聖女は魔王のために祈る
王都から離れたのどかな田舎。
小高い丘の上にぽつりと一つ、こじんまりとした教会が建っていた。
澄んだ青空に広がる雲は、ゆっくり、ゆっくりと少しずつ変化していっていく。頬を撫でるような穏やかな風が吹いては、周囲に咲く白い小花にをちらちらと揺らしていった。
なんと穏やかな光景なんだろう。
こうして、こんな場所にいると、つい最近まで血生臭い戦場にいたことが嘘のように思えた。
教会の扉が開かれたままだった。
ひっそりと音を立てずに中を覗いてみれば、一人の少女が十字架の前に跪き、祈っていた。
ステンドグラスから入る様々な色の光が彼女の白い横顔を微かに色付けていた。
「……聖女」
背後からそっと声をかける。
驚いて、慌ててこちらを振り返ってくれるのを期待してたのだが、既に俺の存在に気づいていたようで、彼女は、さほど驚きもせずに立ち上がった。そのまま、俺の方を向かず、ゆっくりと話しだした。
「魔王。まだこちらにいたのですか」
凛とした、力強くて心地よい声が部屋に響く。
「最後に挨拶をしに来ただけだ」
彼女に反して、俺はぼそっと小さな声で答えた。
俺は、魔王だった。
気づいた時には、俺は魔王だった。
周りにいたのは、俺とは違う者たち。どいつもこいつもギラついた眼をして、身体から血生臭い匂いが常に漂わせていた。
彼らが俺に求めたことは、人間を殺すことだけだった。
だから、殺した。
殺して、殺して、殺して、コロして、ころして……。
彼らは、人間を殺すことに快感を感じていたように、俺は、いつになっても慣れることが出来なかった。殺した後に残るのは、孤独感だけだった。
「俺の存在に気付くなんて流石だな。勇者や他の奴らもこっそりと様子を見てきたけど誰も俺に気付きそうになかったぞ」
俺は、教会の古びた長椅子に行儀よく腰掛けて言った。彼女は、振り返り、俺の目を貫くようにまっすぐと見つめて言う。
「私は、聖女ですから」
「そうだな」
そう言うとお互いに話すことはなくなってしまい、沈黙がこの場を支配した。
開け放たれた窓から風が入り込み、彼女の豊かな金色の髪がなびいた。聖女は、鬱陶しそうに髪を耳にかけた。
その姿がいつか夢で見た、女性の姿と重なる。聖女と話すのも今日が最後であるので、俺は、聖女に彼女の話をすることにした。
「いつからか、不思議な夢を見るんだ」
そう話し始めると聖女は興味なさそうにだが、耳を傾けてくれた。
「こことは、どこか違う世界で、俺は、とても平和な国に住んでいた」
聖女は、静かに話を聞いていた。それがなんだか心地よくて話し続けた。
「そこでの俺には幼馴染みがいるんだ。可愛くて、優しくて、みんなから好かれるような奴だった」
俺は、幼馴染みをよく思い出しながら話した。笑っている彼女、微笑んでいる彼女、泣いてる彼女、怒っている彼女。魔王になって数百年という歳月がたつが、何度も夢の中で出会い、俺に優しくしてくれた彼女のことだけは、いつでもはっきりと思い出す事が出来た。
彼女だけが心の拠り所だった。
「本当にいい奴だった。だがな、病気で死んでしまった。ベッドの上で段々と彼女が弱っていくなか俺は何にもしてあげられなかった。一番苦しかったのは彼女なのに、俺は慰めることもしてやれなかった。そんな、自分が酷く、酷く憎かった」
そう、俺はあいつに何にも出来なかった。
ただただ、弱っていく彼女を見ているだけだった。痩せ細っていく彼女に一体どんな言葉をかければ良いのか分からず、ただ黙って側にいた。
「好きだったんだ。俺は、幼馴染みの事が好きだったんだ。それなのに何にも出来なかった」
それまで黙っていた彼女が唐突に尋ねてきた。
「好きですか? 今でも、その人のことが好きですか?」
俺は、即答した。
「好きだよ」
そう、何百年たった今でも忘れられないぐらい好きなのだ。
「そうですか」
彼女は、ただ、そう呟いた。
再び、沈黙がこの場を支配する。
俺は、そろそろかと立ち上がった。
「もう、行ってしまうのですか?」
「ああ」
聖女は、再び十字架の前に跪いた。
「ならば、私は貴方のために祈りましょう。貴方が無事に天へと帰れるように」
そう、俺は先日の戦いで勇者に殺されたのだ。しかし、よかった。彼女は、こんな俺にも祈ってくれるらしい。全てを許されたわけではない、それでも俺の気持ちは以前より、穏やかになっていた。
「ありがとう」
俺は、そっと呟いた。
聖女の祈り声が聞こえる。
ああ、これで俺は、やっと終わりに出来そうだ。聖女の祈りにあわせて俺の身体は段々と消えていく。天にいるだろう幼馴染みに会えればいいなと考えながら。
そして、周囲の空気に溶けていった。
「私も……。今でも好きですよ」
薄れていく意識の中、幼馴染みの声が聞こえた気がした。
* ** * ** *
魔王が消えた後、私は泣いていた。
現在、聖女である私は、彼の幼馴染みであった。
彼が前世の記憶があると話してくれたときは、とても驚いた。私が幼馴染みだということに気づいてくれたのかと思った。
けれど、どうやら気づいた訳ではないようで、前世でも私の気持ちに気づいてくれなかった鈍感な彼らしいなと、思わず笑ってしまいそうになった。
私からは、幼馴染みであることは、言わない。彼に未練が残らないように。成仏出来なかったら困るもん。
彼は、私のことを今でも愛してくれた。それで充分だ。それが、ただただ嬉しかった。
今の私には、祈ることしか出来ない。
だから、祈ろう。
彼が無事に生まれ変わり、新たな人生を歩めるように。
あわよくば、再び、私が彼の側にいれますように。
来世で、2人が幸せになりますように。
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