第三十七話「子供にもできることとできないことがあるようです」
その日はよく晴れていた。学校が終わり、珍しく柚樹葉や梨花を含む六人で泡夢財団の本部まで向かうその道は、太陽の光で明るく照らされている。
しかし、そのからりとした日差しを嘲笑うかのようだ。道を歩きながらよもぎは酷く顔をしかめていた。
ここ数日で随分寒くなった。晴れても晴れても全く空気は温まらない。なんだか腹が立つほどだった。ひゅるりと流れた冷たい風がよもぎの頬を撫でる。それについに耐え切れなくなったよもぎが叫ぶ。
「あああさっむいさっむいさっむいい!」
吠えるようなよもぎの叫び声に深々と溜め息を吐いたのは太李だった。
「そりゃ冬だから」
「だって先輩ムカつきません!? この間まですっごい過ごしやすい気温だったのがこんな寒くなって! 地球のバカヤローっすよ!」
「んな身勝手な」
「ぶっちゃけ春風は冬がだっい嫌いなんですよ!」
んぎゃーと叫ぶよもぎにまた太李は苦笑する。名前からして冬は嫌そうだもんね、という感想はギリギリのところで飲みこんだ。そんなことを言った日にはますます彼女を怒らせることになる。それくらいはさすがに後輩のことを分かっているつもりだった。
それゆえに、次の太李の行動もよもぎをこれ以上荒れさせたくないという気持ちから、という意味では自然なことであった。
「そりゃ名前がむぐ」
「やめよう南波、無用な争いは俺よくないと思うんだ」
目の前の益海南波の口を塞ぎながらふう、と肩を落とした。我ながらよく分かるようになってきた。なんだか太李は自分で自分を褒めたくなった。もっとも、それをするほどまだ彼は自己評価に飢えてはいなかったので特に思うこともなくそっと手を離しただけであった。さすがに太李の意思が分かったのは南波はちらりと彼を見ただけでそれ以上は何も言わなかった。
なんですか、と不思議そうによもぎが振り返るのを見ながら首に巻いた白いマフラーから少しだけ口元を覗かせた巳令が口を開く。
「なら柚樹葉にスペーメ借りるといいですよ」
「唐突に私に矛先向けるのやめてくれないかな」
顔をしかめる柚樹葉に構う様子も見せずよもぎはきらきらとした目を彼女に向けた。
期待に満ち溢れた後輩の視線に柚樹葉の心はわずかに揺れた。やがて、一つ溜め息を吐き出すと手元でぬいぐるみのフリに徹しながら抱き締められていた真っ白な毛玉を差し出した。
「はい」
「わーいゆずちゃん先輩だいすきー」
きゃっきゃっとはしゃぎながらスペーメを受け取り、よもぎはぎゅっとそれを大切そうに抱き締めた。
ロボットであるせいなのか、それとも柚樹葉がそうあるように設定したのか。理由は彼女には分からなかったがよもぎの腕を通して温かな気温がよもぎの体に流れ込む。決して全身を温めてくれるようなものではなかったが今の彼女はそれだけで充分であった。
「スペーメはカイロじゃないのです」というわずかな声を聞きながら「でも」と憂鬱そうに息を吐いたのは梨花であった。
「こんなに寒いと嫌になっちゃう気持ちもちょっとわかるかなー、って」
「さっすが我らが梨花先輩! エンジェルっすね!」
「え」
ぽふっと顔を赤くした梨花は「も、もう! よもぎさんってば調子いいんだから!」とそっぽを向いた。その様子を見ながら「なんだかんだ元通りだな」と南波が巳令に耳打ちした。
ここ数日。明らかに様子の違う彼女のことを心配していた。それが今日はいつもと同じ調子だ。それは巳令にもわかる。しかし、どうもそれが自然な変化ではなさそうだということも、さすがに分かってきたつもりだった。
「梨花先輩のことですから私たちに気を遣っている可能性はなきにもあらずと思いますが」
「そんなに器用な人か?」
「そういう人ですから」
だからこそ、巳令には梨花が少し心配だった。
とはいえ、後輩にできることは少ないのだ。諦めたように一つ息をついてから巳令は元の輪に加わった。
「心配せずとも向こうについて汗だくになれば嫌というほど温まりますよ」
「ええーそんなどこぞの筋肉ダルマみたいな」
「だーれが筋肉ダルマだ」
背後から聞こえてきた低い声に「ひぃ!」という短い悲鳴と共に肩を跳ね上がらせたよもぎは一番近くにいた太李の背後に素早く逃げ込んだ。
自分の後ろでかたかた震える後輩に苦笑してから太李は声の主に振り返ると肩をすくめた。
「どうしたんですか、鈴丸さん。外にいるの珍しいですね」
そこに立っていたのは蒲生鈴丸その人、であった。
黒いコートに身を包み、呆れたような視線をよもぎに送っていた鈴丸の足元には白いファーコートを着たウルフもいた。彼の足にぎゅっと抱き着いた彼女の頭をぽふぽふと撫でてから鈴丸は彼の問いに答えた。
「ただの買い物。これはおまけ」
がさごそとビニールのこすれる音を立てながらコンビニの袋を持ち上げながら足元のウルフを示した。彼女は両手に大切そうに握っていたチョコレート菓子の箱を目の前に突き出しながらきらきらした瞳で告げた。
「こないだいい子にしてたから買って貰ったのー! どうだうらやましいだろー!」
「わあ、よかったね」
その目の前にしゃがみ込みながら梨花はふわりと微笑んでウルフの頭をそっと撫でる。細い手に髪をすかれると目を細めながら満足げに笑う。
「ああ、そだ。梨花」
「は、はい!」
鈴丸の低い声に声をわずかに上ずらせながら頭をあげた梨花の視界に飛び込んできたのは太陽の光に当てられて黒く見える四角いものだった。慌てて顔の前で手を構えるとぽすんという音と共に小さな箱が彼女の手の中に収まった。薄いビニールに包装された箱を見てみるとチョコチップクッキーの絵の印刷された箱だった。
「……クッキー?」
「差し入れ。マリアにしごかれてお疲れだろ」
「わ、あ、ありがとうございます」
「あー!」
その箱を見たウルフが途端に声をあげた。
「ウルフちゃんもそれがよかった!」
「一個しか買いませんって言ったらそっちにしたんだろお前が」
「ぶー!」
ぷくーっと頬を膨らませるウルフに「あ、じゃあ、あとではんぶこしよ?」と首を傾げたのは梨花だった。
「いいの!?」
「う、うん。だからウルフちゃんのチョコも一口、欲しいな、って」
「いいよー!」
やったぁ、とぴょんぴょん梨花の周りを跳ね回るウルフを見て、よもぎは思わず頬の力が緩んでへにゃんと力のない笑みを浮かべた。
「やーさすが梨花先輩、えんじぇーです」
うんうん、と頷きながらスペーメの体重を片手で支えながら彼女はそっと鈴丸にもう片方の手を差し出した。
それと同時に南波も同じように手を差し出した。二つの手に、鈴丸はきょっとんとした表情を浮かべる。
「え、何その手、意味わかんないんだけど」
「またまたぁ、鈴パパはちゃんと自分らの分も差し入れ用意し」
「してないぞ」
そんなことか、と頭を抱えながら彼はきっぱりと言い放った。途端、南波は三白眼をわずかに見開いた。
「ないのか……!?」
「え、そんなにショック? んじゃちょい待ち」
ごそごそとコートのポケットを漁ってから「はい」と彼はそれぞれの手に、一本ずつ棒状のガムを置いた。瞬間、よもぎが吠えた。
「これ焼肉屋のレジに置いてある奴ー!」
「よく分かったな」
「なんて! なんて悲しい扱い! 格差!」
「いらないなら返してくれていいんだぞ」
「貰いますけどね! 益海先輩に至っては黙って受け入れてるし! いいのか! そんな安い男で!」
もしゃもしゃとすでにガムを咀嚼している南波にそう言い放ってから自分もガムの包装を剥がすとよもぎはそれを口に入れてやっと黙り込んだ。
それに対して柚樹葉が溜め息交じりに告げた。
「恐るべし守銭奴だな」
「守銭奴万歳、お金だぁいすき」
けらけら笑いながら鈴丸は実に楽しげにそんな言葉を述べた。やれやれ、とばかりに柚樹葉が首を軽く左右に振ったのはそのあとすぐだった。でも、と言葉を返したのはそんな彼女ではなく巳令だった。
「梨花先輩には甘いもの買ってくるんですね」
「あれは梨花の笑顔を買ってんの」
なんのこともなげに言い放った鈴丸はきょとんと固まる梨花を一瞥してから「俺欲しいものには金積むタイプよ意外と」ぽんっと梨花が赤くなるのを見てからまたおかしそうに鈴丸は笑い声をあげた。
「ま、一番欲しいのはお金さまだから結局大部分は静かに懐にしまってるんですけどねー」
「ブレないですね」
はは、と何気ない風に言い放たれた言葉に鈴丸は一瞬言葉を詰まらせた。それから少し間を空けて「おう」と頷いた。
「ブレないよ、俺は」
そんな言葉に梨花が違和感を覚えたのと彼のポケットに収められていた携帯電話が震えたのはほとんど同時だった。発信者をちらりと見てから肩をすくめた彼は「さ、お仕事お仕事ーいくぞークインテットー」とくるり、踵を返して歩き出した。
静かな場所であった。工場地帯の裏手にある少し広がったスペースに目的のディスペアは居た。
重く広がる雲の下で立っている人型のそれを車の助手席から見てγ型だと判断するのはマリアにとってはさほど難しいことではなかった。
「おーお待ちかねだぜ、ありゃ」
「やだねー狙い撃ちしにかかってるよなー」
アクセルを踏み込みながら鈴丸はそう答えてからハンドルに手を掛けたまま悪戯小僧のような表情を浮かべて告げる。
「いっそ跳ね飛ばしてみっか」
「γはやべーだろ、お前それ減給どころじゃなくなるぞ、無職だぞ」
「それ一番困る」
深刻そうな表情で告げれば「じゃ、いつも通り」とハンドルを素早く切った。
車のタイヤが地面を激しく擦り、摩擦音を響かせながら車体が真横に向いて停まる。瞬間、後ろの席の扉が開く。
背後が一瞬光ったのを確認してからマリアも助手席から飛び出して、鈴丸だけがまるで傍観を決め込むかのように運転席の助手席にもたれた。自分の出番なしと言いたげである。一応、とダッシュボードから拳銃を取り出した彼が最初に聞いた声は凛と澄んだ巳令の声であった。
「悲しき魂に救いを与える姫、鉢かづき!」
次いで聞こえてきたのは精一杯張り上げているのであろう梨花の声、
「悪しき心に罰を与える姫、親指!」
そこに続くのは普段は言い合って互いに飛ぶ南波とよもぎの声で、
「不幸な存在に光を与える姫、人魚」
「残酷な宿命に終わりを与える姫、いばら!」
そんな二人の声に「普段からそんな風にしていればいいものを」と思わせる間もなく響いたのが太李の声だった。
「哀れな役に幸せを与える姫、シンデレラ!」
タイミングを図っていたかのように巳令の刀が宙を切る。それを合図にしたように彼女の口が言葉を紡ぐ。
「悪夢には幸せな目覚めを」
一拍を置いて、五人の声が揃う。
「フェエーリコ・クインテット!」
いつも通りの名乗り向上に人型のそれが振り返る。黒い束帯のような衣装を着て、口元に扇子を当てるそれを視界の端にとらえながら弓に矢をつがえたよもぎがふむぅ、と声を開く。
「まためんどくさそうなのがきましたけど」
「今日は私が最後に叩きましょう」
鞘に刀を納めながら放たれた巳令の言葉に「じゃあそっちに持っていくようにする」と太李が頷いた。
そんな呟きが耳に入ったかいないかのタイミングでよもぎが引き絞っていた弦から手を離した。
衣服の重量など感じさせない飛躍。大きく飛び上がり一本の矢をかわす。宙に跳び、まるで踊るかのようにくるりと宙返りするそれを見て南波が叫ぶ。
「親指!」
「はい!」
いつでもどうぞとばかりの返事をして梨花が片膝をつき、自分の体の前に手を組んだ。同時に駆け出した太李が彼女の前で軽く跳び、そんな彼の体を押し上げるように梨花が思いっきり立ち上がり、その体を宙に送る。少し遅れて駆け出した南波は地面を思いっきり蹴りつけると立ち上がったままの梨花の手に足をかけ、一気に飛び上がった。
高低の差を生みながら上に飛び上がった二人がγ型よりわずかに高く飛び上がる。瞬間、同じように宙で一回転した二人は叩きつけるかのように足を振り下ろし、叩きつける。
「おっらぁ!」
太李のそんな声とともにγ型の体は地面に向かって降下する。太李と南波は空中で軌道を変えると近くの工場の屋根に飛び乗った。
「んにゃあ!」
そんな体を待ち構えていたのは梨花であった。大きく振りかぶられた腕を真正面から受けたγ型の体が工場の壁に叩きつけられた。
いたた、と腕をさする梨花によもぎが駆け寄る。その横で少し離れた位置で銃を撃ち続けていたマリアに巳令が叫んだ。
「マリアさん!」
そんな言葉だけで彼女は巳令の意図を理解した。片手で拳銃の引き金を引き続けたまま、もう片方の手でごそごそとポケットを漁ると目的のものを見つけて巳令めがけて放り投げる。放物線を描きながらスピードを保って飛んできた黒い箱を巳令は手の中に収めた。
箱を開け、中の指輪を確認する。ゆらりと起き上がるγ型が見えた。
――まさにそのときであった。
γ型の口元がわずかに震えたかと思えば彼女の体は何かに押し付けられるような感覚とともに自由を奪われた。
「な」
「わぷ!?」
「うおう!」
すぐ近くにいたはずの梨花とよもぎの体がさらに近づいている。それどころか、密着している。違和感を感じる腹部の方に巳令が視線を落とすと金色の輪のようなものが見えた。これに拘束されている。頭は理解しているが腕がうまく動かない。これでは刀で切ることも叶わない。
「ふぬ、ぬっ……!」
横からみちみちとした音が巳令の鼓膜に届く。視線を移動させてみると梨花が無理に外そうとしているようで顔を赤くしながら必死に腕を広げようとしている。
せめて指輪だけでも、必死に手を動かし箱を開けようとしていた巳令の視界に今度は灰色の粉末が暗い空の隙間から差し込む光を反射して映る。なに、と身構えようとしたそのときぐらり、視界が揺らぎ、そのまま三人の体が同じように倒れる。あたりを包む灰色の粉塵は増えすぎて煙のように目の前の光景を隠した。しかし、そんなことを認識する間も与えずにそれは三人の意識を奪い去る。
「鉢かづき! 親指! いばら!」
太李の声が響く。しかし返答はない。
まずい、と顔をしかめた南波は駆け出すと屋根を蹴りつけ、そこから飛び降り、γ型の目の前に降り立つと手に持っていた槍をそこに突き刺した。
が、当たったような感触は手に与えられない。目を見開けば、そこには何もいなかった。逃げられた、と舌打ち交じりに槍を引っ込めた彼の隣に太李が降り立った。
「あいつは!?」
「逃げた」
南波がそう返した刹那、空が明るく晴れ渡る。
これでは追いようもない。太李も思わず舌打ちをしてしまいながら振り返ってから言葉を失った。
「……なぁ、人魚」
「なんだ」
「捕まってたのって鉢かづきと親指といばらだよな」
「……それがどうした」
「……なんか俺が知ってる三人じゃないんだけど」
はぁ? 太李の意味不明な言葉に訝しげにしながら振り返った南波はそれからまたすっかりと黙り込んだ。
そこにいたのは神都の制服に包まれながらすやすやと眠る三人の少女だった。到底、高校生には結びつかない。見た目は皆、十歳もいかないほど、それどころか下手をすれば小学校低学年であろうか。太李の目にも、南波の目にもそのように見えていた。
思わず顔を引きつらせながら太李はマリアの方を伺う。彼女も目の前の光景に頭の処理が追いついていないようで銃を持ったまま、口を半開きにしながら固まっている。
そんな中で一番に動いたのは車の中にいた鈴丸だった。運転席から飛び出してくると手近にいた小さな一人の体をだぶだぶの制服ごと、まるで米俵でも持つかのように抱えると、いう。
「とにかくシンデレラと人魚は変身解け。んでこのチビ共一旦連れて帰るぞ」
言うが早いかさっさとその一人を車に詰め込む彼を見て、太李と南波はお互いに顔を見合わせてから変身を解き、そちらに駆け寄った。
紅茶のカップがかちゃりと音を立ててソーサーの上に置かれる。緋色の水面がゆらりと揺れた。
頭を痛そうに抱えながらベルがやっと重たい口を開く。
「じゃあなに、やっぱりあのチビちゃんたちがあの三人なの?」
「それ以外考えられないだろうね」
極めて落ち着いた声音で返したのは柚樹葉だった。彼女の視線の先にいるのはソファの上で眠る例の少女たちだった。ひとまず、とベルに真っ白なワンピースを着せられ穏やかに眠っている。
そんな非現実的なこと、そう口を開きかけたもののよくよく考えるまでもなく、すでに自分の目の前で起こっているのは科学の力という最後の抵抗を持つだけの非現実的なことであることを思い出してベルは口を閉ざした。すでに目の前で起きている現実を受け入れてその上それで報酬をもらっている身としてはとてもこのことをも否定するだけの気力も資格もなかったのだ。ベルはそう自分に言い聞かせた。
すやすやと穏やかな寝息を立てる三人を少し離れた位置から隠れて見つめるウルフを横目に「しっかしよぉ」と定位置を奪われたマリアが椅子の上で胡坐をかきながら不満げに告げる。
「本当にあいつら本人だとしてよ、どうやって元に戻すんだよ」
「そんなの私が知るわけないじゃないか」
と、すぐさま、かつ真顔で柚樹葉はきっぱりと言ってのけた。その手がスペーメの白い毛並みを撫でると同時に「そんなきっぱり返さなくても」と太李はうなだれた。
「仕方ないじゃないか、心当たりはいくつかあるにしてもそれがうまくいく確証もないしね。できることなら無用なリスクは避けたい。そうだろう?」
「そりゃそうだけど」
うーん、と太李が唸るのと同時にソファの上の毛布がもぞもぞと動く。思わずその場にいた全員が身構えるとのそりと誰かが起き上がる。
艶のある黒い髪が左右に揺れる。辺りを伺うために頭をせわしなく動かしているせいだった。小さな頭が傾げられ、顔がやっとこちらを向く。
愛らしさの中にあるどこか凛とした雰囲気に太李は一瞬で確信した。彼女が鉢峰巳令であることを。
「だ」
小さな口が、大人たちを見回してみた感想を述べる。
「だれ、です、か……」
大きく見開かれた黒い瞳を見つめながら固まる太李とは対照的にふぅ、と柚樹葉がため息をつく。
「記憶も退行しているようだね。面倒だ」
つまり彼女は自分たちを覚えていないのだ。どうしたものか、と動けずにいると椅子から鈴丸がすっと立ち上がる。
「鉢峰巳令、ちゃん、だろ?」
視線を合わせるためか、ソファの上で固まる巳令に膝立ちをしながら鈴丸が首を傾げる。
自分の名前が呼ばれたせいか、びくりと体を震わせた巳令は否定することもせず、ただ一度だけ首を縦に振った。
「お父さんとお母さんがお仕事で少しの間だけうちにいてもらうことになった」
「はぁ」
にこにこと害のなさそうな笑みを浮かべる鈴丸に戸惑ったような声を出しながらまたもう一度ぐるりと辺りを見渡してから太李のほうを見たまま「わかりました」と頷いた。
「完全に誘拐犯だぜあれ」
「マリア、しっ」
口元で指を立て咎められたマリアが肩をすくめた。
一方で巳令の方はそんな鈴丸の横を通り抜けると座ったままの太李の足にぎゅっと抱き着いた。小さな手の感触に太李の口から奇妙な声がこぼれる。
「うおう!?」
「……あなたはまだ安全そうです」
それだけ言うと巳令はぎゅーっと足を抱きしめた。
小さな巳令に危機感を覚える一方でしかしその可愛さと自分を選んでくれたという嬉しさで口角を思わず緩めながら彼はつい南波の方を見てしまう。
「そんな顔で見るな」
きっぱりそう告げてから彼はソファの方に近づくとぐうぐうとひと際気持ちよさそうに眠る黒髪の少女に近づいた。
そしてそのまま、彼女の額にぺしりと自分の指を叩き付ける。
「あう!」奇妙な声をあげながら転がり落ちた少女は額を押さえながら「な、なにすんだー!」とがばっと体を起こした。
「……春風はやっぱり春風よもぎか」
「なにいっとんじゃー! っていうか顔こわ!」
ぎゃーすと叫びながら決死に抗議をする彼女――もといよもぎの口を「うるさい」と一言言い放って塞ぐ南波。
もごもごと暴れるよもぎを見ながらなんだか嫌に冷静になってしまったベルは置いていたカップを再度持ち上げると口をつけた。
「よもぎさんって黒髪だと印象変わるのね」
「ベルガモット、ちょっとこの状況受け入れ始めてるね」
やれやれと首を左右に振ってから柚樹葉はさらに続けた。
「で、君は何してるんだい、鈴丸」
その問いに鈴丸は心底不思議そうな顔をしながら首を傾げた。
「え?」
そんな彼の膝の上にはまだ眠ったままの梨花が抱えられている。
「何その果てしない犯罪臭」
「いや、お前これ人として自然な行動だぞ」
心底大事そうに梨花を抱えながら鈴丸は至極真剣に返した。
「お前だってスペーメを抱いてるだろ、今」
「うん」
「つまりそういうこと」
「うん?」
理解できない、とばかりに顔をしかめる柚樹葉の腕に抱かれたままのスペーメは「やっぱりとんだ変態なのです」とだけ返した。
「あなたどこまで自分の欲望に忠実なのよ」
溜息交じりに呆れたようにベルが告げるのと同時に、重たそうな梨花の瞼がやっと持ち上がった。
ぱちぱちと瞬きを繰り返してからやっと視界が明るくなったのかまじまじ鈴丸の顔を見つめてからぴゃっ、と声をあげて彼女は勢いよく起き上がった。幸い、腕の力がゆるく抱きかかえられていたせいかすぐさま逃げ出せる。するりと鈴丸の腕から逃げ出した梨花はとてとてと走ってソファの裏に逃げ込んでしまった。
「……やばい、誰かあの小動物の動画撮ったか」
「馬鹿なの? ねぇ、鈴丸あなた馬鹿なの?」
どうやらウルフと鉢合わせになったらしい梨花が再びぴゃああ、と叫ぶのを聞きながらとにかく、と南波がどかりと腰を下ろした。よもぎはぜぇぜぇと肩で息をしながら南波を睨み付けていた。
「結局のところ、俺たちはどうすればいい」
その言葉は自分に向けられたものだろう。柚樹葉は少しうんざりしたようにしながら返した。
「あのディスペアを倒せば解決、する可能性は高いだろうね。ディプレション空間と同じで結局、この現象の発生源はあのディスペアだ。そこを断てば元通り、だろう」
「で、その肝心の奴さんはどこにいんだよ」
腕を組みながらマリアが首を傾げれば柚樹葉は肩を小さく竦めてから「出てきてくれない限りこちらから居場所を突き止めるのは難しいからね。あくまでディプレション空間の察知ができるのであって」
これまたさらりと返すと「少し調べ物をしてくる」とスペーメを机上に置いてから彼女は立ち上がった。その背にわずかに慌てたように南波が言葉を投げかける。
「おい、九条、逃げるのか」
「小さな子供は苦手」
後は任せるよ、とばかりには白衣を翻しあっという間にいなくなる彼女にひく、と南波の口角が引きつるのがベルにもわかった。さてどうしたものだろう、と彼女は頭を抱えた。このまま野放しにすることができない以上は自分たちで面倒を見る以外はないだろう。小さくため息をつきながらまた紅茶のカップを傾けると同時にスペーメの声が響く。
「『アレ』やるですか」
「……考えておく」
なんの話だ? 疑問に思いながら部屋を後にする柚樹葉を見送った。柚樹葉のことだ。また何か考えでもあるのだろう。なんにせよ、せめて警戒心剥き出しの三人の状態を何とかしなければ。少し思案してからああそうだ、とベルも立ち上がる。
「お菓子とってくる」
「べ、ベルさんまで……」
「大丈夫、私はドロンしたりしないから」
信じてちょうだい、と笑いながら部屋を後にする彼女を見て太李はどこか絶望的な気分になった。一時的とはいえ一番頼れそうな人がいなくなってしまった。
少し考え込んでからまず足元に抱き着いている巳令をどうにかしなければ。視線を落とすとたまたま頭を上げていたらしい彼女と目が合った。
「あー……はち、や、巳令……ちゃん?」
戸惑い気味に声をかければ彼女は「はい」としっかりした声で返してくる。慣れない呼び名、見慣れない見た目。恥ずかしさすら感じつつも太李は告げた。
「そろそろ足から離れてもらってもいっすか」
「……そうですね」
それもそうだとばかりに足から離れた巳令にほっと息をついた。
――のも束の間。なぜか巳令は今度は座っている彼の膝の上に飛び乗ると我が物顔でそこに鎮座する。これには太李も再び声を上げる。
「……あの、なにを」
「足からは離れました」
「あーうん、足からはね」
「何か?」
振り返りながら自分のことを鬱陶しそうに見つめる彼女に太李はいつぞやの彼女を思い出し、ついでに殴られた記憶まで鮮明に蘇ると何も言えなくなっていえ、と首を左右に振った。ならいい、とばかりに巳令はまた前を見つめる作業に戻っていった。何を熱心に見ているのだろう。不思議に思って上から覗き込んでみると彼女は何やら、おっかなびっくりな様子でそーっと白い毛玉に手を伸ばしている。ああ、と一瞬で目的を理解した太李は軽く巳令の体を支えながら少し身を乗り出してその『毛玉』ことスペーメに手を伸ばし、傍に引き寄せた。「ぎゃあ!」と奇妙な声がスペーメからあがる。
「なにしやがるです! なにしやがるです!」
「や、ちょっと」
「なんですか!」
「や、やっぱりぬいぐるみがしゃべってます……! さ、触ってもいいですか?」
きらきらとした瞳でスペーメと自分を見比べる巳令に太李は苦笑した。スペーメの方も事態を察したのか、
「特別に許してやるです」
スペーメはぬいぐるみじゃないですけど、と付け加えながらも大人しくまた丸くなる。
とにもかくにも、お触りの許可が出たおかげで巳令はにこにこしたままスペーメに手を伸ばす。もふ、と柔らかい白い毛が彼女の手を包み込んだ。
「ほわぁあ……」
思わず、といった風に漏れ聞こえた不思議な声に太李はこらえきれずに吹き出した。
そんな風に、まんざらでもなさそうに大人しく巳令に撫でられるスペーメを黙って見つめていたのは南波に捕まえられたままのよもぎだった。片腕で面倒くさそうに服の裾を捕まれていた彼女はその様子を黙って見つめている。
「触りたいならお前も触ればいいだろ」
気付いた南波がそんな風に声をかけたのはすぐだった。
びくっと体を跳ね上がらせたよもぎはぶんぶん首を左右に振りかぶる。
「よ、よもぎは別にいいし……」
「無意味な反抗やめろ」
お前は小さくなってもそれなのか。
まったく、と頬杖をつくと「おいスペーメ」とぶっきらぼうな声をかけ、南波は机の端をこんこんと叩いた。
それに小さな体ごと振り返ったスペーメは顔を歪めた。
「呼ぶならちゃんと呼びやがれです」
「来るのか来ないのかどっちだ」
「行かなきゃ人魚はうるさいのでいくですよ」
まったくです、とするりと巳令の手をすり抜けて南波の前へやってくるスペーメ。その小さなアンゴラウサギ(型ロボット)を見てよもぎの顔が一層の期待と不安で彩られた。
あー、と行ってしまったスペーメを残念そうに見送る巳令を横目に「ほら」と面倒くさそうに南波が目の前を指さした。
「来たぞ、好きなだけ触れ」
「か、噛まない?」
「噛まない噛まない」
いいから触れよとばかりの適当な返事だったもののそれでもよもぎには安心材料になったようで恐る恐る、掴まれていないほうの手を伸ばす。ぽふ、と白い毛並みに手が飲み込まれ、ぱぁっと彼女の顔が華やいだ。それを見て、南波はやっと手を放した。するとよもぎはスペーメに触れたまま南波を見つめ、ぽつんとこぼす。
「顔は怖いけどいい人なんだね」
「余計なお世話だ」
真顔で返す南波にへへ、と笑いながらスペーメを触り続けるよもぎ。
なんだかそれが面白くなくて先ほどまで梨花と対峙していたウルフはソファにひとまず腰を下ろしていたマリアに、ぱたぱたと駆け寄ると「なんかウルフちゃんさみしーんですけど! かまってもらいたいんですけど!」とまくしたてながら膝の上に飛び乗った。
「今日は我慢しろよ」
「ウルフちゃんが一番下だったのにこれじゃ下じゃなくなっちゃうんですけど! おかしい!」
「そだなー」
「真面目に聞いてほしーんですけど!」
「ごめんなー」
はいはい、と手慣れた様子でウルフを膝の乗せたまま左右に体を大きく揺らしてあやすようにマリアは言葉を返す。
ぶう、とすっかり頬を膨らませて不機嫌モードの彼女に「まぁほらあれだ、お前お姉さんだって威張れると思えよ」はっとしたようにウルフがマリアを見返した。
と、まさにそのとき、宣言通り、大皿を抱えながらベルがその場に戻ってきた。
「おお、ほんとに子猫ちゃんになってるな!」
部屋に入るなり顔を輝かせるミハエルと共にである。瞬間、それぞれから実に嫌そうな声が上がった。
「うっわ、ミハエルさん……」「げ、おっさん……」「くそ親父が」
「おい太李、南波お前らその反応はないだろう。鈴丸、お前に至っては論外だぞ、俺お前の上司だぞ」
俺まだ何もしてない、と両手を上げるミハエルは「心配しなくても幼気なキティに手を出すほど落ちぶれちゃいない。ノータッチだ」
「だそうよ」
私だって連れてきたくなかったとばかりのベルが机に皿を置いた途端、わあ、と巳令とよもぎの両方から楽しげな声が上がった。
皿に並べられていたのは動物の形に型がとられたクッキーだった。きゃーきゃーと二人から声が上がる。
「わ、わたしあれがいいです! キリン! キリン!」
「ああ、はいはい、キリンね」
「よもぎはあれ! あれ! ねこ! ねこさん!」
「……これ?」
「それ!」
太李と南波のそれぞれが注文通りにクッキーをとって手渡してやる。その騒ぎにウルフも「マリアー! しゅっぱーつ! クッキー!」「だからあたしはお前の馬じゃねぇって」
その様子を見ながら鈴丸が感心したように言う。
「よくあったな、こんなの」
「女子受けいいかと思って。まさかこんな形で出すことになるとは思わなかったけど」
苦笑しながら返してくるベルにふぅん、と言いながらそのうち二枚を手に取ると「もらってくぞ」とだけ言って彼は休憩所の隅のほうへと近づいた。
そこには今の状況は気にはなる。ものの近付く勇気がないらしい梨花がちらちらとこちらを伺っていた。自分に近づいているらしい大人の気配に気づいた彼女はびくっと震えてからじっと鈴丸を見つめた。それを見て、自分は子供受けがいい見た目では心底ないらしいと自覚しながら鈴丸はなるべく彼女との距離を詰めるべくその場にしゃがみ込むと「はい」と犬の形のクッキーを差し出した。
「向こうにまだあるけど。あ、一応今うさぎもあるけど。食べたいだろ? どっちがいい?」
「……い、いいの?」
「ん」
恐る恐る尋ねてくる梨花にこくんと頷いて返す。彼女は鈴丸とクッキーとの間で視線を行き来させてから困ったように眉を下げ、しばし考え込んでから「うさぎさん」とだけ答えた。それからやっと小さな手を伸ばす。その小さな手にうさぎのクッキーを握らせてやると彼女の隣に移動して腰を下ろす。梨花はクッキーに夢中で逃げ出そうとはしなかった。
「かわいいからたべるの勿体ない。でも食べたい」
ぽつんとこぼす彼女の横顔は心の底から悩んでいるようで、深刻そうなものだった。思わず吹き出した鈴丸はぽんぽんと彼女の頭を撫でた。
「梨花はほんと、かわいいなぁ」
その言葉にびっくりしたように目を見開いた梨花はまじまじと鈴丸を見つめた。
「う、嘘」
またそれですか、と軽く笑いながら鈴丸は首を左右に振る。
「嘘じゃない」
「……だっておかあさんは私のこと可愛くないって」
今度驚かされたのは鈴丸のほうだった。目を見開き、頭の中の記憶を辿る。確か、梨花の母親は。
「お前のお母さん、五歳くらいのときに」
クインテットになるにあたって。五人の資料を読まされたことがある。家庭環境、今までの素行、今の状況。そこに載っていた梨花の経歴はお世辞にも穏やかなものではなかったことを鈴丸はよく覚えている。それゆえに、自分と重なって見えたことも他より可愛がったこともある。
そしてその資料には、五歳で母親と死別して今では父親と二人暮らしであること。父親は仕事が忙しくてなかなか帰ってこないこと。梨花がいつも一人ぼっちで家にいること。それが書いてあったはずなのだ。
うっかり尋ねてしまったことを鈴丸はすぐさま後悔した。触れてはいけないことだったのかもしれない。
ところがその後悔と反して、梨花は、実にあっさりと喋り始めた。
「あ、あの、おかあさんだけどおかあさんじゃないっていうか、こないだまでうちにきてた人で、でも新しいお母さんで、と思ってたけどおとうさんにきいたらちがくて」
彼女の声に時折嗚咽が混じる。ああ、そうか。父親の元恋人かその座を狙っている女といったところか。しかもとんでもないクソアマだ。恐らく今では切れてる。大方を察し、鈴丸がそっとその体を抱きしめてみると彼女ははっとしたように取り繕った。
「あ、あの! でも! と、とってもいい人で、その、こわくないし、わたしのこと、ほめてくれるし、おとーさんは好きみたいだし」
「そう言えって言われた?」
そっと耳元で尋ねると梨花は少し固まってから、やがて小さく頷いた。
鈴丸からすれば異常なまでに梨花の自己評価が低い理由が彼の中でやっと判明した。
一体どれほど、彼女は否定され続けたのだろうか。きっと褒められるのを遥かに超える量、理不尽な否定を受けたのだろう。そして幼い彼女はそれが自分だと飲み下してしまったに違いない。素直だから。今更怒りを覚えたところで仕方ない。そう思いながら「梨花はいい子だよ」と小さく告げる。また彼女が首を激しく振る。
「でもおかあ」
「俺が思ったんだよ。お前はいい子で、可愛くて、優しくて」
だから。言いかけてからその言葉を飲み込んでよしっと、彼は一つ頷いた。ここでこれ以上、何かを言ってやったところで梨花の過去は変わらない。涙で濡れる彼女の瞳を袖で拭ってやってから「今日は誰にも気を使わなくていいから。なんか他に食いたいもんあったら言ってみ?」うーんと梨花は考え込んでからはっとしたように顔を上げると「あの」と言い辛そうに口を開いた。
「クッキー……」
「ん? 他の形がいい?」
「ううん」
首を左右に振ってから「チョコのやつ、たべたい」
よし、と心当たりを思い出した鈴丸は梨花を抱きかかえるとソファの付近で綺麗に並べられたカバンのうち一つの前に立った。
「梨花、カバン開けていい?」
「う、うん?」
「かわいいお返事ありがとう」
よくわからないと言いたげな梨花の返事に一つ頷いてからファスナーを開けて中身を確認する。
綺麗に整頓されたカバンの中には自分の手から渡したそれはない。そっとカバンをしめ、心当たりを頭の中で探してから一番可能性が高いのは先ほど移動に使った車両だと結論付ける。梨花を地面に下ろしてやるとふぅ、と息を吐いてから鈴丸が告げる。
「車の中っぽいからちょっととってくる」
いい子で待ってろよ、と続けてからそっと鈴丸の手が梨花の頭を撫でてやる。彼女は気持ちよさそうに目を細めてから自分には留守番が言い渡されていることに気付いてじーっと彼を見つめた。
その視線に鈴丸は顔を引きつらせる。一緒に行きたいと言い出さない辺り、下手をすれば今の梨花よりも気弱なのかもしれない。小さく苦笑するとまた身をかがめて、視線を合わせる。
「なんだよ、どうした?」
鈴丸の大きな手が梨花の頬を撫でる。ふわ、と小さな声を出しながら頬を撫でられる梨花は何もないとばかりに慌てた様子で首を左右に振った。うーん、と小さく唸ってから再び小さな体を抱き上げて立ち上がる。
「あわ」
「一緒に行こうか、梨花」
そんな提案に梨花はきょとんとした表情を浮かべてからぱぁっと顔を輝かせる。
「いいの?」
「一人はつまんないしなー、鈴丸さんも一人嫌い」
にっと笑って見せてから「その代わり」と笑顔を崩さぬままで続ける。
「車行くまでに俺ちょっと寄り道するけどそのこと誰にも言っちゃ駄目だぞ。俺と梨花の秘密」
「秘密?」
「そ、二人だけの秘密」
口元に指を当て、悪戯っぽく笑う鈴丸になんだか嬉しくなった梨花は頷いた。
某所の喫茶店、その窓際の席に三段重ねのパンケーキを挟んで座っていたのは二人の女だった。
片方は灰色のスーツに身を包み、首元に赤色のスカーフを巻いた女だった。目の前のパンケーキには目もくれず、手元の写真を夢中で見つめている。その対面に腰掛けるもう片方の女はラベンダー色のブレザーという珍しい制服姿の女子高生風の女だった。彼女は手元のナイフで三段重ねのパンケーキの一番の上のものを半分ほどに切ると自分の皿に乗せる。
それから小さく小分けにされたバターをその上にのせ、近くに置かれていた小さな壷から照明を反射して黄金色に輝くメイプルシロップをたらりとかける。そこまでを終えると再び手に持つものをナイフとフォークに変えると今度は一口大にカットして口に運ぶ。甘い、と彼女が感動もなく呟いたのと目の前の女が頭をあげたのはほとんど同時だった。
「なんなのこの可愛い生き物は! ああ! だから私があのγは使いたかったのに! 悔しい! でも可愛い! 好き!」
「変態うるさいな、渡すんじゃなかった」
勢いよく机に頭を叩き付ける相手から目の前のパンケーキを引き寄せてから彼女の手からするりと写真を抜き取った。
そこに写っていたのはだぼだぼの服に包まれて倒れている小さな子供――退行して小さくなった巳令が写っている。
「でもほんと、こまめに動かさないと完全停止するってところがγの面倒くさいところだよね」
女子高生の方はふぅ、と息を吐けば写真を脇に寄せ、再びパンケーキを口に運ぶ。頭を上げて、その光景をちらりと見ると女の方もようやくパンケーキにナイフを入れる。
「それはそうと、あっちはどうなってるの?」
女のその言葉だけでなんのことか把握したらしい女子高生が肩をすくめる。
「今のところ割と従順。まぁ、相当積んだし」
「信用できそうで一番使いづらいコマでしょう、あれ」
「だから面白いんでしょう?」
くすくすと笑う女子高生に「あなたも負けず劣らず変態だと思うけれど」と女は笑った。それに勘弁してくれとばかりに顔をゆがめてからでも、と女子高生が続ける。
「ああいう奴は結構好きだよ。自分を裏切らない臆病者に無理矢理言うこと聞かせるのが楽しくて」
「やーい変態」
「あんたが言うな」
むすっと不満げに告げれば「やーちょーちゃんこわぁい」とからかうように告げてから女が立ち上がる。
「じゃああとは私がやるから。何を言われようとも。私がやるから」
「勝手にどぞー」
ひらひらと手を振って見送られ、手を振り返しながら彼女は入口の扉を開け、店から姿を消した。
まるまる二枚残されたパンケーキに取り残された彼女は視線をやってから食べきれるだろうかと首を傾げているとまたカウベルが鳴り響く。その音に振り向いてから彼女は嬉しそうに笑った。
ウルフがソファの上に陣取って、仁王立ちをしながらいつの間にか仲良くなったらしい三人に何やら話しているのを聞きながらしかし、と太李は肩をがっくりと落とした。
「……可愛いんだけど疲れた」
ほんの一時間弱の間だが子供特有の無限ではないだろうかと錯覚するほどの体力に振り回されて、すっかり彼は疲れ切っていた。ウルフ一人なら可愛いものだがそれがさらに三人に増えると蓄積される疲労も必然的に増える。子供が好き、という感情と体力が持つかどうかは別問題であるということを痛いほど感じさせられた。
「あれを可愛いと思うとはお前もいよいよあれだな」
「おい南波なんで距離とる」
そういうんじゃない、と頭を抱えてからでも、と太李は憂鬱そうに告げる。
「マジで早く元に戻さないと色々不便ですよね」
「小さい梨花も可愛いっちゃ可愛いんだけどなぁ」
はぁ、と溜息交じりに椅子に腰を下ろす鈴丸にマリアがけっと吐き捨てる。
「男が二人もポンコツなんてやってらんねぇな」
「え、待ってマリアさん俺鈴丸さんの仲間なんですか」
やめて、とばかりに太李は立ち上がり異議を唱える。が、特にそれを受け入れることもなかったらしく南波は何も言わずに頬杖をついた。
彼を見ながら鈴丸は心底真剣な表情で告げる。
「いっそこっち側に来たほうが楽だぞ」
「どっち側ですか! 嫌だ! いや、別にどんな鉢峰でも好きだけどなんか鈴丸さんと一緒って嫌だ!」
「はいはいご馳走様ご馳走様」
余計なことをいうんじゃなかった、とばかりに鈴丸はひらひら手を振った。自分の文句を聞く気など彼には微塵にもないらしい、と太李はすぐさま察した。代わりのように、こう告げる。
「でも、なんというか、小さくなっても変わらないですよね、三人とも」
「……確かに。春風は春風のままだしな」
ぼそっと同意を示す南波にだろ、と太李が嬉しそうに告げる。なんだかそれが無性に気に入らなくていつもよもぎにするように手刀の形にした手を一気に彼に振り下ろした。
「いっでぇ! なんで!? なんなの!?」
「なんかムカついた」
「理不尽すぎないかお前!」
ぎゃーっと叫びながら後ずさる太李に珍しく笑みを浮かべた南波は、
「安心しろ、お前は男だから威力三割増しだ。全力だ」
「どこに安心しろって!?」
歩み寄れたと思ったらこの状態なのだからどうしたらいいんだ、と彼は頭を抱えた。それからふと、あることに気が付いて
「あれ、ってことはやっぱよもぎちゃんには手加減してるのな、お前」
何気ない風に放たれた太李の素朴な疑問にあほか、と南波は再度手刀を振り下ろす。もろに食らって身悶える彼を放って溜息をついてから頬杖をついた。そこでちらりと視界に入ったものにわずかに目を見開いた。
「何してるんだ、あんたは」
目の前に座る鈴丸は、なぜか膝の上によもぎを乗せながら彼女の髪に櫛を入れている最中だった。いや、と困ったように鈴丸が笑う。
「なんかお前らがやりあってる間に二つ結びにしろとご命令が」
「きれいに!」
「はいはい、分かったから頭振らないの」
がしっとよもぎの頭を捕まえてからまた櫛を髪に通す。落ち着かないのかそわそわしながら髪を結われるよもぎの様子を見て羨ましくなったのかぱたぱたと鈴丸のところに駆け寄ったのはウルフだった。
「すずー、あちしもー。あちしもやってー」
「えー、いつもいらないっていうじゃんお前」
「今日はやるのー!」
やってよー、と地団太を踏む彼女に小さく溜息をつくとよもぎの髪から手を離さないままで「マリアにやってもらいなさい」
「むぅ……」
ちらりとマリアを見てから「やだよ! マリアぶきよーだもん!」
「おうこら」
「マリアにやってもらうくらいならみなみにたのむー!」
「俺パス」
「じゃあはいおでいいや!」
「なにその妥協!」
しかし、どうやらウルフの耳にはそんな言葉は届いていないようでぱたぱたと駆け寄るとそのまま彼の膝の上に我が物顔で座り、わくわくした目で彼を見つめる。なんだかそうなると、断るのも可哀想な気がして太李は一つ息を吐いてから大人しく彼女の小さな手から櫛を受け取った。
「なにがいい?」
「なんでもいい!」
「えー……」
それは困るんだけど、と思いつつなら適当に前髪でも結い上げてやると手を動かした。
一方で、すでによもぎの髪を結び終えた鈴丸は彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
「はいできた」
「可愛い?」
「可愛い可愛い」
重いから下りてなー、とよもぎの両脇に手を入れ自分の膝からおろしてやると彼女はばたばたと南波の方に駆けていった。その後ろ姿を見送ってからふと視線を感じてそちらに目を向ける。空席状態の椅子の陰に隠れてじーっと梨花が鈴丸を見つめている。
「どした梨花」
「な、なんでも」
ふるふると首を振る彼女から出る声音はどこか不満げである。首を傾げたまま、不思議そうな声を上げる。
「なんだよ」
「な、なんでもないのー!」
うーっと唸りながら彼の足元に駆け寄った梨花は「わ、私も」とまた彼を見つめる。私も? 少し考え込んでからはっとして鈴丸は声を上げる。
「髪の毛?」
こくこくと頷く彼女を鈴丸は勢いよく抱き上げた。
「わぷ」
「ヤキモチかよ可愛いなこんにゃろう」
自分の膝に座らせてぎゅーっと抱きしめながら鈴丸は心底楽しげに告げた。
「わ、わ、くるしい……」
「三つ編みにしていい?」
「……うん!」
嬉しそうに顔を輝かせる梨花を撫でる鈴丸は「大きい梨花はこんな素直に妬いてくれないからなぁ」とぼそりとこぼしつつ髪を梳き始めた。それを見て、黙って光景を眺めていたミハエルを見てからマリアは「こういうとこはおっさんと鈴すっげぇ似てると思う」とだけ呟いたのだった。
それを見ながらやっとの思いでウルフの前髪を軽く結びあげた太李は「これでいい?」と首を傾げた。ウルフはぺたぺたと結ばれた髪に触ってから満足げに、
「やればできるじゃんはいお!」
「おう生意気だなお前」
「ありがとねー!」
えへへ、と年相応の笑みを浮かべ、自分の膝から飛び降りるウルフを見て、太李は悪い気はしなかった。
そういえば鉢峰は。辺りを見渡していた彼の足元に何かがぼふんとぶつかった。思わず驚いてびくっと体を揺らしてから視線を落とすと巳令が凭れ掛かるように彼の足に抱き着いていた。
「……なにしてんの」
「たいくつです。抱きあげてください」
「なんか態度でかくなったな、お前」
とはいえ断るのも面倒で太李はまたその体を抱き上げた。
膝にのせてやれば満足そうに足をぷらぷらと揺らす。うーむ、と唸りながらも大人しくしていると首を少し傾げてから巳令がぴょいと飛び降りた。おおう、と奇妙な声を出しながら動揺したような声音で彼は問いかけた。
「ど、どうしましたか」
「やっぱりやめました」
「そんな気まぐれな」
にっこり笑って悪気もなさそうにまたソファの方へかけていく巳令を見て思わず呟く太李。そんな呟きをかき消すかのようにサイレンの音がけたたましく鳴り響いた。驚いたように肩を跳ね上げる三人を見て、太李は小さく息を吐いてから膝の上の巳令を下ろした。
「ごめんな、ちょっと留守番できるか?」
「おるすばん、ですか?」
「すぐ戻るから」
「何をしにいくんですか?」
巳令の純粋な問いかけに太李はうーん、と少し考え込んでから答えた。
「ちょっとヒーローしに」
不思議そうな顔のままの巳令を軽く撫でてから立ち上がった太李は「南波」
同じように自分からよもぎを引き剥がした南波が低く告げる。
「いくらお前でも分かってると思うが」
「罠かもしれない、ってことだろ」
五人から二人に減ったクインテットはかなり戦力が落ちている。そこを叩くために、わざとディスペアを連れて来た可能性は十分にある。いや、むしろその可能性の方が高いだろうと太李は思う。
それでも、と三人を見渡してから彼は言う。
「行くしかないんだ。変身できるのが俺ら二人だけでも」
「トレイターがいたら?」
「気合で叩く?」
悩ましそうに返す彼に南波は冷たく返した。
「馬鹿か」
「これは正直反論できない」
「でも」
項垂れる太李を見ながら口元にわずかな笑みを浮かべると南波は言う。
「そういうのも嫌いじゃない」
そんな言葉に一瞬、きょとんとしてからぷっと太李は吹き出した。
「南波のそういうとこ、俺も嫌いじゃないよ」
「ただしデュエットは絶対やらない」
「……心配すんな、求めてないから」
はぁ、と小さく溜め息を吐きながら返す。その様子を見ながら「心配すんなって!」とマリアが二人の肩に手を掛けた。
「あたしと鈴だっているんだぜ? 援護は任せろ」
な? と同意を求められ、鈴丸はおう、と頷いた。膝にいた梨花を下ろしてから「車の鍵とってくる」と一足先に部屋を出る。それを見送ってからミハエルは両手を広げ、柔らかい声で告げる。
「さあ、ガールズ。こっちでおじさんと遊んで待ってよう」
「でも……」
「大丈夫、連中はすぐ戻る」
こういうときばかりはミハエルが頼もしく見える。困ったように視線を移動させる三人を必死に宥める彼に軽く頭を下げてから太李たちも部屋を出る。
「いってらっしゃーい!」
自分も見送らなければ、そう思ったらしいウルフが両手を振って三人を見送った。彼女にとってはいつものことだ。常に留守番を強いられる。仕方ないと分かっていても寂しく思う。やっぱり自分は彼らとは違うのだ。そう思う。無論、その扱いが不当とは思っていない。だからこそ、文句は言わない。心のどこかで、嫌われているのは分かっている。自分は悪役だったのだ。間違っていたのだ。
自分たちも三人と一緒に遊んでいよう。そう思ってミハエルの方を向いたそのときだった。
「ウルフ」
低めの声が自分のことを呼ぶ。振り返るとそこには先ほどまでいなかった柚樹葉がいた。
「柚樹葉?」
「ちょっと来て」
「へ?」
ぐいっと自分の腕を掴んで突然歩き出す彼女におろおろと視線を泳がせた。そんなウルフに、柚樹葉は告げた。
「君にチャンスをあげよう」
海風にマントをなびかせて、シンデレラに変身を終えた太李が立っていたのは人も少ない港だった。
目の前にいるのは例の着物姿のγ型――そして、その横には鞭を片手に微笑むトレイター、黒猫の姿がある。やっぱり、と太李は息を吐き出した。
「まさか本当にくるだなんて!」
愉快だとばかりに黒猫が告げる。南波が手の中のをくるくると回し、構え直したタイミングで「悪いけど!」と太李が叫ぶ。
「そこのγ型を倒してうちの三人は元に戻させてもらう。子守って案外きついんだよ!」
「ンフ」
太李の言葉に特徴的な笑い声をあげてから彼女は鞭を地面に叩き付けた。
それが合図かのように、南波が地面を蹴りつけた。ドレスから伸びる白い足で一瞬にして黒猫との距離を詰めた彼は低く構えていた三叉槍を振り上げた。黒猫はそれを後ろへ一回転してかわすと鞭を振るう。柄を握った腕が鞭に絡め取られる。そのまま一気に黒猫は鞭を引き、彼の体を自分の方へ引き寄せると足を振り上げ、蹴りを一発。顔を歪めながらなんとか鞭を振りほどいた南波が後退するのと同時に今度は太李がレイピアを突き出した。わずかに身をよじり、それをかわしてから黒猫はまた鞭を振るった。まるで自らの意思を持っているかのように伸びた鞭は彼がレイピアを握る手を叩く。耐え切れず、太李の手から得物が落ちた。
顔をしかめる彼との距離を詰めると黒猫が足を回して蹴り込む。寸前で気付いた彼が体の前で腕を構えてそれを受け止めた。ほんの少し、体を後ろに下げたもののすぐにバランスを取り戻せばその足を押し返し、握り拳を作れば姿勢を低くして叩き込む。
が、黒猫はその拳を片手で受け止めると軽く横に流す。バランスを崩す彼に蹴りを回し入れた。
地面に倒れ込むその体に近付こうとすれば彼女の顔のすぐ前を鉛玉が通り抜けて行く。自分に銃口を向けている傭兵のことを忘れていた。面倒そうに指を唇の辺りに運ぶとそのままぴーっと鳴らす。薄暗い空の彼方からわっと黒い集団が押し寄せた。
これでしばらくは大人しいだろう。ちらりとそちらを一瞥してからまた視線を元に戻す。前方では再び槍を構え直した南波が自分の方に向かってきていた。まだまだ。そう笑いながら横にステップを踏むとぐっと握った拳を叩き上げる。まともに喰らった南波が顔を歪める。そのままその体を蹴り飛ばし、姿勢を取り戻し、γ型と応戦していた太李と衝突させる。揃って地面に倒れ込んだ二人の回りに金色の粉末が現れたかと思えば一瞬で輪の姿に変わるとその体を拘束する。見覚えがある。まずい、と二人は顔を見合わせた。間違いない。巳令たちが拘束されたのと同じものだ。
「全員子供にしてからさらってしまうのもありよね」
がちゃがちゃと腕を動かして抵抗を試みる二人に黒猫は近付き、不敵な笑みを浮かべ、太李の顎を撫でる。
「そうしたらみんな、私が可愛がってあげてもいいわよ。たっぷり怖い目にあわせてあげる」
一番はあの子だけど、そう続けてから地面を蹴り上げて黒猫はその場から離れる。まずい、いよいよまずい。太李の脳裏を焦りが支配する。しかし、それを嘲笑うかのように輪はさらにきつく締まる。どうすれば、と口に出そうとしたまさにそのときだった。
「おりゃああ!」
かしゃん。そんな音と共に二人の体を押さえ付けていた輪が亀裂が入り、そのまま二つに分かれた。同時に二人は左右に転がり込んだ。
誰も居なくなったそこに粉塵だけが降り続く。それが晴れ、やがて見えた姿に二人は目を見開いた。否、二人だけではない。黒猫もまた、驚きで固まった。
「……あらまぁ。まさかこんな形であなたに会うだなんて」
面白い、とばかりに歪な笑みを浮かべて黒猫が告げる。
「うわばみがさぞや驚きそうだわね、ウルフ」
煙が晴れた向こう側に立っていたのは年端もいかない小さな少女――ウルフだった。
しかしその姿は以前のパーカーに身を包んだ少女ではない。
左右に大きく広がった黒いスカートのワンピースに赤いフードのついたポンチョを首元で黒い宝石のついたブローチで止めている。フードに包まれた金色の髪がちらりと見える。
小さな足は白いニーハイソックスと赤色のパンプスに包まれていて、そこだけ見れば愛らしいもののその手には銀色の鉤爪が妖しく光っている。
「く、九条さん!? あれどういうこと!?」
この場に居ない柚樹葉に太李が呼びかけると、すぐさま溜め息交じりに柚樹葉の声が返ってくる。
『見たままだけど? わざわざ説明が必要? 赤ずきんだよ。ミハエルがバイクで運んだ』
「俺たちは何故あいつが変身してるのかと聞いているんだが。トレイターではないようだが」
『私が六個目のチェンジャーを渡したから。いや、ある意味一つ目と呼ぶのが相応しいかな?』
六個目? 太李と南波が顔を見合わせればウルフがすかさず答えた。
「ウルフちゃんのチェンジャーはクインテットチェンジャーのしさくひん? じっけんよー? なのです! それを柚樹葉があちし用にかいぞーしてくれたのです!」
『よく言えました』
ぱちぱちと疎らに拍手を送ってから柚樹葉が付け加える。
『ゆえに彼女のチェンジャーは君らのものと違って強化変身もできないし私の許可がなければ変身することも叶わない。だが留守番させておくには彼女の戦力はあまりにも惜しいからいじってみた』
「いじってみたって……」
呆れ顔の太李にウルフは一瞬不安になった。自分が出てきたことはやはり迷惑なのだろうか。
けれど、その不安はすぐに解消される。
「あのな、ウルフはまだ小さいんだし」
その言葉に慌てて彼女は返した。
「だいじょーぶだよ、は……シンデレラ!」
なぜなら、とウルフは胸を張った。
「あちしは強いからだいじょーぶなのです!」
「どっから来るんだその自信」
「それに」
自分の鉤爪を見つめながらウルフは掻き消えそうな声で告げた。
「あちし、悪い子だから。れーこのためにも、あちしのためにも、間違ってることやめてさせて、いい子になるためにいいことしなきゃ」
彼女なりの贖罪なのだろう。ぐっと太李は言葉を詰まらせた。それからがしがしと頭を掻いてから「γは俺がやるから、足止め、できる?」と懐から指輪の箱を取り出しながら告げる。ぱぁっと彼女の顔が輝いた。
「じゃあ……!」
「ぼさっとするな」
ぽん、と南波がウルフの背中を叩いて告げる。
「行くぞ、赤ずきん」
ウルフは大きく頷いてから爪を構えて黒猫と向き合った。
ちっと黒猫が舌打ちして、南波が地面を蹴り上げた瞬間、太李は指輪をはめ「頼む九条さん!」と叫んだ。途端、淡い光に包まれてから太李は白いドレスに身を包んでいた。
剣を構え、駆け出した。γ型が慌てたように手を振り、また黄金の光の粒が彼の視界に入る。
が、それは一瞬のことだった。あっという間に敵の目の前に移動した彼は剣を一気に振り上げる。もろに食らって後退するその腕を掴まえると勢いよく引き寄せると相手の頭に自分の頭を叩き付けた。ぐらり、とγ型の体がバランスを崩す。それを見て、握られた扇子に向かって剣を振る。
一閃。軌道上にあった扇子は空中で二つに切れた。途端にγ型は力をなくし、その身にまとうものを着物から洋服に変化させながらそのまま前に倒れ込んだ。その体を慌てて太李が抱きかかえる。
ウルフの爪を鞭で受け止めていた黒猫がその光景に顔をしかめる。
小さく舌打ちするとウルフの体を蹴り飛ばし、地面を蹴り上げるとそのままどこかへ消えて行った。
空が晴れる。バイクに背を預けていたミハエルがほう、とこぼす。
「映像で見るよりずっと晴れ晴れしいな」
「いいから手伝えよお前はさ……!」
最後の一匹を撃ち落とし、苦々しげに告げる鈴丸にミハエルは涼しく答えた。
「何言ってる、それはお前らの仕事だろ。俺はキュートな柚樹葉の頼みを聞いただけだ」
「クソ親父が……」
はぁ、と溜め息を吐いてから銃をしまう彼を見てからマリアははっとしたように顔を上げ、告げる。
「ベル! 鉢峰たちどうなった!?」
『大丈夫』
その声にすぐさま通信機越しにベルの声が答えた。
『ちゃーんと元通りよ』
それを通信機から漏れ聞き、変身を解いた三人は思わずハイタッチをかわしたのだった。
元の高校生の姿に戻った三人は揃って真っ青な顔で南波のスマホに目をやっている。
そこにあったのはいつの間に撮影していたのか、小さな三人が縦横無尽に遊びまわる映像だった。
元の姿に戻った三人には小さなっていた時の記憶はないらしく、全く覚えのない映像にひたすら青くなっていた。
「な、なんですか、これは……」
震える声のよもぎにきっぱり返す。
「お前らだ」
「嘘だー!」
うわーん! と机に勢いよく突っ伏したよもぎは「なんでだよ! なんで益海先輩のとこばっか行ってんだよ! 小さい春風馬鹿かよ!」と叫んでいた。そりゃこっちの台詞だ、とはさすがに南波は言わなかった。
一方、巳令の方は太李の前で膝を折り、突然正座する。慌てたような声を太李が発する。
「鉢峰さん!?」
「いくら記憶がなかったとはいえ灰尾にあのような態度をとり、申し訳なさで潰れてしまいそうです……迷惑をかけてしまいました……」
「い、いや、そんな謝ることじゃ」
「いえ! 謝罪をさせてくれなければ私が困ります! それとも私には謝罪をする権利もないのでしょうか!?」
「や、そういうわけじゃなくて。仲間なんてそういうもんだし、それに、ほんと、あの」
慌てたように巳令に近付いてから太李は首を左右に振る。
「……小さい鉢峰は可愛かったから俺も役得だったっつーか」
むしろ自分が申し訳なさそうに告げる太李にぼふんと巳令の顔が赤くなる。
その様子を見ながら「ご、ごちそうさまです」と梨花が小さく告げた。それから辺りを見渡して「あれ」とこぼした。
「鈴丸さんは……?」
「あら、ほんとだいない」
その言葉に自分の倣って辺りを見渡したベルが告げれば「蒲生ならさっきバルコニーに行くって言って出てったですよ」とスペーメが告げる。
それを聞いて「ありがと、スペーメ」と微笑むと彼女の足は自然とそちらに向いていた。背後の方から「それよりも、ウルフが変身するとなったからにはやはり口上を考えなければ」「嫌だー! やめてー!」という巳令とウルフの会話を聞き流しながらである。
休憩所を出て、廊下に出てから階段を少し上れば目的の場所はすぐだった。広間のような空間を抜け、大きなガラス製の扉から外に出れば鈴丸が手すりに前のめりに体を預けているのが見えた。その瞳がどこか気だるげに遠くを見つめているような気がして、梨花はなんだか怖くなって声をかけた。
「す、鈴丸さん?」
梨花の声ではっとしたようにそちらに向くと手をまだ手すりの外に放ったまま、鈴丸が笑みを浮かべた。
「おう、梨花。どうした?」
「あ、その」
少し考え込んでから「ま、益海くんがあたしたちの小さくなった時の映像撮っててなんか恥ずかしくなっちゃって」ほんのちょっとだけ嘘だけど、と思いながらじっと梨花は彼を見つめた。鈴丸はそれを聞いて「マジか」と至極真剣な顔で、
「あとで送って貰お。梨花のとこだけ」
「や、やめてください!」
わあ、と慌てたように一歩近づくと「あ、待った! 梨花ストップ!」ぴたっと梨花の足が止まる。それから、どうして、とばかりに鈴丸を見上げれば彼は気まずそうに視線を逸らしてからポケットから何かを取り出した。
「俺は今ヤニ吸っててだな……お前に匂い移ったら困るだろ」
だから一人で吸ってたのに、と続けながら彼は持ったままの煙草をポケットから取り出した携帯灰皿に押し付け消すとこれでよし、と頷いた。
「……そんなの気にしなくても」
「気にしますー。梨花はいつもいい匂いだから」
「むぅ」
若干不満げにしつつ、梨花は不思議に思ったことを尋ねることを優先した。
「鈴丸さんって、煙草、吸うんですね」
「……や、最近は吸ってなかったんだけど。今日はちょっとむしゃくしゃして」
つい買っちゃった、と笑う彼に「か、体に悪いですよ」とだけ梨花は言ってみた。鈴丸はきょとんとしてから小さく笑うと「いーのいーの」と首を軽く左右に振った。
「……よくないです」
むすっとしたままの梨花はなぜか、何かに背中を押されたような気になってふわりと鈴丸に近付いた。そのまま手を回し、ぎゅっと抱き着く。
びくっと跳ね上がった鈴丸はさすがに驚いた、という感情を表情に滲ませながら梨花を見る。
「り、梨花……? あ、あの、ほんとに俺今二本吸ったとこだから」
「す、鈴丸さんだっていい匂い、で、す……」
急に恥ずかしくなったのか掻き消えそうな声で告げながらぎゅっと頭を自分に押し付ける梨花に大きく息を吸い、吐き出してから「わかった、わかったからごめんって」とそっと彼女の頭を撫でる。それでも一向に離れる気配はない。
鈴丸は苦笑してから「なんだよ、せっかく戻ったのにまだ甘え足りないんかこやつめ」とからかうような口調で告げる。そうじゃないんだけど、とはさすがに梨花は言い出せなかった。
そういえば。頭の中でわずかに何かの記憶がよぎった梨花は口を開きかけながら、そっと頭をあげる。
しかし、その視線の先にいた、神妙な表情の彼を見て、彼女はそれを飲みこまざるを得なかった。




