23,存在しない第四条件
――なんだって?
驚いて一瞬スキルを切ってしまった俺は、もう一度ヴェールの視界を得る。
変わらず朱色の光景が映し出されてから視界は下に動き、怪我をした腕と足が映し出された。
冗談、だろ。
信じられない気持ちで何度も見返すが、何度見ても間違いなかった。
見間違えるはずない、この朱色の回廊はあのB級冒険者が命を落したという場所だ。
でも、なんであんなところにヴェールが?
――まさか。
――――――――――――
「うんうん、やっぱりね。私たちとは鍛え方が違うってことかなあ。根拠はないけどきっと大丈夫だよ、一人で二層を進んでる人もいたし」
「危険な場所を一人で?」
女冒険者は頭をかく。
「あはは……まあ一人でもいけるところでやられる私たちが未熟者ってことね、残念ながら。聞いたらなんでも、実力をつけるための修行で入ってるって言ってたけど、よくやるよねー」
――――――――――
一層で怪我を治療した冒険者達との会話が思い出される。
彼女の言っていた一人の冒険者っていうのが、ヴェールだとしたら。
修行の最中に罠にかかって回廊に落ちたとしたら。
どうしたらいいんだ。
あの回廊のモンスターは並の強さじゃない、コキュトスウルフと戦ったら危なかったと言ってたヴェールじゃ間違いなくやられる。
助けに行った方がいいのかな。
危険だから入らないって決めたところに?
勝算を計算できる材料が一つもないところに?
無理無理、もし失敗したらやばいし、それに、俺がいかなくても、ヴェールが自力で脱出できるかもしれないし、ひとまず様子をうかがってもいいんじゃないかな。うん、そうしよう。
自分に言い聞かせ、もう一度パラサイト・ビジョンを使う。
当然のごとくに状況は好転していなかった。
怪我のせいかほとんどヴェールは動けていない。そして前後に常に落ち着かず警戒するように、あるいは怯えるように、視界をせわしなく動かしている。
近くにモンスターがいて身動きが取れないのかも知れない。
自力で……脱出できるはずがない。そんなのわかりきってる。
ただ、助けに行かない理由を探してるだけだ。
……。
…………。
………………。
「エイシ様、これが転移クリスタルです。自分の魔元素を刻むことで転移することができ、入り口近くと――エイシ様、どうかいたしました?」
様子がおかしいことに気づき、首をかしげるアリー。
俺は深呼吸をして、口を開いた。
「アリーは一人でも二層大丈夫だよね」
「三層の入り口までなら一人で行ったことがありますし、これまで見ていただいたとおり、問題ありませんよ」
「さすが。それなら大丈夫だよね」
念のため確認したけど、アリーは何もなく自然に答えた。
よかった、それなら行っても大丈夫だ。
「俺はちょっと行かなきゃならない場所ができたから、少し行ってきます」
「行かなきゃならない場所? エイシ様、何かご予定が?」
俺は首を横に振りながら、自分の使えるスキルのうち敏捷を上昇させるものを発動させる。
「いや、洞窟の中だよ。でも危険な場所だから、アリーを俺の勝手に巻き込むわけにはいかない。それになにより――急がないといけないんだ。勝手なことしてごめん、埋め合わせは多分するよ」
俺はパラサイト・ビジョンを使いながら駆けだした。
走りながらパラサイト・ビジョンでヴェールの様子を確認する。
今のところ動きはない。
何かある前に速く向かわないと、このままなんのモンスターも来るなよ。
――ここにいるのはヴェールのおかげでもある。
ギルドの依頼をするようになったのも、ここに潜っているのも、ヴェールが背中を押して最初の一歩を踏み出させてくれたからだ。
それがなければ、俺はまだ見ているだけだったかもしれない。
この救援は、失敗するかもしれない。
モンスターに勝てるかどうか、予測はつかない。
何度も失敗を続けて苦しい思いをしてから、俺はずっとそんな勝敗の見えない勝負は避けてきた。
でも、この世界で少しは勝ちを思い出した。
だったら、そろそろもう一度、挑んでもいい頃だ。
きっと。
「どうせ拾った力だ、無謀に使ってやれ――あった!」
あの回廊から感じた重たい空気の感覚、それが石柱のかげの奥まった小部屋のような場所から発せられている。
俺は足に力を入れて、小部屋に飛び込んだ。
「う、おお!」
瞬間、地面が輝き視界が回転する。
次の瞬間、俺は朱の回廊にいた。
「転移の罠って奴か」
急いで回廊の色を見て、パラサイト・ヴィジョンで見えるヴェールのいる場所の色と比べる。
ほとんど同じだが、わずかにヴェールのいるところの方が明るい。
この回廊は奥ほど赤黒くなっていたから、明るい方へ走ればヴェールに近づける。とにかく、スタートだ。
俺は回廊を走る。
ヴェールの視界をうかがいながら。
ヴェールはふらつきながら、立ち上がり、ゆっくりと動き始める。
周囲をうかがいながら、そっと物音を立てないように。
だが、その時、足が止まった。
視界に、モンスターが入ってきた。
それは人面の獅子、マンティコア。
獲物を見つけ笑うマンティコアの姿を見て、ヴェールの視界が震える。逃げようとする足がもつれ、倒れ込む。
駆け寄ろうとしたマンティコアは、ヴェールが倒れるのを見ると走るのをやめて、ゆっくりと、ゆっくりと、歩き始めた。
まるで、少しでも長く恐怖を与えていたぶることを楽しもうというように。
近づくにつれ、ますますその赤い口を大きく開けて笑みを深くする。
瞬間、光が回廊の天井で弾けた。
マンティコアは身をひねり、降り注ぐ魔力の矢の雨をかわす。
驚いたようにヴェールの視界が激しく動き、そして止まった。
「エ、イシ――? エイシ! どうしてここに!?」
「とある事情で、ヴェールがここにいることがわかったからだよ」
俺はマンティコアの近くに向かいつつ、ヴェールに答える。
ヴェールは驚愕に目を見開き、何も言えないようだったが、はっとして叫ぶ。
「だめ! ここのモンスターは桁違いよ! あなたが強いのはしってるけど、それでもさすがにかなわないわ。私はいいから、エイシだけでも逃げて。怪我をしてる私が先に狙われるはずだから、まだ逃げられる!」
ヴェールは身を乗り出して訴える。
だが俺はマンティコアに近づいていく。
「前に俺が何をやってたかって聞いたよね。その時、俺はニートだって答えた。覚えてる?」
「え? ええ、覚えてるけど、でも、今はそれどころじゃ――」
「あの時は言わなかったけど、ニートってのは俺の故郷じゃ三つの条件を満たす人間のことを言うんだ。一つ、教育を受けていない。二つ、職に就いていない。三つ、職業訓練を受けていない。その中に――」
そして剣を抜き、マンティコアと対峙する。
「誰かを助けない人間って条件は、入ってないんだ」