139 飛行訓練
「じゃあ、始めるよー!」
さくらの掛け声に合わせて2体のワイバーンが空に飛び立つ。1体はさくらが、もう1体はディーナが手綱を取っている。ドラゴンに比べて非力なワイバーンは人間を一人乗せるのが限界だ。したがって乗りこなす練習をするにしてもいきなり一人で乗って空に飛び立たなくてはならない。
「あわわわわーー!」
ディーナは何度かドラゴンの背中に乗った経験はあるが、空中での挙動が全く違うワイバーンに泡を食っている。何しろ初心者は真っ直ぐ進ませるだけでも一苦労なのだ。最初からアクロバット飛行をやり遂げたさくらの運動神経の方が思いっ切り間違っている。
何とか手綱にしがみ付く様にしてさくらの後を追うディーナだが、乗せている側としては常に手綱を引っ張られてブレーキを掛けられている状態なので飛び難くて仕方が無い。
「ディナちゃん、手綱にしがみ付くんじゃなくて足でしっかり挟み込むようにしないと落ちるよ」
「は、はい! キャーー!」
ディーナは事前に説明を受けて頭では理解していたが、実際にやってみると大違いだ。それにドラゴンに乗った事はあっても一切操縦はお任せだったので、どうやって手綱でワイバーンを操ってよいのか分からない。振り落とされそうになりながら何とか胴体にしがみ付いて、そのついでに手綱を手放していた。
「あーあディナちゃん、それじゃあ制御できないよ! 仕方ないなあ、私に付いておいで一度地上に降りるよ」
さくらは操縦を放棄したディーナを無視して直接ワイバーンに命じる。無様な格好で体をペッタリと胴体にしがみ付かせたままで、さくらが操るワイバーンに続いてディーナを乗せて無事に着陸をした。
「ディナちゃん、手綱を放したらだめだよ!」
「さくらちゃん、今は話しかけないでください」
背中でぐったりしているディーナはさくらの注意など耳に入る余裕が無い。僅か10分もしないうちに精も根も尽き果てたかのようだ。
「じゃあ、今度はロジちゃん行ってみて!」
「はい、行きます」
ディーナとは対照的にロージーは自信満々だ。ハイヒューマンに進化した事で全ての感覚や神経が研ぎ澄まされているので、初心者とは思えない安定した飛行が出来ている。
「いやー、ロジちゃんはさすがだね。これならもう一人で任せてよさそうだね」
さくらはその様子を見て太鼓判を押している。さくらには及ばないものの中々の飛行振りだ。
そして、最後に最大の問題児が控えている。言わずと知れた運動神経ゼロの橘だ。
「はなちゃん、本当にひとりで大丈夫?」
さくらもさすがに不安を隠し切れない様子だ。
「わ、私を誰だと思っているの! 大魔王よ! こ、こんな翼竜の1体や2体軽く乗りこなして見せるわ」
偉そうなセリフの割には言葉に力が無いのは気のせいだろうか。
「じゃあとりあえず飛び立ってみて」
さくらの言葉と同時に翼竜は助走を開始する。魔力で空を飛ぶ竜種と違って名前だけ竜の翼竜は空力を生かして飛ぶので浮力を得るために助走が必要なのだ。
「キャーーーーーー!」
だが橘はすでにこの時点で悲鳴を上げて胴体にしがみ付いている。
「あーあ、はなちゃんはまだ空に飛び立っていないうちから大騒ぎだよ」
その様子を呆れた様に見つめるさくら、これでは先が思い遣られる。まだ離陸もしていないのだ。あまりの橘の大騒ぎ振りに離陸を諦めて戻ってくる翼竜、その背中で橘は半分意識を失っている。
「だめ・・・・・・もう絶対に無理・・・・・・」
その背中でうわ言の様に何かをつぶやく橘の姿を見てこれが大魔王だと信じる者は居ないだろう。
間違ってもこの姿を国民に見せることは出来ない。一気に橘の支持率が半減しそうな情けない姿だ。国会でもあれば野党から『あの情けない姿は一体なんだ!』と追及を受ける可能性が高い。橘にとっては絶対王制万歳と言いたい所だろう。
フラフラと翼竜の背中から下りてくる橘、出迎えたさくらとロージーは呆れ顔だが、ディーナだけは『その気持ちはよく分かります』といった表情で何度も頷いていた。
橘とディーナの気力が戻るまでしばしの休憩を挟む。メイドたちが戻ってきた橘のためにせっせとお茶の準備をしているが、いずれは彼女たちも橘に付いて空を飛ぶので顔色が悪い。
「ロジちゃん、はなちゃんの鈍臭さには私もお手上げだよ! なんかもっと簡単に飛べる方法はないの?」
「そうですねー・・・・・・ 私たちと運動神経が違いすぎて何とも言えませんね。この際だから運動神経を無視して飛ぶ方法を考えた方が早いんじゃないですか」
ロージーは急にさくらに難しい問題を振られて大して考えずに答えたが、この意見に橘が食いつく。
「そうよ! 最初から運動神経なんか無視すればいいのよ! 私が魔力で無理やり飛ばせてやるわ!」
清々しいばかりに橘は言い切った。自分の運動神経が無いのは重々承知の上だ。だったらそんなものは当てにしないで魔力を全開にして飛ばしてやろうというとんでもない思い付きだった。
「えーと・・・・・・ まずは落ちない様に私の体と翼竜の体を固定して・・・・・・ あとは飛ぶのに最適な風を魔法で起こしてやれば・・・・・・ よしこれで大丈夫な筈!」
こぶしを握り締めて立ち上がるその姿は先程までとは大違いで大魔王の威厳をすっかり取り戻している。
橘は決意を胸に秘めて再び翼竜の元に向かう。翼竜は丁度食事のオークを食べ終わってスタンバイが完了していた。
「さあ、行くわよ」
橘は背中によじ登るのが面倒なので、風魔法で自分を上昇させて翼竜に文字通り飛び乗る。下からの風でローブとスカートが思いっ切り捲れるが、レギンスを穿いているので気にしない。
先程組み上げた術式を発動して翼竜の背中と自分の体を固定して準備万端だ。
「飛ぶわよ」
翼竜は彼女の言葉を理解しているのか、それとも雰囲気が伝わるのか、助走を開始する。背中に乗っている橘は先程のような振り落とされる恐怖など微塵も感じないようで微動だにしていない。
助走である程度の速度に達した翼竜は翼を大きく広げて空にふわりと浮かび上がる。橘はここぞとばかりに魔法で向かい風を起こしてやると、大きく浮力を得た翼竜の巨体は一気に地上から200メートル以上の高度に上って行った。
「これなら楽勝ね! 何で最初から気が付かなかったんでしょう」
空の上で橘は上機嫌だ。自身の無限に近い魔力を思う存分使って快適な空の散歩を楽しんでいる。
「おお、はなちゃん凄いね! あっという間にあんな高い所まで行っちゃったよ!」
地上から見上げるさくらも感心するほどの急上昇を余裕でこなした橘の姿はもう豆粒のようになっている。
快適に空を楽しんでいる橘はそろそろ降りようかという時になってとある事に気が付いた。
「さくらちゃん、降りる時はどうすればいいの?!」
さくらの魔力通信にかなり慌てた様子の橘の声が響く。
「ええー! そんなの知らないよー! はなちゃん考えていなかったの?」
さくらが言う通りで橘は飛ぶ事ばかりに気をとられて降りる事は一切考えていなかった。
「どうしよう、どうやったら下に降りられるの?」
上空で青い顔をして考え込む橘、何とか翼竜に下に降りてとお願いするがなぜか伝わらない。そのまま彼女は翼竜が疲れるまで3時間近く空に滞在していた。
「こんにちはディーナです。ワイバーンに乗る練習を始めたのですが、コツを掴めなくて酷い目にあっています。橘様もあの後ヘトヘトになって戻ってきました。今度は着陸の時の術式を考えてから乗るそうです。私も魔法をうまく使って乗ってみたいのですが、ワイバーンの背中で剣を抜くわけにもいかないので無理ですね。もうこうなったら慣れるしかないですよね。あーあ、気が重い。次の投稿は日曜日の予定になります」