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第四十一話「表が裏で裏が表だったようです」

お久しぶりです、お久しぶりすぎてドン引きですがまたボチボチ頑張ります。

 らん、らん、とウルフの小さな体が軽く跳ね上がりながら廊下を進んでいく。上機嫌の彼女に手を引かれ、足をもつれさせながら梨花が困ったように言う。

「あ、あんまり走ると危ないよ、ウルフちゃん」

「だって急がないとみんな来ちゃうよ?」

「そ、そうだけどー」

 うーんと小さく唸っている間にもウルフは梨花の手を引き進んでいく。

「りかはいっつもシャワーが長いんです! マリアなんかわしゃーわしゃわしゃーで終わっちゃうのに!」

「うう、でも待っててくれてありがとうね、ウルフちゃん」

「ウルフはやさしーからね!」

 ふんす、と得意げに答える彼女に梨花は思わずくすくす笑ってしまった。だからこそ、小さい手に引かれて、連れて行かれることも毎回ついつい許してしまうのである。ある意味では日常である。

 しばし、歩き続けていたウルフが足を止める。それから声をあげた。

「はいおー!」

 彼女の視線に入ったのは倉庫から出てくる『灰尾太李』であった。

 彼はくるりと振り返ると笑みを浮かべ、ひらひらとウルフに手を振った。そんな彼にウルフは飛び込むように抱き着いた。

「うおっと、ウルフ。あ、梨花先輩も。お疲れ様です」

「こんにちは、灰尾くん」

 梨花はぺこりと頭を下げてから彼の後ろにある扉を見つめて首を傾げた。

「みんなは? 一緒じゃないの?」

「あー、ちょっと探し物を」

 苦笑する彼に梨花は首を傾げたまま「そうなんだ」と告げた。何か彼が必要とするものでもあっただろうか。確か物置代わりに使われている部屋だったはずだが、と梨花は記憶を手繰り寄せていた。

 するとそのとき、彼に抱き着いたままだったウルフが不思議そうに首を傾げる。「どうした?」太李の声が問いかけた。ウルフはじっと彼を見上げてから勢いよく頭振った。

「なんでもない!」

 それだけ告げてパッと離れると「みんなきゅーけーじょでしょ! いこ!」と再び梨花の手を引き、歩き出してしまった。

「わ、ウルフちゃん、まってよぉ!」

 小さな体に再び手を引かれながら梨花はぱたぱたと駆け出した。

 そのあとをゆっくりと彼はついてくる。この違和感はなんだろう。いつもと変化はないはずなのに。強烈な違和感の正体を考えながら梨花はやはり足をもつれさせた。


 ウルフの言葉の通り、休憩所には残りの三人が揃っていた。


「あ、ウルフちん、梨花せんぱーい!」

 椅子に座って紅茶のカップを傾けていたよもぎが大きく手を振った。それに応じるように梨花はウルフと繋いでいない方の手を軽く振った。よもぎは満足げに笑ってから後ろの方に視線をやり、意外そうに目を見開いた。

「およ、灰尾先輩も。探し物見つかりました?」

「ん、あったあった」

 頷きながらそっと彼は巳令の横に腰かけた。それに続くように梨花もよもぎの隣に腰かける。ウルフは困ったように視線を泳がせてからソファの上にすとんと腰を下ろした。巳令は驚いたような声を上げた。

「どうしたのですか、ウルフ。こちらに来ないんですか?」

「うん、いい」

 首を軽く左右に振る彼女にそうですか、と巳令は不思議そうにするばかりだった。

「あ、そういえばベルさんは?」

 紅茶はあるけど、と梨花が尋ねれば南波が答える。

「仕事ができたらしい。すぐ戻るとは言っていたが」

「そう、なんだ」

「あ、梨花先輩たちの分の紅茶もありますよ! ウチ、いれてきましょうか」

 少し離れた位置にある食器棚やポット一式の揃った給湯室のような空間を見つつ、そう言ったよもぎを「あ、私の方が近いですから」と巳令が制して歩いて行った。すみませーん、と手を合わせてからよもぎは素早く巳令のいた席に腰かけると小声で「あ、そういえば灰尾せんぱーい、クリスマスどんなですか?」

 驚いたように太李がよもぎを見つめる。

「え、急になに」

「んもー、クリスマス。一緒に過ごすんでしょ、みれー先輩と」

「……なんで知ってんだよ」

「女子の情報網舐めちゃいけませんって」

 悪戯っぽく笑うよもぎにはは、と彼は苦笑した。

「どこ行くか決めたんすか?」

「いや、まだ」

「これだから灰尾はよぉ!」

「俺先輩」

 ばしばしと彼の背中を叩きまくってから「浮かれてるのはいいっすけど」とよもぎは唇を尖らせた。

「前の日の予定もちゃーんと空けといてくださいよ? ここでぱーてーなんすから」

「はいはい、二十四日な」

 空けとく空けとく、と笑う彼によもぎは一瞬動きを止めた。それから「そう! 分かってるならいいんです!」と頷いてから椅子から飛び降りて、自分の場所へと戻って行った。

 黙ってそのやり取りを眺めていた南波が頬杖と突き直すと同時に扉が開き、辺りを軽く伺ったのち、首をひねりながら柚樹葉が中へとやってきた。

「ねぇ、スペーメ知らない?」

 挨拶もそこそこに彼女から発せられた言葉はそれだった。そんな彼女を不思議そうに梨花が見つめる。

「いないの?」

「うん、先にこっちに来るように言ったんだけど、呼び出しても応答ないから」

「きょーはウチらスペちゃん会ってないっすよ」

 ね、と同意を求められて太李が頷いた。そう、と柚樹葉一つ溜め息を吐いてから「見つけたら仕事あるから来るように言ってくれる?」と彼女は踵を返した。ああ、それからと言葉が続く。

「今日はベルたちは手を離せそうもない。ある程度待ったら自由に解散してもいいんじゃないかな?」

「何かあったのか?」

 何気なさそうな太李の言葉に「まあね」とだけ曖昧に返すと柚樹葉はすぐに出て行った。

 そこで紅茶を持って戻ってきた巳令が「忙しないですね」と一言漏らした。

「あいつらにも色々あるんだろ」

 ぽつりとそれだけこぼした南波は立ち上がると「まだしばらく来ないなら何か買ってくる」

「あ、なら春風ピザまん食いたいっす!」

「調子乗るな」

「あう!」

 軽くよもぎの首に手刀をかましてからコートの袖に腕を通す南波をしばらくじっと見つめてから「俺も一緒行っていい?」

 ぴたりと南波は一瞬動きを止めた。それから「勝手にしろ」とだけ返すとさっさと歩き出した。

「あ、ちょっと待てって!」

 ったく、と笑いながら彼は南波の後を追いかけた。

 その背中を見送ってから「私、学校に忘れ物をしてしまったようなのでちょっとみてきますね」と巳令が苦笑した。

「あら珍しい。いってらですー」

「いってらっしゃい」

「はい」

 よもぎと梨花に見送られ、一度頭を下げると巳令も少し遅れて休憩所を出て行った。




「おかえりーあーちゃん」

 うげ、と浅見博は思わず顔を引きつらせた。

 自分が自室として使っている部屋に、なぜか我が物顔で蒲生鈴丸というイレギュラーが入り込んでいたのである。酒瓶を抱えながら上機嫌にこちらに手を振っている同僚に彼は吠える。

「なんでいるんだお前! うわ、酒くさ!」

「んだよー、飲みに誘ってもぜぇーんぜんあーちゃん来てくれないから俺も強硬手段しかなくなっちゃったんじゃんかよー」

「帰ってくれ」

 けらけらと笑う鈴丸に頭を抱えながら浅見が告げる。

「まま、そうかっかしなさんなって。あーちゃんが一杯飲んでくれたら帰るから」

「……お前のいうことは信頼できん」

「うわー辛辣ぅ」

 と言いながらお構いなしに空のグラスに瓶の中身を注ぐ鈴丸。浅見は諦めたように一つ溜め息を吐いてから部屋に置いてあるクッションの上に腰を下ろした。

 そんな彼を見て、鈴丸は嬉しそうに瓶の中身がなみなみ注がれたグラスを差し出した。それを乱暴に受け取りながら冷ややかな視線を彼に向けつつ浅見は尋ねた。

「で、目的はなんだ?」

「同僚と仲良くしようという俺の努力を少しくらい認めてくれてもよくない?」

「少なからずこっちにその気がない」

 グラスの中身に口をつけた浅見にやれやれとばかりに鈴丸は肩をすくめた。

 それからじっと彼を見つめ、呆れたように告げる。

「そうやってツンケンすると友達減るぞ」

「少なからずお前と俺は友達じゃないから安心しろ」

「冷たいねぇ」

 ぐいっとグラスの中身を飲み干してから鈴丸は小さく続けた。

「『同僚』なのに」

 その言葉のわずかな違和感に気付いた浅見は鈴丸を見上げた。

「お前」

「あーなんだか酔っぱらった」

 ぼふんとその場で横になる鈴丸に「なんでだよ!」と浅見は再び吠えた。

 それに鈴丸はけらけら笑いながら言い放つのだった。

「たかが同僚でも案外気付くもんよ、近況の変化って」

 そう言って「おやすみー」と横になる鈴丸に浅見はただただ顔を引きつらせることしか出来なかった。




 薄暗い空間にぽかりとついた小さな窓から光が入り込んでくる。その光のせいで舞い散る埃がきらきらと煌めいていた。

 そんな中で窓を見上げてから『彼』は積み上げられた段ボールに試しに手をかけてみる。手を掛けた瞬間、ぐらりと揺れ、彼は慌てて後ずさった。こんなところで箱の下敷きになるのは御免である。小さく息を吐いてから彼は思いっきり叫んだ。

「あークソ! 二回目だぞこの状況!」

 そう叫ぶのは『灰尾太李』だった。

 目が覚めたらすでにここにいたのである。おまけに自分の荷物からチェンジャーまで何もかもなくなってしまっていた。その場にあったのは自分の身一つである。ポケットに入れていたはずの携帯電話すらない。

 何より気がかりなのは自分が気絶する前にみた光景である。


 ――鏡、じゃなかったよな。あれ。


 どうしたものか。頭を抱えながら窓の外を見る。まだ日は明るい。

 ひとまずここから逃げ出さなければと思うものの、しかし打開策は見つけられないままだった。

 前に一度、捕らえられたせいだろうか。幾分か気持ちは落ち着いている。むやみやたらに殴ってどうにかできるわけでもないことはなんとなく頭で理解した。騒いでみようか? そんな考えが頭の中でちらついたものの余計な体力を使いたくはないなと思い直す。

 大人しく待つしか出来ない状況が歯がゆい。こうしている間にも何かあれば、と嫌な予感はつきない。


 ――出たら絶対鈴丸さんに怒られる奴だ、これ。


 気が重かった。注意力が足りないだとか、浮かれすぎだとか、反論できないのは重々承知しているがしかし、できることなら言われたくないのだ。

 何よりも。巳令たちが心配なのである。

「クソ」

 いかに自分が無力かと思い知らされているようで太李はうんざりした。その場に倒れ込み、深々と息を吐けば天井を見上げる。

「……誰か、気付いてくんねぇかな」

 ぼそりとこう呟くのが精一杯だった。

 しかし、そこに賭けるしかないのも事実だった。とにかく信じて待つしかないのだ。

 祈るように目を閉じていたせいで、彼は気付いていなかった。小窓がかたかたと揺れていたことなど。




「――っぷあ!」

 巳令の姿が見えなくなったところで両手で口を塞いでいたウルフが勢いよく息を吸い込んだ。

 梨花とよもぎの二人が一緒に振り返る。それからやや間を空け、よもぎが問う。

「ウルフちんずっと息止めてたの」

「うん」

 小さく頷いたウルフは「あれ、変」と顔をしかめた。『あれ』が指す人物が誰かはすぐに分かった。確かに、と梨花は小さく同意を示した。

「今日の灰尾くん、ちょっと変。何が変とは言えないけど雰囲気が変」

「ま、そもそもあの鉢峰馬鹿の灰尾先輩がデートの日とウチらで集まる日の区別がついてない時点で変ですけど」

 どうやらバカップルに気を遣ったのは別の意味で功を奏したらしい。ふむ、と考え込むようにしてから「何かあったんすかねぇ」何か、予感を確信に変えられる何かを見つけられれば話は早いのだが。そこにあったのは違和感に対する不信感と太李への純粋な心配であった。

 三人でしばし、考え込むようにしてからやがて「あ」と梨花がぽんと手を叩いた。

「倉庫行ってみたらわかるかも」

「あー、さっき先輩行ってましたもんね」

 ふむ、と頷いたよもぎは「そうとなりゃ行ってみましょ」と立ち上がった。それを見て、慌ててカップの中身を飲み干した梨花も立ち上がれば入口に向かうよもぎを追った。そのあとにどたどたとウルフが続く。

 廊下を過ぎ、程なくして目的の部屋の前へと辿りついた。「お邪魔しまーす」と軽い挨拶と共によもぎが躊躇いもせずに中に入って行く。

 そのあとにウルフが続き、最後に恐る恐る梨花が足を踏み入れた。倉庫という表現そのままに、中は物で溢れかえっている。少し埃っぽい、とよもぎはけほけほと咳をした。

「こんなことならマスクでも持ってくるんでした」

「でも灰尾くん、こんなところで何探してたんだろ」

 特に立ち寄る必要があるような場所とも、梨花には思えなかった。そもそも、クインテットの中で一番ここに通っている自分でさえこの部屋には入ったことはないのに。

 その梨花の呟きを聞いて、よもぎは思わず、という風に自分のすぐ脇にあった段ボールの上に指をつけ、すーっと横に移動させた。手の指には埃がたまる。

「探し物したにしちゃ、どこも埃っぽすぎません?」

「た、確かに」

 うーんと考え込む梨花の横を通り抜け、少し奥へと進んだウルフが不思議そうに首を傾げる。それからまた梨花の元へ戻ってくるなり、彼女の制服のスカートの裾を軽く引っ張った。

「ねえねえ、りかー。よもぎー。変な音するよー」

「音?」

 ウルフの言葉によもぎは不思議そうに首を傾げてから黙り込んだ。それから少しだけ、耳に神経を傾ける。

 すると、部屋の奥からかさ、こそと本当にわずかではあるが、何かがこすれるような音がする。驚いて目を見開いてから「ほんとだ」と一言こぼす。

「ね、ネズミとかかな」

「あーあり得るっすね」

 がしがしと頭を軽く掻いてから「でももし、アレだったらどうします?」顔を引きつらせるよもぎに梨花は純粋に首を傾げる。

「アレ?」

「ゴキブリ」

「ヒッ」

 後輩の口から聞こえた名前に梨花は身を強張らせた。頭の中に浮かんだイメージを取り払おうとぶんぶんと首を左右に振った。

 その間にウルフはさらに部屋の中をうろうろと歩き回ってから「あっちだ」と一言だけ呟くと部屋の奥に詰まれていた段ボールに近付いた。悲鳴交じりの梨花の声が響く。

「う、ウルフちゃん!? ご、ゴキブリいるかもしれないよ!?」

「でも気になるもん」

「知的好奇心やめて!」

 ぎゃーぎゃーと響く二人の悲鳴に構わずにウルフは段ボールの間にあるわずかな隙間を通り抜けて奥へと進んで行ってしまった。

 照明の届かない薄暗い狭い隙間があるだけだった。小さな手を伸ばし、暗闇を探ってみる。埃っぽさに顔をしかめていると何もないはずの空間で指先に何かが触れる。

 柔らかい感触だ。布か何かだろうか。ウルフは声を上げた。

「なんかあったー」

「ぎゃあ!?」

 具体性のない言葉によもぎはびくりと跳ね上がる。梨花に至っては震えあがっていた。

 頭上に疑問符を浮かべながらウルフは手に触れていたものを引きずり出した。ぶわりと埃が舞って、こほんこほんと小さな咳を漏らしながらそれを抱えたままで段ボールの隙間から戻ってきた。

 けほけほと小さくまた咳き込んでから辺りを見渡した。部屋の隅で手を取り合いながら震えているよもぎと梨花を見つけると彼女はあっけからんと言い放つ。

「ゴキブリじゃなかった」

「え?」

 きょとんとする二人に「ほらこれー」と彼女は手に持っていたその何かを突きだした。

 埃で薄汚れているものの、真っ白な毛に包まれた丸いそれに「あれ?」とウルフは首を傾げた。視線を向けていた二人も一瞬目を見開いてからそっと近づいてほとんど同時に声を上げた。

「スペーメ!?」「スペちゃん!」

 薄汚れてぐったりしてはいるもののそこにいたのは確かによく見慣れた毛玉――ことアンゴラウサギ型ロボットであった。しかし、いつもうるさいほどまくし立てる口はぴくりとも動く気配がない。

 慌てた様子で梨花がスペーメを受け取った。「と、とにかく柚樹葉さんのところに」とおろおろしている様子を見ながら少し考え込む。

 どうにもよもぎには、太李がここから出て来たことと、ここにスペーメがいたことが関係ないとは思えなかったのだ。

「梨花先輩とウルフちんはゆずちゃん先輩たちにスペちゃんのこと伝えてください」

「よもぎは?」

 ウルフが首を傾げると「ウチはちょっと益海先輩たちのところに行ってくる」とだけ告げて駆け出した。なぜか胸の奥がざわめていた。




 路地裏の道を進みながら南波は空を見上げた。快晴だった。冬の冷たい空気のおかげもあって空が突き抜けるように高く青く見えていた。

 息を一つこぼす南波の後ろから声が響いた。

「なー南波。ほんとにこっちで合ってんの?」

 後ろから聞こえてきた声に南波はふぅ、と一つ息を吐いた。

 この声は間違いなく『灰尾太李』のものだ。そして後ろにいる人物の姿も声に違わぬものであるはずなのに。

「ああ、正解だ」

 そう答えれば小さく口を動かして、彼は赤い光に包まれた。

 光が晴れたあとにいたのは『益海南波』ではなかった。


「な、なんだよ南波急に」


 急に現れた人魚姫に対して顔を引きつらせる目の前の『灰尾太李』に南波は躊躇わず、自らが握っていた槍を突きつけた。


「お前は誰だ?」


 あの校門をくぐったときから感じていた強烈な違和感と、微妙に噛み合わらないよもぎとの会話。間違いなくそこにいたのは『灰尾太李』であるはずなのに彼はどうしてもこの結論に至らずにはいられなかった。

「誰って、あのなぁ、南波、悪ふざけなら」

「お前は灰尾じゃない」

 自らを突き刺すように向けられた鋭い視線に『灰尾太李』は黙り込んだ。

 顔を俯かせる彼を見ながら「本物のあのバカはどこにいる」と南波は続けて問うた。


 刹那、彼の口から笑い声がこぼれた。


「ははは!」

「何がおかしい」

「だってお前ら気付くのはえーんだもん」

 悪びれる様子もなく、彼はきっぱりそう言い放った。

 疑念はようやく、確信に変わった。「お前の目的はなんだ?」

「敵の懐に潜り込むのってそんなにおかしいこと?」

「……ディスペアか、それともトレイター?」

「さあ」

 自分の指にはまった指輪を見つめながら彼は続けた。

「知りたかったら吐かせてみろよ」

 青白い光に包まれて、目の前のそれは『灰尾太李』から『シンデレラ』へと姿を変えた。南波は軽く目を見開きながらわずかに身を引いた。その様子を見て、小馬鹿にするようにシンデレラは告げた。

「なに、変身できないと思った? 自分さえ変身しちゃえば一方的だとでも?」

「俺たちは騙せなくても機械は騙せるってことか」

「まぁそゆこと」

 ひらひらとレイピアを振るシンデレラは「正直、お前一人になってくれたのは好都合なんだよね」口元で歪な弧を描きながら首を傾けた。

「わざわざやられに来てくれてありがとう」

 ふん、と馬鹿にするように笑ってから南波は低く告げた。

「できるもんならやってみろ」

 その一言が引き金になったかのように。

 二人の足は同時に地面を蹴り上げた。

 いち早く動いたのはレイピアの刃先だった。空中で自らに突き出される刃を身をよじってかわす。ぴり、とわずかな痛みと共に南波の頬から一筋の赤い線が流れ出した。

 頬を腕で拭いながら着地する。ただでさえ見た目のせいでやりづらいと言うのに一筋縄でいきそうもない。この場にまだ現れない後輩に「覚えてろ春風」と小さく吐き捨ててから槍を構え直す。瞬間、同じように着地していた『シンデレラ』の左足が彼の槍を思いっきり蹴り上げた。

 受け止めてはみたものの手が衝撃に耐えきれず、痺れる。顔をしかめていると次いでもう片方の足が飛んでくる。さすがに堪えきれずに手を離された槍がくるくると回りながら地面に突き刺さる。それを横目で追いながら南波は一気に相手との距離を詰め、足を振り上げた。

 腹部に足が入る感触が確かに伝わった。からんと落ちたレイピアに息を吐く暇もなく、今度は相手の拳が南波の頬を貫いた。

 視界が揺らぐ。バランスを立て直す暇など与えず、今度は左足が鳩尾に入った。声にならない呻きをあげながら彼の体が倒れ込む。

「さっきまでの威勢はどうした?」

「うる、さい」

 息を荒くしながら自分を睨み上げる南波に「ああ、そうか。もしかして俺がγだったときのこと警戒してる?」

 十分に考え得る可能性だった。南波が黙って視線を逸らすと「ばっかだねぇ、だから躊躇うなんて」と吐き捨ててから「お前らは甘いんだよ」と低く告げると再び足を振り上げた。

 こみ上げる酸の味に口をしかめながらげほげほと激しく咳き込んだ。痛みで意識が薄れかけた。そんな中で彼が聞いたのは「益海せんぱーい!」というよもぎの声と「命拾いしたな」という『灰尾太李』の声であった。





 あー、と疲れ切ったマリアの声がその場に響く。

「あたしやっぱああいう食事会みてーなの苦手。もう二度と呼ぶな」

 不満げなマリアの視線の先には機嫌よさげなミハエルがいた。彼はけらけらと笑い声をあげてから、

「そう言うな、お前見てくれだけなら評判いいんだから」

「見てくれだけとか言うな」

 けっと吐き捨てる彼女は「あたしじゃなくてベルつれてきゃいーだろ」

 食事に行こう。的相手に引き金を引いていたマリアにミハエルが声をかけたのは昼頃のことだった。胡散臭さを感じつつついて行ってみればそこは確かに食事の場であった。ただし、恐らくは彼の商売相手と思わしきマリアよりずっと年上の男女が並んでいた。

「ベルガモットは今日は主任さまとしてのお仕事が忙しいらしい。かといって坊主はどうにも恨みを買いすぎでな」

「あたしは消去法かよ」

「不満かい?」

「なんかそれはそれでムカつく」

 くっと顔をしかめるマリアにミハエルは「そう怖い顔するな、皺が寄るぞ。せっかく若いんだからもっと可愛らしくしてろ」と告げるなり、そーっと胸の辺りに手を伸ばす。その手を慌てた様子で払い落せばマリアが吠える。

「てっめぇ! 油断も隙もねぇな!」

「まだ何もしてないじゃないか」

「『まだ』ってなんだ『まだ』って! する気満々じゃねぇか!」

 ぎゃーっと吠えるマリアは逃げるように廊下の隅に寄れば「あれ」と顔をしかめる。


「九条?」


 そこにいたのは九条柚樹葉だった。薄汚れた白衣を着たまま茫然と立ち尽くす柚樹葉にミハエルは首を傾げる。

「ユズハ? どうしたんだい?」

「……どこを探しても居ないんだ」

 ぼそっとそう答える彼女の声の調子はどこか弱々しい。珍しい、と目を細めてから横を見てああ、とミハエルはその理由に納得した。

「いつものお供ちゃんか」

「ん? そういや」

 その辺りでようやく気付いたらしいマリアがぽんと手を叩く。

「スペーメいねーじゃん。家出でもされたか?」

「私が知りたいくらいだよ」

 すっかり落ち込んだ様子で柚樹葉が答える。

 自室から更衣室からタンスの隙間まで。スペーメが行きそうな場所を徹底的に探したつもりだったが一向に見つけることができていなかった。

 思えばここまでスペーメがいなかったのはそうそうなかったかもしれない。精々この間の修学旅行位だが、あれだってスペーメがどこにいるかは分かっていた。

 本当に家出だったらどうしよう。ぐるぐると考え込む柚樹葉に「お、おーい」とマリアが声をかけたそのときだった。


「あー! ゆずはいたー!」


 どたどたと騒がしい足音を立てながら廊下の向こう側からウルフが駆け寄ってきた。その後ろには梨花もついている。

 おお、とミハエルが声を上げる。

「どうした子猫ちゃん、随分慌ててるな。リカも」

「た、たいへん! たいへんなの! ゆずは! ゆずは!」

 あわわと落ち着かない様子のウルフは何かをぐいぐいと柚樹葉に押し付けている。

 ぐいぐいと柔らかい何かを押し付けられながら「なに、なんなの」と鬱陶しそうに横を見てから柚樹葉は目を見開いた。

 押し付けられていたものが、自分が探し回っていた『友人』だったからである。慌てて彼女の手からそれを受け取ると柚樹葉は声を上げた。

「スペーメ、どこにいた!?」

「そ、そーこ! あの、でも動かなくて」

 どうしよう、とばかりのウルフを見て、柚樹葉は自分が幾分か冷静さを取り戻していることを自覚した。それからスペーメの体を持ち上げて「ああ」と声を発する。

「大丈夫、電源が切られているだけだ」

 よかった、とは意地でも続けなかった。ただ、すっかり毛皮で埋もれてしまった首元の辺りに手をやればスイッチの場所を探し当て、優しく押してやる。

 少し間を開けてから、ぱちりとスペーメの目が開く。ぶるぶると震えあがってから「あれ、なんでスペーメは再起動してるですか……?」と小さく呟く。

 文句を言ってやらねば。柚樹葉が口を開きかけた瞬間、「あ」とスペーメの慌てたような声が続く。

「や、やべぇです! やべぇです! あいつどうしたですか!」

「あ、あいつって?」

 梨花が問いかければ間髪入れずにスペーメが答えた。

「シンデレラです! いや実際はあれはシンデレラでも灰尾太李でもなくて」

 その言葉だけで充分だった。

「どういうこと?」と首を傾げる柚樹葉たちを置いて「ウルフちゃん!」と梨花が叫ぶ。うん、とウルフが頷いた。

「柚樹葉さん! 益海くんたちのチェンジャーの場所わかる!?」

 いつにない、強い調子の梨花の言葉に戸惑い気味に柚樹葉が答える。

「え、あ、あぁ、わかるけど」

「ならあとで教えて!」

 言うなり、くるりと踵を返した梨花がウルフと一緒に駆けだした。

 その様子を見ながらふむ、と一つ声を漏らしてから「マリア、準備してからリカたちに合流してやれ」




 自分の呼吸音が酷く耳元にこびり付いていた。

 足元で蹲る南波をちらりと見てからよもぎは自分の弓に矢をつがえた。

「なんなんすかあれ」

「しるか……」

 うるさいほど激しく息を吸い込む南波によもぎはすみません、と小さく呟くことしか出来なかった。

「お前のせいじゃないだろ」

「そうですけど」

 圧倒的に状況がまずい。手負いの南波を抱えて、恐らく太李ではないものと対峙しなければならないなんて。

 ぎゅっと唇を噛み締めながら建物の壁に身を預ける。どうすれば。手に汗が滲む。心が焦る。助けを呼ぶ? 恐らく梨花たちはこちらに向かっているはずだがそれだっていつになるか分からない。

「よもぎちゃーん」

 普段なら安心するはずの声によもぎの体が跳ねあがった。

 今は聞きたくなかった。思わず息を押し殺す。コツコツと響く足音がよもぎの心臓を締め付けるように焦らせる。足音が近づくたびに、汗が滲むのがわかった。こんなに寒いのに、と心の中で呟きながら自然と手に込めた力が強くなる。

「……あんま手間取らせんなよ」

 苛立ったような声が響く。自分はあとどれだけ待てばいいのだろうか。そんなことを考えていると唐突に、彼女が予想していなかった声がその場に響く。


「灰尾、こんなところで何をしているのですか?」


 ぴたりと足音が止む。「ああ、鉢峰、忘れ物もう持ってきたのか」ええ、という相槌の声。

 よもぎは居ても経っても居られなくなって思わず、飛び出した。

「みれー先輩、そいつから離れて!」

 矢をつがえたまま、物陰から飛び出したよもぎは制服姿のままの巳令の横にいる『シンデレラ』にその矢尻を向けた。

 驚いたように自分を見つめる巳令と、手間が省けたとばかりにこちらを見る『太李』によもぎは息を吐く。少なくとも、巳令がいてくれさえすればまだマシなはずである。

「よもぎさん……?」

「みれー先輩、その人は、その灰尾先輩は、違うんです」

 静かな口調でそう告げるよもぎに彼は肩をすくめた。

「よもぎちゃん、さっきからずっとこの調子で」

「うるさい、益海先輩に手出しといて言い逃れできるなんて思わないで」

「南波とはちょっと喧嘩しただけなんだから大袈裟だって」

 しれっと言ってみせる相手をよもぎはただ睨み付けるだけであった。その様子をじーっと見つめてから巳令は困ったように笑みを浮かべた。

「ま、まあまあよもぎさん、落ち着いて。お互い何か誤解があるようですし」

「ちが」

 言いかけるよもぎを制するように手を出してから巳令は『太李』に改めて歩み寄った。それから彼の手を取り、「灰尾も、一旦落ち着いてください?」

「……ごめん?」

 柔らかな手袋に包まれた手を軽く握りしめながら「分かればいいんです」と頷いた。


 途端、であった。


「うっにゃああ!」


 甲高い声と共に二人の間に鋭い一太刀が入り込む。

 ほとんど直感的に身を引く『シンデレラ』とどこか落ち着いた様子でふらりと足を引き、身を引く巳令。そんな二人の間に赤いポンチョがふわりと揺れる。

「じょうずにできた!?」

 そう声をあげていたのは赤ずきんへと姿を変えていたウルフだった。驚き固まるよもぎの横に「遅くなってごめんね」と梨花が駆け寄った。

 何かを言いかけるように彼が口を開くより少し早く、「はい」と巳令の静かな返事がその場に響く。

「完璧です」


 その言葉をまるで合図にしたかのように彼の体が一瞬、光に包まれたのち、元の男子高校生の姿に戻る。


「な」

 驚きで目を丸くしてから彼は慌てて自分の手を見つめた。

 彼の指に、確かにあったはずの指輪がなくなっていたのだった。思わず硬直する彼に「探し物は」と巳令が緩やかな笑みのまま告げた。

 その彼女の手の中にはチェンジャーである指輪が、確かに存在していた。

「鉢峰、なん」

「あら、持ち物はあるべきところに返すのが当然では?」

 そう言って彼女は自分の真後ろへと指輪は放り投げる。

 勢いよく空中を飛んだそれは、やがて乾いた音と共に、誰かの手の中で収まった。

「変身!」

 鋭い声と共にまばゆい光がその場を包む。

 それがやがて晴れると白いマントをはためかせながら『シンデレラ』がそこに立っていた。

「人のフリして好き勝手してくれたんだってな、この野郎」

 レイピアを構えながら灰尾太李は目の前の『自分』を睨み付けた。

「せ、せんぱぁぁああい」

「ごめんなさい親指、それに人魚も」

 鉢かづきに姿を変えながら巳令は申し訳なさそうに眉を寄せた。

「灰尾を引きずり出すのに少しだけ手間取ってしまって」

「どうもすみません」

「どこにいた、この馬鹿……」

 梨花に支えられながら立ち上がる南波に問われ、太李は「体育倉庫」とだけうんざりした風に答えて見せた。

 そこで今まで押し黙っていた『彼』が声をようやく漏らした。

「あーあ、バレないと思ったのに」

 息をこぼしながらその姿は徐々に『灰尾太李』からまるで蛙のような肌に鬼のような隆々とした体格の何かへと変貌していく。

「やっぱりディスペアか」

「逆のそうでない方がびっくりです」

 そう言いながら「一気に行きますよ、責任はとってくださいね、シンデレラ」「仰せのままに」と二人が構える。

 突進するように飛びかかる相手を飛び上がってかわしてしまえば空中で体勢を整え直した二人が叫ぶ。

「オーラ!」「ベアート!」




「あーあ、また失敗してやんの」

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