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第四十話「俺があいつであいつが俺でなようです」

 放課後、冷える空気を学生服の上から感じつつ、太李は陶芸室の扉に手を掛けた。巳令が部室に一番に来られないときは、彼がこうして陶芸室の鍵の確認をしてから、閉まっていれば取りに向かうことがいつの間にか慣習化している。

 つめた、とわずかに顔をしかめながら扉に力を掛けると彼の想像に反して、あっさりと扉は開く。

「あれ、誰かきてんの?」

 自分より早く来た部員がいる。そう結論が出せたのはすぐだった。首を傾げながら中に入りつつ、彼はそう声をかけた。

 ところが、反応はない。近くの机の上にカバンを置きながら腕を組んだ。開けるだけ開けて席を外したのだろうか。ならばカバンだけでもありそうなものだが。と、再び彼が視線を辺りに向けた。そのときであった。

「納得いかねぇ」

「うお!?」

 後ろから聞こえてきた声にびくっと跳ね上がってから太李は勢いよく振り返った。

 そこに座っていたのは太李が今まで見たことがないほど眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げた春風よもぎであった。椅子の上に座りながら、じっと自分を見つめるよもぎに太李は叫ぶように告げる。

「眉間の皺! すっげぇなおい!」

「春風は納得いかないんですよ先輩!」

「うおっ」

 がたりと椅子から立ち上がり、ぐいっと自分に近付いてそんなことを言い出す後輩に、彼はきょとんとしてから軽く首を傾げる。思い当たる節はある。数日前、よもぎが目を覚めしたときのことだろうか。

「何が。鈴丸さんの拳骨からの梨花先輩に頬をつねられたことならよもぎちゃんの自業自得だよ」

「そうじゃなくて! それは春風が悪かったのは分かってます! マジで!」

「ほんとかおら」

「いひゃいいひゃい」

 むにりとよもぎの頬をつねりながら太李は呆れたように彼女を見つめる。「俺ら、これでもかなり心配したんだけど」

「うう、それはまこと反省しておりますゆえ……」

「そう言いながら南波とよもぎちゃんはいっつも俺らに相談なしでなんかしてるからなー」

「ひいいしぇんぱいほっぺたさけまひゅ!」

 やめて、とばっと太李から離れると頬をさすりながらよもぎは再び椅子に腰を落とし、

「最近、益海先輩めっちゃ他人行儀なんですけど」

「……ああ」

 そっちか、と思いながら太李はよもぎの正面に椅子を持ってくると自分も腰を下ろす。

 それを見てから「とにかく!」ばんっとよもぎは両手を勢いよく机に叩き付けた。そして叫ぶ。

「いっだぁ!」

「自分でやっといて」

 くぅう、と自分の掌を抱え込むように悶えながらよもぎは続ける。

「ウチが先輩に避けられる理由が微塵にもわかんねぇ! ウチが先輩避けることはあっても先輩がウチを避けるのはおかしいですよ!」

「何その理屈」

 顔を引きつらせながら頬杖を突いてから太李はうーん、と唸る。

「あれじゃない、よもぎちゃんが自分と同じことをしたから気まずい、とか」

「灰尾先輩には、あの人がそんな、クッソ真面目で優しい人に見えますか。みれー先輩じゃあるまいし」

「それは」

 思わず、と言った風に太李は言葉を詰まらせた。ごめん南波、否定できない!

 今日は南波が委員会で来ない日でよかった、と内心安心しながらも太李はひとまず問いかける。

「心当たりとかないの?」

「あったら悩んでませんよ」

 はぁぁ、と深々溜め息を吐いてから彼女は机に突っ伏した。

「ウチ、先輩に嫌われたのかな」

 心当たりが多すぎてよもぎは思わず不安を言葉に変換して吐き出した。

 その様子を見ながら太李は苦笑した。

「よもぎちゃんほんっと南波のこと好きだよねぇ」

「うるせーヴァーミリオン」

「おいそのネタ禁止だっつってんだろ」

 げしげしと自分の足を軽く蹴ってくる後輩に顔をしかめつつそう言えば太李はふと、

「――『ヒーローごっこ』か」

 唐突な彼の呟きに目を丸くしながらよもぎは首を傾げた。

「なんですか?」

「……んーん、別に」

 なんでもない。返す先輩に、よもぎはやはり不思議そうにするばかりだった。




「な、なんで最近、よもぎさんに冷たいの?」

 カウンター越しに投げ掛けられた『先輩』の問いかけに益海南波は文庫本を捲りかけていた手を止めた。

 ぱたんと本を閉じ、そっと脇に置く。それから、先ほど借りたばかりの分厚い本を盾か壁にでもするかのように、前に構えながら自分をびくびく見つめる東天紅梨花にすっと腕を上げる。ひいっと梨花の口から悲鳴が漏れた。ぷるぷる震えるその様は、まさしく小動物のようで、なんだいつもの『それ』をしてしまうと自分は動物愛護法に引っかかってしまうのではないだろうかという錯覚を抱いた南波はやり場のなくなった手刀を渋々下ろすと代わりのように頬杖をついた。

「誰が冷たいって?」

「益海くん」

「あ?」

「ひぇ」

 びくびくと震えたまま、しかし、ここで話題を終わらせる気もないらしい梨花が言う。

「な、何かあったの?」

 瞬間、彼の脳裏に蘇ったのは、よもぎが目を覚ます直前のことだった。

 気の迷い、魔が差した、疲れていた。様々な言い訳を用意してから脳裏から無理やりにでも追い出していた光景だった。

 ほんのわずか、あとわずかで触れそうになっていた、唇のことを思い出す。

 しばし、黙り込んでから慌てたように、南波は拳をカウンターに叩きつけた。不用意に、本当に勢いのまま、叩き付けられたせいか、振り下ろされた勢いは大したことはなかったのに南波の拳には鈍い痛みが走る。

「いってぇ……!」

「ええええ」

 驚いたような目で自分を見る梨花に「と、とにかく」と南波は続ける。

「喧嘩した、とかそういうんじゃないし。俺の問題だから、うん」

「う、うん……」

 わかった、と小さくこくりと頷く梨花によし、と南波は息を吐く。

 でもよかった、と梨花は笑みを浮かべた。不思議そうに彼が首を傾げれば、穏やかな笑みを浮かべたまま、彼女は言う。

「その様子だと別によもぎさんが嫌いになったわけじゃないんだな、って」

「…………」

 ぐっと言葉を詰まらせてからしかし、否定もせずに、南波はそっぽを向くだけだった。よかった、と安心したようにまた一言漏らせば梨花はくるりと踵を返す。

「あたし、もう行くね」

「大変だな、あんたも」

「んー、でも好きでやってるから」

 へにゃんと笑ってからそれじゃあ、とひらひらと手を振り、梨花は歩き出した。

 がらりと扉を開けた途端、「あら」

 目の前に立っていたのはセミロング程度の髪を軽く揺らす女生徒――梨花と同じクラスの熊坂蝶子であった。彼女は梨花の姿を見つけるなり嬉しそうに目を丸くした。

「東天紅さん、だよね? 同じクラスの」

「えあ」

 奇妙な声をあげてから梨花はこくんこくんと頷いた。

「覚えて、くれたんだ」

「うん。可愛い人だなぁって思ってたから」

 蝶子の言葉にぴくっと跳ね上がってからぶんぶんと首を左右に振る。

「そんな」

「ふふ、本当だよ」

 あそうだ、と蝶子はカバンからスマホを取り出すと「ねぇ、連絡先教えてよ。今日は私用事があるからダメだけど今度一緒に遊びに行こう?」

 ついつい嬉しくなって、梨花は顔を輝かせた。




 手の中にある確かな重みに巳令は小さく溜め息を吐いた。

 すれ違ってしまった担任の頼みを断り切れず、ついつい資料運びを引き受けてしまった。早く部室に行きたいのに、とわずかに嘆きながらも、しかしどこか不思議な満足感を味わっていた。

 まぁ役に立ったならいいのだ。頼まれていたプリントの山を教室までようやく運び終えると息を吐く。このあとはどんな予定だったろうか。

「あ、ここにいた」

 巳令の思考がこれからの予定でいっぱいになる少し前、そんな声が教室の外から投げかけられた。

 彼女はくるりと振り返るとその声の主に思わず、と言った風に笑みを浮かべた。

「灰尾、すみません。早く済ませるつもりだったんですけど」

「いやいや」

 ふるふると首を左右に振る『灰尾太李』は「というか」とわずかに不満げに言葉を続けた。

「俺のこと頼ってくれてもよかったのに」

 そんな彼の声に巳令は一瞬きょとんとしてからくすくすと笑みをこぼした。別段、おかしかったというわけでもないのだが、なんだか嬉しくなって口からこぼれ落ちた笑い声であった。

「そんなに拗ねずともよいではありませんか。灰尾は優しいですね」

「んや、優しいとかじゃなくって」

 照れくさそうに笑いながら彼はきっぱりと告げる。

「やっぱ、頼って欲しいじゃん、好きな人には」

 後半に行くにしたがって勢いを失っていく彼の声に巳令は頬をぽふんと赤くした。ああ、ずるい。内心小さく呟きながら頬を手で覆い隠すようにしながら「では次からは、気を付けます」とだけ掻き消えそうな声で告げる。

 巳令のそんな言葉に彼は嬉しそうに笑みを浮かべるだけだった。それからそっと手を伸ばし、ぽんぽんと彼女の頭を撫でてやる。

「ほら、早く部室行こうぜ。鍵開けないと」

「ふふ、さすがによもぎさんが来てそうな気もしますが」

 小さくくすくすと笑みをこぼしてから誤魔化すような彼の言葉に一つ頷いて見せた。

 わずかに、言葉を詰まらせたような様子の彼は、

「まぁ、本音を言えば、もう少し二人でいたいような気もするけど」

 と続けて見せた。

 瞬間、巳令はまるで自分の中に血液が一瞬で湧き上がったようなほどの熱に襲われた。きゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚えながらやっとの思いで言葉を振り絞った。

「は、破廉恥です!」

「な、俺まだ何も」

「破廉恥ですー!」

 そう叫んではみるものの、やはり嬉しいものだ。口元が緩むのを抑え切れないまま、置きっ放しにしていた荷物をちらと見てから「わ、私、お手洗いに行ってきます」

「一緒に行こうか」

「なんでですか!」

 さらに叫んでから「あれだったら先に部室いっておいてくださいね!」と言い残す。ずんずんと廊下に出た辺りで彼の小さな「うん」という返事だけが聞こえてきた。





 こつこつと、どこか重厚感すら感じさせる足音が天井を跳ね返り、長い通路に響き渡る。

 一定のリズムを刻んでいる自らの足音で鼓膜を揺らしながら目的地へとただまっすぐ向かっていた。その女の首元に巻かれた真っ赤なスカーフが小さく揺れる。

 しばし、歩き続けてから一つの扉の前で足を止めるとドアノブに手を伸ばす。それからああ、と一旦手を引っ込めれば行き場をなくした手でこんこんと扉を叩いた。

 返事はない。それはいないか、入ってもいいという合図だ。ノブを捻り、中に入る。

「うわばみ、いる?」

「いるとも」

 飛んできた実にはっきりとした返事に女は笑みを浮かべた。中にいた『うわばみ』でしかいられなくなった男は、面白そうに目を細めながら画面を食い入るように見つめている。興味深そうに同じ画面に視線を投げ掛けながら彼女は問いかけた。

「何見てるの?」

「ああ、この間作ったβが少々面白い動きをしているから。眺めてみた」

「……通りで」

 見覚えのある子が映ってる、彼女は心の中でそう呟いた。それから念を押す意味を込めて、画面の一点をとんとんと叩いた。

「この子、私の」

「分かってるよ」

 別にとる気はない。その意思表示を込め、うわばみが軽く肩をすくめた。分かればいい。そう言わんばかりに女は笑みを浮かべた。

 ゆっくり身を引いてから「でもあっちには興味ないの?」

 画面に視線を吸い寄せられたまま、うわばみが答える。

「どっち?」

「ウルフ」

「あげると言ったからね」

 実に簡潔な答えに、女は目の前の男が怖くなるほどだった。本当に興味を失えば一瞬である。いやむしろ、彼の興味は常にある一点にしかないのかもしれない。そこからわずかにこぼれ落ちた興味が他に向けられては消え、また別の対象に向く。そういう類なのだろう。敵であることだけは逃れたい。彼女は素直にそう思った。

 ここにいても仕方なさそうだ。退屈しのぎにさえなりそうもない。くるりと踵を返して、その場から去ろうとしたまさにそのときであった。

「手伝ってあげてくれ」

 何を、という主語を彼に求める気は到底起きなかった。

 肯定の意味を込めてひらひらと軽く手を振りながら彼女はその部屋を後にした。




「ねぇ先輩、そういえばみれー先輩どうしたんですか?」


 頬杖を突きながら、先ほどまで南波に対する不満愚痴を垂れ流し続けていたよもぎが不思議そうに首を傾げた。

 目の前にいて、ずっと話に付き合っていた太李は突然話の矛先に変わったことに気が付けば、一瞬間を開けてから答えた。

「今日は掃除当番とか言ってたけど、そういや遅いな。鉢峰のことだしまた頼まれごとされたかな」

「わーさすがみれー先輩」

 おお、と声をあげて軽く拍手するよもぎに苦笑しながら「ちょっと見に行ってみる。鉢峰来たら連絡くれ」

「いやむしろ先輩がみれー先輩に連絡するのがよいのでは?」

「あー……鉢峰は最近、学校で携帯カバンにしまうから。気付かないんだよな」

「そんなことまで知ってるなんてほんと鉢峰ガチ勢こわいわー」

「偶々だっつの」

 ったく、と息を一つこぼしてから彼は陶芸室の扉を開け、足を止め、振り返った。

「あ、そだ。俺、いけたらついでに自販寄って緑茶買うけど飲みたいもんある?」

「ごちでーす。ミルクティーお願いしやす灰尾先輩大好き」

「よもぎちゃんってほんと現金」

 やれやれと首を左右に振りながら太李はやっと廊下に出た。

 肌を刺すような冷たい風に顔をしかめた。外から聞こえてくる話し声や部活の声、なんら変わらない毎日の音に耳を傾けながらぺたぺたと歩き続ける。

 しばし歩き、階段の辺りに辿りついたところで太李の携帯が軽く震えた。足を止め、ズボンから携帯電話を引きずり出せば『鉢峰巳令』という名前と共にメールの着信を知らせている。

 なんだろう。首を傾げながら着信したメールを開けば、『少し手伝って欲しいことがあります。ゴミ捨て場で待ってます』という簡潔な文章が目に飛び込んできた。記憶を手繰り寄せてから指定された場所が校舎裏にあることを思い出した。ゴミ捨てでも頼まれたか。苦笑しながら階段を軽く駆け下りた。

 周りから漏れ聞こえてくる部活の音や話し声を聞きながら進む足は何故か軽くはない。なぜだろうかと考えるのは太李からしてみればあまりにも億劫であった。

 グラウンドから聞こえてくる声を遠くに聞きながら、校舎の裏までやってくればそれらの音も消えて行った。

 あまり手入れをしている様子もなく、伸びきった草の中に僅かに見える、人が通って踏み固められた土の上を歩いて行く。やがて校舎の壁を見つければそこに背を当て、身を預ける。

 巳令はどこだ。首を傾げながらスマホの電源を入れて辺りを見渡した。辺りには巳令どころか人の気配すらない。帰って気味の悪いほどだった。

 ここまで人が来ないことがあるのだろうか。たまたまだろうか。考え込みながら空を見上げる。同時に冬らしい鋭い風が頬を突き刺すように流れて行った。

 風邪を引きそうだ、と顔をしかめながらうんともすんとも言わないスマホでメールの画面を呼び出せば、受信者に『鉢峰巳令』の文字を選択する。


 するとそのときであった。

 がさりと草が揺れる音がして、太李は勢いよく頭をあげた。


「鉢峰?」

 首を傾げながら一旦スマホをポケットにしまった彼は音をの方に一歩踏み出した。

 返答はない。

 なぜか不安を覚えながらまた一歩踏み出してから、わずかに視界の端に捉えたその姿に思わず足を止め、目を見開いた。

「おま、え」


 彼の意識はそこで途切れた。




 部活の終わった三人と合流する委員会終わりの益海南波にかけられた一番の最初の声は春風よもぎのものであった。

「まっすみせんぱーい!」

 ぶんぶんと勢いよく手を振る後輩に顔を引きつらせながら南波はふらふらと自分を待っている三人に近付いた。

 それからまるで、そちらに強引に引き寄せられたかのようによもぎからあえて視線を逸らした方向に目を向けながら手を挙げてその声に応じる。応じるというよりは聞こえていたことを知らせるためだけの作業だった。

 が、あっさりとその行動の意図はよもぎに伝わってしまった。彼女は南波の肩を思いっきり掴めば「聞いとんのかワレ!」と声を上げた。

 しかし、こうなれば、素直に言う機会をすっかりと失った南波はよもぎからさらにあからさまに顔を逸らした。きーっとよもぎが声を上げる。

「てめぇ益海こら!」

「うるさい喚くな」

「こっち見て言え!」

 ぎゃーすと声をあげて自分を睨み付けるよもぎをちらと見てから南波はまたしても黙り込んだ。それがますます、よもぎの気を逆撫でしているとも知らずにである。

「もう、いい加減にしてください」

 見兼ねた巳令が二人の間に割って入ったのはそのあとだった。

 興奮するよもぎの頭を軽くぽんぽんと撫でてから南波の方に向き直った巳令は溜め息交じりに告げる。

「何があったかは知りませんがこれからまた訓練に行くのですから少しは仲良くしてください」

「別に仲悪いつもりは」

「益海くん」

 巳令の黒い瞳にぐっと南波は言葉を飲み込んだ。

 深々と溜め息を吐いて髪を掻き毟ってから「ほっとけ」

「そういうわけには。最近の益海くんは変です」

「元々変ですけどね」

「よもぎさん、余計なこと言わない」

 ふぁい、とよもぎが不満そうに返事をする。その様子を見ながらますます自分の分が悪いらしいことを悟った南波は「というか」と話題をすり替えた。

「灰尾はどうした。部活来てたんだろ」

「俺が何?」

 背後から聞こえた声に驚いたように肩を跳ね上がらせてから南波は振り返りつつ後ずさった。

 そうして視界に入ってきた灰尾太李の姿に彼は顔を引きつらせた。

「いつからいた」

「よもぎちゃんの喧嘩してるくだりではもう近くにいた」

「……悪趣味だな」

 はぁ、と南波が溜め息を吐くと同時に巳令が首を傾げる。

「飲み物買えました?」

「ん。買えた買えた」

 ほら、とカバンから取り出されたコーラにあれ、とよもぎが目を丸くした。

「先輩、みれー先輩迎えに行ったとき緑茶買うって言ってませんでした?」

「え?」

 しばし、よもぎの方を見つめてから「ああ、気が変わった。部活終わったらなんか炭酸の気分になって」

「ほえー。じゃあウチのミルクチーは」

「え」

 またしても固まる彼によもぎは目をさらに大きくしてから、

「忘れたんですか!?」

「ご、ごめん」

「もう! 巳令先輩連れてくるときに買ってこないから!」

 地味に楽しみにしてたのにー、と唇を尖らせるよもぎに再度彼は「ごめんて」と両手を合わせた。

 全くと頬を膨らませるよもぎに苦笑しながら「まぁなんにせよ、参りましょう」と巳令は歩き出した。そのあとに続く彼の後ろ姿を見ながら南波はゆっくりと、わずかに首を傾げたのだった。




 休憩所のテーブルの上で丸くなっていたスペーメがぴくりと顔を上げた。チェンジャーの気配が近付いてきたからであった。それがわかるように組み込まれたおのれの機能を内心恨めしく思ったのだった。

 マリアと梨花は訓練場へ。ウルフのそれについて行ったので自分が反応した気配は残りの四人のどれかである。より集中すれば誰のものか特定することは決して困難ではないがそれをしなかったのはエネルギーの節約という言い訳を持ったただの惰性であった。

 やがて、スペーメの体が軽々と持ち上げられた。嫌に冷たい手だった。文句の一つでも言ってやろうと目を見開いてからスペーメはその小さな口を一瞬、閉ざしてしまった。


 そこにいたのは、確かに自分が知っているものの姿だった。自らの記憶媒体に強く記録されているものなのに、目の前の『それ』は記録とは一切合致しない。


 疑似的に組み込まれた感情が悲鳴を上げた。本能ともいえるそのプログラムが告げるのだ。

「お前、誰なので――んぐ!」

 問いかけを用意した口はあっさりと手で塞がれた。「あーやっぱり分かるんだーまぁ似たようなもんだし仕方ないか。俺も分かるもん」うんうん、と頷きながら目の前の『男』はスペーメの口と手足に手際よく布を巻き付けると机の上に放り出していたカバンの中へその体を放り込んだ。

「ごめんなぁ、スペーメ。余計なこと言われると困るからしばらく大人しくしててくれ」

 それだけ告げて、もぞもぞと暴れるカバンを抱えながら彼は歩き出した。

「あ、そうだ」

 思い出したかのように言葉が続く。


「俺が誰かって、見ての通りだよ。『灰尾太李』だけど?」

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