133 ネタニヤ攻略作戦2
「それでは橘様、お願いします」
ディーナの声に促されて橘が渋々術式を構築する。大魔王とはこれほどまでに辛い仕事だとは思わなかった。出来れば全て投げ出してこの場から逃げ去りたいというのが、橘の偽らざる心境だ。
「はー」
大きく一つ溜息をついて魔力を込める。
「幻影投射!」
その声とともにネタニヤの街の上空に橘の巨大化された上半身が出現した。
「あれは一体何だっていうんだ!」
ただでさえドラゴンの恐怖に苛まれてもはや考える事すら放棄している街の住民の頭上に、白いローブ姿で大きなつばの帽子を被った恐ろしくも美しい少女の姿が浮かび上がっている。
その周囲を飛び回っているバハムートの姿と相まって、それはこの世界の終末にも似た恐ろしい光景だった。
「控えるが良い、愚かな人の子たちよ!」
その巨大な姿をした少女の口が開いて、威厳に満ちた言葉が街全体に響き渡る。その声は圧倒的な恐怖と絶対に反抗できない巨大な力を感じさせて、住民たちは逆らう術無く地面に平伏すしかなかった。
その様子を空から見つめる橘、ここで彼女は術式とのリンクを一旦切る。
「ディーナ、まずはこんな感じでいいのかしら?」
「大丈夫です、これで掴みはオッケーです!」
街から1キロほど離れた新ヘブル王国侵攻軍の本陣で自信無さげに演技の出来を確認する橘が居る。以前王国の解放を目指して街で演説した時はあれほど堂々としていたのに、今は別人のようだ。
本来橘はどちらかというと内気で引き篭もり体質だった。偽王の圧制で苦しんでいた住民のためにディーナに手を貸して立ち上がったあの時は、演技ではなく本心から住民を救いたくて自分の言葉で演説を行った。
だが、今回はそれとは全く性格の異なる演技力を求められている。ディーナが用意した台本通りに大魔王らしく振舞わなければならないというのは、実は人前に出るのが苦手な橘にとっては中々ハードルが高かった。
再び術式とのリンクを繋ぐ。
「我はこの世界に君臨する大魔王なり。愚かなる人の子たちよ、我が復活した暁には人族は悉く滅ぶものと知れ!」
魔王の復活・・・・・・魔族を最終的な敵と教義で定めたエルモリヤ教徒にとっては最も恐ろしい出来事だった。それが今目の前に実現している。自分が生まれた時期が魔王の復活と重なった不幸を恨むしかなかった。
おまけに上空に出現した少女は自らを『大魔王』と言っている。ドラゴンを4体も使役している事から見て恐らくそれは真実なのだろうと街中の者たちは考え、これからわが身に降りかかる恐ろしい運命に身震いした。
「まずは我の力を示そうとしよう。そこにある我らを目の敵にしておる目障りな教会をこの世から消し去ってくれる。命が惜しければ中に居る者はすぐに逃げよ!」
人を死なせないための橘の警告だ。この声が届いて教会から夥しい数の人間が逃げ出し始めた。彼らの多くは教会に避難していた住民だ。
「ディナちゃん、もう誰も居なくなったみたいだよ」
バハムートの背中に乗って街の上空を旋回しているさくらから魔法通信が入る。橘の魔法は姿を空に投影しているだけなので、実際の人々の動きはさくらの報告が頼りだった。
「了解です。さくらちゃん、橘様の合図があったら派手にやっちゃってください!」
ディーナの返事にさくらは了解と応えて合図を待つ。
「大いなる天罰を下す時がやって来た! 我に逆らう愚かな者たちよ! その目にとくと焼き付けつがよい」
台詞の一つ一つが橘の精神を大きく削っていく。彼女の裏神格のミカエルならばこのような口調は当たり前なのだが、こんな仰々しい台詞に橘は噛まないように必死だ。
「ムーちゃん、あの建物を派手に壊していいよ!」
「承知した。邪神を崇める神殿など目障りなだけだ。きれいさっぱりと消し去ってくれよう」
バハムートの喉の辺りに大量の魔力が集中するとそれは明るい光を放ち出す。他の建物を巻き込まないようにホバーリング状態で宙に留まり狙いを付けて、一気にその魔力を吐き出す。
「ギュオーーーン!」
「バリバリバリ!」
空気を切り裂く黄金龍のブレスが放たれた。それは空から降ってきた天罰の業火のように住民の目には映る。
ブレスが地上に到達した瞬間、その周囲は新たな太陽が生まれたと勘違いするばかりに明るく輝き、その光が収まった後には石造りの教会の建物が跡形も無く消滅していた。
「おお、ムーちゃんさすがだね! きれいさっぱり無くなっちゃったよ!」
「我を誰だと思っているのだ! この程度造作も無い事、むしろ被害が他に及ばないように力を加減するのが難しかったくらいだ」
さくらが感心する様子にバハムートは当然といった態度で答える。この程度は神龍の力の一端で本来の力を出せば街ごと消えて無くなるそうだ。
「ディナちゃん、教会だけきれいに消したよ! 他に被害無し、人命にも被害は無い模様」
「さくらちゃん、バハムート様、ありがとうございました。そのまま待機でお願いします」
再び魔法通信で連絡を取り首尾を確認する。どうやらここまでは事がうまく運んでいるようだ。
「では橘様、お願いします」
ディーナはディレクター張りに橘にキューを出す。作戦責任者だからこの役割は当然だ。今回橘は立場からいうとディーナの指示に従うしかない。
「愚かなる人の子よ、我の力がわかったであろう。反抗などという無駄な考えは捨てて我の軍門に下るが良い。我は寛大ゆえに命を助けてやろう」
本当は橘の力ではなくバハムートのブレスなのだが、住民たちにはそんなのはどうでも良い事だった。彼らの関心を引いたのは橘の『命を助けてやろう』という一言だった。そこに生き残るための一縷の希望を見出す。
「兵士と教会の関係者はこの街を退去せよ。住民で街を出たい者についても認めるとしよう。明日の正午まで門を開いておくゆえに、それまでにどうするかを決めよ。街に残った者に関しては西ガザル地方で自由に暮らす権利を認める。好きにするがよいが我らに反抗する事は罷り為らん」
大魔王の登場で皆殺しを覚悟していた街の住民たちはその思い掛けない寛大な処置に信じられない思い出互いの目を見合わせている。
「おい、本当に助かるのか?」
「まだ安心できないぞ、相手は何しろ魔王だからな」
半信半疑といった様子で誰もその場から動こうとはしない。
「我は大魔王、この世界の全てを手に入れる選ばれた存在! 我の目から見て愚かな人の子の生き死になど興味は無い。明日まで軍を進めるのを待ってやろう。それまでにこの街を捨てる者は捨てるがよい。さっさ自らの家に戻ってと準備を始めよ」
橘の言葉に一人また一人とその場を離れて家に戻る住民が出始める。
「さくらちゃん、教国側のドラゴンをこちらに回してください」
「了解、フーちゃんとグーちゃんはルーちゃんの所に行ってね」
さくらの遠話によって2体のドラゴンが飛び立って反対の門に布陣する新ヘブル王国軍の前に着陸する。これで住民たちには教国に戻る道が開いた形になった。橘は去る者は追わない方針だったので、逃げたい者は逃がしてやる。
「どのくらいの人が残るでしょうか?」
「そうだな、半分残ればいいんじゃないかな」
ディーナは横に立っている元哉に話しかける。この時役目を終えた橘は精根尽き果てて椅子に座り込んでいた。かなり精神的に削られ切っているようで今は誰とも話をしたくない模様だ。
「これで明日メルドスたちが進駐を終えたら一安心です」
自分が立案した作戦が後は最終段階を残すだけとなって、ホッと一息つくディーナだった。
「こんにちは、ディーナです。どうやら街の攻略の目途が立ちつつあります。こううまくいくとは作戦を立てた私もちょっと信じられないです。たぶん次の投稿で決着がつくような気がしています。みなさんどぞお楽しみに。次回は月曜日を予定しています」