339列車 湧網・名寄
「目的地周辺に到着しました。案内を終了します。」
そのアナウンスがカーナビから流れると僕たちは道の駅サロマ湖にいた。
「着いた・・・。」
萌が低い車の天井を向きながら、運転席を一番後ろまで下げた。
「お疲れ様。」
「疲れたよ。それよりもなんか食べない。お腹すいた。」
そう言い車外に出ると、冷え込み始めた空気が体をかすめていく。
「サムッ。」
「つくづくこの格好で来るんじゃなかったと思うわ。」
「うん・・・。」
「とりあえず建物の中にでも入ろうか。」
車からそそくさと離れ、道の駅の建物の中に入る。建物の中は風も通り抜けなくて、温かくなっている。
「今治、ここからどこまで行くんだ。」
高槻が今治に聞いた。そう言えば、新千歳から旅立ってほとんど止まらずにここまで来たが、今治が今日のうちにどこまで行くかは聞いていなかった。それどころかさっき車内で発覚したことだが、今日の止まる場所すら決まっていないのである。どんだけ行き当たりばったり無計画な旅なのであろうか。
「興部まで行こうと思ってるんだ。興部には走ってたディーゼルがホテルみたいになってるからさ。」
そう言った。
「へえ、そんなものがあるんだな。」程度に思った。頭の中にはここら辺を走っているディーゼルカーの顔が浮かんできた。ヘッドライトが上に一つしかついていなくて、2重窓になった単行のディーゼルカーだ。色は窓下が朱色で、窓周りは肌色っぽい。北海道仕様のキハ20系キハ22型・・・。
「まぁ、色は全然違うけどね。」
僕の頭の中のそのイメージは消えた。
さてさて、サロマ湖のあたりには現在鉄道は走っていない。もともとここには湧網線と言うローカル線が走っていた。が、サロマ湖近隣を走るだけあって、採算のほとんど取れない赤字路線であることには変わりなかった。その湧網線は1987年3月20日、国鉄分割民営化が成立するわずか11日前に廃止された。
「興部って結構距離ない。」
僕は頭の中に北海道の地図を広げた。と言っても、あんまり正確じゃあない。この辺を走っていた湧網線はまだ終点の中湧別に至っていないどころか、中湧別から先に延びていた名寄本線の興部は紋別や沙留と言ったところも越えなければならない。それすら超えていないから、距離にして100キロくらいは走る必要があるだろう。
「あるけど、間に合うでしょ。それよりもお腹が空いたなら、ホタテとか食べない。ちょうど外の売店に売ってたし。」
そう言って、今治は席を立ち、萌もそれに続いて席を立った。
「そんなじゃダメでしょ・・・。」
僕は二人の後姿を見ながら、そう呟いた。野幌を11時過ぎぐらいに出発して、ここへの到着は途中飛ばしたこともあって3時。それでも約4時間ぐらいかかっている。此処から100キロ離れた興部に行くのに、時速70キロを出したとしても1時間30分ほどかかる。その上に、途中まだ3つの道の駅に寄ることを考えると、到着は早くて5時過ぎ・・・。いや、待て待て。これには途中でご飯を食べる時間のロスタイムが入っていない。ご飯をどれだけ早く済ませようとしても、30分は見た方がいい。コンビニによるにしても食べきるまでを考えれば、それぐらいはかかる。いや、それは興部に行くまでの間にそれがあればの話か・・・。
「ナガシィ。はい。」
萌がそう言って僕の前にホタテを出してきた。トレイの上に乗ったホタテからは焼き上げたばかりであることを示すように湯気がたつ。
「今治、今永島と話したけどさぁ、こんなところでホタテ食べてる場合じゃないだろ。」
高槻が言った。でも、
「いただきまーす。」
「おい。」
「いいじゃん、これぐらい。」
「さっきまでのあれはどこ行った。」
「あれはあれ、これはこれ。頂いちゃいまーす。」
「どうぞ。」
「なぁ、萌ちゃん。なんで買って来たんだよ。」
「だって、買わなかったら食べたそうに私の見て来るもん。」
「・・・。」
さぁ、ホタテを食べ終わったら今度こそ出発である。国道238号線をひた走る。
僕はその道路を通りながら、ふと左の方を見ていた。見ていると何かと不自然なところがあるのである。小さい電柱がたったままになっている場所、なぜかつくられたような平らな場所。そう言う場所は見ているともともと湧網線がそのように取っていたところの様に思えてくる。
「ここら辺を湧網線は走ってたんだろうな・・・。」
と呟く。
「ああ、湧網線ってこのあたりだっけ。」
高槻が運転しながらつぶやく。
「湧網って中湧別と網走を結んでたからな。その間のオホーツク海側にほぼ沿ってたから、その不自然に平らなところはそうかもな。」
一つ断っておくが、僕らの生まれは1993年か1994年である。当然、湧網線なんて見たことがない。
「って、何時の生まれだかわからなくなる会話だなぁ・・・。」
高槻が自分でツッコんだ。
途中の愛ランド湧別に到着した。しかし、見た感じは営業しているようでは無かった。降りて調べてみたが、建物の中の売店のシャッターが途中まで閉まっていた。下からのぞくように中を見てみたが、とてもやっているようには思えなかったので、そのまま愛ランド湧別を後にした。
次のかみゆうべつ温泉チューリップの湯に停車。此処は先ほどから出てきている湧網線の起点、中湧別駅があったところである。駐車場の隣にはプラットホームの一部と跨線橋、踏切後、車掌車4両と1両の小さなラッセル車が野ざらしでおかれていた。車掌車は両端に小さいデッキを持った箱型のもの。車端部にJNRのマーク、車両の側面には「旭」の文字と4430など、1両ずつ違う番号が振られている。ヨ4000型っていう車掌車だろう(ヨ3500型が正しい)。ラッセル車は黒色で、どちらにも雪をかき分けられる単線用のものだ。
どれも中には写真やら、展示用のショーケースが置かれていたが、扉にはきっちりと鍵が掛けられており、中に入ることは出来なかった。外から見える写真には蒸気機関車が映っているものもある。名寄本線が健在だった時代の写真なのであろう。
プラットホームの上には木でできた駅名看板があった。中湧別は平仮名、漢字、ローマ字の順番で上から書かれている。そして、その下には「かわにし」、「かみゆうべつ」と言う次の駅名が入っていることが辛うじて確認できた。
さらに、プラットホームの位置からオホーツク海の方を見てみると道が一直線に続いている。この先に名寄本線の湧別支線があったと連想する光景であった。
そこから先は再び僕の運転となった。次の道の駅は紋別であるが・・・。
「ねぇ、みんなちょっと言いたいことがあるんだけどいい。」
「何。」
レンタカーは238号を70キロで走っている。前を走る車も後ろを走る車も同じぐらいのスピードだ。どちらも抜いたりする気配はない。
「紋別の道の駅が5時で閉まっちゃうんだよ。」
「5時で。」
僕はチラッと車の時計を見た。時間はもうすぐ17時をまわろうとしている。つまり、紋別の道の駅に行ってもしまった時にしか着けないのだ。
「どう考えたって無理じゃん。」
「うん。」
「じゃあ、紋別のには寄らずに興部まで行くのけ。」
と聞いたが、それに今治は首を横に振った。
「紋別も5時で閉まるけど、興部も5時で閉まっちゃうんだよ。だから、紋別を通り過ぎて、その先に行っても意味がないのさ。」
「・・・。」
「じゃあ、何。紋別で一旦泊まるってこと。」
「そう言うこと。」
「・・・。」
「紋別のところにホテル見つけたから、そこで止まろうと思うんだ。それで、明日の朝になったら紋別から行ける所まで行きたいの。ただね・・・。」
まだ何かあるようだ。
「次の日に行く予定の富士見としょさんべつの営業時間が5時まで何だよね。だから、富士見とかで5時回るわけにはいかないから、最低でも羽幌まで行きたいんだ。羽幌だったら夜遅くまでやってるし、その先の苫前も夜遅い時間までやってるから。そこまで行くといろいろと安心できるし・・・。」
「・・・。」
なんかいろいろとむちゃな要求をしていないかとツッコみたくなった。
こちらは紋別まで来れていないが、次の日はほぼ反対側の羽幌まで行くと言っているのである。もちろん、稚内経由でである。
何時間かかるかは知らないが、相当忙しい2日目になりそうである。何故こう行くたんびに2日目が忙しくなるのだろうなぁ・・・。
斜めに入る日差しを浴びながら、車はひた走る。紋別に着いたのは17時20分をまわってからだった。
さて、物語に出てきた名寄本線について。
名寄本線は北海道名寄から興部、紋別、中湧別を経て遠軽までを結ぶ路線と中湧別~湧別間を結ぶ支線で成り立っていた地方交通線。石北本線(新旭川~遠軽間)開業前は札幌~網走を結ぶ最短ルートであった。石北本線(カッコ内開業)後はそちらに役目を譲り、ローカル線として細々と営業を続けていたものの、国鉄経営改善のため廃止対象となる。しかし、冬季の輸送事情を鑑みて、廃止はJR移行後の1989年4月30日だった。
国道238号線沿いには名寄本線の遺構が少なからず残っていました。




