325列車 雪中
旅行から帰ってきてからと言うもの、僕たちを待っていたのは昼の勤務である。だが、勤務などは瞬く間に過ぎていった。そして、滋賀県の気候は日を追う毎に寒くなっていく。しかし、北海道の新から冷える気候を体験していたせいか、それほどの物とも感じなかった。
さて、寒くなったということは鉄道を知っている人ならおなじみの季節になってきたということである。そう、東海道新幹線の天敵。関ヶ原の雪だ。
そもそも、なぜ東海道新幹線は関ヶ原の雪で毎年のように遅延しているのだろう。遅延するくらいであれば、遅延しない車両の開発などをすればいい。そう考えるのが大体の思考だろう。しかし、JR東海がそれに対策を講じているとは思えない。それは毎年の遅延が物語っている。
では、なぜこうなのだろうか。結論を言えば、したくても出来ないと言わざるを得ない。
東海道新幹線の開業は1964年であるが、新幹線の走行試験が本格的に開始されたのは1962年の話。さらに、その試験区間が存在したのは神奈川県の鴨宮から綾瀬の間である。この区間が選定された理由には橋梁、トンネルなど多彩な路線環境があったことが挙げられている。しかし、この中に唯一入っていなかったのが雪害、雪である。
さて、選定理由に多彩な路線環境を挙げるのであれば、この中に当然雪害が考慮されてもおかしくはない。いや、考慮されなければならないはずである。しかし、入っていない。これには200キロ以上という未知のスピードへの安易な考えがあったためでもある。
当時、世界の高速鉄道は160キロから180キロの世界が限界であった。200キロと言うスピードを日本が初めて目指したものであるのは日本人であるならよく知っていることだろう。誰も経験したことの無いスピードに技術陣は「雪ならそのスピードで跳ね除けることが出来るだろう」という期待を持ったのだ。しかし、結果はそうならなかった。それはのちに開業する東北新幹線と上越新幹線の雪害対策、いまだに雪害による遅延を多発する東海道新幹線の現状からも分かる。最初から頭の中に入っていなかったのがまず一つの問題だった。
その次は東海道新幹線の構造上の問題である。東海道新幹線は日本初の新幹線と言うこともあり、それまでの在来線と同じ方法(バラスト軌道:レールの下に砂利を敷き詰めるレールの敷設法)で敷設されている。よって515キロに及ぶ全区間でバラスト軌道となっているほか、地上より少し高いところは土を盛り上げた盛り土区間数多くが存在する。対して、雪の多く降りしきる東北新幹線や上越新幹線はどうだろう。トンネル以外の区間はコンクリートの上にレールを敷いたスラブ軌道が採用され、盛り土区間はまず存在しない。
これを見るに、東海道新幹線の軌道は新幹線の中では脆い方だ。レールの下が土か、コンクリートの違いは大きすぎる。
そして、この違いは雪害対策のために設置されているスプリンクラーに直結している。コンクリならば、どんな量を散水しても軌道が崩れる心配はない。だが、レールの下が土ではまきすぎれば構造物のもろさを助長することになる。適性散水量があっても、それが構造物の対応できる限界を上回るなら、散水量は対応限度に制限され、適正な散水量を以て雪害対策を実行することは出来ない。
これが抜本的な改革を打てない理由としていいだろう。
だが、新幹線の工期はわずかに5年。5年の間にこれ以外ほとんど何の問題もないものを作り上げたのだから、文句はない。
さて、作り上げたことに文句は無くても、とばっちりを喰らうのはこっちだ。
「土佐君ったら、夏は雨で冬は雪・・・。もう荒天にさせ過ぎ。」
天城班長が呆れたように言う。
「別に僕に行ったところでしょうがないじゃないですか。雪が降るのは既に天気予報でも言っていたことじゃないですか。」
土佐さんはそう反論した。まぁ、天気のせいだと言ってしまえばそれまでである。
雪はシンシンと出勤の時から舞いつづけている。詰め所や道路には白い雪が積もり、道路を行き交う交通の流れが、柔らかい雪を踏み固め凍らせていく。
引き継ぎは現地引き継ぎの班が早く後退できるように夕礼自体が早めに行われた。そして、現地に行く班はさっさと出ていく。
「混み合ってて、なかなか進まないだろうな・・・。」
そういい、土佐さんは詰所のドアの方を見た。
「まぁ、混んでるのは仕方ないね。○○は車が集中するからね。今日なんかあの場所突破するのに10分以上かかりそうね。」
「かかりそうだな・・・。こりゃ○班が帰ってくる時間にはもう下番時間になってるかもな。」
「さすがにそこまで時間かからないでしょ。」
「分かんないよ。」
「ああ。でも、そっちはいいよねぇ。」
尾張さんがうらやましそうに僕と土佐さんを見る。
「○は降りなくてもいいぐらいだしさ。」
「降りないとは心外だな。降りてくまなく調べる時間が少ないだけだぞ。降りないわけじゃない。」
「ほう。じゃあ、あの墓地の近くにある○○にも行ってもらおうかしら。」
「それは嫌です。」
「いいじゃん別に言ってくれても。土佐君は別にあの場所で幽霊見たわけじゃないでしょ。」
「まぁ、寝る直前に人気のないところで寝巻着たばあさんが必死に車椅子をこいでる光景を見るよりはましだな・・・。」
「えっ・・・。」
あんまり聞き返すことではないのだろうか・・・。
「あれはあれでシュールだったな。トンネルの入り口に続く道路あるでしょ。あの暗い道路をさ、おばあちゃんが後ろ向きに手動の車椅子をこいでたんだよ。」
トンネルのある場所を想像し、そこに寝間着姿で坂を後ろ向きに手動の車いすで登るおばあさんの姿を映しこんでみた。なんだろうか。この何とも言えないシュールさの漂う一瞬はなんだろうか・・・。
「しかも、そのおばあさんすごく必死になってこいでるからどうしたのかなって聞いてみたら。」
「あれ、怖かったんですからね。その上に天城班長酷いことに車の中にいたんですよ。私はその時まだまだ新米だったっていうのに・・・。」
尾張さんは目を細くした。今でも、それは忘れてませんと言いたげだ。
「ハハ。お化けだと怖いじゃん。」
「お化けじゃないのに。よく言いますよ。私もあれお化けだったらどうしようかと思いましたよ。」
「○○で痴呆のおばあさん見たときの加賀君みたいに一目散に逃げればいいじゃない。」
「・・・。」
聞いているだけで滋賀の寒さに拍車をかけそうな話題である。まぁ、この話題はまたいつかにしよう。僕と土佐さんは時間になると駐車場に向かった。そこからまたひと苦労するのは次にする。
北海道でふったのは雨だった・・・(旅行談)。




