122 橘切れる!
お待たせいたしました。元哉たちが橘の待つ王都に戻ってからのお話になります。橘さんは一体何に切れたのでしょう・・・・・・
「元くん、お帰りなさい!」
先日の帝国出張の時と同じように満面の笑みで帰ってきた元哉を出迎える橘。彼女は元哉の帰りを待ち侘びながら書類仕事を大幅に前倒しして片付けて、彼に甘えるために万全の体制で待ち受けていた。
「色々有って今回もかなり時間が掛かった。その分剣の出来は申し分ない」
アイテムボックスから取り出したドワーフが丹精込めて鍛った剣を取り出して橘に見せる。まだ剣と魔石を結ぶ肝心の術式を組み込んでいないが、橘や椿が本気になれば地竜でさえ一刀両断にする威力を発揮する剣になる。もっとも二人はそこまで強力な魔剣を作り出すつもりはないが。
「これならいい魔法剣が出来そうね。安心したわ」
笑顔でその剣を受け取る橘だが、非力な彼女にはその剣は重過ぎてヨロめいてしまう。
「大丈夫か、無理をするな」
元哉がとっさに彼女の体を抱えると同時に、剣を自らの手で掴んで橘から取り上げる。彼女はそのまま元哉の腕の中で彼にしがみ付いてひと時ウットリとするのだった。
「橘、ノンビリとはしていられないぞ! 帰りに見てきたが教国方面が不味い事になっている」
元哉の言葉の意味が分からずに体を離して更に詳しい説明を求める橘、だがその表情は話しを聞く前から真剣な顔に戻っている。大魔王たる者いつまでも色ボケしていられない。
「西ガザル地方の砦に教国軍が5万人以上集結していた。恐らくこちらに攻め込むつもりだろう」
橘の表情が大魔王を超えて般若になった。彼女が完全に切れた証拠だ。
生まれた時から姉妹として育ったさくらは食べ物の事で腹を立てるケースはあるが他の事で滅多に切れたりしない。対して橘は意外と切れやすいタイプだ。さくらが腹を立てている時は目の前に美味しそうな物をぶら提げてやるだけですぐに機嫌を直すが、橘の場合はそうはいかない。
彼女が怒ったら元哉さえも宥めるのに手を焼くのだ。さくらなどとばっちりを恐れて橘に近付こうともしない。その大変恐ろしい橘が切れている原因は無理に無理を重ねて何とか書類仕事を終えて、折角元哉に甘える時間を作り出したのに、それが教国のせいで台無しになるという一点に尽きる。
王としての責任とかそんな物は犬にくれてやってもいいが、元哉と二人っきりの時間だけは橘としてはどうしても譲れない重大な事項だった。
「怒りしか涌いて来ないわね! 今回は私の手で奇麗サッパリと地獄に突き落としてあげるわ」
元哉でさえ背筋が寒くなるほどの冷酷な宣言が告げられる。アライン要塞での教国との戦いではそれ程表立って戦う事の無かった橘だが、今回は大魔王として前面に出るつもりらしい。その恐るべき魔力が引き起こす災厄に元哉は教国の兵たちに同情を禁じえなかった。
「教国軍が攻めてくる!」
新ヘブル王国の教国に面したガザリヤの街にその一報が伝わった時に住民たちは極度の恐慌状態に陥りかけた。だが次にもたらされた報告で彼らは大きな安堵に包まれる。
「大魔王様が直々に教国軍の征伐に乗り出される。敵が100万だろうが200万だろうが心配する必要はない! 出来るだけ普段通りの生活を心掛けよ!」
橘は先日の食料の一件でもそうだが、いまや国内で絶大な信頼を得ている。その大魔王が乗り出すとあらば勝利は決まったも同然という思いが住民たちにはあった。
「大魔王様がいれば我々は安心だな」
「間違い無い、偽王との一騎打ちでも指一本で勝ったそうだ。お任せしていればいい。俺たちは少しでも大魔王様のお役に立つために日々の仕事に精を出すだけだ」
街の住民はこの触れを耳にして普段通りの生活に戻っていくのだった。
「歩兵だけの割には移動速度が速いな」
元哉が戻った2日後の現在、元哉と橘はさくらが操る青龍の背中に乗って、進軍する教国軍の上空から偵察を行っている。空から見たその5万を超える兵たちは整然と隊列を組んで行軍しているが、元哉の目から見るとどこか違和感を感じる点が有るようだ。
「その上に輜重車両が全く無いな。どうやって兵糧を確保するつもりなんだ」
彼が言う通りで5万の兵が動くとなると大量の食料その他を同時に運ばなければならない。さもないと大事な兵士を飢え死にさせるだけだ。
だが元哉の目には違和感にしか映らなかったその行軍は、橘の目には全く別の様相がはっきりと視認出来ていた。
「そうね、あの軍勢はおかしな所だらけだわ。何よりもまず一番おかしな点は行軍している全ての兵士が死人だという事ね」
橘の本質を見抜く天使の目だからこそ見破る事が可能なレベルで巧妙に隠蔽された衝撃の事実が告げられる。
「全員が死人だと!」
さすがの元哉も5万人の死人の行進など俄かには信じられない思いだ。
橘が見破った通りに彼らは勇者シゲキによって鳳凰宮で滅ぼされた者たちだった。それが教皇の術式によってまるで生きているかのように動いている精巧なゾンビだ。
「彼らは未だに死んだ事を理解していないから、旧都の時の様に魂を輪廻の輪に戻すのは難しいでしょうね。何か別の方法を考えなくてはならないわ」
橘から見てもそのゾンビたちは生きている存在と区別が付かない程の極めて大きな力によって作り上げられたもので、最も簡単に倒すためには術者を殺すのが手っ取り早いが、肝心の術者は近辺には見当たらなかった。
「さくらちゃん、この近辺で高台になっている場所を探して降りてもらえる?」
「オッケーだよ!」
さくらはドラゴンに命じて荒野に在る100メートル程の高さの岡の頂に着陸した。
「ここならあの軍勢を一望できるわね。場所としては申し分ないわ」
行軍に先回りした3人は小高い丘の上から徐々に近付いてくる隊列を見下ろしている。何キロにも及ぶその列の先頭が橘から見て2キロ程まで接近した時、突然橘の口から特別な術式を呼び出す聖句が発せられた。
「黙示録8章から11章を限定的に再現する。第1の天使のラッパよ鳴り響け!」
その声とともに橘から膨大な魔力が吹き荒れ天に登ると、空の上から大きなラッパの音が鳴り響く。それは人の魂を大きく揺さぶる荘厳なフレーズで、どこかで聞いたことがあるが全く記憶には無い神の意思の表れだった。同時に元哉との大切な時間を奪われた橘の怨念がタップリと込められている。
「神の名において命ずる。生者を偽り神を冒涜する存在を消し去れ!」
橘の声とともに今度は空が割れたかのように夥しい溶岩の雨が何千度もの高熱を発したまま降ってくる。直撃を受けた教国の兵は声を上げる間も無くその死した肉体が蒸発する。直撃を免れた者も落ちた溶岩の何千度の熱で灼熱に溶けた地面に触れただけで同じように蒸発する。
こうして3分の1の死兵が消え去った。だがそれを目の前にしても兵士たちは何事も無かったかのように行軍を続ける。そして前から順番に解けて真っ赤になっている地面に自ら飛び込んでいく。考える機能を失った哀れな人型の人形の末路だ。
「まったく無様なものね。このまま消えていくのを待っているのも面倒だから、引導を渡してやりましょう」
放っておいても良いが時間が惜しい橘は、もう一つ術式を発動する。
「第5のラッパよ鳴り響け!」
同じように魔力が天に登り先程と違うフレーズが鳴り響く。
「神の名において命ずる。生者を偽り神を冒涜する存在を食い尽くせ!」
橘の発した言葉とともに空が一面真っ暗になる。だが良く見るとそれらが動いている事が分かる。
突然空を埋め尽くす程の勢いで現れたのは何十億匹を超える肉食のイナゴの群れだった。それらは橘の命に応じてゾンビたちに一斉に群がる。普通の人間だったら群がって襲い掛かるイナゴを振り払おうと懸命にもがくのだろうが、意志の無い人形たちは体中をイナゴに覆われても歩く事を止めなかった。
「さすがにかなり無残な光景だな」
死体とはいえ食い尽くされていく兵士たちの姿に元哉はその表情をしかめるし、さくらは『ご飯が不味くなりそう』とつぶやいている。どうせさくらの場合2時間前の出来事などすっかり忘れて、いつものように美味しくご飯を頂くはずだが。
橘一人が冷徹な眼差しで全ての兵士たちが食い尽くされるのを見つめていた。それはあたかも術者の使命であるかのように。
何万人もいたゾンビたちは程無くして全て食い尽くされ、食べる物が無くなったイナゴは自ら天に帰って行く。こうして恐ろしい惨劇が引き起こされた場所は音も無い元の静かで時折風の音が響くだけの荒野の佇まいを取り戻した。
「戻りましょう」
橘の声に元哉とさくらが頷きその場に待機していた青龍の背に乗って王都へと飛び去っていった。
「ヤッホー! さくらだよ!」
「我はバハムートだ」
(さくら)「ムーちゃん、わざわざ来てもらって悪いね」
(バ)「一体何の用があって我を呼び出したのだ?」
(さくら)「そうだよ! ムーちゃんに聞きたい事が有ったんだよ! これこれ! このバハムート本舗のお饅頭の事!」
(バ)「おお! これか! 味はどうだった?」
(さくら)「普通に美味しかったよ」
(バ)「そうかそうか! 良き事良き事!」
(さくら)「その口振りからするとやっぱりムーちゃんがこれを作っていたの?」
(バ)「我はこう見えても甘いものに目が無くてな、眷属の竜人たちに作らせておったのだ」
(さくら)「そうだったんだ! 竜人なんているんだ!」
(バ)「その通り! あやつらに作らせて時折献上させている」
(さくら)「でもこれ地竜の森とかドワーフの集落で売っていたよ」
(バ)「試験販売というやつだな」
(さくら)「そうだったんだ! でも何で私が行く先々で売っていたんだろう?」
(バ)「それはおぬしの食べ物に対する意地汚なさ、ゲフンゲフン・・・・・・グルメな所に期待して反応を見ていたのだ」
(さくら)「今なんかバカにされたような気がするけど、まあいいか。それで一体どうする気なの?」
(バ)「うむ、近々竜人村の村興しで販売しようと思っておる」
(さくら)「なんかすごく現実的な話になってきた。バハムート本舗謹製のお饅頭の今後に期待する方は、感想、評価、ブックマークをお寄せください」
(バ)「良い宣伝になったぞ! 次回の投稿は火曜の予定だ、必ず見るのだぞ!」