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第三十二話「俺たちを取り巻く環境は少しずつ変わっていっているようです」

「おっす、おっはよー! 梨花ー!」

「わっぷ!」

 その日、教室に入った梨花を出迎えたのは友人である鈴森雪のハグだった。

 彼女の腕の中でじたばたしながら梨花は苦しそうに声をあげた。

「き、キヨちゃん力が強いよぉ」

「わはは! これくらいで音をあげるなんて梨花もまだまだだなぁ!」

 けらけら笑った雪は一旦、梨花から離れるとぽんぽんと彼女の肩を叩いた。

「でもどうしたよ。最近まぁた元気ないぞ」

 つん、と頬を突かれて梨花は困ったように微笑んだ。

 ウルフのことに、麗子のこと、ごちゃごちゃと色々考えていたのが雪には伝わってしまっていたようだ。心配そうに梨花を見つめた雪は自分の頬を彼女の頬にすりすり寄せながら小さく、

「もうすぐ文化祭なんだしさ、体調崩したりするなよ」

「うー、ごめんねキヨちゃん」

「ばっか、なんで謝んのさ。友達なんだから心配するのは当たり前だろー」

 むーっと不満げな雪に「じゃあ」と梨花は笑った。

「ありがと」

 その梨花の言葉に雪はきゃーっと嬉しそうな声をあげた。

「また可愛いこと言いやがってこいつぅ!」

 ぎゅむーっと自分の腰の辺りに抱き着いてくる雪に梨花は体を左右に揺らした。

「や、やめてよ、キヨちゃんったら! お、怒るよ!」

「梨花は怒っても怖くないからなぁ」

「も、もー!」

 せめて自分の友達はいつも通りでよかったと梨花は心のどこかで安堵した。

 がらがら、と開いた扉から眠たげに目を擦る梢が入って来た。彼女はじゃれ合っている二人を見つけると、数秒、ぼーっと眺めてからふらふらとそちらに近寄った。

 それに先に気が付いたのは梨花だった。

「あ、お、おはよう、梢ちゃん」

 その後に雪も続いた。

「おー、おはよーさん、アルパカ。今日は教室間違えなかったじゃん」

「ん、おはよう」

 こくんと頷いた梢はじっと二人の顔を見つめた。まっすぐ自分たちを捉える垂れ目に不思議そうに雪が首を傾げる。

「どしたよ、あんたも混ざりたいの?」

「ふぇえ!?」

 混ざられては困るとばかりに声をあげる梨花に梢はふるふると首を左右に振るとぽつんと言う。

「変な話聞いちゃった」

「変な話ぃ?」

 梨花から離れた雪は顔をしかめながら溜め息交じりに続けた。

「アルパカの話はいつも変だけど」

「私の話じゃない」

 珍しくむっとしたように梢が言い返した。

 彼女は近くにある自分の席に腰かけるとまたぽつんと言う。


「うちのクラスに転校生が来るって」


 ぷふっと雪がたまらずといった様子で吹き出した。

「いやいや、お前、さすがにそりゃねーわ」

 すでに三年生、それも十月も終わり、十一月に差し掛かろうとしているときに転校生が来るなど普通はあり得ない。

 本当だよ、と少しムキになったように梢が言う。はいはい、と雪がそれを軽く受け流した。

「転校生かぁ」

 やっと雪から逃れることができた梨花は梢の机に頬をくっつけながらふにゃりと笑った。

「お、お友達になれるかなぁ」

「まー万一いるとして、その転校生が梨花の魅力にオチるのは時間の問題ですな」

「そ、そういうこと言わないでってば」

 むーっと自分を見上げる梨花に雪はけらけら笑うだけだった。

 恥ずかしそうに顔を両手で隠してしまった梨花の頭をぽんぽんと撫でながら梢は小さく笑った。

「梨花ちゃん、元気そうでよかった」

 ワンテンポ遅れてそんなことを言い出す梢に梨花は満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう」

「よーっし、んじゃ梨花の回復祝いにゲーセンかカラオケでも行くか」

 そう言って自分と梢の肩に腕を回す雪にあ、と梨花は申し訳なさそうに顔を俯かせた。

「うー……ごめん、今日はだめ。部活行かなきゃ、文化祭前だし」

「ええー、残念」

 がっくり肩を落とした雪は「じゃ、文化祭終わったら打ち上げしよっか、三人で」うん、と梨花が頷いた。

 同時に、チャイムの音が軽やかに鳴り響く。その音に弾かれたように身を翻した雪は慌てたように、

「やっべ、もうこんな時間!? 一限の単語テスト何も用意してないよー!」

 と言いながら自分の席へと駆け出して行った。

 あはは、と苦笑してから頭をあげた梨花は梢に軽く手を振ってから自分の席へと戻って行った。


 程なくしてホームルームが始まった。

 話を聞きながら梨花が少しだけうつらうつらしていると今まで気怠そうに話を続けていた声が一気に張り上げられた。


「さて、それじゃあ、今日はお前らに転校生を紹介するぞー」


 教卓の前に立っていた教師がそんな台詞を吐き出せば、教室がざわめいた。

 英語の教科書に視線を落としていた雪も思わずと言った具合に顔をあげて「マジかよ……」とこぼしていた。梢はどこか誇らしげだった。

 すっかり目の覚めた梨花がごしごしと瞼を擦るのと同時に教室の引き戸が開き、廊下から誰かが入って来た。

 不自然なまでに黒い髪をセミロング程度で切り揃えた女生徒だった。梨花たちと同じように神都高校の制服であるラベンダー色のブレザーに黒いスカートを合わせている。

 ひらひらと左右に揺れるスカートから伸びた足をかつかつと床に叩き付けた彼女は教師の横に並ぶときちんと腰を折り曲げて頭を下げた。

熊坂(くまさか)蝶子(ちょうこ)です。前はオランダに留学していて、この間、日本に帰ってきました」

 それでこの中途半端な時期に転校か、と梨花は納得した。

 クラスほとんどの視線を集めながら柔らかく微笑む蝶子を見て、梨花はゆっくり首を傾げた。どこかで見たような気がしたのだ。けれどどこでだったかは思い出せない。

「久々の日本で不慣れなことも多いだろうから全員協力してやるように。ああ、熊坂、席はあそこな」

「はい」

 ふわりと微笑んだ蝶子はカバンを担ぎながらつかつかと歩いて行く。

 途中、辺りを見渡していた彼女の視線が梨花のものとぶつかった。梨花が慌てて視線を逸らす。しかし、蝶子は特に気にした様子もなく、くすりと笑っただけだった。



 退屈なホームルームが終わるとクラスメイトたちは蝶子に駆け寄った。

 梨花の席まで歩いてきた雪がうわ、と顔を引きつらせる。

「転校生すっげー人気」

「め、珍しいもんね。しかも留学生って」

 とんとん、と丁寧に教科書の端を整える梨花に「ていうか」と雪は首を傾げた。

「梨花、あの転校生と知り合い?」

「え? 違うよ? なんで?」

 不思議そうに自分を見上げる彼女に雪は告げる。

「いや、なんかじっと見てたからさ。梨花が人のことずっと見てるのは珍しいなって思って」

「み、見てたの?」

「ん、ちょっとね」

 苦笑する雪に「えと、見覚えがあるような、ないような?」という曖昧な答えを梨花は返す。

 なんじゃそら、と雪は頭を掻いた。


 その手を、梢の手が掴み取った。


「いたでしょ、転校生」

 どこか勝ち誇ったような声音に雪は顔を引きつらせてから「はいはい」と溜め息を吐いた。

「疑って悪かったって。お昼になんか奢ったげるからさ」

「……約束」

「はいはい」

 けらけら笑いながら梢の頭を撫でる雪を見ながら梨花はもう一度だけ蝶子の方を振り返ってからゆっくり首を傾げたのだった。




 昼休みのチャイムが鳴るや、弁当箱を抱えた巳令がひょこひょこと太李の元へやってきた。

 席替えというイベントのおかげで隣でなくなってから彼女はいつもこうして昼休み、一番に彼の元へやってくるようになった。気恥ずかしいやら嬉しいやらだが、拒む理由はないので太李は今日も空いている目の前の席を示しながら小さく笑った。

「よし、食うか」

「はい!」

 嬉しそうに笑いながら席に腰を下ろした巳令は太李と向き合うようにしながら弁当の包みを開いた。

 そんな巳令を見ながら小さく笑った太李は自分のカバンに手を突っ込みながら問いかける。

「そういや、今日、三年生に転校生来たらしいの、知ってた?」

 太李の言葉に「そうなんですか?」と巳令は首を傾げた。

「ああ。なんか、留学してたんだけど帰って来ただとかなんとか」

「……この時期に転校って大変ですね」

 箸でつまんだ白米を小さな口に放り込む巳令にだよなぁ、と太李は返した。

 彼の手にはコンビニの焼きそばパンが握られている。ビニールの封が切られるのと同時に巳令が小さく告げた。

「そういえば、灰尾も転校生でしたよね」

「あー……俺も変な時期に転校して来たな、そういえば」

 苦笑する太李に巳令は小さく微笑みかけた。

「なんだか不思議です。灰尾と出会って色々あったから」

「……だな」

 もし自分は巳令と出会わなければどうしていただろう。太李は不思議に思った。

 フェエーリコ・クインテットとして戦うこともなく、平凡に過ごしていたのだろうか。ある意味では幸せなことだったのかもしれないが今の彼は、なんとなく、そうでなくてよかったと思うのであった。

「最初は大変だったな、鉢峰にグーパン喰らったし」

 ぼそっと告げる太李に巳令はびくっと肩を跳ね上がらせてから小さく項垂れた。

「ご、ごめんなさい……」

「でもあのとき怒ってくれなかったらお前の本音は分からなかったわけだし……まぁ、結果オーライ、かな」

 痛かったけど、と付け加えようとしてから申し訳なさそうに項垂れる巳令を見て太李はそれを取りやめた。

 代わりに口の中に焼きそばパンを詰め込む彼を見て巳令は微笑んだ。

「やっぱり灰尾は凄いです」

「え? ひゃんで?」

 口にパンを詰めたまま首を傾げる太李に巳令は「秘密です」とまた白米を口の中に運んだ。

 そんな彼女を不思議そうに見つめてからパンを飲みこんだ彼はなんじゃそら、と笑った。

 ふふ、と柔らかく笑みを浮かべた巳令だったがふと、脳裏に不愉快な声が蘇ってくる。



 ――あなたの目に直接見せてあげたいの、あなたの大切な家族が、仲間が、友達が、あるいは恋人が、傷ついていく姿を。



 ぞくりと、背筋が何かに撫でられたように寒気が走った。

 嫌なことを思い出した。巳令は素直にそう思った。なんでもないことだと、恐怖など感じていないつもりだったが思いのほか、あの言葉は自分の中で応えていたらしい。

 それはきっと、言葉を向けられた対象が自分であって、そうでないからだろう。

 箸を片手に彼女が固まっていると太李が心配そうに彼女を覗き込んだ。

「おい、鉢峰?」

 はっと顔をあげた巳令はふるふると首を左右に振るとまた笑みを浮かべる。

「なんですか?」

「いや、なんか、大丈夫かなと」

 あくまでも心配そうに自分を見る太李に巳令はわざとらしいほど明るく笑いながら告げる。

「はい、大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけですから」

「なら、いいんだけど」

 ペットボトルの中に入っている緑茶を喉に流し込んでから太李は続けた。

「俺だって話を聞くくらいならできるからな」

「はい、分かってます」

 こくんと頷く巳令に「分かってるならいいけど」と彼は息を吐いた。

 色々ありすぎて、お互いに心配なのだ。巳令はそう思った。だからこそ、せめていつも通りでいようと決めていた。

「灰尾、また今度、出かけませんか? あと文化祭も一緒に回って」

「当たり前だろ」

 けらけら笑う彼によかった、と巳令は安堵の息をついた。

 少し間を置いてから、急に顔を赤くした彼女は「あ、でも、その」と掻き消えそうな声で告げる。

「こ、この間みたいなことは、その、しばらくは、い、嫌とかじゃないんですけど! あの」

 この間。これが意味することを、太李はすぐに理解した。自分の家に巳令や柚樹葉たちが来た日の帰りだ。

 勢い余って自分がやらかしたことをすっかり忘れていた。途端に恥ずかしくなった太李は巳令の顔も見られなくなって、真っ赤にした顔を机にくっつけながら「そ、そうですね!」と今にも裏返りそうな声をあげた。

 絶対に大人しくしていよう。彼は心の中でそう誓った。




 その日の放課後、益海南波は廊下で足を止めていた。本来ならば部室に急がなければならない彼の足を止めている原因は目の前の光景にあった。

 人がせわしなく行き交う廊下でたった一人だけ、廊下の隅の方で足を止め、じっとスマホと睨み合っている人物がいる。彼はその顔に見覚えがあった。

 素通りして行けばよかったのだが、彼女らしからぬ険しい表情に少なからずな面倒を南波は感じ取っていたのである。どうせ自分が声を掛けずとも、彼女から声をかけてくるだろう。無理に取り繕った表情と共に。

 なんとなくそれが癪で、結局南波はその場に立ちっぱなしだった。どうせすぐに動き出すだろうと思っていたからだ。


 ところが、どういうわけだか、彼女は一向に動かない。

 まるで自分がその場から動くことができないと暗示にでもかけられているようだった。

 いい加減馬鹿馬鹿しくなって、南波は一歩踏み出した。また一歩、一歩と進んで、あっという間に彼女との距離は縮まった。


「何してる、春風」

 南波の声にぱっと顔をあげた彼女――つまり春風よもぎ――は慌てた様子でスマホをしまうとにぱっと笑みを浮かべた。

「やーやーどーもどーも。今日は委員会ないんすね、益海先輩」

「俺の質問に答えろ」

 低い声でそう言いながら手刀を構える南波にぶんぶんとよもぎは首を左右に振った。

「ちょ、チョップはやめて! た、ただの友達からのメールですよ」

「その割には随分深刻そうな顔だったが?」

 遠慮の欠片もない南波の問いによもぎは少し言葉を詰まらせてから視線を逸らし、答えた。

「女の子には、色々あるんでい」

 そんな彼女の顔を、容赦なく掴むと強引に自分の方に向け、告げる。

「何が女の子だ。春風の癖に」

「ほごごごご、ひぇんひゃいにゃんにゃんしゅか!」

 抗議の声をあげるよもぎから南波がやっと手を離す。

 両方の頬に手を当てながら文句を言おうとよもぎが口を開くより先に、南波はすたすたと歩きだした。

「部活、遅れるぞ」

 たった一言、それだけ言い放ってである。

 すっかり怒りの行き場をなくしたよもぎはまださすさすと頬を撫でながら「勝手だなあいつ……!」とだけ吐き捨てた。



 そんな二人が部室、こと陶芸室に到着した頃にはすでに他の面々も揃っていた。

 椅子に座っていた柚樹葉がゆっくりと振り返ってから不満げに告げる。

「遅いよ、君ら」

「うわー普段サボりなゆずちゃん先輩に怒られたーショックー」

 肩からカバンを下ろしたよもぎは巳令の横に腰かけてからぐでーと机の上に突っ伏した。隣の巳令がそれにくすくす笑う。

 その光景を横目で伺いながら南波も椅子に腰を下ろしたところで黒板の前に立っていた梨花が喋り出した。

「よ、よっし。全員揃ったところで大事な話しよっか」

「大事な話って……」

 不思議そうに太李が首を傾げる。

「文化祭、とか? でもそれは作品展示ってことで」

「あ、も、勿論、文化祭も大事なんだけどね?」

 小さくなりながら梨花は続けた。

「その、そろそろ引き継ぎのことも考えないと、あたし、文化祭終わったら引退しちゃうし」

 梨花以外の五人の目が見開かれる。

 文化部の三年生の引退時期は一般的には文化祭が終了をきっかけとすることが神都高校では多い。陶芸部もそれは例外ではなく、毎年その時期に最上級生が引退していくのを梨花は二回も見た。

「い、引退……」

 震える声を一番に発したのはよもぎだった。

「梨花先輩が、引退……!? なんで!? なんでですか!?」

「わっぷ!? だだ、だって毎年そうだったし……!」

 がくがく体を前後に揺らされながら梨花は慌てて答えた。

「そ、それに部活引退したら私はアシーナに入るために別メニューの訓練しないとって鈴丸さんが」

「まぁたあのおっさんかぁぁあ!」

 うわぁああ、と絶叫するよもぎに「落ち着け馬鹿」と南波の手刀が飛んだのはすぐのことだった。

 身悶えるよもぎを見て苦笑しながら巳令が問う。

「普通なら副部長が部長に上がるのが一般的なんでしょうけど、うちの部活、そういえばいないんですよね、副部長とか」

「うん……元々あたし一人だったし」

 しゅんと小さくなる梨花にうーん、と巳令は唸る。

「部長となるとやはり二年生でしょうから私に、灰尾と、益海くん、それから柚樹葉、ですか」

 じっと巳令に視線を投げられて柚樹葉は肩をすくめた。

「私に部長なんかできるわけないじゃないか」

「確かに柚樹葉はリーダー、ってタイプではありませんしね」

「どっちかっていうと裏から全部操ってる、的な」

 太李の言葉に柚樹葉は顔をしかめた。

「それはベルガモットでしょ。私を悪の黒幕みたいに言わないで欲しいよ」

「ごめんごめん」

 苦笑してから太李は「部長、か」と巳令を見つめた。

「俺は鉢峰がいいと思うけどな」

「わ、私!?」

 びくっと肩を跳ね上がらせてから巳令はぶんぶんと首を振った。

「わ、私に部長なんてとんでもない! むしろこういうのは灰尾の方が!」

「いや、俺はそういうの向いてないって」

「そんなことありません! この部を立て直そうと二年生の中で一番頑張ったのは灰尾ではありませんか!」

 ぐいっと自分に顔を近付けてくる巳令に太李は気恥ずかしそうに視線を逸らした。

「でも俺は」

「いちゃいちゃするならよそでやれバカップル」

 退屈そうに二人を眺めていた南波がきっぱり言い捨てた。

 それに食い下がったのは巳令だった。

「そんなこと言うなら益海くんが部長やったらどうですか!?」

「断る」

「即答!?」

「俺はそういうの嫌いだ、俺以外がやれば文句言わないから」

「自分勝手な!」

 がうっと吠える巳令に梨花は困ったようにおろおろと視線を泳がせていた。

「ていうか、ぶっちゃけ真面目な話」

 じーっと巳令を見上げながらまだチョップされた額を押さえつつよもぎが言う。

「灰尾先輩の彼氏フィルターを取り除いたとしても自分もみれー先輩が向いてると思いますよ」

「よ、よもぎさんまで……」

「だって灰尾先輩と違って冷静で、しっかり者で、益海先輩と違ってやさしーし、ゆずちゃん先輩と違ってサボんないし」

「とりあえずよもぎちゃんは俺のデコピンまで喰らいたいのは分かった」

 がたっと立ち上がる太李にひぃいい、とよもぎは梨花の後ろに隠れた。

 一方で、その言葉を受け取った巳令の方は困ったように笑いながら「そ、そこまで言って貰えるのでしたら」と梨花の方を見つめた。

「私が部長でも」

「ほ、本当?」

 ぱぁっと顔を輝かせる梨花は安心したように息をついた。

 誰かがやらなければいけないのなら自分なりにやってみよう。なんだかんだ言いながらこの部のメンバーは自分を助けてくれるのだから、と一種の諦めにも近い感情だった。

「あ、それでね、副部長なんだけど」

 自分の背中に隠れてるよもぎに向かって梨花は告げた。

「その、できたらよもぎさんにやって欲しいなぁって。お仕事、覚えて貰いたいし」

「うえ? 自分っすか?」

 きょとんと梨花を見上げてからふぅ、と息をついたよもぎは彼女の背から離れて「仕方ないっすねー」と両手を頭上に伸ばした。

「自分がばっちりしっかりみれー先輩のこと支えちゃいますからねー」

「それは頼もしいですね」

 そんなよもぎを見て、巳令は小さく笑った。




 パソコンの画面に映る見知った顔にベルはうんざりしたような気分になった。

『そんな顔するな』

 画面越しに、彼女の上司が笑う。溜め息を吐いてから「こういう顔よ」と普段の南波のようなことを言っていた。

 隣にいるマリアは画面を見ようともせず、銃の手入れに夢中だ。やれやれ、と彼――つまりミハエルは笑った。

『マリア。そうあからさまに嫌がられるといくら俺でも傷つくぞ』

「なんだよおっさん、あたしはお前と違って忙しいんだよ。呼び出したんだから用件はさっさと言え」

 蛍光灯の光に銃をかざしながら小さく首を傾げるマリアにミハエルは『リカ・トウテンコウ。彼女のアシーナに関することは今後全てお前が面倒見ろ』

 予想外の言葉に目を見開きながら彼女は思わず画面に視線をやりながら間の抜けた声をあげた。

「はぁ? なんであたし? 鈴がやりゃいいだろ。梨花だってあいつに懐いてるんだし」

 少し離れたところでウルフと何かを話している鈴丸を示してマリアがそう言った。ところがミハエルの返答は変わらない。

『坊主はしばらく駄目だ。教官は引き続きで構わないがそれ以外は別の仕事をさせる』

「何それ、私何も聞いてないけど?」

 本来なら、鈴丸は、仲介役のベルを通して仕事を引き受ける。それがルールだ。

 眉を寄せるベルにミハエルは困ったように告げる。

『別にお前を信用してないわけじゃないが今回ばかりは少々イレギュラーでね』

「……鈴丸はなんて?」

『引き受けたよ、喜んで』

 画面の中で手を合わせるミハエルにベルは溜め息を吐いた。自分に小言を言われるのを分かっていて引き受けたのだ、それなりの事情がある。

 溜め息を押し殺しながらベルは尋ねた。

「いくら出したの?」

『キャッシュで前金五千万。成功報酬に同額。さすがに円だけど』

 特にためらわずに答える彼にマリアは顔を引きつらせた。依頼の内容にも寄るが相変わらず自分には縁遠い金額だと思ったからだ。

 しかし、ベルはぽつんと、

「少なすぎるわ」

「え、何言ってんのお前怖い」

 軽く身を引くマリアに構わずにベルは画面の向こうのミハエルに食い下がった。

「鈴丸はそんなはした金で動くような奴じゃない」

『マリアの報酬の倍以上はあるぞ』

 こくこく頷く彼女をやはり無視して、ベルは言う。

「いつもの蒲生鈴丸ならその倍は取る。特にあなたからならね」

『日本支部の手伝いに行かせるだけだ。情で安く引き受けてくれただけだよ』

「情? あの金の亡者に情があるとしたら精々梨花さんに対してぐらいよ」

 腕を組みながらベルは鼻で笑い飛ばした。第一、そんな仕事ならますます自分を通せばいい。

「鈴丸に何をさせる気? まだ泡夢との契約期間中だから妙なことされると困るのだけど」

『あそこはごたごたしてるから適当にテコ入れだよ』

 そう言って笑ったミハエルは『それじゃあまた近いうちに』と一方的に連絡を切ってしまった。

 勝手なんだから、とベルは舌打ちして鈴丸の方を向いたものの、休憩所の扉からクインテットの姿が見えたおかげで結局それを断念せざるを得なかった。

 その様子を見ながらめんどくせーな、とマリアは心の中で呟いた。




「へぇ、巳令さんが部長さんするんだ?」

 打って変わって穏やかな声でそう言いながら、紅茶を差し出しながらベルは小さく首を傾げた。

 はい、と頷きながらそのカップを受け取った巳令は困ったように微笑みながらそれに答えた。

「私でいいのかはまだ心配ですけど」

「深く考えすぎよ。もっと肩の力を抜きなさい」

 ね、とベルが言えばうう、と巳令が唸った。

「鉢かづきは前からそうなのです」

 小さな体を丸くしながらスペーメが口を開いた。

「ごちゃごちゃ余計なことを考えて結局失敗するタイプなのです」

「す、スペーメ!? へ、変なこと言わないでください!」

「スペーメほんとのことしか言ってないです」

 悪びれた様子もなく告げるロボットに巳令がさらに小さくなると「嫌なのか、鉢峰」と太李。

「い、嫌じゃないですけど……こういうのやったことないし」

 皿によそわれていたバウムクーヘンにフォークを入れながら巳令は溜め息を吐いた。

「らしくねーな、巳令」

「なんでも器用にできる鈴丸さんには分かりませんよ、この気持ち……」

 掻き消えそうな声で言う彼女に鈴丸は思わず苦笑した。

「そんなことよりおっさん!」

 ばんっとよもぎが机を叩いて、吠える。

「どういうことっすか、梨花先輩が引退したら別メニューって!」

 言ったのか、とばかりの視線を鈴丸は梨花に投げ掛けた。

 口の中にバウムクーヘンを詰め込んでいた梨花は黙って視線を逸らす。はぁ、と鈴丸は溜め息を吐いた。

「しゃあねぇだろ、進路が進路だし」

「鈴丸さんばっかり梨花先輩と一緒でずるいー!」

 うわーんと机に突っ伏すよもぎに「あ? 誰が俺が梨花にアシーナの分まで教えるって言った」

 え、とよもぎは驚いたように顔をあげた。そんな彼女に言葉を投げかけたのはソファの上で寝転がっていたマリアだった。

「アシーナとしての梨花の教育係はあたしだ。ミハエルのおっさんから教育係押し付けられた」

 けっと吐き捨てるマリアに「そうなんですか!?」とよもぎが身を乗り出した。どことなく声が嬉しいそうだな、と南波は思ったが特に口には出さなかった。

 ああ、と鈴丸が不満げに頷いた。

「俺が面倒見てやりたかったんだけどあのクソ親父、俺にお前らの教官やってる以外はよその手伝いに行けとさ」

「本当に手伝いか怪しいものだけどね」

 カップを傾けながらつんとそう言ってのけるベルに鈴丸は顔を引きつらせた。

 そうなんだぁ、と呟く梨花にマリアがけらけら笑う。

「わりーな。あたしで我慢してくれ」

「あ、あたし別にそういうつもりじゃ」

 あわわ、と手を左右に振る梨花にマリアは鈴丸の方に向き直ると勝ち誇ったような顔で告げる。

「お前といなくて済むから清々するとさ」

「言ってないだろ? そんなこと。殺すぞ」

 にこにこ笑いあいながら取っ組み合う二人に「やめなさい!」とベルの声が飛んだのはすぐだった。

 そのやり取りの間に、机の下に隠れていたウルフがこっそりと顔を出した。

 手近にあった太李の皿にそーっと手を伸ばし、バウムクーヘンを一つ鷲掴みにした。

 大きな口を開け、アイシングのたっぷりとついたそれを咀嚼していると鈴丸たちの様子を見る太李の顔を見て、首を傾げた。

「はいお、なんでそんなあほな顔してんの?」

 ごくんと、バウムクーヘンを食べてからウルフはそんな問いを吐き出した。

 いつの間にか自分と机の間にいた彼女に太李は驚いたように目を見開いてから「いや……」と自分の皿を確認し、声をあげた。

「おま、俺のバウムクーヘン食ったな!?」

「そこにあった」

「なんで南波みたいなこと言ってんだ!」

 自分の名前が出たことでぴくりと反応してから南波は顔色一つ変えず言い放つ。

「俺はそんなに行儀悪くない」

「何言ってんだこいつ!」

 本気で理解に苦しむとばかりに頭を抱える彼に「太李くん、元気出して……今新しいの用意してあげるから」とベルが苦笑する。

「す、すいませんベルさん……」

「とられたくないならなまえをかいとくんだな、はいお!」

「お前は少し悪びれろ!」

 堂々としたり顔をしながらそんなことを言ってのけるウルフに太李は叫んだ。

 しかし彼女はぺろぺろと手を舐めながら「で、なんではいおはあほなの?」と質問をぶつけた。

「質問変わってないかそれ」

 溜め息を吐いてから渋々、と言った具合にそれに答えた。

「いや、なんか、意外と俺たちが一緒にいられる時間って少ないのかなって」

 梨花はアシーナの一人になって、自分たちも高校を卒業して。

 当たり前のように一緒にはいるものの、別れは意外と近いのかもしれない。そう思っていた。

 聖護院麗子の一件があってから、彼はますますそう思うようになった。

 そんな彼の前にバウムクーヘンを差し出しながらベルはくすくす笑った。

「寂しい?」

「……一応」

「でも寂しがるのは全部終わらせてからにしなさいな」

 こつん、と彼の額を突いてからベルはまた椅子に腰を下ろした。

 はい、と頷いた太李を見ながら服で手を拭ったウルフは「よくわかんないけどいいや、はいおもともとあほだし」

 がくっと太李は項垂れた。

「お前な、いくらなんでも俺のことを馬鹿にしすぎ」

「それよりみれー、みれー」

「聞け!」

 しかし太李の反論も虚しく、ウルフは巳令の元へ駆け寄って行ってしまった。

 小さく笑いながらなんですか、と巳令が首を傾げる。そんな彼女にウルフは元気よく尋ねた。

「ぶちょーってなんですか!」

 きらきらと目を輝かせながらそう問うてくる彼女に「そうですねぇ」と巳令は少し間を空けてから答えた。

「リーダー、のようなものです」

「おおー……! じゃあみれーがクインテットだと一番えらいのー?」

「いえ、クインテットでの話ではないんですけど」

 苦笑する巳令を見ながら「そういえば」と柚樹葉は声をあげた。

「君ら、リーダーとかいないよね」

「……確かに。陶芸部だと今まで梨花先輩が部長でしたけど、クインテットのリーダーって、誰なんでしょう」

 腕を組みながらよもぎが首を傾げた。それに控えめに答えたのは梨花だった。

「や、やっぱり巳令さん、かな」

「本格的にあいつがリーダーだったら今頃俺たちはどんなことを叫びながら戦ってたか分かったもんじゃないぞ」

 南波の言葉に、巳令以外の三人はその光景を考えてゾッとした。それにむっと巳令が顔をしかめる。

「なんですか、その顔。かっこいいじゃないですか、フレッチャ・ウッシェンテとかオーラ・ベアートとか、名乗り口上だってみんなノリノリで」

 さっと四人が目を逸らす。まさか巳令が拗ねないようにやっている、とは誰も言い出せなかった。

 悔しそうに言葉を詰まらせた巳令は自分の横にいたウルフに問いかけた。

「う、ウルフはかっこいいと思ってくれてましたよね、敵ながら。多幸ノ終劇とか」

 ウルフは今度は巳令の皿に残っていたバウムクーヘンに手を伸ばしながらあっさり答えた。


「ううん、ダサい」


 子供らしい容赦のない一言に巳令は足を抱えて椅子の上で体育座りした。

「なんなんですかみんなして……そんなに嫌ですか……」

「は、鉢峰……」

 さすがに可哀想だと太李が彼女の肩を叩きながら、仕方なく、言った。

「俺はかっこいいと思うぞ! 多幸ノ終劇も、リベラトーリオ・ストッカーレも!」

 ばっと太李に振り向いた巳令は嬉しそうに告げた。

「やっぱり灰尾はそう思ってくれてましたよね! 信じてました! 大好きです!」

「お、おう……」

 わずかな罪悪感を覚えながら太李は頷いた。

「やっぱりお似合いカップルなんだなぁ」というよもぎの呟きに梨花と南波が同時に頷いた。


 そのとき、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。やー、とウルフが耳を塞ぐ。


「うるさーい!」

「なんだか、これも久しぶりね」

 くすっと笑ってベルは立ち上がった。

「さ、さっさとやることやっちゃいましょう!」

「うっしゃあ!」

 ガンホルダーに銃をしまい込んでからマリアが立ち上がる。

「さ、みれー先輩! 行きましょう! 名乗り口上はちゃんとやりますから! ね、梨花先輩!」

「う、うん!」

「よもぎさん……梨花先輩……」

「ほ、ほら、行こ?」

 ぐいぐい梨花に背を押され、巳令は嬉しそうに笑っていた。

 その笑顔を見ながら「お前が甘やかすから鉢峰が調子に乗る」と南波が吐き捨てた。

「反省してます……」

 視線を逸らしながら弱々しくそういう太李に南波は溜め息を吐いた。

「リーダーがいなくても成り立つ辺りがあのチームの凄いところだ」

 カップの中身を飲み干してから柚樹葉も腰をあげた。

 だなぁ、と鈴丸が答える。

「少し、羨ましいくらいだな」

 そんなことを言う彼の横顔を見て、またウルフは首を傾げた。


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