表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/44

第八話「人間の感情は厄介だということを九条さんは再認識したようです」

 少女の目に光が飛び込んできた。

 彼女は太陽の光が嫌いだった。時々、部屋のカーテンを開いて、日光に照らされる度にそう思った。

 ずっと部屋の中にいて、作ったものを両親に見せる。それが彼女の楽しみだった。

 彼女は手先が器用で頭がよかった。将来は立派な発明家になるだろうと父親は彼女の頭を笑顔で撫で、母親は凄いわねと彼女を抱き締めた。

 その度に、彼女は誇らしい気持ちになった。彼女はもっともっと、両親の期待に応えようと思った。

 自分は人を幸せにして、救うことができる。少女はそう信じてやまなかった。

 彼女は自分が賢い子供だという自覚も持っていた。周りは妹を含めても馬鹿ばかりだ。きちんと自分が合わせてやらなければ誰も付いてこない。もっとも、別に誰かについてきてほしいと思っているわけではなかった。

 ただ自分の好きなものを作って、両親に褒められたい。彼女にあった思いはそれだけだった。

 また父に頭を撫でて欲しい。また母に抱き締められたい。それだけあれば他のものなどいらない。同年代の友人たちと遊ぶより、数式や莫大な量のデータを眺めている方が彼女にはよほど有意義に感じられた。数式やデータは美しい。その結果は彼女を決して裏切らない。


 工具を放り出し、彼女は机の上に出来上がった毛玉を見て満足げに息を吐いた。

 またこれを両親に見せれば彼らはきっと、自分を褒めてくれるに違いない。また喜んでくれるはずだ。柔らかな体を抱き上げて、彼女は部屋を飛び出した。

 心臓が脈を打つ。普段よりずっと速くだ。これを見たら彼らはどんな反応を返してくれるだろうか。

 いや、きっと喜んで褒めてくれるはずだ。今までの統計からしてそうに違いなかった。

 足をもつれさせながら階段を駆け下りた辺りで彼女はぴたりと足を止めた。

「あの話、どうなったの?」

 母親の声だった。

 普段、彼女があまり聞かないような重たい声だった。

 賢い彼女はその声に思わず息を潜めた。きっと何か大切な話をしているに違いない、そう思ったからだ。本来ならこのまま立ち去るべきなのだが彼女の中のほんの少しの好奇心がその足を引き留めていた。

「いや、どうしようかと思ってる」

「どうしてよ、早くなんとかしましょう?」

 扉の前に座り込みながら彼女はそっと聞き耳を立てた。

「友達もいないし、学校でも浮いてるって言うし、近所でも噂になってて……私、もう耐えられないの……」

 どきりと彼女の胸が跳ね上がった。

 賢い少女はそれだけでそれがもしや自分ではないだろうかと察知したのだ。

「私……あの子が怖いわ……」

「ああ、俺もだよ」

 この場から離れたい。少女は心からそう思った。

 しかし、その意思とは反対にその足はまるで鉛にでも変化してしまったかのように動こうとはしなかった。

「どうして……」

 涙声の母親の声が続く。

「どうして、私……あんな子を産んでしまったのかしら……柚音(ゆずね)だけでよかったのに……」


 彼女の中にあった、「自分はすべてを知っている」そんな自信が音もなく脆く崩れ落ちた。




 ごとんと鈍い音を立て、柚樹葉が椅子から床へと崩れ落ちた。

 その衝撃で意識が覚醒した彼女は不愉快そうに眉を寄せながら頭を掻いた。

「起きたです?」

「ん」

 柚樹葉は立ち上がりながら、机の上でコーヒーのカップを一生懸命差し出していたスペーメに目を擦って頷いた。ふわぁ、と小さくあくびするとスペーメが次いで問う。

「夢を見てたですか?」

「……なして?」

「うなされてように見えたです」

 小さい鼻をひくひく動かしながらつぶらな瞳で自分を見るスペーメに柚樹葉は椅子に腰を下ろしてから再び頭を掻いた。

 それからスペーメによって押し出すように差し出されたコーヒーを口に含んで「人間ってのは、寝りゃ必ず夢を見るもんさ。そこに自覚があるかないかの違いはあるけど」

 スペーメの不満げな声が響く。

「別にスペーメはそんな話をしろだなんて言ってないのです」

「君が聞いたところで面白い話じゃない。よってこの話題は無意味だ」

 カップの中のコーヒーを飲み干してから彼女は振り返って時計を見た。

 デジタル時計は今の時刻が夜中の二時であることを示している。余計な時間をロスしてしまった。柚樹葉は苦虫でも噛み潰したかのような気分になった。

 スリープ状態に変化していたパソコンの画面を再び起動させれば何かの設計図と共にばっと数式が画面上に現れた。それをしばし眺めてからやがて彼女は手元のキーボードを打ち出した。

 消えては書かれ、また消えていく。まるで数式が踊っているかのようだった。その大量の数字を頭の中で処理しながら彼女は時折、眉を寄せた。

 スペーメはそんな彼女があまり好きではなかった。自分は機械だが彼女が感情を感じるようなプログラムを組み込んでくれたおかげだろうと自覚していた。

 だからこそなのか、スペーメの目にはそんな彼女が不快に映る。

 画面に並んだ設計図を見てスペーメは問いかけた。

「チェンジャーの強化と調整です?」

 しかし柚樹葉から返答はなかった。

 画面を食い入るように見つめる彼女を見ながらスペーメはただですら丸い白い体を更に丸めた。

「スペーメは柚樹葉は頑張りすぎだと思うのです」

 カタカタとキーボードの音は止まない。

「柚樹葉は本当は凄くいい奴なのです」

 キーボードの音は鳴り続ける。それどころか大きさを増した。

「だけどそんなことばっかりしてると、誤解されるのです」

 柚樹葉が乱暴にエンターキーを押した。

 画面にはエラー表示が現れて、彼女はだんっと机の端を握り拳で叩いた。憎々しげに画面を睨み付けながら噛み締められた唇からは若干の血が流れていた。

 そんな柚樹葉を見ながらスペーメは自分の視界を狭めた。

「スペーメは少し節電するです」

 それ以降、スペーメの声は聞こえなくなった。

 エラー画面を処理しながら柚樹葉は目を伏せて、小さく呟いた。

「だってもう、捨てられたくないじゃないか」

 紙コップをぐしゃりと握りしめ、彼女はそれを放り投げた。

 放物線を描いたそれはゴミ箱のわずか手前のところで高度を落とし、そのまま縁に当たって床へと落ちる。鉄の味に顔をしかめていた彼女はその光景にさらに不快そうに顔を歪めると勢いよく立ち上がった。

 壁にかけられていた白衣に袖を通し、背後にあったカーテンを開いた。

 まだ外は暗かった。




 部室に入る巳令の表情は暗かった。

 ここ数日、柚樹葉が学校に来ていないことが巳令には引っかかっていたのだ。

 あのとき、鈴丸と訓練する前、まるで自分たちを避けるように去って行った彼女に巳令は話を聞きたくて仕方ないのに。

 結局あのあとも、何度もあの財団の本部に鈴丸と訓練するためと五人揃って向かったがそこで柚樹葉の姿を見ることはなかった。

 そんな巳令の肩を一緒に部室に入った太李がぽんぽんと叩く。

「鉢峰、しんどかったら今日は休めば?」

「い、いえ」

 首を勢いよく左右に振りながら巳令は無理やり笑みを貼り付けた。

「問題ありません。久々の部活ですし」

「でも」

「大丈夫ですから。このあと部活が終わったらまた鈴丸さんと会わないといけないし」

 少しだけ語気を鋭くした彼女に太李はぐっと引きかけてから持ち直した。

「いや、でも、そうやって集中できてないのは」

「だから」

「み、巳令さん!」

 道具を抱えた梨花が声を張り上げた。

 彼女らしからぬ大きな声にびくっと巳令が肩を跳ね上がらせると「あ、あのね?」と梨花が巳令を覗き込んだ。

「注意が散漫してるとゴミとか空気とか粘土に入ってても気付けなかったりして、凄く危ないっていうか、大きな気泡とかあるとあの、ほんと駄目っていうか」

 おろおろとする梨花に巳令が首を傾げると前の机で粘土をこねていたよもぎが声をあげた。

「粘土にゴミとか空気あると素焼きのとき窯んなかで爆発しちゃうんですよ。でも注意しないと前からやってる梨花先輩と違ってあたしたちみたいな新米にはなかなか見分けつかないですし、だから危ないよって言ってるんですよね、先輩」

「う、うん! そうなの」

 こくこくと頷く梨花は「凄いね、よもぎさん……」たははとよもぎが笑い声をあげた。

「ネットに載ってたっす!」

 満面の笑みでそう答えたよもぎはそれから巳令を見て、首を傾げた。

「だから。ね? 今日は益海先輩も委員会で来れない日ですし、少し休憩した方がいいですよ。なんだったら鈴丸さんの方も、ウチらが適当に言っときますから」

「でも……」

 あくまでも歯切れの悪い返事を返す巳令に梨花はむぅと頬を膨らませた。

 それから手元のタオルで手を拭ってからつかつかと棚まで歩み寄って、乱暴に引きだしを開けると中からプリントを取り出してそれを巳令に叩き付けた。

「わぷ!?」

「も、もう! じゃあこうしよう! それ、九条さんのおうちに届けて!」

 怒ったような梨花の言葉に巳令がきょとんと彼女を見返す。

「え?」

「それ、部費の会計報告書! まだ九条さんに渡せてなかったからお、お願いします!」

「いや……お願いしますって、でも」

「九条さんのおうちの場所は職員室で顧問の先生に聞いてください!」

「あの、そうじゃなくて」

「灰尾くんも、巳令さんがサボらないかどうか見張ってて!」

「え、俺!?」

 突然自分に話が振られたからか目を白黒させる太李にまだ状況が読みこめていない様子の巳令の二人を梨花は無理やり外に押し出すと「そ、それ届けてくれるまで二人とも部室には入れません! す、鈴丸さんのとこにもいっちゃだめ! これ部長命令です!」とぴしゃりと扉を閉めた。

 それから丁寧に鍵までかけ、ぷんぷんと擬音がつきそうなほど頬を膨らませたままの梨花は大股で自分の席まで戻るとろくろを乱暴に回した。茫然と見ていたよもぎがそんな彼女に弱々しい声で問いかける。

「り、梨花先輩って意外と強引なんですね……?」

 その声にばっと顔を上げた梨花は突然体をぷるぷる震わせながら言う。

「や、やっぱり、強引すぎたかな……?」

「は……!?」

 その問いによもぎは驚いてからやがて、苦笑した。

「いや、そんなことなかったと思いますよ」

「で、でも、言い過ぎたかも……やな先輩だと思われちゃったかな……」

「そんなことないですって」

 あははと笑いながら「梨花先輩、ここどうやるんですか?」とよもぎは話を逸らした。

 ま、灰尾先輩がいればなんとかなるっしょ。

 そんな呟きをよもぎはとりあえず心の中にしまいこんだ。




 締め出されてしまった以上は仕方ないと二人は通学路を歩いていた。

 目的地は職員室で場所を聞いた柚樹葉の家だった。住宅街にあるとは言っていたものの未だ家から学校の往復ルート以外はさほど活動範囲が広くない彼にとっては未開の地であった。

 結局、巳令の先導の下で道路を歩いていたのだがその巳令の憂いを含んだ横顔がやはり太李には気がかりだった。

 きっと柚樹葉のことだろう。彼女はフェエーリコ・クインテットの中でも特に柚樹葉と親しい様子だった。

 そんな状態で彼女と会っても大丈夫だろうかと考えていると「灰尾」と巳令が足を止めた。

「うん? 何?」

 彼が首を傾げると巳令は申し訳なさそうに告げる。

「迷子です」

「はい!?」

 驚いて彼が目を開くと巳令が頭を抱えた。

「いや、勘で行けるかなって思ったんですけど駄目でした」

「駄目でしたって」

 うーんと太李が唸っていると「あっれ、おにいじゃん!」と困惑したような声が大きく響いた。

 声の主を見て、彼は心底驚く。

「紅葉」

「んん? なにしてんの?」

 そこにいたのは、太李の妹である紅葉だった。

 先日足を捻挫していたのだがもうすっかりよくなったようで小走りで太李たちに近付いた。

「いや、知り合いの家を探してて。お前こそ、何してんの?」

「友達んちに遊びに来た」

 えっへんと胸を張った紅葉は太李の後ろにいる巳令を見て、首を傾げた。

「誰ぞな?」

「あ、あー。同じ部活の鉢峰。えっと鉢峰、これ、妹」

「これってなんだよおにいー」

 げしげしと太李の足を蹴り飛ばす紅葉に巳令がにこりと笑みを見せた。

「鉢峰巳令です。灰尾くんにはいつもお世話になってます」

「あ、どもっす。妹の紅葉っす。うちのおにい、めんどいっしょ?」

「余計なこと言わない」

 ごっと握り拳が紅葉の頭に直撃する。「うおおおお」とその場にしゃがみ込む紅葉を冷たい目で見ながら「あのさ、紅葉。九条さんって家知らない?」

「九条?」首を傾げた紅葉が何のこともなさげにいう。「九条さんちは後ろですぜおにい」

 驚いて二人が後ろに振り返ると表札には確かに『九条』と書かれていた。そうたくさんいる名前でもないので恐らくここが柚樹葉の家だろうと太李は苦笑した。

 一方で巳令の方は俯きながら頬を真っ赤に染め上げていた。

「んん? でも柚音っちの家になんの用さ、おにい」

「柚音?」

 首を傾げた太李に「ん、友達」と紅葉が頷いた。

「あー妹でもいるのかな、九条さん」

「んま、いいや。ぴんぽん押しちゃったほうが早いよね」

 うんうんと紅葉がインターフォンに手を伸ばした。

 呼び鈴の音が軽やかに響いてぱたぱたという愛らしい足音の後に黒い髪をまっすぐ伸ばした紅葉と同じくらいの背丈の少女がひょっこりと顔を出した。

「あ、紅葉ちゃん!」

「やっふ、柚音っち!」

 にこっと笑った紅葉に柚音は笑い返した。

 それから後ろにいた太李と巳令に気付いたようで不思議そうな声をあげる。

「あの……」

「あ、ごめんごめん。これ、うちのおにい。と、こっちはそのお友達さん」

「誰がこれだ」

 むっと太李が顔をしかめたがそれには構わず「鉢峰と言います」と巳令は頭を下げた。

「こちらの柚樹葉さんにプリントを届けに来たんですが」

「……お姉ちゃんに?」

 柚音の顔がわずかに歪んだ。

 それから彼女はまた元の笑顔を取り戻すと「すみません、お姉ちゃん、まだ戻ってないのでもし戻ったら渡します。お預かりしてもいいですか?」

 その柚音の態度に、二人は顔を見合わせた。




 太李と巳令は来た道を戻りながらお互いに言葉を発せずにいた。

 何かを言わなければいけないという使命感にかられる一方で、言うべきことは見つからなかった。

「えっとさ、鉢峰」

「はい?」

 その居心地の悪さに耐え切れず、太李が問う。

「鉢峰と、九条さんって仲いいよな。いつから?」

「……高校に、入学したときからです」

 小さく肩をしぼませながら巳令が伏し目がちに答えた。

「私、よそから越して来たので中学の時の知り合いがいたってわけでもなくて、なんだかグループも出来上がっちゃってて困ってたときに声をかけてくれたのが柚樹葉で」

 小さく笑いながら「今思えば私を鉢かづきにするために近付いたのかもしれないけどそれでも私は嬉しかった」そこで太李がはっとした。

「もしかして、あのとき俺に声掛けてくれたのも?」

「あんな風になれたらなって思って」

 そっか、と太李が小さく返した。

 それ以上の会話はなく、再び、お互いに居心地の悪い沈黙が二人の間を支配する。


「鉢かづき! シンデレラ!」


 そんな二人の沈黙を解いたのはスペーメの声だった。


「スペーメ?」

「や、やっと見つけたです……」

 ぜぇぜぇと小さな体を上下させるスペーメを巳令が抱き上げる。

「どうしたんですか?」

 巳令がそう問えばスペーメはくりくりとした目で二人を見てからやがて、

「お前らに、柚樹葉に会って欲しいのです」

 そう言ってスペーメは巳令の腕から抜け出すと自分の足で歩きだした。

 そんな後ろ姿を見て、二人はゆっくりとその後に続いた。


 しばらく歩くと三人は土手に辿りついた。

 斜面になった芝生の上によく見知った人物がいることに気付いた太李と巳令はそれぞれ顔をしかめた。

 一方でさほど綺麗ではない川が流れていくのをただ眺めていた彼女は足音が聞こえたので振り返ってからげっと顔を歪める。そんな彼女になんとか太李が声を絞り出した。

「何してるの、九条さん」

「君ら……帰り道は逆じゃ……」

 立ち上がりながら白衣の裾を払った柚樹葉は二人を睨み付けてから決まり悪そうに視線を逸らし、ぷいっと背を向けた。

 その手を慌てて巳令が掴む。

「柚樹葉!」

 巳令にしては珍しく感情的な声に柚樹葉は不愉快そうに顔を歪めながら鋭く返す。

「……なに」

「苦しいなら、苦しいと、そう言ってください」

「……は?」

 黒い瞳を見返しながら柚樹葉が訳が分からないといった疑問を滲ませた声を発した。

「言ってくれなければ、私だって何もできない」

「この間は疑っておいて、今度は話してくれ、か。エゴだよ」

「そうかもしれませんけど」

 ぎゅっと柚樹葉の白衣を掴みながら巳令が顔を俯かせた。

「あの、九条さん」

「君も」

 キッと太李を睨み付けながら柚樹葉がきっぱりと告げる。

「余計なことに手を貸すんじゃない。君らはただ、フェエーリコ・クインテットであればいい」

「柚樹葉!」

「君らは黙って私にデータをくれればいいのに!」

 どうして人間は思い通りにならないの!

 そんな叫びが危うく柚樹葉の喉元から飛び出そうになった。しかし、それは彼女の体が後ろに倒れ込んだことによって叶わなかった。

「九条さん!」

 崩れ落ちた柚樹葉の体を慌てて太李が受け止める。

 スペーメがぴょんぴょんと跳ねた。

「ディプレション空間なのです!」

「え?」

 スペーメの声に二人は辺りを見渡した。見上げれば空は不自然なほど灰色だった。

 そして斜面の下に狐のような人間のような姿をしたディスペアを見つけて巳令が顔を歪める柚樹葉を見て「どうして」と呟くように言う。

「柚樹葉はディプレション空間の適応者だったんじゃ」

「適応者にも二通りいるのです」

 小さな体を震わせながらスペーメが告げる。

「完全適応者と不完全適応者。お前らが完全なのに対して柚樹葉は不完全なのです。だから少し強いディスペアやほんの少し感情に乱れが起きているとこうして他の不適応者と同じようになってしまうのです」

 そんな、と巳令が口を開きかけると「やめ、てよ」と小さな声が二人の鼓膜を揺らした。

 自分の手元の柚樹葉だと気付いて太李は声をあげた。

「九条さん!」

「やめて……お願いだから捨てないで……一緒にいて、嫌だ、怖いよ許してよいい子にするから……! もっと私を見てよ……!」

「九条さん起きて! 違うから、それ、夢だから!」

 そんな太李の声も空しく彼女は顔を歪め、許しを請い続けるままだった。

 そんな彼女をそっと芝生の上に倒してから「スペーメ、九条さんをお願い」とだけ告げると太李は立ち上がった。

「鉢峰」

「…………」

「鉢峰巳令!」

「は、はい!」

 びくっと肩を跳ね上がらせた巳令に「行くぞ。今日はデュエットだ」

「はい」

 深く頷いた巳令が立ち上がり、腕輪を構えるのと同時に太李が指輪をかざして叫ぶ。


「変身!」





「はぁ? 灰尾と鉢峰こねーの?」

 腕を伸ばしていた鈴丸はやって来た面々に対して首を傾げた。

 それに休憩室の入口の方で固まっていた梨花が「は、はい!」と頷いた。

「ちょ、ちょっと色々あって」

「何それ。サボり?」

「い、いえ、そういうわけじゃ……」

「東天紅先輩が色々お節介したらしい」

 合流していた南波がきっぱり言い放つとふぅんと鈴丸がどうでもよさげに視線を梨花に向けた。

「ああ、柚樹葉絡みか。お前もそういうの好きそうだな」

「あうう……」

 すっかり小さくなる梨花を見て「こら、女の子をいじめちゃ駄目でしょ」とベルが呆れたように言い放った。

 それから彼女はテーブルの上に手際よく人数分のカップを用意すると「全員揃わないならお茶でも飲みましょうか」と悪戯っぽく微笑んだ。

 よもぎに手を引かれた梨花、南波がそれぞれ席に着いたのを見てから鈴丸は頭を掻いた。

「お前はお茶の相手が欲しいだけだろ」

「だってあなたたちいつも付き合ってくれないんだもの」

 むっと唇を尖らせたベルは視線をソファの上で転がっていたマリアに向けた。彼女は野菜スティックをくわえながら銃の手入れをしている最中だった。

 そんな彼女を見ながらベルは溜め息を吐きだすと備え付けられていた棚から皿を持って戻ってきた。

「今日はマカロンしかないのだけど好きかしら?」

「まかろん?」

 きょとんと梨花が首を傾げた。「はい好きっす!」と答えたのがよもぎで、南波は平然と紅茶をすすっていた。

 三者三様を見ながら梨花に対してベルが苦笑した。

「あら、イマドキの高校生ってマカロン知らないの?」

「ご、ごめんなさい、あんまりお紅茶は飲まなくて……」

「そう。じゃあ今から好きになってくれたら嬉しいわ」

 はい、とテーブルの上に置かれた皿の上にはカラフルな焼き菓子がずらりと並べられていた。

 ぱぁっと梨花の顔が輝く。

「か、可愛い……なんだか不思議な感じ……」

「へー、ベルがマカロンってなんか珍しいな。いつもケーキとかクッキーなのに」

 ベルの後ろからひょこっと顔を出したマリアが何気なくそう言えば、ベルが苦笑する。

「なんだかね、梨花さんみたいだなって思って。つい買っちゃったのよ」

 その言葉にぴくっと肩を跳ね上がらせた。

「あ、あたし、ですか?」

「ええ。小さくて可愛らしくて。あ、お気に障ったかしら?」

「い、いえ!」

 ぶんぶんと梨花が首を左右に振る。

 黄色いマカロンを拾い上げながら「あー」と納得した風によもぎが声をこぼした。

「確かに梨花先輩っぽいですね、可愛くて」

「よ、よもぎさんまで……。あたし、こんな可愛くないよ……」

 しゅんと小さく肩を落とす梨花に不意打ち気味に「え」と鈴丸がこぼした。

「……お前、それ本気で言ってんの?」

「ふぇ?」

 口にマカロンを放り込みながら不思議そうに自分を見上げる梨花に鈴丸が頭を抱えた。

 そんな彼を見ながら「へー」とベルが面白そうに告げた。

「もしかして、鈴丸ったら梨花さんにご執心なのかしら?」

「は、なんでそうなるんだよ」

 危うく紅茶を吹き出しそうになりながら鈴丸が呆れたように言う。

「別に可愛いもんは可愛いだろ。だからもっと自信持てばいいのになぁって」

「あらあらお金以外興味がない鈴丸がねぇー」

「だからなんでそうなるんだって!」

 勢いよく反論する鈴丸になんだかいたたまれなくなった梨花が震え声で言う。

「ご、ごめんなさい……」

「なんでお前が謝るんだ。お前はマカロン食ってろ」

「は、はい……」

 鈴丸に言われた通り、さくさくとマカロンを食べる梨花を見てから「で」とベルが手を叩いた。

「結局のところ、どうなってるのよ。柚樹葉さんについては」

「部活どころか学校にも来てない」

「……徹底してるわねぇ」

 南波の言葉にベルが眉を寄せる。

「ほんと、やーねあの子ったら」

 もしゃもしゃとセロリをかじりながらマリアがむすっとベルを見た。しかしそれ以上特にいうわけでもなく、ただタッパーからパプリカを取り出しただけだった。

「なんかあるならウチら的には相談くらいしてほしいもんですけどね」

「そればっかりは性格の問題だからねぇ」

 うーんと悩ましそうにベルが頬に手を添えた。

 と、そのとき、太くたくましい音の響きが周りの空気を振動させた。

「サイレン?」

「あら、出たわね」

 ベルは黙って立ち上がると腰につけた無線を取り出して、どこかへ繋ぎ出した。

 そのベルを見ながら次いでソファから腰を上げたマリアが無造作に置かれていたロッカーへと歩み寄ってそれを開く。その様子を黙ってみていた鈴丸に南波が問う。

「なんの騒ぎだ」

「あれ、聞いてねぇの? ディスペアの出現予測のサイレン」

 驚いた表情で自分を見る南波に彼は続けた。

「ディスペアが出現するときに決まって高エネルギー反応があって、ある程度の場所の予測ができるらしい。まぁ、例外はあるが。それが、これ」

 やかましく鳴り響くサイレンを聞きながら「ベル、ポイントは」

「Eの十八地点」

「車でつけるにゃ微妙に遠いな」

 困ったように肩をすくめてから「面倒だ。ヘリ出す。鍵貸してくれ」無線に話しかけながらベルがコートのポケットから何かを取り出し、鈴丸に投げつけた。

 それを受け取った彼はげっと顔を引きつらせた。

「紙屑ついてっぞ……お前、レシートと一緒に洗濯しただろ」

「うっかりやっちゃったのよ」

「ガサツだな」

 呆れたように紙屑を鍵から払った鈴丸は「何してんだ。ディスペア退治行くぞ」

 慌てた様子でカバンを拾い上げるよもぎとやはりどこか余裕そうに立ち上がる南波を見てからまだマカロンを口に運んでいる梨花に「お前はもう食わんでよろしい」

「は、はい!」

 びしっと背筋を伸ばす梨花の口元についた食べかすを指で拭い取った鈴丸に「そういえば鈴さん」とよもぎ。

「あ?」

「さっきヘリとか言ってましたけど操縦するのって」

「俺だけど?」

 手元の鍵を示しながら「心配すんな、快適な空の旅を約束する」と笑ってから彼は叫んだ。

「おいマリア! 行くぞ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! あと二発手榴弾つけたらいく!」

 駄々をこねる子供のようなそんなマリアに鈴丸は小さく息を吐いた。




「おりゃああ!」

 ディスペアに向かって太李がレイピアを突き出した。

 それを飛び跳ねてディスペアがかわし、馬鹿にするかのようにひらひらと太李に向かって両手を振った。

 そんなディスペアの横を地面を蹴り上げた巳令がすれ違った。素早く刀を抜き、その動作でディスペアを斬り付けた。斬りつけられて怯んだディスペアにさらに太李がレイピアを投げつけた。

 腹部を貫かれ、わずかによろめいたディスペアはそのまま倒れ込んだ。

 あっけない。驚いていると巳令の叫び声が太李に届いた。

「灰尾! 後ろ!」

 その声に太李はほぼ反射的に飛び上がった。

 瞬間、倒したはずのディスペアの蹴りが彼のいた場所に直撃する。

 地面に着地し、レイピアを構え直しながら辺りを見て、彼は更に顔を歪めた。

「なんで、こんなに……」

 同じ姿をしたディスペアたちが何体も彼らを取り囲んでいた。

 背中合わせになりながら巳令が刀の柄に手をかけた。

「分身か、何かでしょうか。どうやら本体を倒さないといけないようですね」

「どれが本物か分かるのか?」

「いえ、ちっとも」

 少し期待していた太李はがくっと肩を落とした。

 二対複数とは厄介だと思いながらそれでもやるしかないと、彼もまたレイピアを握りしめた。

 そのとき、頭上から数本の光が飛んできてじりじりと二人に近寄っていたディスペアの何体かが倒れた。その体には矢が突き刺さっている。

「二人とも! 大丈夫ですか!」

 弓矢を構えながらとんっとその場に着地したのはすでにいばら姿のよもぎだった。

 その二人の目の前でディスペアの体が宙に浮く。消えていく彼らの中で槍を構えた南波が涼しい顔で彼らを睨み付けていた。その横では「お、お尻打った……!」と梨花が尻餅をついている最中だった。

「人魚……親指……え、どこから、上?」

「よおサボり!」

 頭上から聞こえた声に二人が上を見上げるとパラシュートでゆっくり降下しているマリアがそこにいた。

 満面の笑みを張り付けた彼女は「こいつら、全部ぶっ飛ばせばいいんだろ!」とポケットから取り出した手榴弾のピンを抜き、遠くへ投げつけた。

 遠方で爆発が起き、数体が消えていく。その様子を満足げに見てから地面についた彼女は肩からパラシュートを外した。

「マリアさん……なんで、空から」

「あれ」

 上を指差され、二人が更に頭上を見るといかついヘリコプターがプロペラ音を轟かせながら上空を飛行していた。

「誰が操縦してるんですか、あれ」

「鈴」

 担いでいたカバンからマシンガンを取り出す彼女を見ながら「何者なんですかあの人……」と太李が独り言のように告げた。

「知るか。あ、ちなみにあいつ船と潜水艇と自動車と軽トラも運転できるぞ」

「……逆にできないものは?」

「探すのがむずいかもな」

 それだけ言ってマシンガンを構えた彼女は「んじゃ、いっちょ行くか!」と引き金を引いた。

 銃声と共に銃口が鉛球を連続的に吐き出していく。足元に転がる薬きょうを気にした様子もなく彼女は引き金を引き続けた。

 背後のディスペアが一掃されていく様子を見ていた太李の肩をぽんぽんと巳令が叩く。

「ん?」

「あそこ」

 彼女が指差したのは分身たちが集った一点だった。

「あそこだけ数が多いです。突破しましょう」

「あーじゃあ」

「道を空ければいいな?」

 そう言ったのは槍で空気を切り裂いた南波だった。

 彼の申し出を少々意外に思いながら、ありがたいと太李は頷いた。

「ああ」

「分かった。親指!」

「な、なぁに?」

 大きく斧を振っていた梨花に南波は「道を空けて欲しいそうだ。ここのお客様にご退場願うのを手伝ってくれ」

「わ、分かった」

 こくこくと頷いた梨花が斧を振り上げ、三人の前に出た。

「ええい!」

 そんな掛け声とともに振るわれた斧の刃が敵を切り裂き、地面に叩き付けられた振動で空気が震える。

 そのわずかな隙で南波が間合いを詰めて、ディスペアたちを突き上げていく。

 出来上がった隙間を、巳令と太李が駆け抜けていく。

 彼らの真意に気付いたのか、分身たちがそんな二人に手を伸ばす。しかしその手は彼らに触れることなく、射抜かれて消えて行った。

「サンキュー、いばら!」

「いえいえ、お安い御用です! ネットで弓矢による戦闘法を研究したウチにこんなの朝飯前ですよ!」

 太李の言葉ににこにこ返しながら再びよもぎが矢を放った。

 やがて二人の前を走っていた南波が足を止めた。その先にはけらけらと笑っているディスペアがいる。そのディスペアが手を叩くたび、分身が増えていく。

 太李と巳令が同時に地面を蹴り上げ、それぞれの得物に手を掛け、飛躍する。他の分身たちがディフェンスするように固まった。

「最も哀れな役に幸せなエピローグを!」

 その太李の言葉と共に周りに現れたレイピアが分身たちを一掃する。

「悲しき魂に救いの最期を」

 姿の見えた本体にめがけ、二人が急降下する。

 太李が突き出したレイピアと巳令が鞘から抜いた刃が同時に、ディスペアを攻撃する。

「リベラトーリオ・ストッカーレ!」

「多幸ノ終劇!」

 一瞬にして、ディスペアが跡形もなく消えていく。

 それと同時に分身たちもさらさらと砂のようにその場から崩れて行った。巳令が刀を一振りして、鞘に納める。同時に「す、凄くなかった? 今の」と太李が問いかけた。

「凄かったです」

「いつもより威力あったよな?」

「ありました」

 こくこく頷く巳令に「お、おお……!」と感嘆をこぼした太李はそれから柚樹葉のことを思い出して慌てて変身を解いた。

「九条さんのとこ行かないと!」

「あ」

 それに倣って巳令も変身を解いた。何やら慌てた様子の二人にあとからやって来た四人は顔を見合わせて、その後に続いた。

 空はすっかり明るさを取り戻していた。




 目が覚めた柚樹葉の目に飛び込んできたのは自分が不快だと思って仕方のない太陽の光だった。

「九条さん!」

「柚樹葉ぁ!」

 ぎゅっと抱きしめられるような感覚に彼女は思わず眉を寄せた。

 懐かしい、二度と味わうことのないと思っていた他人の感触だった。

「あー目が覚めなかったらどうしようかと」

「よかったぁ、よかったぁ……」

 本当に安心したかのように耳元で流れ続ける巳令の声に柚樹葉はやっぱり顔を歪めた。

 君は馬鹿だね。ちゃんと私のことを疑えていたのに。

「だから人間の感情って奴は厄介なんだね」

 その背を抱き返しながら、柚樹葉は太陽の光に当たっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ