163 さくら対伝説の魔物2
さくらはヒュドラの魔法の息を掻い潜ってその太い胴体に接近を図る。狙うはどんな魔物にとっても弱点となる心臓だ。ただしその長い胴体のどこに心臓があるのかわからないから、取り敢えずダメージを与えられればラッキーといった感覚で胴体部分に拳を叩き込む。
「グオーー」「ギヤーー」「ギュオオーーン」
さくらの一撃はある程度ダメージを与えたようで3本の首が苦しんでのた打ち回ってはいるが、残った1体はまったく無事で近付いたさくらに向かってその顎門を広げて襲い掛かる。だがその気配を察知したさくらはすばやく飛び退いてその場から距離をとって再びヒュドラと対峙する。
「どうやら心臓も複数あるようだね。おっと、こうしている間に千切れた首が復活したよ!」
約1分でさくらの魔力弾を喰らって千切れ飛んだ5本の首が復活を遂げて、再び上からさくらを睨み付けている。千切れた首はいつの間にか消え去っており、その首に残された魔力を再び吸収して再生を図っているようだ。
「それじゃあもう1発いってみるかな!」
さくらは再び擲弾筒を構えて迫撃弾を打ち込んだ。
「ドーーーン」
再び大爆発を引き起こして今度は4つの首がなくなっている。直撃を受けた胴体も大きく損傷しており、残った首が苦しげにのた打ち回っている。どうやら先程よりも胴体に受けたダメージが大きいようだ。残る5体の首も攻撃に魔力を回す余裕が無くて、再生と回復に専念しているようで動きを止めている。
「うーん、中々上手くいかないね。仕方が無いから魔力の充填が終わり次第にもう1発いってみよう」
さくらも無駄な動きをせずに擲弾筒のチャージに集中した。迫撃弾は威力と攻撃範囲が広いが、魔力の充填に30秒掛かるので連射が利かないのが欠点だ。
20秒もすると苦しんでいた首が立ち直り、爛々と輝く目でさくらを睨み付ける。血を吹き出していた胴体はその傷が表面上消えてなくなり、千切れた首の再生が始まっていた。
「チャージよし! 次弾発射!」
さくらの声に合わせて再び擲弾筒が放たれた。同じ箇所を狙っての精密狙撃だ。さくらの狙い通りに魔力弾は寸分違わぬ位置に着弾する。
「ギョ&$#オーーーー!」
ヒュドラの首は残り2体がまだ健在だが、苦しみのあまりに絶叫を上げていた。だがそうこうする内に先程再生を開始した4体の首が再生を果たす。
「うほほー、がんばるねー」
さくらはこれで仕留められるかと思っていたが、ヒュドラがまだ生きていることに対して喜びの声を上げていた。擲弾筒だけで終わってしまってはせっかくの大物と期待しただけに歯応えが無さ過ぎる。その点このヒュドラは十分に合格点を与えられる強さとしぶとさを持っていた。
さくらは攻撃パターンを切り替える。9体の首を持って攻撃する相手に対して敢えて自分が得意な接近戦を挑む気だ。新たに千切れた首の再生に取り掛かって動きが鈍くなったヒュドラに高速で接近してその胴体に一撃を見舞う。その後でわざと動きを止めて口を開いて襲い掛かってくる首をいなして、横に回りこんでから拳を叩き込む。
変化自在のさくらの動きに振り回されて、ヒュドラは同じ目標を狙った首同士がぶつかったりする大混乱に陥った。口から吐いた魔法の息は地面に到達した時にはそこにはさくらの姿は無く、別の所にある首が攻撃を喰らって倒されている。
ヒュドラに対して一方的にタコ殴りを続けるさくらだが、その内心はかなり焦っていた。
「この調子なら時間をかければ倒せるけど、兄ちゃんが時間制限をつけたからなあ。間に合うかどうかわからないけどこのまま続けるしかないか」
独り言を呟きながらさらに一方的に攻め続けるさくら、その動きは鋭さを増していくばかりだ。毒の息をサッと交わして襲い掛かってくる首を殴り付ける。迫りくる炎を拳で引き起こした衝撃波で粉砕しながら、反対の腕から擲弾筒を放ってその首を葬り去る。
さくらにとってはこれ程までに充実した戦いの時間は経験したことが無かった。相手が無限に再生してくるとあっていくら倒してもキリが無いほど次々に襲い掛かってくる。だが、その楽しい時間も魔力通信機に入った元哉の声で無情の終了を迎えた。
「さくら、残念だが時間だ。後方に退避しろ」
「兄ちゃん、あと5分だけ!」
「だめだ、早く下がれ!」
さくらの泣きの一回も無情に拒絶されて、最後にもう1発迫撃弾を見舞ってから元哉が待っている所まで後退したさくら、その表情は大好物を取り上げられて泣きそうになっている。
「小さな嬢ちゃんは本当に凄いんだな!」
トボトボと戻ってきたさくらをドレバスはまるで英雄を出迎えるかの態度で歓喜の声を上げた。それはそうだ、ベヒモスを仕留めた上にヒュドラに対しても攻め切れなかったがその内容は一方的なものだった。『これこそが英雄だ!』という彼の思いも頷ける。
「悔しいよー!」
対してさくらはあれだけ攻勢に出ていたにも拘らず、仕留め損なってガックリした表情だ。
「さくら、これでも食べて見ていろ!」
元哉はマジックバッグから以前しまっておいた焼いた肉の塊を取り出してさくらに手渡す。いつもならば大喜びするはずの彼女は無言でそれを受け取って口にするだけだった。
「ここでしばらく待っていてくれ」
元哉はそう言い残して岩の陰からヒュドラが待つ場所へと歩いていく。その足取りは勝利を確信してかまったく余裕を感じさせる姿で、さくらを以ってしても仕留められなかったヒュドラの存在など歯牙にもかけていないように映る。
歩きながら腰のホルダーからナイフを引き抜いた元哉はふと何か思い当たったことがあるようで、そのナイフを再び腰に戻す。
「戯れに性能試験でもしておくか」
彼はアイテムボックスから帝国から返品されてた『フラガラッハ・レプリカ』を取り出した。帝国ではまともに扱える者が居なくて、その性能がどのようなものか不明だった。この機会に自らの手で剣の力を試しておこうと思ったのだ。
「兄ちゃん、あんな物を取り出しちゃったよ!」
後方でその光景を目撃したさくらは大慌てでドレバスを伴ってさらに後ろに下がった。過去の経験から言って、元哉の近くに居るのは余りにも危険と判断した結果だ。ちなみに渡された肉はいつの間にかペロリと食べ終わっている。
ヒュドラはさくらにタコ殴りにされた傷がようやく癒えて、その9本の首も完全に再生を終えていた。自分をここまで追い込んだ相手が急に姿を消してどこに行ったかと探していた時に、一人で近付いて来る元哉の姿を発見した。一本の剣を手にして堂々と歩いてくるその姿は紛れも無い強敵と見定めて、彼を迎え撃つために万全の体制で身構えている。
元哉はただ剣を手にしたままでヒュドラの至近距離まで近付いていた。そこまでやって来てはじめて魔剣を下段に構える。ヒュドラは元哉に対して全ての首からあらん限りの魔法の息を吐き出して攻撃を加えたが、元哉がまとう分厚い魔力に阻まれて彼の体に届くことは無かった。
ならばとその首を元哉に伸ばしてその牙で食い殺そうと一斉に襲い掛かって来る。そして元哉はこの時を待っていた。
下段に構えた剣を一気に空に向けて振り抜く。魔剣に元哉が注入していた魔力は薄い刃となって伸ばそうとしていたヒュドラの首に襲い掛かった。剣の一振りによって膨大な魔力の刃がヒュドラを通り過ぎて空の彼方に白銀の尾を引いて飛び去っていく。
「ドサッ、ドサドサドサッ!」
ヒュドラの首は重たい音を立てて9体全てが地面に落ちていった。その本体は首を切られた断面から大量の血を滝のように噴出しながら力なく崩れ去った。
「俺の魔力を流してもビクともしない、いい剣だな」
そう一言呟いた元哉は何事も無いかのようにヒュドラとベヒモスの死体をアイテムボックスにしまうのだった。
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