136 ロージーの一大事
「帝国と教国に潜り込ませている間諜の事なんだけれども・・・・・・」
橘はここで一旦話を区切る。彼女には何がしか思うところがあるようだ。
「どのくらいの数を潜り込ませているのかしら?]
「帝国に約50人、教国には約70人でございます」
砦の整備の合間に橘の執務室に呼ばれたメルドスは恭しい態度で答える。彼は橘に初めて出会ったあの魔境での出来事以来、ディーナに匹敵するほどの忠誠を彼女に捧げている。
「そう、結構な人数を送り込んでいたのね、でも、現状では帝国と同盟を結んだし、彼らはもうそれ程人数は必要ないでしょう。10人を残して残りは西ガザル地方に移動してもらって。教国の方は全員撤収しましょう」
橘の言葉にメルドスは驚いた。帝国については理解出来る。2国間の固い同盟が結ばれたからには対立するリスクは大幅に減少した。だが、教国についてはこの先どう出て来るかわからない。むしろこれから先潜入している者たちの情報が必要になってくる可能性が高いのだ。
「恐れながら大魔王様、教国の者たちを全員撤収させると諜報活動が全く行えなくなりますが宜しいのでしょうか?」
メルドスは疑問に思った事を素直に口にした。橘もこの疑問については十分予期しており、むしろこのくらいの事を聞いてこない方が軍の上層部としてはどうかしていると考えている。
「その事については考えてあるから大丈夫。むしろこれから教国との紛争がさらにエスカレートした時に、彼らの身に危険が及ぶ方が心配なのよ。潜入している者たちもこの国の国民に変わりはないわ。私が守るべき大事な人たちなのよ」
橘は教国の出方については元哉とさくらが定期的に空からその様子を偵察するので、それで問題は無いと考えていた。国家の内情や住民の感情といったものは人を介さないと分からないが、それはこの際リスクと相殺するという事で割り切る必要がある。
それよりも彼女はまだ支配権が安定していないここ西ガザル地方の住民たちの声を吸い上げて早くより強固な政治体制を確立しようと考えていた。そのためには長年敵国に潜んで諜報活動に従事していた者たちをこの街に配置するのが最も効果的と判断したのだ。
「大魔王様のお心遣い、潜入している者たちに代わって感謝いたします。かの者たちに対しては早急に帰還の命を届けます」
メルドスは橘の考えの深さに感心するとともに、その誰に対しても公平な博愛の精神にいたく感動している。ただ強いだけではない、強力な魔法が使えるでけでもない、民を思うその優しさこそが大魔王の本質なのだと。そしてその優しさこそが、彼が心から敬愛して止まない前魔王のディーナの父親と共通しているものだという認識を新たにした。
「そうしてちょうだい。彼らは皆成人していないのでしょう。まだ魔法が使えない身では危険が多過ぎますからね」
人族の中に潜入するためには成人前のちょうどディーナと同じ年頃の者たちを訓練して冒険者に成りすまさせて他国に送り出している。それは大きな危険を伴う過酷な任務で、命を落とす者も少なくなかった。だが、国力が弱った新へブル王国としてはすこしでも帝国や教国の思惑を早く知り対策をとりたいがために、このような手段を取らざるを得なかったのだ。
「ああそれから、あなたの娘のシャロンだったかしら。彼女は王都に戻してディーナの側付きにしてね」
橘は実直なメルドスの事だから自分の娘はきっと後回しにするだろうと考えて先手を打った。テルモナの街で出会ってロージーの実家の宿屋でしばらく一緒に過ごしたシャロンだが、ディーナとは幼馴染であるだけでなく、世情に詳しい事もあって彼女の補佐に付けようと橘は考えていた。行く行くはディーナの実務をサポートするスタッフをもっと大勢集めて、国の行政の中心に据えようという考えが橘にあるのは言うまでもない。
「かたじけない事です。わが娘の事まで気にかけていただくとは」
メルドスはずいぶんと恐縮した様子で一礼する。
「気にすることないわ、彼女の能力に私が期待しているだけよ。それにあなたもこの西ガザル地方を背負ってもらうのだから、大いに働いてもらうわよ」
「肝に銘じまする」
一通りの遣り取りが終わったところでドアをノックする音が響く。
「橘様、お食事のご用意ができました」
橘付きのメイドが食事の時間を告げる。メルドスは暇を告げて去り、橘はメイドに伴われてダイニングに向かうと、そこにはさくらを筆頭にいつもの顔触れが暖かな夕食を前に橘を待っていた。
「やっとはなちゃんが来たよ! それではいただきます!」
さくらはいつもの調子でいきなりメインの肉料理にかぶりついているが、同席しているディーナとロージーは元気が無い。
「二人とも一体どうしたの?」
普段なら旺盛な食欲を見せる彼女たちの元気が無い様子が気にかかった橘は変だなと思いつつ一応聞いてみる。
「橘さん、さくらちゃんがどうにも止めようがないんです!」
ロージーが涙声で訴える。彼女はさくらの訓練につき合わせれて今日もボロ雑巾のように扱われていた。ロージーだけではなく仕事が一段落したディーナまで『体が鈍るといけないからね!』と無理やり引っ張り出されて、さくらの相手をさせられていたのだった。
特にディーナはこのところ事務仕事が多くてあまり動いていないので、体のあちこちが悲鳴を上げている。おまけにそこら中に痣が出来ており酷い有様だった。
「もう疲れて口も利きたくありません」
よく見るとディーナのスプーンを持つ手がかすかに震えている。その動作はとてもゆっくりで、ダメージの蓄積が酷い様だった。
「相変わらずさくらちゃんに扱かれていたのね。でもディーナは久しぶりにいい運動ができたんじゃないの」
「命懸けのいい運動なんかしたくありません!」
ディーナの表情は真剣だった。本当にあわやというシーンの連続で、よく最後まで立っていられたものだと自分でも感心している。それほどさくらとの個人での格闘訓練は過酷なのだった。
「まあいいじゃん、このあとはみんなでお風呂に入ってさっぱりしようよ!」
さくらの一言にあれほど気力を失い掛けていた二人の目が光る。
「それはいいんじゃありませんか、ディーナさん」
「そうですね、久しぶりにゆっくりとお風呂に入って疲れを取りたいですね、ロージーさん」
どうやら二人の意見が一致したようだが、その横で元哉が頭を抱えている。彼の頭の中にはいつもの嫌な予感しかしていない。
「兄ちゃんは先にお風呂に入っていてよ! 私たちが後から行くからね!」
さくらのダメ押しで元哉の退路は完全に塞がれ、ディーナとロージーの瞳は怪しく輝いている。橘はもう止めても無駄だと分かっているので無言を貫いた。その分ベッドの中で思いっきり可愛がってもらう所存だ。ただし元哉にその元気が残されていればの話だが・・・・・・
「兄ちゃん、入るよー!」
湯船に浸かっている元哉の耳にさくらの声が響く。その後ろで『久しぶりだからドキドキします』とか『私もなんか緊張してきた』という声が聞こえてくるが、気にしたら負けだ。敵の術中に嵌るのが目に見えている。
心を無にしてひたすら数を数える元哉。それにしてもさくらは体が多少成長したとはいえ、精神的には全く成長していない。今でも平気で元哉の前で服を脱ぎだす。いや、さくらだけではなく残る二人も全く当たり前の顔で服を脱いでいる。むしろいっぱい見て欲しいオーラ全開で湯船に突入してくる。
「兄ちゃん、私の体どう?」
恥ずかしげもなくさくらはほんの少しだけ膨らんだ胸を元哉に見せつけるが、どうと言われても色気も何もあったものではない。
「良かったな、ちょっとは成長して」
元哉はお世辞半分で答える。妹の機嫌を取って味方につけておかないと、この後の二人の攻勢を乗り切れないのだ。
「へへへえ、これからもっと大きくなるからね」
そんな事はどうでもいいと思いつつも、さくらに対して適当に相槌を打つ元哉。だがその後ろで2体の肉食獣がこちらに向かって牙をむいているのに気が付く。
「元哉さん、もう我慢が出来ません!」
そう言うなりディーナはさくらを押しのけて元哉の体にヒシっとしがみついて、その大きな二つの胸や柔らか腹部が元哉の体全体を刺激する。心の準備をする暇もなく突然のディーナの襲来に元哉の理性はギリギリの限界でせめぎ合っている。思わずその体を抱きしめる腕に力が入りかけるが、何とか踏みとどまった。
対してディーナの方は夢見心地で元哉に自分の体を預けきっている。色々な所が密着してかなり危ない体勢だ。その顔や体全体がピンク色に染まり、その口が元哉の唇を求める。
「んんー」
自分の唇を元哉に押し付けるディーナから甘い声が漏れる。彼女は少しずつ流れ込んでくる魔力に我を忘れて元哉にしがみ付いていた。
そのままどのくらいの時間が経過したのか元哉にはわからないが、悩ましく蠢くディーナに心を奪われそうになっている。
「ああー、もう我慢出来ない!」
ディーナは一声叫ぶなり、その右胸を元哉の口に押し付けて、流れ込む大量の魔力に完全に呑み込まれて意識を失った。
湯船にプカリと力なく浮かんでいるディーナをさくらが介抱している間に、代わってロージーが元哉に抱きつく。
ディーナに散々に刺激された元哉は呆然として心ここに非ずといった様子で、さくらはディーナの介抱に気を取られている。
『今がチャンス!』
ここでロージーの頭の中にある事が閃いた。
そのままゆっくりと自分の腰を持ち上げて元哉の○○○を自分の中に挿入していく。
「ビクッ!」
突然大きくロージーの体が仰け反った。彼女は何か叫ぼうとしているがうわ言の様になって言葉にならない。
この時ロージーの中に普段供給されているのとは比べ物にならない途方もない量の魔力が流れ込んでいた。橘を魔王から大魔王に変えたその途方もない魔力にロージーは意識を保つことが出来ずに、体をガクガクとさせながら意識を失う。
その様子に気が付いたさくらが駆け寄った時にはもうすでに手遅れだった。ロージーの体が水色に光り輝いている。その一部始終を目撃したさくらでさえも何も出来ずに見守るしかなかった程、それは強烈な光だった。
ようやくその光が収まって、ぐったりとしたロージーの体をさくらが湯船から引き上げると、ようやく元哉は我に返った。
「一体何があったんだ?」
「兄ちゃん、覚えてないの?!」
さすがのさくらもあまりに生々しいその様子を目撃してかなり引いているが、それよりもロージーの方が心配だ。彼女の体を拭いて毛布に包む。意識はないが一応息がある事だけを確認してロージーをベッドに運ぶと、ディーナがまだ素っ裸のままで浴室に転がされているのを思い出し、彼女もベッドに運び込む。
その後ディーナはすぐに意識を取り戻したが、ロージーは丸一日死んだように眠っていた。ようやく意識を取り戻した彼女にステータスを確認させると、今まで『人族』と表記されていた種族名が『ハイヒューマン』に替わっており、身体スペックが全て10倍に跳ね上がっていた。
「大変な事になりましたね」
ディーナはその様子を見てかなり羨ましそうにしている。
「ロジちゃん、これからもっと本気で組手が出来るね!」
さくらはどうやら歓迎しているようだ。
「私人じゃなくなったの? それよりも大事な初体験の記憶が全くないんだけど」
ロージー本人は人である事を捨ててしまったよりも自分の初体験の方が重要らしい。
一方その頃元哉は橘から正座をさせられて2時間以上説教を食らっていた。当分彼女の怒りは静まりそうもなかった。
「こんにちはロージーです。私ついに人間ではなくなっちゃいました。と言っても全く実感がわかないんですが。さくらちゃんも神様になった時きっとこんな感じだったんでしょうね。元哉さんは橘さんにずいぶん怒られて申し訳ないです。でも今回全く記憶が無いので絶対にもう一回リベンジをしてもらわなくっちゃ! 次の投稿は火曜日の予定です」