149 皇帝オーガ6
さくらは軽く両手を上げたまま自然体で皇帝オーガを睨み付けている。身体強化を全て解いて無駄な力を抜いた状態だ。だが、その眼だけは僅かに細められていて凶悪な光を放っている。
現在のさくらはいわば『裏さくら』とでも言おうか、以前ディーナと二人で貴族に誘拐された時に一瞬放った眼光に似たものをその瞳に宿している。確かあの時は一切の容赦無くゴロツキどもを殲滅していた。いや、正確に言えばあの時よりもさらに危険な状態だ。心の中の怒りを沈めて自分の全てを対象の破壊と殲滅に向けている。
「元橋派古流奥義をここに解放する」
小さな声で宣言のような言葉をつぶやく。
さくらの実家は古流の道場を営んでいる。彼女は師範でもある母親から12歳の時に奥義を受け継いだ。それ以来毎日鍛錬を繰り返し身に付た一子相伝の究極の技だ。それは先祖が確立して代々受け継いできた敵の破壊のみを目的とした滅多な事では使えない真の奥義だった。
「ほう、さくらの様子が変わったな。あやつがどのように動くか楽しみだ」
遠くから見ているバハムートにはその様子がはっきりと捉えられていた。その目にはいつもの赤い魔力とは違う薄い青色をした『気』が発散されているのが見て取れた。
構えをしたまま動かないさくらに対して皇帝オーガは右手に持った剣を大きく振りかぶりさくら目掛けて振り下ろす。その軌道はさくらの目にはっきりと捉えられていて、流れるような動きで剣の軌道の外側に彼女は瞬時に移動していた。
「奥義、迷惑千万!」
そして自分の前を剣を握った皇帝オーガの腕が通り過ぎた瞬間、彼女はその手首の辺りに突き上げるような拳打を放つ。オーガの剣を持つ右手は力の限り振り下ろされていたので、今度はその勢いにさらに加速されて大剣が自身の首に向かって跳ね上げられていた。
「グオーーー!」
その勢いを何とか止めようとするが、剣は二人分の力で向かってくる。そのまま首まで到達してその皮を切り裂いて皇帝オーガは血をダラダラと流す。ちなみに元橋流の奥義には元々個々の技に名前など付いていなかった。小さな者が大きな者を倒す手順そのものが奥義であって、技の名称はさくらが適当につけただけだ。意味の無いネーミングはさくらの頭だから仕方ない。ただしこの技は自分の武器が自分を襲ってくるという点だけを見れば、非常に迷惑な技かもしれない。
「奥義、焼肉定食!」
だがさくらの動きはそれだけでは終わらない。腕を跳ね上げた後でそのまま右に回りこんで、走りこみ様にその太い足に手刀を一閃する。さくらが放った手刀は足に触れてもいないのに、生み出した真空波によってひざの辺りの皮が破れてそこからも大量の出血をする。ちなみにこの技の名前は彼女の大好物からとっている。ネーミングセンスを全く感じないのはさくらがバカだから仕方がない。
「ずいぶん丈夫な皮だね。ここで死んでいればこれ以上苦しまなかったのに残念だね」
さくらは普段絶対に発しないような低い声で皇帝オーガに語りかける。それは敵に対する手向けの言葉だったのかもしれない。
右側から後ろに回りこんださくらを皇帝オーガはすっかり見失っていた。左右に首を振ってその存在を掴まえようとするが、後ろで気配を消しているさくらはどこにも見当たらない。
「ガーーー!」
次の瞬間皇帝オーガは絶叫を上げた。後ろに回りこんで気配を消していたさくらの手刀が再び両足の裏側を切り裂いたのだ。全身を自らの血に染めて後ろを振り向く皇帝オーガだが、さくらはさらにその動きに合わせて再び後ろに回りこんでいた。ここまでの攻撃で出血は強いているが、まだ致命傷となる傷は与えていないし、相手の動きは殆ど鈍ってはいない。
手刀から発する真空波では皮を切るのが精々で、大きなダメージを与えられないと判断したさくらは今度は膝の外側に向けて蹴りを放った。オーガキングだったら一撃で砕く威力を持った蹴りだが、皇帝オーガの頑丈で太い骨を砕くには至らない。ならばと敵がこちらを振り向く間に3連発で見舞っていく。
「ゴキッ!」
攻撃力30万を超えるさくらの蹴り3発についに皇帝オーガの頑丈な膝が砕けた。元々膝というのは外側から力が加わると非常に脆い。元橋流の奥義とは脆い箇所を流れるような動きで攻め立てるのが真髄だ。一撃で倒せない強大な相手を前にした時に真の力を発揮する。
だがそんな強大な敵に攻撃を加えるためには特に体が小さいさくらの場合接近戦を挑む必要がある。相手の武器を掻い潜って接近するその足運びこそがこの奥義の肝だ。
皇帝オーガは自分の膝が砕けた痛みに顔をしかめたが、そんな事を気にしている場合ではない。無事な方の左足を軸にして体を右回転させて右手に持つ剣をなぎ払うようにさくらに叩き付けてきた。
ちょうど3発目の蹴りを打ち込み終わったさくらは首の高さで襲ってくるその剛剣を掻い潜って一旦距離をとる。
「ずいぶんボロボロになったね。降参して首を差し出せば痛い目に遭わなくて済むよ」
「弱イ者の分際デ我ニ傷を負ワセルトハ許し難イ。コノ報イハオ前ヲ喰ラウ事デ晴ラシテヤル」
さくらの降伏勧告を皇帝オーガは切って捨てる。この期に及んでさくらを『弱い者』扱いしているが、この魔物はどうやら客観的な事実を把握出来ないらしい。普通の種だったら命が危ない時は逃げ出そうとするものだが、鬼の皇帝としてのプライドのせいか逃げるという選択は無いようだ。
再び距離をとって睨み合う両者、だが片膝が壊された皇帝オーガの動きは明らかに鈍くなっている。無事な左足に重心をかけて殆ど片足立ち状態だ。
「奥義、歓迎光臨!」
さくらは一瞬左に動くフェイントをかけて低い姿勢で右に動き出す。狙いはもちろん右膝だ。だがさくらのフェイントに引っかかり姿を見失った敵は本能でその剣を振り下ろす。
「いける!」
その読み通りさくらは剣の軌道の下を掻い潜って、左手でその足首を掬って跳ね上げた。重心がかかっていないその右足は大きく後方に跳ね上がり皇帝オーガは完全にバランスを崩す。その右足がまだ戻らないうちに今度は左膝の裏側に思いっきり蹴りを放つと皇帝オーガはちょうど膝カックンの状態に陥り力なく地面に倒れこんだ。ちなみにこの技の名前は行きつけの中華屋の店内に張ってあったポスターからとった。意味は分からないがなんとなく格好良さげなので付けてみた。ここまでくればさくらのやる事だからもう諦めるしかない。
「さあ、ここからはお馴染み全部私のターンだよ!」
さくらは『裏さくら状態』を解いて、すでにいつもの姿に戻っている。敵を転がしたらもうこっちのものだ。身体強化を掛けながら思いっきりジャンプしてまずは最も危険な剣を持った右腕の肘の部分に着地した。
「グアーーーー!」
皇帝オーガの絶叫が響く。さくらによって破壊された右手は剣を持つ力を失った。残る左手で何とか起き上がろうとするが、そんな事をさくらが許すはずが無い。再びジャンプして今度はその背中の心臓の辺りを目掛けて着地する。
「グシャッ」
何かが潰れるような音が響いて皇帝オーガは口から泡を吹いて白目になった。おそらく心臓が潰されたのだろう。だがそれでもさくらは容赦しない。
うつ伏せに倒れている皇帝オーガの首の後ろに右足を乗せて動かないように固定してから、両手で左の角に手を掛けて渾身の力で引き上げる。さくらの力によってその巨大な顔が横を向きギリギリと音を立てながら次第に上を向き始める。角は頭から外側に大きく突き出しており、梃子の原理で角の先端から伝わる力は首を少しずつ捻っていく。
「ゴキリ」
ほぼその顔が真上を向く辺りで大きな音が響いて皇帝オーガは体を痙攣させて動かなくなった。
「いやー、実にいい運動だったね!」
さくらの表情は久しぶりの充実感に晴々としている。
「さくらよ、見事だったぞ」
不意に彼女の頭の中にバハムートの念話が響いた。
「ああ、ムーちゃんか。格好良かったでしょう」
「そうだな、(森が破壊されるのを)心配したが、杞憂に終わって我も一安心だ」
「何だムーちゃんは心配性だな。私はこの通り全くの無傷だよ!」
どうも両者の会話は噛み合っていない。
「その割にはずいぶんと手を焼いていたようだが」
「相手がデカかったからね。手が届かない上に固かったから奥義まで使っちゃったよ」
さくらはこの戦いを振り返って正直に答えている。
「何だ、その奥義というのは?」
「うちの流派の奥義だよ! ああいうデカい相手に対して弱い所から攻めていく手順だよ。必殺技とかじゃなくて一連の流れ自体が全部奥義なんだよ。今度ムーちゃんとも手合わせしてみる?」
さくらはより強い相手を求めているらしい。ついにはバハムートまで自分の鍛錬に引っ張り込もうとしている。
「はっはっは、それも面白いが遠慮しておこう。獣神と戦って怪我でもしたら適わないからな」
「ちぇっ、つまんないの」
本当はバハムートはお世辞混じりに言っているだけなのだが、さくらは真に受けて本当に残念がっている。一体どこまで怖いもの知らずなのだろうか。
「王様ーーー!!」
声がする方を振り向くと獣人たちがさくら目掛けて押し寄せてくる光景が目に入った。真の王が現れた喜びと皇帝オーガが討伐された喜びとで彼らの表情はこの上なく明るい。先を争ってさくらの元に駆け寄るその姿はこの日を夢見て過ごして来た彼らの苦難の道のりを埋め尽くして余りある程の喜びをもたらしていた。
「ヤッホー、さくらだよ! このコーナーも久しぶりだね、このところ忙しくって本文を書き上げるのが精一杯だったって作者が言っていたよ。私の登場コーナーを減らすとは全く許せないよね! ダラダラと続いていた皇帝オーガの討伐はこれで終わって、次からは別のお話になるよ! たぶんうちの兄ちゃんたちが活躍するんじゃないかな。そのうちまたディナちゃんとのトークコーナーもやるから楽しみにしていてね。次の投稿は火曜日の予定だよ!」