107 宣言
お待たせいたしました。ヘブロンの街での橘を中心としたお話になります。王国を平和裏に手中に納めるための駆け引きが続きます。
夜半過ぎに裏庭で木に縛り付けられていたガルマレは意識を取り戻した。さくらにすき放題に殴られた体中が悲鳴を上げている。魔法で何とか回復をしようとするが、痛みのために魔力の集中が困難で思うように回復出来ない。
それでも少しずつ効果が出てきて何とか動けるまでには回復した。逃げ出そうと体を動かすと自分を戒めている縄が簡単に緩んでくる。
元哉がわざと緩く縛っておいた事も知らずに縄から抜け出したガルマレはこれで大魔王の裏をかくことが出来るとほくそ笑んでいる。
「おのれ、この貸しは高くつくぞ」
小さな声でそうつぶやくと彼は闇の中に一人で何処ともなく消えて行った。
ここは王都ベツレムの魔王城、その一室に人目を憚るようにして男が二人密談を交わしている。
明かりを一つ灯しただけの部屋で小声で話し合うのはカミロス財務長官とバルキアス軍務長官だ。
「バルキアス、ついに姫様がヘブロンに到着したようだが今後の見通しはどうだ?」
声を潜めているのは彼らの話し合いが現国王の耳に入ったら非常にまずい事態になる内容のためだ。
「カミロス、貴官が姫の事を気にしているのはわかるが、より大きな問題は姫と同行している大魔王と称する者の方だ。俺の所に入っている情報では、普通の魔法は全く効かない恐ろしい程の力の持ち主らしい」
二人はかつて魔王に反旗を翻して現国王とともに謀反を起こした当事者だ。だがその後教国との戦争で大敗して、国自体が大きく疲弊する結果となった事で、自分たちの行いが間違っていたと気付き現在に至っている。
何とか国内の建て直しを図り正当な後継者が現れた時には、現国王の退位を促す計画を以前から進めていた。そのために先日邪魔な国務長官を排除して、国王の周囲はすでに殆ど味方はいない状況になっている。
「その話しは俺も聞いている。果たしてその者がどう出るかによってこの国の運命も決まるであろう」
「現在ヘブロンまで大きな争いも無くやって来ていると言う事は、姫と力を合わせて平和的に王位を継承するつもりと考えてよいだろう」
両者の見通しは概ね正しい。ディーナは争いを望んでいないし、橘も力ずくで現国王を追い出そうとは思っていない。
「では、我らはまだ動くべきではないな」
「うむ、我らが動くと再び血が流れる。機を見て冷静に行動せねば、ますますこの国が破滅に近づく」
その後も夜明け近くまで様々な遣り取りを繰り返す二人だった。
「兄ちゃん、あいつが逃げちゃったよ! 今から探しにいこうか?」
朝一番で様子を見に行ったさくらがガルマレが逃げ出したことを発見した。彼女は自分の不手際と昨日の内に止めを刺さなかった事に少し後悔している。
「探す必要は無いぞ。あいつは橘からの頼みで俺がわざと逃がしたから気にするな」
「何だ、そうだったんだ! 早く言ってよ!」
一応さくらがいる前でガルマレの裏切りを見越してどう対応するか話し合いをしたのだが、単にさくらがおやつに夢中で聞いていなかっただけだった。こんな事は毎度の事なので元哉は一向に気にしていない。
さくらも『気にして損した』と言いながら念入りに体を動かして朝稽古を開始する。毎日の日課なので本人たちにとっては軽い運動のつもりだが、傍から見れば二人がとんでもない動きで攻撃と防御を繰り返している。
特にさくらの力が上がっているため、元哉もそれに合わせて動きのレベルを上げているので、余人では理解不能の攻防が続く。
「いやー、朝からいい運動をしたね! 兄ちゃん!」
「そうだな、さくらの動きが早いから俺も結構苦労しているんだぞ」
元哉に褒められて得意満面のさくら、そのまま機嫌良く朝食に向かう。朝から元気に体を動かしてお腹いっぱいご飯を食べる! これこそがさくらの生き甲斐だ。
「あらさくらちゃん、お帰りなさい」
すでにテーブルについている橘が二人を出迎える。彼女とディーナは事務処理を早くから始めるために先に食事をとっていた。
「はなちゃん、私に黙って作戦を立ててずるいよ!」
さくらはガロマレの件で橘に文句を言っている。橘の顔を見て仲間外れにされた事を思い出したのだ。自分が聞いていなかっただけだとはこれっぽちも思っていない。やや口を尖らせているさくらに対して橘は相手にするのも馬鹿らしいので軽くあしらう。
「はいはい、ごめんなさいね。朝ごはん美味しいからたくさん食べてね」
この一言でさくらの機嫌は完全回復した。橘から見ると扱いやすい事この上ない。でもそれこそがさくらが誰からも好かれる理由だ。
「うほほー! 今日も美味しそうだね! いただきまーす!」
こうして今日も彼女たちの忙しい一日は幕を開ける。
「姫様、大魔王様、お召し変えのお時間です」
執務室で忙しく書類に目を通す二人にメイドが時間を告げる。
「あら、もうそんな時間なの」
昼にヘブロンの住民に挨拶をする予定が入っているのだ。すでにこの街の殆どを掌握しているので、今日は今後の話を住民に伝える予定だ。
着替えを済ませて馬車に乗り込む二人、街の広場には多くの民衆が押し寄せている。ガラリエの街でも歓迎振りは熱狂的だったが、それに輪をかけるように彼らの熱い期待が馬車の中にも伝わってくる。
ディーナの帰還の挨拶に続いて橘がステージの中心に立つと広場中が静まり返る。住民たちの目は大魔王の姿に釘付けとなっている。
「皆さん、この街の町長ガロマレは私たちの毒殺を図り、それが失敗に終わると王都に逃げ出しました。裏切り者の彼を許すことは出来ません」
橘の発言でガロマレに対する大きなブーイングが広場中に広がる。どうやら彼は住民からの評判がよくなかったらしい。
「今ここに大魔王の名の元に宣言します。ガロマレを町長の任から廃して後任にメルドスを当てます」
今度は広場中が歓声に沸き立つ。メルドスは生粋の前国王派である事が知られており住民の人気が高い。彼が町長として住民に認められれば、この街を彼に任せて次の段階に進む事が出来る。
「そして私たちはここをメルドスに任せて、近いうちに王都に向かいます。裏切り者のガロマレの身柄を要求し、新たな支配者として名乗りを上げて堂々と偽王に一騎打ちを挑みます」
今度は広場に当惑の声が広がる。偽王は前魔王には及ばないにしても、現在この国で最強の存在だ。目の前にいる橘は住民から見れば確かにその威厳はすごいと感じるのだが、果たして偽王に勝てるのかという不安が先に立つ。
むしろ彼らは何十年にも渡る偽王の暴虐な支配に晒され続けていたため、ついこの間までは偽王に逆らう事すら諦めていたのだ。
だからこそ、ディーナの無事を聞いて心に燈った僅かな希望、それが潰えてしまうのを恐れている。
「皆さん、心配ありません」
ここで橘に代わってディーナが再び話し出す。住民は彼女が何を言うのか固唾を呑んで見守っている。
「皆さんの耳には届いていないかもしれませんが、先日ガラリエに勇者が現れました」
勇者と聞いて恐れを抱く住民たち、子供に至るまで勇者がもたらした災厄は語り継がれているのだから無理も無い。特に子供は親にしがみ付いて体を震わせている。
「しかし、その勇者は何の抵抗も出来ないままに、私たちが撃退しました」
「ウオーーーーー!!」
恐ろしい勇者を撃退したと聞いて歓声を上げる住民たち。子供たちも恐怖で体を縮こまらせていたが、見る見る元気を取り戻す。
「橘様は私の父が亡くなる間際にこの国を託されたお方です。どうかそのお力を信じてください」
ディーナの言葉で誰もが橘をこの国の正当な後継者として認めた。例えルトの民でなくても大魔王の称号を持ち前魔王から後を託されたとなれば、それだけでこの国の王になる資格があった。
元々この国は血筋で後継者を決める習慣が無い。全ては魔王の称号と前の支配者から国を託される事で全てが決まる。その両方の条件をクリアしている橘こそが正当な後継者と認められたのだ。
ガラリエでは前国王の事は公表しなかった。王都に近い場所で公表した方がより大きなインパクトを与えるだろうと考慮した結果だ。
そしてその事はヘブロンの街だけではなく、瞬く間に新ヘブル王国全土に伝わった。
その結果王都ベツレムでも慌ただしい動きが始まる事となっていく。
「こんにちは、ディーナです。いよいよ橘様が王都へ進む事を宣言されました。私も及ばずながら力をお貸しいたします。次回は舞台が王都に移りそうですね。私も自分が生まれ育ったお城に戻るのが楽しみです。感想、評価、ブックマークお待ちしています。次の投稿は木曜日の予定です」