137 竜人の里
「じゃあ行ってきまーす」
さくらがバハムートの背中で手を振る。今日はこの前約束した通り竜人の里に向かう日だ。元哉たちに見送られて颯爽と空に飛び立っていく。
「ところでムーちゃん、竜人の里ってどこにあるの?」
眼下には広大な畑が広がっている景色を見ながら、さくらは遠話でバハムートに語りかける。
「そう言えばそなたに場所を教えていなかったな。竜人の里は地竜の森のさらに奥にあるのだ。他の種族との交わりを極端に嫌う奴らだからな、ぜったいに人族たちがやって来れないところに里を造っておる」
「でも村興しでお饅頭を売っているんでしょう。なんで他の種族が嫌いなの?」
さくらは当然といえば当然の疑問を口にする。他の種族との交流が嫌なら村興しなどする必要が無い筈だ。
「本当は奴らは他の種族が嫌いな訳では無い。どうやって交わったらよいのか分からないだけだ。長らく自分たちだけで引き籠っておったので、他の種族とどのように付き合っていけばよいのか分からないのだ」
「むむむ、なるほど! 竜人の里ごとニートになっちゃったんだね。そういう事なら私に任せなさい! どんな人でもバッチリ外に出してあげようじゃないか!」
さくらは安請け合いするが、このまま任せると碌な事にならないという危惧をバハムートは抱いている。確かにさくらを簡単に信用して痛い目にあっている者が多いのは事実だ。
「いや、そなたは何もしなくて良いぞ。あやつらの事は自身で決めるのがよいだろう。そなたはあくまでも客人として振る舞えば良い」
バハムートは何とかさくらの介入を阻止した。里に余計な混乱を招くリスクを避けたのだった。
快適な空の旅は順調に進み、地竜の森を越えた所でバハムートが旋回を始める。
「見てみろ、里の連中が我を迎え入れるために右往左往しておるぞ」
竜人たちは予告もなく現れたバハムートの姿を目にして、慌てて歓迎の準備をしているところだった。
「ムーちゃん、結構大勢の人たちがいるんだね」
その様子を空から見ているさくらには1000人単位の竜人たちが動き回っている様子が見て取れる。てっきり『里』という名称からひなびた小さな集落を想像していたさくらは、思いの外大きな集落にびっくりしていた。
「そろそろ用意ができたようだ、地に降りるぞ」
大きな広場に置いてあった邪魔な荷物などを移動して作り出した広いスペースにバハムートは悠然と降り立つ。
「バハムート様、ようこそお越しくださいました」
村の代表者たちが挙って極めて恭しい態度でバハムートを出迎える。だが、背中に乗っているさくらには彼らはみんな同じような風貌にしか見えずに一人一人の区別がつかなかった。竜人というその名の通りで、体は人間で首から上が竜の姿をしているのだった。
「うむ、そなたたちの歓迎大儀である。今日は我の契約者を連れて来た。我と同様に歓迎せよ」
竜人はバハムートの眷属なので物凄い上から目線の話し方をしているが、竜人たちはそれが当たり前のようで全く気にする様子がない。だが、彼らはバハムートの口から飛び出した『契約者』という言葉に大きな驚きを見せる。
そもそも竜人にとってはドラゴンは神聖にして不可侵なもので、小さな少女が神龍と契約を結ぶなどという事は有り得ない話だった。
「恐れながらそのお背中にいる方が契約者でございますか?」
里長はさくらを見つめて不審そうにバハムートに問いかける。彼女が何者なのか得体がしれない不安を隠しきれない様子だ。
「ヤッホー! さくらちゃんだよ! よろしくね♪」
対するさくらは全くいつもの調子で背中から飛び降りて来る。彼女には初めてやって来た場所で緊張するとか畏まるといった大抵の人間が持ち合わせている最低限の礼儀などお構いなしだ。
10メートル以上の高さから飛び降りてスタッと華麗に着地を決めたさくらに竜人たちの視線が集まる。
「竜人たちよ、ここにいるさくらは見かけは人だがこの世界の全ての獣を総べる獣神なるぞ。そなたらが束になっても一捻りされる恐るべき神であると肝に銘じよ」
バハムートの低く唸る様な声が響くと、竜人の間にどよめきが広がる。彼らの崇める神はもちろん神龍だが、かといって別の神を疎かにする事は決してなかった。その神が里に姿を現したというのは、彼らにとって誇らしい事だった。
「獣神様でいらっしゃいましたか、ようこそおいでくださいました」
丁寧に頭を下げる里長、彼の態度で歓迎されていると分かったさくらは上機嫌だ。
「ところで竜人の里饅頭はあるの?」
さっそく最も気になっている事を口にする。ドワーフの集落で手に入れたお饅頭のストックが切れていたのだ。
「おお! 我らの里の名物をご存知でしたか。さっそく作り立てをご用意いたします」
「うほほー! 作り立てが食べられるんだ! とりあえず20個くらい用意しておいてね」
さくらにとってはワイバーンの事よりもこちらの方がずっと大切な話だった。案内された里長の家でお茶を飲みながら出されたお饅頭をパクパクと食べていく。
それにしてもここ竜人の里はさくらにとって見慣れた風景が其処彼処に存在している。今腰を落ち着けている建物は木造で畳や襖、障子までがある完璧な日本の家屋だった。そういえばバハムートが宙を旋回していた時にも田んぼらしき風景が目に入った。
「ここは私の生まれた国とよく似ているね」
さくらが手にする湯飲みの中のお茶も緑茶にそっくりである。何から何まで日本の古い時代を再現したような竜人の里をさくらはすっかり気に入っていた。
「獣神様の仰せの通りで、ここは昔異国のサムライと称する者がさまざまな文化を我々に伝えたのでございます。そのおかげでこうして皆が穏やかに暮らしております」
「ほほう、お侍さんがここに来たことがあるんだ。どうりで見た事のある景色だと思ったよ!」
さくらの頭ではこれ以上過去にあった出来事を深く考えられなかった。この地にやって来たサムライというのが一体何者なのかは謎のままだ。
お饅頭を食べてすっかり満足してくつろいでいるさくらにバハムートから念話が届く。
「そなたは肝心な用件を話したのか」
「肝心な用件って何だっけ?」
自分が此処に何をしに来たのかすっかり忘れているさくらにさすがのバハムートも呆れ返っている。
「そなたはあのトカゲどもを操る術を知るために来たのであろう」
「ああ、そういえばそうだったよ! さすがムーちゃん、よく覚えていたね♪」
それくらい自分で覚えていてもらいたいものだ。よく橘はこの大事な用件にさくらを一人で出したものだ。リアル『初めてのお使い』状態といっても過言ではない。
「えーとね、ワイバーンに乗る方法を知りたいんだけど教えて!」
小学生でももっとましな物の頼み方が出来そうだが、さくらにはこの程度が限界なのか・・・・・・
「ワイバーンでございますか、この里にも何体か居りますが皆卵から育てて飼いならした者達です。いきなりその辺を飛んでいる者を使役するのは難しいのではないかと思いますぞ」
里長は難しい顔で答える。それもそうだ、いくら下位種と言えどもワイバーンはれっきとした龍の仲間で普通は飼い慣らせない。だがこの程度で諦めるさくらではなかった。
「そうか!卵を採ればいいんだね。でも、それじゃあすぐには飛べないから親も一緒に捕まえちゃおう!」
捕まえれば何とかなるくらいにしか考えていないさくらだが、里長は一応注意だけはしておくことにした。
「卵を抱いているワイバーンは凶暴ですので近づく時は注意が必要ですぞ。最も獣神様には無用な事でしょうが」
「そうそう、全然心配ないよ! チョチョイと捕まえるだけだからね。ムーちゃんにも協力してもらうし」
一向に気にしないさくら、一体どうするつもりなのか?
「あともう一つ注意がございます。ワイバーンは乗り方が難しいので、少々慣れないと乗りこなすのは難しいかもしれません」
「そうなんだ、ドラゴンとは違うのかな?」
さくらはバハムートをはじめとするドラゴンたちはしょっちゅう乗りこなしているが、ワイバーンにはまだ乗ったことがなかった。一度試してみようということになり、里長に案内されて飼われているワイバーンの所に行ってみる。
「ほほう、此処がワイバーンの厩舎だね。思っていたよりも小さいんだね」
さくらがやって来た所には大きな建物にワイバーンたちが7体翼を休めている。体長は15メートル足らずでバハムートたちと比べるとまるで大人と子供だ。だがそれはさくらの基準がおかしいのであって、人間から見れば十分な巨体であった。
此処で飼われているワイバーンたちは人に慣れて大人しいのだが、さくらの姿を見るなりソワソワと落ち着かない様子で彼女を見ている。さくらが発する気に只ならぬ気配を感じているのだろう。
「えーと、この中で私を乗せてくれる人は手を挙げて!」
人じゃないし、どうやって手を挙げるんだという突っ込みはさくらには通用しない。我道を突き進み、都合が悪い時は力で捻じ伏せる、それこそがさくらだ。
そして7体の内の1体がさくらの圧力に負けてその翼を動かした。
「よーし、君に決めた!」
間髪入れずにそのワイバーンにビシッと指を指すさくら、指名された方は不安そうな顔で里長を見ている。
だがそんな事はお構いなしに彼女はワイバーンの背中にヒョイヒョイと駆け上がって腰を下ろした。この期に及んではさくらに乗られたワイバーンは観念しているようだ。
「獣神様、こやつらが飛び立つには助走が必要でございます。そのまま後に付いてきてください」
さくらはなるほどと思い、里長の誘導に従って開けた場所までやってくる。
「よーし! その辺を一回りしてくるよ!」
そういい残して助走するワイバーンの背中で手綱を握り締めているさくら。彼女を背にそのワイバーンは大空目掛けて飛び去って行った。
「ヤッホー! さくらだよ! 今竜人の里に出張中だよ。ここは心が和むいい場所だね、気に入っちゃたよ! 竜人の人たちもみんないい人みたいで、ここに住みたいくらいだね。次回はたぶん兄ちゃんたちの所に戻ると思うけど、途中で色々仕出かすからお楽しみに。次の投稿は水曜日の予定だよ!」