゃんは獣人のみんなから愛される王様だよ!」
さくらの口から途轍もなく自己評価の高い、ある意味ここまでよく言い切れると誰もが思うような発言が飛び出すが、当然その場の全員は彼女の言うことよりもディーナの意見に傾きかけている。だがこのさくらに対する『これはお説教のひとつでもしないとだめなのか?』というムードはロージーの発言で一気に払拭された。
「さくらちゃんの言う通りですよ。獣人の森で教国にさらわれそうになっていた人たちを助けて、森を危機に陥れていた皇帝オーガを倒して、ついでに教国に捕まっていた人たちも取り返してきたんです。さくらちゃんはすべての獣人たちから慕われている立派な王様ですよ」
行動をともにしていたロージーが実際にその目で見てきたことを話し始める。普段さくらに対して結構辛口な発言をする彼女の意見は、その場の全員を納得させるだけの信憑性があった。その傍らでは『ロジちゃんはいいことを言うね』とさくらがドヤ顔しながらお菓子をパクついている。
「いいんじゃないの、さくらちゃんらしいし。獣人たちが認めているのならさくらちゃんは立派な王様よ」
「椿お姉ちゃんは本当に私のことを良くわかっているよ!」
成り行きを冷静に見ていた椿の発言でどうやらさくらが真っ当な方法で森に住む獣人たちの王様の地位に就任したことがこの場の全員に認められる運びとなった。元哉は黙ってこの遣り取りを聞いていたが、さくらがあまりに信用されていない様子に腹の中で大笑いしている。だがその表情は至って真面目に次の話を切り出した。
「ついては教国と獣人の間で戦争が起こりそうなんだが、橘にもぜひ協力してもらいたい」
元哉は森を取り巻く情勢を語り始める。事が事だけに橘やディーナをはじめとするメンバー全員はその話に真剣に聞き入っていた。
「わかったわ、教国の力を弱めておくのはこの国にとっても悪いことではないし、それに王様がさくらちゃんだったら私も協力しないわけにはいかないじゃない」
橘の瞳には青白い炎が宿る。彼女の大魔王としての血が震えているのだ。さくら程ではないとしても橘も実は戦闘に出るのが好きだった。大魔王としての力を振るう機会はそうはないが、どうやら今回はそこそこ楽しめそうだという予感がしている。
「私たちも行きますよ!」
フィオとソフィアは長いこと魔法具の製作に関わってこの場に留まっていたので、そろそろ外の空気を吸ってみたい気持ちに駆られていた。
「面白そうね、私も行こうかしら」
椿もフィオたちに同調している。彼女は橘から魔道具の開発の責任者を任されていたが、すでに殆どの開発は終えて量産化の段階まで漕ぎ着けていた。あとは実際に製作しながら問題点の洗い出しをするだけなので、これは配下の魔法使いでも対応できる見通しが立っている。
「ディーナ、あなたも書類仕事は部下に任せて一緒に行くわよ」
橘の言葉にディーナの表情はぱっと輝く。彼女は橘の許可が出ないと迂闊に城を動けない立場なので、どうしたらよいかの判断を大魔王の意思に委ねていた。その表情を見る限り一緒に行きたいという気持ちだったのは明白だ。
「1週間後に出発するから各自準備をしておいてくれ」
元哉の言葉にその場の全員が頷く。
「それからもうひとつみんなに話しておきたいことがある」
一体元哉が何を話し出すのか見当が付かない一同は、黙って彼の顔を見つめるのだった。
次回の投稿は土曜日の予定です。