141 偵察飛行2
休息が終わって大空に飛び出していく。
ロージーが付いてこれないのでイフリートの飛行速度をさらに下げて、ドラゴンとしては歩くような速度で教国の上空を飛んでいく。おかげでロージーは魔力を節約しながらワイバーンを操縦できるので先程のようにへばる事は無い。
「兄ちゃん、この辺りはポツポツと小さな村があるだけだね」
さくらの言葉通り大きな街と街の間には人口200人程度の村が点在している。どの村も柵で周囲をおおわれており、魔物の侵入に対する備えをしているようだがずいぶん心許ない備えだ。その上小さな家々の中にあって教会だけは立派な造りの建物がどこの村でも一番目立つ場所に置かれている。
その名の通り教国は宗教国家なので、庶民の暮らしよりもとにかく教義の方が大切らしい。地球にもイスラム圏を中心に政治と宗教が結びついた国家があるが、ここまで極端な国はさすがに存在しないのではないだろうか。ここでは人々のために宗教が存在するのではなく、神と教会に奉仕するために信者が存在している。
その教義のデタラメさに怒りを覚えた橘は西ガザル地方の占領地でエルモリヤ教の信仰を禁止する事を即決して、教会に関係する者たちには追放命令を出した。魔族を敵視する彼らの存在は統治に邪魔なだけでなく、住民の生活にも悪影響を与えているという彼女の判断だった。結局教国という国家自体が宗教に名を借りて人々から富を吸い上げる独裁システムだという事が判明したのだ。
確かに独裁といえば橘も大魔王として独裁政権を築き上げているが、彼女は人権に関しては妥協する事無く絶対に保護すると国民に約束をしている。彼女が支配者でいる限りは新ヘブル王国の国民は安心して自らの幸福を求める事が可能なのだ。
それでも橘は民主主義にはなお及ばないと思っている。彼女自身は決して民主主義の信奉者ではない。むしろその欠点が露になって衆愚政治に陥る危険も十分に承知している。それでも自らが行っている魔王による独裁政治よりも国民が政治に参加する方法を何かの形で取り入れた政治形態の確立を目指している。まだその方向性は定まってはいないが、将来は立憲君主制に近い政治形態に徐々に移行していくのが良いだろうと考えている。何よりも自分に集中している権力を分散すれば、その分自分の仕事が減って楽になる。
ただしそれはこの世界の発達段階においてまだ早計な可能性が高い。人々は生活に追われて思想や信条を実現出来るような段階に世界自体が到達していないのだ。だから彼女は本国ではなく占領地に試験的に選挙制度を取り入れた。
しかし、代表者を自らの考えで選びその責任は住民全体が負うものとするという橘の署名入りの文書が公示された時、住民の殆どはその意味すら理解出来なかった。
これがこの世界であり、支配層と被支配層にその身分が固定された社会の悲しい現実だ。支配する側もされる側もあまりに長くそのような関係が続いたのでもう当たり前だと思い込んでいる。
このような未発達な社会の情勢で、橘が試験的に開始するこの制度も果たしてどのような結果をもたらすのか予想が付かない。
話は元に戻る。上空を飛行する元哉たちは二つの大きな街の上空を過ぎて相変わらず教国の南部の偵察を続けている。
「兄ちゃん、見えてきたよ!」
さくらが発見したのは帝国が国境に造ったアデキエス砦だ。
その姿は空から見るとどこにでもある中規模の砦で先日教国が攻め寄せて来た時にはオフェンホース公爵の裏切りによって無血開城して一旦は教国が占領していた。だが、アラインの敗戦で総崩れとなった教国軍はこの砦を維持出来ずに雪崩を打って自国に逃げ帰っていた。
現在は皇帝の直轄地となっており、砦の指揮官として帝都から赴任しているのは軍務大臣の幕僚としてアライン要塞の戦いに参加したディアドール伯爵だ。彼の他に特殊旅団の人員も200人がここに駐屯している。
伯爵は当然ながら元哉やさくらとも面識があり、エミリヤ砦を通じて帝国に訪問を連絡した時には『歓迎する』との返事を受け取っている。
元哉たちを乗せたイフリートは高度を下げながら砦の上空を旋回する。屋上にはその姿を目にした兵士たちが挙ってその姿を見上げている。
「おーい! さくらだよ! 私がいないから兵士たちが気を抜いていないか見に来たよー!」
マジックアイテムによって拡声された声が響いて、それを聞いた特殊旅団の隊員は手で顔を覆って見ない振りをしようと試みている。このところそれほど彼らの手を煩わす事件が起こっていなかったので完全に気が抜けていたのだ。もしそんなところを見られたら命の保証が無い。
だが、そんな現実から逃避しようとしていた彼らの願いも虚しく、さくらを乗せたドラゴンはふわりと着陸する。
「元哉殿、さくら殿、ようこそお出でくださいました」
にこやかに歩み寄り握手を求める伯爵、彼は目の前で見せつられた二人の恐るべき力に感服すると同時に帝国にとってかけがえの無い恩人と高く評価をしている。その態度からも友好的な様子がありありだ。その後ろでは一般兵に混ざって特殊旅団の隊員たちが固い表情で整列している。
「わざわざ伯爵自らの出迎え感謝する」
元哉はちらりとその後ろに整列している兵士たちに視線を向ける。その視線を感じて彼らは首を竦めた。一般兵の中には元哉の威圧に不慣れで震えだす者も出る始末。
「もう夕刻も近いですからゆっくりと食事でもしながら積もる話をしましょう」
伯爵は兵士たちの精神衛生に配慮して元哉たちを砦の内部に案内する。それを見送ってあからさまにホッと一息つく兵士たち。彼らにとって幸いだったのは元哉の後ろに居たさくらが『食事』と聞いて一瞬で兵士たちへの関心を失った事だ。大喜びで『ちょうどお腹が空いてきたよ!』と言いながら内部に入っていく。
「早速だが、新ヘブル王国は予てより占領を進めていた西ガザル地方を完全に掌握した」
元哉のいきなりの発言に『えっ』と思わず声を上げる伯爵。帝都からは侵攻を開始したとの連絡が入っていたが、そのあまりの早さに貴族としても軍人としてもかなり情けない態度をとってしまった。
「ぜ、全域を占領したという事か」
「その通り、ネタニヤの街も血を流さずに確保した。西ガザル地方の全域は新ヘブル王国に組み込まれた」
元哉の発言に今度は声を失う伯爵。帝都の予想では一年以上掛かるのではないかという話だったが、わずか2ヶ月で全てを終わらせるとは予想外にも程がある。
「帝都にはこの結果を改めて知らせに行くが、伯爵からも伝えておいて欲しい。それからエミリヤ砦の帝国からの通行の自由は保障する」
元哉の発言に頷くしかない伯爵だった。
その後は教国に対する情報交換をして会談は終了する。その間さくらはいつものようにお替りの連続を繰り返していた。
翌朝、ドラゴンの背中に乗って颯爽と空に飛び立つ元哉とさくら、彼女の後ろにはロージーももちろん付いてきている。その姿を見送る兵士たち、特に特殊旅団の隊員は足早にさくらが飛び立った事に本気で神に感謝している。それと同時にいつまたこのようにさくらが遣って来てもいいように、今まで以上に真剣に訓練に励む決意を固めていた。
「兄ちゃん、この先はどうなっているんだろうね?」
西に向かって飛んでいるが当然元哉もさくらも初めて見る場所なのでどこがどうやら分からない。草原地帯がずっと続いていたが、進んでいくうちにいつの間にか左側にはどこまでも続く深い森が現れた。
「この辺りに街はないようだな。森林地帯だから魔物が出るのかもしれない」
「えっ! 魔物が出るの?」
魔物狩りはこの世界でさくらの最大の娯楽だ。普通の冒険者が命懸けで挑む魔物を軽い運動感覚で倒していく。自分の力を測るのにはちょうどいい相手だった。
「今は偵察中だから下には降りないぞ」
元哉のにべもないセリフにガッカリとするさくら。おもちゃを取り上げられた子供のようだ。神様となった現在も中身は丸っきりの子供だが。
そのまましばらく飛んでいるうちにさくらが何かを発見する。
「フーちゃん、あの辺りをゆっくりと旋回してみて」
さくらの指示通りイフリートは悠然と森と草原の境目を旋回する。その頃には元哉の目にも何があるかはっきりと確認する事が出来た。
眼下に広がる光景は森から追い立てられる人々を追いかける兵士の姿がある。彼らは剣を振り上げて威嚇しながら逃げ惑う人々を捕らえていた。
「兄ちゃん、助けに行こうよ!」
「ああ、見過ごす訳にも行かないな」
元哉の了解が出たのでドラゴンは急降下してその場に降り立つ。遅れてロージーも無事に着陸している。
「な、なんだ!」
「ま、まさかドラゴンが・・・・・・」
今まで武器を振り上げて人々を追い立てていた兵士たちはその巨大な姿を見て何とか逃げ出そうと草原に向かって走り出す。その後姿を見送りながら地面に飛び降りたさくらと元哉は兵士たちに追い立てられて逃げていた人たちの元に向かう。
一番近くに居たのは転んで動けなくなった小さな女の子だった。何でこんな小さな子供を兵士たちが追い立てていたのか理由が分からないが、怪我はないか確認するためにさくらが近づく。
「大丈夫? 怪我してない?」
さくらの呼びかけに対してうつ伏せになって顔を地面に埋めていた子供は恐る恐る声がする方に顔を向ける。そしてさくらの姿を見るなり口をポカーンと開いて固まっている。
その女の子を見ているさくらは彼女の外見がどうも様子が違う事に気が付いた。頭の上には猫の耳がありお尻からは可愛らしいシッポが伸びている。この世界に遣って来て初めて出会ったがどうやら獣人と呼ばれる種族のようだ。
しばらくさくらを見つめてびっくりとしていた子供は急に起き上がってさくらの前に跪く。
「王様、お願いします。私のお父さんとお母さんを助けてください」
さくらを前にして祈るような真剣な表情をする子供の様子に、いくら多少の事には動じない彼女も元哉の方を見つめてどうしたらよいのか困った表情をしていた。
「こんにちは、ロージーです。ヒイヒイ言いながらさくらちゃんの後についていきました。それで行き着いた先で獣人の女の子を発見して、今度は橘さんに続いてさくらちゃんが王様と呼ばれました。一体どうなっているんでしょうか? たぶんどんな経緯なのか次のお話で明らかになると思います。次回の投稿は水曜日の予定です」