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小話「ようへいさんとおやゆびひめ」

 艶やかな白い大根がマリアの口の中に運ばれる。

 ぱきん、と小気味いい音を立てて一口大に折れたそれが彼女の口の中で咀嚼される。瑞々しさと共に彼女の口の中に最初に広がったのはほんのりとした甘さで、そのあとから引き締まった辛みが広がった。

 甘味を押し殺し、広がる辛さにマリアは思わずと言った具合に顔をしかめた。

「かっれぇ……」

 自分が一口噛り付いた大根を見つめながら、すうすうと口の中に空気を取り込もうとする彼女のことを今まで黙って見つめていたウルフが言葉を発した。

「美味しいの?」

 それ、と彼女が指差す先にあったのはかじりかけの大根だった。

 マリアはしばし、ウルフと大根との間で視線を泳がせてからゆるりと首を傾げた。

「食う?」

 ん、と差し出され、ウルフは小さな手で白い大根を受け取った。

 野菜というものを食べる機会はウルフにとってはそれほどなかった。散々甘やかされるような形で育てられたこともあり、調理後のものをいくつか見たことはあっても生の野菜など、ウルフにとっては精々トマトかきゅうり程度のものだった。

 ふむ、とまじまじ白い肌を眺めてから意を決するかのようにごくんと息を飲みこんだ彼女はその小さな口で大根に噛り付いた。歯と歯の間に迷い込んだ白い破片はしゃりしゃりと音を立てながら噛み砕かれていく。そのうちに、ぱぁっとウルフの顔が華やいだ。しかし、華やいだのはほんの一瞬のことで、次の瞬間には眉を寄せ、口を固く閉じ、目を吊り上げた。

「かっらぁぁああ!」

「だから言ったろ、辛いって」

「ゆってないもん!」

 ふがーっと鼻息を荒くする彼女を見ておかしそうに笑い声をあげてからマリアは目の前にいる人物に視線を投げた。その表情には先ほどまでの愉快そうな様子はない。

「んで?」

「だから、やっぱり変じゃない?」

 そう言って首を傾げたのは紅茶のカップを持ったままのベルだった。

 彼女の表情が写り込んだカップの水面が小さく揺れる。それとマリアが頬杖をついたのはほとんど同時だった。

「まぁた鈴のことかよ。お前もしつこいよな」

「今までなかったことに警戒するのは当然のことじゃない。それが私の仕事」

 はふはふと口の中に空気を取り込もうとしていたウルフが机の上に置かれていたカップに手を伸ばす。かちゃ、と陶器のこすれる音と同時にそれが持ち上がり、滞りなく彼女の口元まで運ばれた。

「逆に聞くけどあなたは鈴丸のこと変だと思わない?」

「あたしはあいつを正常な人間と認めた試しがない」

 話にならないわ、とベルが溜め息を吐く。なんだよ、とマリアは唇を尖らせた。

「そもそもミハエルがこっちにいる時点でおかしいじゃない」

「お前それあいつに早くどっか行ってほしいだけだろ」

「……それもあるけど」

 あるのかよ、とマリアは心の中で呟いた。口に出さなかったのは相手を迂闊に怒らせるほど自分は馬鹿ではないという自覚が彼女の中であったからだ。

 二人の話を聞いているのにも飽きたのか、かちゃんとカップをソーサーの上に戻したウルフはソファの横の床に腰を下ろすと傍に置いてあった絵本を手に取り、ぱらぱらとめくり始めた。南波から貰った本だった。

「あの子と組んで、ここまであの子が信用ならないと思ったのははじめてよ」

「今さらだなぁ」

 そう言われればそこまでだとベルは肩をすくめた。

「そもそもさ」

 いつの間にか小さくなった大根を一飲みにしてからマリアは尋ねた。

「なんであいつと組んでるわけ?」

「お金で言うこと聞くから」

「……お前らしーわ」

「どうもありがとう」

 褒めてねーし、やはり心の中でごちながらマリアは膝の上に乗せていたタッパーの中に手を突っ込んだ。

 マリアからすればそれを会話終了の合図にしたつもりだったがベルは口を開き、言葉を続けた。

「あとは単純にミハエルの『息子』だったから、かな」

 その言葉に対して、間を空けずマリアは踏み込んだ。

「あいつのほんとの親ってさぁ」

「どこの誰か知ってるけど教えないわよ」

 今度はマリアの台詞を遮るようにベルがすぐさま答えた。涼しい顔をして紅茶をまた口に流し入れるベルを見て、マリアはがしがしと銀色の髪を掻き毟った。そんな彼女を見ておかしそうに笑ってからベルは、

「だってあなたに言うと殴りに行くとか言い出しかねないし」

 違いねーや。素直に口に出さなかったのはベルの機嫌を損なうからではなかった。単に負けた気がするからだ。

 適当に掴んだ野菜にマリアは思いっきり噛り付いた。口に広がる独特の食感と甘さのおかげでそれがカリフラワーだということはすぐに分かった。

 理解が及ぶと同時にベルは話を逸らして来た。

「私にとってみれば、あの子は弟だからね」

「……あいつからすればお前はクソババアだぜ」

 ぼそっと言ってみるとベルは笑みを携えたままカップを置き、立ち上がると握り拳を作ってそれをそのままマリアの頭に振り下ろした。

「いっでぇ! なんでだよ!」

「本人がいないから」

「八つ当たりじゃねぇか!」

 吠えてみせるマリアにつんとベルが視線を逸らす。

 なんだよー、と頭を抱えながら唇を尖らせる彼女にベルがくすりと小さな笑みをこぼした。それに眉を寄せたマリアは小声で、

「何笑ってんだよ」

「べっつに?」

 未だくすくすと笑い続けるベルにけっとマリアが吐き捨てた。

 そこで、ようやく、彼女に視線を合わせたベルは小さく問う。

「もう一つ聞かなくていいの?」

「何が?」

 きょとんと自分に向けられた碧眼を、まじまじと見つめながら楽しそうに言い放った。

「どうしてあなたを選んだのか」

 彼女の言葉に一瞬だけ静止したマリアは、しかし何を言うでもなく、そっとベルから顔を背けた。

 一秒、二秒、と実に彼女らしからぬ静寂を過ごしてからやがて、ぽつんと、彼女にしてはいくらか力のない声で

「興味ねぇ」

 その答えにベルは肩をすくめて、あっそうと返しただけだった。




「なぁ、お前よもぎちゃんとなんかあった?」

 泡夢財団の職員区域の長い廊下を歩きながら聞こえてきた太李の問いかけに南波は一瞬だけ思考が固まるような感覚を覚えた。

 しかし、それもほんの一瞬だった。次には、なんでという無愛想な声の問いかけを発することができていた。

 南波の視線は自然と、目の前で巳令や梨花と楽しげに言葉を交わしているよもぎに向いた。横を歩いている柚樹葉は白衣の袖に腕を通しながらぽつぽつとその会話に加わっている。

「いや、なんとなく?」

 そんな曖昧な太李の言葉に南波は深々と溜め息を吐いた。

「春風が何か言ったか?」

「言ってないけど」

「じゃあなんで」

「だからなんとなくって」

 気まずそうに視線を逸らす太李に南波は少し黙り込んだ。

 こういうとき、ある意味、よもぎ以上にこの男は面倒くさいかもしれない。どうしたものかと少し頭を働かせてからそれも面倒になって、南波は「何もない」

 そう答える彼の目があまりにもいつもと違って弱々しいような気がしてよほど嘘を吐けと太李は返そうかと思ったが結局、小さく息を吐いた。

「そうかい」

「……それで終わりか」

「なんだよ、聞いて欲しいのか、欲しくないのかはっきりしろよ」

「誰が話すか」

「めんどくせー奴」

 はは、と太李が苦笑する。


「おーっす、お前ら!」


 その言葉と共にぐいっと太李と南波の体が後ろに引き寄せられる。

 同時にバランスを崩しかける二人の肩を筋肉質の腕が抱く。

「おうおう、二人揃って冴えない面してんなぁ」

「鈴丸さん、柄の悪い先輩じゃないんですから」

 呆れたような太李の言葉に二人の肩を抱いたまま、鈴丸はけらけらと笑った。その彼に南波は顔をしかめ、不満げに言う。

「……重い」

「なんだよ釣れねーな」

 その騒ぎに、前を歩いていた巳令が一番に気付いたらしく、くるっと振り返ってからあらと声をあげた。

「鈴丸さん、今日はなんだかご機嫌ですね」

「まぁな。今日、書類仕事やらされてさ、やっと体動かせるって思ったんだよ」

 どこかうきうきした調子の鈴丸の声はなんだか子供のようだ。そう思ったら梨花は耐え切れず、くすっと笑みをこぼした。

 それを見た鈴丸が首を傾げる。

「なんだよ、なんで笑うんだよ、梨花」

「あ、ごめんなさい」

 まだ口元に笑みを浮かべたまま謝る梨花に鈴丸は一瞬ぐっと言葉を詰まらせた。ほんの一瞬の間を空けてからやがて、

「り、梨花さん!」

「は、はい!」

「本日もご機嫌麗しゅうございまして!?」

 突然発せられた鈴丸の芝居がかった言葉に頭の上に疑問符をいっぱい浮かべたまま、梨花は恐る恐る答えた。

「え!? え、その、よくってよ、です」

 そこまでのやり取りをわざわざ足を止めて眺めていた柚樹葉は困ったように言う。

「なにこの茶番」

「人間とは時折不可思議なものなのです」

「君にだけは人間を語られたくないよ」

 自分の肩の上で悟ったようなことを言うロボットにぴしゃりと言い返してから彼女はくるりと踵を返してまた歩き出した。目的地である休憩所はすぐそこであった。

 扉を開け、中に入って行く柚樹葉を見て「あーゆずちゃん先輩待ってくださいよぅ」とあとに続いたのはよもぎだった。

 そのあとにやれやれとばかりに苦笑した巳令が続き、それに引きつられるかのように南波と太李も中に入って行く。

 そんな後輩たちの背中を見つめながら梨花はなんだか幸せそうにふわりと微笑んだ。それを横目に見て、いつの間にやらまた落ち着きを取り戻していた鈴丸は問いかけた。

「どうしたよ、梨花」

「へ?」

 彼の言葉で自分の口元が自然と緩んでいたらしいことに気付いた梨花はふるふると首を左右に振るとまだ笑みを保ったまま、

「なんだか、楽しいなぁって」

「……お前、このあと訓練だって分かってる?」

「わ、分かってますよ!」

 失礼な、とぷくーっと頬を膨らませる彼女に鈴丸はくすくす笑った。笑ってしまった、という方が正しいのかもしれないなと彼はうっすら考えていた。

 笑い声に対してさらに不機嫌そうに自分を見上げる梨花の頭をわしゃわしゃと撫でると「悪い悪い」とどこか力のない謝罪を吐き出した。梨花はよく知っていた。こういう謝罪を吐き出す鈴丸は決まって悪いなどとは思っていないのだ。

 むーっと自分を見つめる彼女に鈴丸は思わず苦笑した。

「反省してないのバレてますか」

「バレバレです!」

「なんだよ、後輩見て楽しそうな梨花も可愛いと思っただけだろ?」

「またそうい、ふぎゅ」

 彼女の言葉を遮るために鈴丸は梨花の頬を摘まんだ。

「お前ほんとぷにぷにしてるなぁ、頬」

「しゅじゅまるひゃん!」

「怒っても怖くないぞ、可愛い」

 うりうりと頬をこねくり回す鈴丸にうーっと梨花が唸っていると二人の間に低い声が割って入った。

「何いちゃいちゃしてるんだ、お前ら」

 くるりと二人が視線を後ろに向けるとそこに立っていたのはミハエルだった。

 呆れたように自分を見つめる育ての親に「いちゃいちゃじゃねーし、愛でてるだけだし」と鈴丸は不満げに返す。やれやれ、と肩をすくめてからスーツのポケットに手を突っ込んだミハエルはちらりと梨花を見ながら穏やかな笑みを浮かべた。

「リカ、今日も元気?」

「あ、ひゃい!」

 まだ頬を摘ままれたままこくこく頷く彼女にそりゃあいい、と大きく、一つ頷いてからミハエルはポケットから手を引き抜いた。その手には白い封筒が握られている。

「お前宛て」

「俺?」

 やっと梨花の頬から手を離した鈴丸はぱっとその封筒をミハエルから受け取った。

 封を切り、中を見てからじっと中身を見据えて、ぽつんと、

「どうしろって?」

「好きにしていい」

 深々溜め息を一つこぼしてから鈴丸がやっと休憩所の中へ入って行く。

 状況が飲みこめない、とばかりに視線をきょろきょろ泳がせる梨花を見て、おかしそうに笑って見せた彼は梨花の耳元で小さく呟いた。

「ラブレター」

「へ!?」

 びくっと肩を跳ね上がらせた梨花にけらけらと笑い声をあげたミハエルはそのまま逃げるように中に歩いて行ってしまった。

 告げられた梨花の方はと言えば、それを本当のことかと問う勇気もなく、かといって否定出来るわけでもなく、なんとなくその場で固まってしまったのだった。




 翌日、そんなことがあったことなど露ほどにも知らない雪は弁当片手に意気揚々と訪れた友人の机の前で目をぱちくりさせてしまった。

 昼食である弁当を取り出すどころか、机の上には未だ教科書が広げられたまま――しかもその教科書が先ほどまでやっていた日本史ではなく現代文の教科書だということに気付いたのは梢だった――放置されており、右手に握られていたシャーペンは今にも彼女の細い指を抜け出して床に落ちてしまいそうだった。

 いつもなら、昼休み前の授業が終わるのと同時にいそいそ教科書をしまってから代わりに弁当を取り出して柔らかい笑顔で自分たちを出迎えてくれると言うのに。

 少なからずな驚きを味わいながらやっと雪の口が動いた。

「りーか」

 しかし、その友人の声が梨花に届いている様子はない。

 ワンテンポ遅れて梢もそれに続く。「梨花ちゃん?」それでも彼女から返答はない。

「んもー」

 やれやれと溜め息を吐いた雪は「アルパカ、持ってて」と自分の手に握っていたビニール袋を隣にいた梢に手渡すと彼女の目の前でぱちんと両手を叩いた。

「おっきろー!」

 ここに至り、ようやく雪に気付いたらしい梨花はびくっと肩を大きく跳ね上がらせてから「き、キヨちゃん!?」と目を白黒させた。それからはっとした風に時計を見上げ、今が昼休みだということを理解した彼女は口元を押さえた。

「わ……お昼休み……! ご、ごめんね、今片付けるから」

「や、それはいーんだけどさ。どしたの、梨花。ぼけーっとしちゃって」

 ぱたぱたと忙しそうに教科書をまとめる彼女を見ながら雪は純粋な疑問をぶつけた。

 それに梨花は、机上をせわしなく行き来させていた手を一瞬だけ止め、数秒の間ののちに、やがて、「なんでもない、です」と弱々しく言い放った。

 近くの席から引っ張り出して来た椅子に腰を掛けながら梢から受け取った袋を膝に乗せた雪は不満げに唇を尖らせた。

「なんでもないってこたぁないでしょうに。アルパカならともかくさ、梨花が授業中ぼーっとしてたなんて今までなかったし」

「キヨ、それどういう意味?」

「いや、まんま」

 はむとチョコレートデニッシュに噛り付く雪を見て、冷たい視線を送ったのちに梢は彼女の膝に置かれっぱなしだった袋の中に手を突っ込んだ。がさごそと袋の中で暴れまわる梢の手に身を引いてから雪は叫んだ。

「アルパカてめ! あたしの昼ごはんに何をする!」

「キヨが悪い」

「あー! それ期間限定のメロンパンー!」

 引き抜かれた手に握られたパンを見ながら雪は思わず悲壮な声をあげた。それに構いもせず、自分の弁当箱を取り出して机の上に置いた梢は心配そうに梨花の顔を覗き込んだ。

「何かあった?」

「……なんにもないってばぁ」

 ふにゃーと崩れ落ちるように机に突っ伏す梨花を見て、メロンパンに手を伸ばすことを一旦やめた雪は頬杖をつきながら問いかける。

「まさかと思うけど、まぁた鈴丸さん関連じゃないでしょうね」

 ばっと頭をあげて梨花は反駁した。

「ち、違うよ! キヨちゃんいっつもいっつも鈴丸さん鈴丸さんって」

「知ってる? 梨花、あんた自分で思ってるより分かりやすいんだよ」

 うんうん、と雪の隣の梢が頷いた。

 ううとわずかに唸ってから梨花はそっと弁当箱の蓋を開けて溜め息を吐いた。

「鈴丸さんってね、かっこいいの」

「何、急に、惚気?」

「だからきっとモテるんだよ」

 そこまで言い切ってから白米を口に運んでもぐもぐと咀嚼する彼女を見て雪はすっぱり言い放った。

「ライバルでも現れたの?」

「……そういうんじゃ」

 ないし、と言う梨花の声の調子はいつにも増して力ないものだった。

 いつにも増して気弱な様子の梨花を見て、彼女の頭をわしゃわしゃ撫でてから「あーおのれ鈴丸さんめ! こっんなに可愛い梨花をたぶらかしたあまりかモテおってぇ」

「わ、あの、キヨちゃ」

「もーこうなったらやっぱりさ、梨花も可愛い妹キャラを卒業してだな」

「……やっぱり妹なのかなぁ」

 うーと唸る梨花に「いつものが来ない」と雪は梢に耳打ちした。いつもの――つまるところ、梨花がこの話題の度に発する恋愛感情の否定である。

 よほど彼女は参っているらしい。梢は小さく息を吐いてから手元にあったメロンパンを梨花に差し出した。

「梨花ちゃん、これ食べて元気出して」

「梢ちゃん……!」

「待ってそれあたしのメロンパン」




「なぁ、マリア、金より大事なものってあるか?」

 ソファの上で丸くなりながらすやすや穏やかな寝息を立てるウルフに毛布を掛けてやっていたマリアは鈴丸の言葉に自分の耳を疑った。

 ぱちぱちと長いまつ毛を上下させ、じっと声の主の方を見据えた。何度も声の主を確認した。

 やがて、マリアは震える声で問い返した。

「なんつったお前」

「金より大事なものってあるか?」

 同じ質問を繰り返す声の主――同僚たる蒲生鈴丸に、ついに耐え切れなくなったマリアが叫ぶ。

「ミハエルー! ベルー! 鈴が気持ちわりぃ!」

「馬鹿、話がややこしくなるからやめろ!」

 小気味いい音を立てながらマリアの頭を鈴丸が思いっきり叩く。

 幸か不幸か、上司二人には聞こえていなかったようである。叩かれた頭を抱えながらマリアが吠えた。

「いっでぇ!」

「お兄さん真面目な話してんだよ、マリア」

「……てめぇが急に道徳に目覚めるとか気持ちわりぃ」

「もう一発欲しいか、そうかそうか、この欲しがりさんめ」

 ぱきぱきと拳を鳴らす鈴丸にマリアはふるふると首を左右に振る。

 それを見て、なぜか子犬をいじめているような気分になった鈴丸は深々と溜め息を吐いてから勢いよく椅子に腰を下ろした。珍しい、と思いつつ、マリアもその目の前に腰を下ろした。

 二人の間に居心地の悪い沈黙が流れた。先に口を開いたのはマリアだった。

「あるだろ、そりゃ」

「そもそもお前金に興味ないもんな」

 聞く相手を間違えたわ、とばかりに溜め息を吐く鈴丸にけっとマリアが吐き捨てる。

「なんだよ、わりぃかよ」

「別に」

「それよりなんだよ、その金の亡者らしからぬ質問はよ。どういう心境の変化だ」

「何も変わってねぇよ」

 ふんと視線を逸らす同僚にマリアは数拍空けてからそうかよ、と返すのが精一杯だった。

 だったら質問を変えてやろう。マリアは碧眼を彼から逸らさぬままで続けた。

「逆にお前はなんだってそんなに金に固執すんだよ」

「金は裏切らないからな」

 すぐさま返ってきた答えに彼女は碧眼を細め、やがて笑った。

「お前らしーわ」

「そいつはどうも」

 殴っていい? やめろ。

 そんな会話のあとに頭の後ろに手を回したマリアがケラケラ笑う。

「やっぱお前変わったな」

「ぜんっぜん、ちっとも」

「前はあたしにそんな話しなかったろ」

 にっと白い歯を見せてくるマリアに鈴丸はやはりバツが悪そうにしながら答えた。

「青臭いガキがちっとはマシになったと思っただけだよ」

 そう言い放ち、立ち上がった鈴丸は彼女に背を見せながら言い放つのだ。


「俺は何も変わってないさ」


 ただそれだけの言葉に妙に引っ掛かりを感じたマリアが顔を上げたときにはすでに鈴丸は歩き去った後だった。




 図書室のカウンターに凭れ掛かる後輩を見ながら南波はやけに気が重かった。

 何か言えばいいのにこの後輩は何も言わないのだ。どうやら一緒に連れ込まれたらしい太李もこれには困っているようでおろおろと自分と後輩の間で視線を行き来させているがそんなことをされたところで南波にはどうしようもない。

「せんぱい」

 やっと後輩こと春風よもぎが口を開く。

 しかし、この場には彼女が先輩を呼べる人物が二人いる。太李と南波が顔を見合わせているとああそうだったとばかりによもぎはその言葉を言い直した。

「灰尾先輩」

「あ、俺なんだ」

 正直にこぼれた彼の呟きに構わずに「可愛い後輩に本紹介してください」

「え、だったら俺より南波が」

「灰尾先輩が紹介してくれる本が読みたいって可愛い後輩が言ってるんだから大人しく紹介してくださいヘタレ」

「なんでだよヘタレ関係ないだろ!」

 ったく、とぶつくさ文句を言いながらも彼女のリクエスト自体には背く気はないらしい太李はちらりと南波を見てから書架の方へと歩いて行った。あんまりよもぎちゃんをいじめるなよと怒らせるなよという意味を込めた視線だった。

 彼の視線の意味を、さすがの南波も理解はしていたが承諾するのは面倒だなと頭の端で考えているとよもぎの声が南波の鼓膜を揺らした。

「元気っすか」

「びーびー泣いてたやつに言われたくない」

 うぐっとよもぎは声を詰まらせた。それから急に顔を赤くする彼女を見て息を吐いてから南波は言い放つ。

「元気だよ」

「な、ならよかったっす」

 カウンターに突っ伏しながら墓穴を掘ったと呟くよもぎに南波は問うた。

「なんで灰尾連れて来た」

「……みれー先輩は先生に呼び出されてていなかったんで連れて来ました」

「なんで同伴者がいるって聞いてるんだよ」

「あんたに一人で会いたくねぇんだよ言わせんなタコ」

 今までにないほど不機嫌そうなよもぎの声に南波は不思議そうに首を傾げた。

「お前の泣き顔なんて見たのはじめてじゃないんだから今さら」

「うるせぇわかんねぇなら聞くな!」

 がうっと吠えるよもぎに南波は不思議そうに首を傾げるばかりだった。

 ほんと、やな先輩だ!

 心の中でよもぎが叫ぶと「あ、やっぱりここにいた」と笑顔を携えたまま、巳令がやってきた。

「あーみれーせんぱぁい……」

 やってきた巳令にふらふらと近付いたよもぎは「聞いてくださいよぅ、益海先輩がいじめますぅ」

「……益海くん」

「事実無根だ」

 文庫本を開いて視線を落とす南波に巳令は小さく溜め息を吐くだけだった。

 そこに太李が戻ってくる。その手には一冊の文庫本が収められていた。あれ、と目を見開きながら太李は巳令に視線を向けた。

「鉢峰、どうしたんだよ」

「どうしたんだよじゃありません、あなたを探しに来たんです」

 むーっと頬を膨らませる巳令に一瞬だけきょとんとしてから、急に気恥ずかしくなって太李はばっと視線を逸らした。

「お、おおお、そうか! 悪かったな」

「あちゃー、こりゃ春風としたことがラブラブ夫妻の邪魔しちゃったぜてへぺろ」

「よもぎさん」

 抱き着いたままのよもぎにすっと視線を向ける巳令。きゃーと彼女の背から離れ、太李の前までやってきたよもぎはそれにしても、と図書室に並べられた机を見つめながらぽつんと呟いた。


「ここまできて微動だにしませんね、梨花先輩」


 え、と巳令は慌ててよもぎの視線の先を追った。

 そこには彼女の言葉の通り、雑誌を広げてじっと紙面を眺めている東天紅梨花の姿があった。いつもならこの辺りで「わあ、みんないたんだ」とふわふわとやってきそうなものなのに、と巳令までも驚いた。

「どうしたんですか」

「知らん、図書室に来てからずっとあの調子だ」

 肩をすくめる南波を見て、よもぎはうーむと唸った。

「まぁた鈴丸さん?」

「鈴丸さんだろうな」

「だろうね」

「でしょうねぇ」

 そう言って、四人の後輩たちは悩ましそうに頭を抱えた。




 □■□




「……ほんとにきた」

「呼ばれたのに来るなってのは理不尽だろ。それにラブレターの返事はしないとだしな」

「嬉しいねぇ、アタイだって分かって来てくれたんだろ? それで? どうするの?」

「……金は積めよ」

「喜んで」


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