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満たされた孤独の中で

作者: 枝葉末節

 朝は何時だって快適だった。工事の喧しい音もせず、車の排気音もしない。鳥の鳴き声一つもなく、雨が弾ける音すら聞こえてこない。全てがノイズブロック仕様の窓によって阻まれ、僕の耳に届く前にその音をかき消されていく。お陰で僕は一人暮らしを始めてから今まで、意図せぬ要素によって眠りを妨げられた事はない。

 今日も同じように、僕は窓から差し込む朝日を眺めながらのんびりと起床した。その僕の動きに合わせて人感センサーの搭載された室内暖房機が稼働し、冬の寒さをあっという間に追いやってしまう。僕はこの寝起きの寒さで目が冴えるのが好きなのだが、最新型の室内暖房機は随分と高性能なようで、室内を僅か数秒で設定された温度まで温めるのだ。便利ではあるが、冬の象徴である寒さを感じられないというのは少々寂しくも思う。


 そのまま僕はゆっくりと朝食の支度をした。時計は殆ど見ていない。現代では時間に急かされる人は多いが、生憎僕には、社会人としてきちんと世間に自慢出来るような忙しい職業ではなく、個人投資家をやっていた。ネットで株の動きを見て、適度に金を入れるだけ。パソコンやタブレット端末で少し操作すればサっと終わる作業だ。既に生活に困らない程度には稼げていて、毎月黒字の一方なものだから、外に出て働かずとも暮らせている。元より外嫌いだった僕には、願ったり叶ったりな環境だった。


 電気ポットの電源を入れた後、紅茶の用意をしようとしたが、ふと思い出して"ベルトライン"が設置されてる部屋に入る。昨日茶葉が切れてストックも無かったから、その日の内に同じメーカーの茶葉をネットで注文していた。昨日の夜に頼んだからもう届いてる筈だ。

 台所から出てその部屋に入って直ぐに、工場に有ってもおかしくないような大きな機械が設置されていた。大きさはワゴン車くらいで、部屋の中からでは見れないが、地下にベルトラインが繋がっており、手紙や注文した商品などはここから運ばれてくる。過去には"郵便受け"が一般的だったらしいが、今となってはベルトラインが普通だ。宅配も郵便もなく、それぞれの家に届けるには人を通さず荷物だけが流れてくる。それによって僕は、食品や日用品から嗜好品まで全て通販で注文して、かれこれ一年以上外に出ずとも平気で暮らせていた。

 受け取り口を覗いてみると、茶葉メーカーの名前が記された箱が入っていた。それと、有名通販会社のロゴが入った箱も。何を頼んだっけかと思ったが、とりあえずその箱二つを抱えて、僕は台所に戻った。適当な所に箱を置いてから茶葉の箱を開き、ティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぎ蓋を占める。少し時間を置いて蒸らした後、ティーカップに最後の一滴まで入れていく。そうすると紅茶の香りが広がり、その度に僕は嗅ぎ慣れた匂いを肺一杯まで吸い込んで、ようやく何時もの一日が始まった気分になるのだった。




 そこから僕は一時間程掛けて、ゆったり朝食と紅茶を楽しんだ。眼鏡型ウェアラブル端末のお陰で常に情報は入手出来るし、こなすべき職務も課題もない。そのまま暫く過ごしていたが、不意に先ほどの箱の中身が気になった。

「コマンドイチ、購入履歴表示」

 予め設定していた自然言語音声コマンドを呟くと、視界の右端に表示されていた半透明のスクリーンが動き出し、通販サイトの購入履歴を表示する。そこからまたコマンドを言って、配送順に並び替えさせた。

「あっ!」

 一番上に出てきたのは、七ヶ月程前に予約していたゲームだった。発売日が幾度か延期していた上、最近は他にも興味の惹かれるゲームが出て忘れていたが、どうやらそのゲームが今日発売日だったようで、早速届いていたらしい。

 こうしちゃいられないと僕は立ち上がる。昔は散々待ち望んでいたゲームだった。その時の気持ちを思い出して、居ても立っても居られずに先ほど置いた箱を持って自室へと早足に戻る。二十歳を超えてもまだゲームに対する情熱は変わらなかった。むしろ部屋に篭り続けている僕が、外に出ずとも退屈や孤独を嘆かずに居られるのはゲームのお陰だ。これとネットが無ければ、僕は早々に家を飛び出していたに違いない。


 自室に戻ってスタンバイ状態だったパソコンを起動させる。音もなくディスプレイに幻想的な自然の壁紙が映るが、パソコンを起動する度に見ていた画像へ僕の意識は一切向かなかった。箱を両手で勢いよく、しかし丁寧に開けて、簡単な梱包材に挟まれたケースを取り出す。迷いなくそのケースを開き、傷つけてしまわないようディスクを慎重に取ってパソコンに挿入した。直様パソコンはディスクを認証し、ゲームのインストールを開始する。その間に、僕はよく遊ぶネットのフレンド数名にグループチャットを飛ばした。


[Kei "タイタンエクス"インストールなう JST.8:07]

[Xin 俺はもうチュートリアルクリア済み!今はシングルやってる。早くマルチやりたいよー PST.15:07]

[Adol 正直に言うと眠いんだ。マルチやるなら早くしてくれ…… CET.00:07]

[Bec 私は様子見て買うか決める。というか眠いなら寝ればいいのに(笑) EST.18:08] 


 直ぐに返信が来た。自動翻訳機能によって英語の分からない僕でも気にせず海外の人と会話出来る。国を跨いだ通信でも殆どネット回線の遅延なんて起こらないし、セオリーだマナーだのを押し付けてくる日本人プレイヤーとやるより外国人とやってた方が気が楽で、僕は何時も彼らと遊んでいた。

 インストールに掛かる時間を見るとあと五分程で終わるようだ。その残り五分程をチャットで潰そうと思い、適当な話題を振ろうとした時、チャット参加者の一人が僕に思いがけない話題を振ってきた。


[Bec そういえばKeiは大丈夫なの?日本に住んでるんでしょ? EST.18:09]

[Kei え?何の話? JST.8:09]

[Bec 日本に住んでいるのに知らないの?今、埼玉で凄い危険なウィルスが流行ってるってニュース。死者が大勢居るなんてこっちでも話題よ EST.18:09]


 そこまで聞いて、僕は二日程前のニュースを思い出す。新種のウィルスがどうのこうのという話で、滅諦に外に出ない僕には関係ないなと自嘲した記憶がある。当時は精々マスクや一部の医薬品売上が少し伸びる程度と思っていたが、そこまで世間を騒がせるものになっていたのか。しかもそれが、よりにもよって僕の住んでいる埼玉県とは。

 少し調べてみるとだけチャットに書き込み、僕は二つ目のディスプレイにブラウザを開く。"埼玉"、"ウィルス"の二つのワードで検索してみたら、直ぐにニュースが出てきた。とりあえず検索結果上位のものを開いて並べられる文字に、そして僕は唖然とした。


『新ウィルス、死者数20万人を突破。感染者数は倍以上か』

『埼玉県隔離へ』

『新ウィルスの多様な感染経路。接触感染、血液感染、空気感染』


 それより掘り下げて見ても似たようなニュースばかりが並んでいる。死者数、感染対策、埼玉県への処置……僕が朝のんびり過ごしてる間にも、僅か数キロメートル内で、或いは数百メートル内で、恐ろしいウィルスによって人間が次々と死に冒されていくのだ。

 僕が住んでる国で、こんな身近な街で、いや、現実でこんな恐ろしいものが存在している。たったそれだけを理解した瞬間、とてつもない恐怖を感じた。何処からか死が突然襲ってくるような恐怖。透明な刃が首元に押し付けられているような、目に見えない死が直ぐそこまで迫ってる気がして、僕は混乱した頭で家中の戸締りを確認する為に家の中を走った。


 一階の窓は平気だった。完全に閉められており鍵も掛けっぱなしで、防犯の為衝撃に強く作られてる窓。ただ幾ら衝撃に強かろうが、僕の恐怖を紛らわしてはくれない。今恐ろしいのは泥棒でもなく強盗でもない、目に見えない死だった。

 二階の窓も全て閉まっており、鍵も掛けられたままだった。それより窓の確認をしてて気づいたが、外を見れば人の気配はまるでない。少々畑が多い市ではあるが、それでも僕が住んでいるのは住宅街の一軒だ。この時間から出かける人だって少なくはないだろうに、向かいの家の出勤に使われている自動車はただ黙って鎮座している。その左隣の高校生が居る家も、錆びかけの自転車が横倒しのまま放置され、まるで誰もその家に居ないように見えてしまう。もしくは、本当に誰も居ないのだろうか。


 本来ならもっと早く気づいていたのかも知れない。けど僕は外の騒音は一切内側から聞こえないようにしてたし、外に出ることもなかったから、自動車も自転車も人の話し声も一切聞こえてこないことに疑問を感じなかった。新作ゲームに夢中で最近の情報を知ることを怠っていたから、新型ウィルスの話なんて全然興味を持たなかった。


 暫く二階の窓から見える誰も居ない街を呆然と眺めていたが、眼鏡型のウェアラブル端末がパソコンのゲームインストールが終わっていることと、数件新しいチャットが来てるのを知らせてくる。その音で現実に戻った僕はよろよろと自室へと戻り、パソコンの前に座った。


[Kei 知らなかったよ……今僕が住んでる場所がこんなことになってるなんて JST.8:13]

[Bec 埼玉に住んでるの!?大丈夫なの!? EST.18:13]

[Adol おい、そんな話聞いたら流石に眠気も消し飛んだぞ! CET.00:13]

[Xin 落ち着け!落ち着いて窓を閉めてドアを閉めて絶対に外に出るな! PST.15:13]

[Kei もうした。というか、僕は一年以上外に出てないから窓もドアも閉めたままだったよ JST.8:14]

[Bec え?外出してないって、仕事はどうしてるの? EST.18:14]

[Kei 投資家やってる。取引全部ネット使って家で済むから外出する必要がない JST.8:14]

[Xin それじゃまさか、買い物も全部通販か? PST.15:14]

[Kei そうだよ。ベルトライン本当に便利 JST.8:14]

[Adol ……なら別に、ウィルスの心配しなくて平気じゃね?人のいる場所に行かないのなら、そうそう感染しないだろう CET.00:15]


 ふむ、と僕は腕を組んだ。生きた人間である彼らと話してる内に、段々と安心感が生まれてくる。Adolの言う通り、外に出ず窓も開けずドアも開けない僕にとって、今回の事件は余り関係無いと言ってもいいんじゃなかろうか。まだ生きた人間はこの世界に居て、ネット通販で物が買えて、しかもそれがちゃんと自宅に届く。その機能さえ無事ならば、僕は何となくでそのまま生きていける訳だから。


 キーボードとマウスに手を置く。そしてゲームのインストーラーを閉じ、早速ゲームを起動させた。少々邪魔は入ったが、もう気兼ねなくゲームが出来る。僕がゲームを開始したのを見計らい、ボイスチャットの誘いが飛んできた。直ぐにヘッドセットを付けてから通話に出る。


「へろーへろー、Keiだよー。セッティングとチュートリアル終わるまでちょっと待ってくれー」

『……とんでもないウィルスが流行ってるってのに、お前は能天気だな』


 先ほどまでしていたチャット同様、自動翻訳機能によって翻訳された言葉が、本人の声を用いた合成音声によって馴染み深い言語で再生される。合成音声だと声の抑揚が薄いため相手の細かい感情までは読みきれないが、意味が分からない言葉で通じない会話をするよりずっとマシだ。相手の音声そのままに翻訳された字幕だけを表示する設定を選ぶ人も居るそうだが、ゲーム中にそんなもの見ている余裕はない。


「別に、能天気な訳じゃないよ。ただ僕には何も害がないから、他人事として処理しただけさ」


 例え十メートル先で人が死んでも知ったことじゃないし、百メートル先で数十人が倒れても僕には関係ない。僕が死なないのであれば、それでいい。

 ネットが繋がって、ベルトラインが動いて、一緒に遊ぶ相手が居る。それさえできるなら、僕の引き籠もりライフには何の影響もないのだ。


読了して下さった方、ありがとうございました。

内容の薄さに自分ながら呆れてる様であります。もうちょっと、何かしらの進展が起こる話を書いてみたい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 流石に文章力が凄いですね。うーむ、負けた。 [気になる点] 盛り上がり……ですね。確かに山場が無い。 いや、山場未遂だ! ウィルスの下りとか、いいと思ったんですけどね。 種はあるのに芽吹…
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