第三十話「いろんなことが終わっていって始まるようです」
フェエーリコ・クインテットが侵入してきた。すでにビル中で話題になってしまっているのか、スーツ姿の男たちがせわしなく建物の中を走り回っていた。
そんな中で扉の前で二人の大男が守っている扉があった。喧騒の中、まるで銅像のように立っている男たちの後ろの扉には何かがある。そう言わんばかりだった。
その様子を物陰から見つめていた太李は小さく溜め息を吐いた。できることなら余計な騒ぎは起こさずに居たかったがそうも言っていられないらしい。
ぎゅっと拳を握りしめてから隠れるのをやめた彼は目前の男を殴りつけた。
パワー特化の親指と違って手加減さえしていれば自分は人を殴り殺すということもないはずだが一撃で気絶させてしまうという事実にどうしようもないほどに不安を煽られた。こんなことに加担している人間相手とはいえ、強化された力で
殴るのに罪悪感がないといえば嘘になる。
すまん、と心の中で謝りながら抵抗する暇も与えずに二人目を倒すと彼はドアノブを回して、中に入り込んだ。
瞬間、ぞわりと背筋に気持ちの悪いものが走るのを太李は少なからず感じた。
「やあ、シンデレラ」
何もない部屋の中央で両手を広げていた男を見て、太李は奥歯を噛み締めた。やられた。
「うわばみ……!」
その顔を、太李が忘れているはずもなかった。
蓮見和歌ことベルガモットの元婚約者でありながらトレイターたちのリーダー、あるいは全ての元凶とも呼べるうわばみがそこに居た。
握っていたレイピアを構え直して、太李はうわばみを睨み付けた。
くるくると部屋の中を歩き回るうわばみから視線を外さないように太李もゆっくりと動く。重たい沈黙ののちに、やっと口を開いたのはうわばみだった。
「嗅ぎつけてやってくるだろうとは思っていたが予想以上に早かった。さすが、優秀だね」
「お前に褒められたって嬉しくない」
「嫌われたものだな」
やれやれだとばかりに溜め息を吐くうわばみに太李はぐっとレイピアを握る力を強めた。
冷や汗が伝う。この男の何に、自分は恐怖を抱いているのか。太李には分からなかった。
ただ一つだけ。絞り出すように太李は問いを投げつけた。
「まるで俺たちをおびき寄せたみたいな言い方だな」
「おびき寄せたからね」
悪びれた様子もなくそう告げるうわばみに太李は息を飲んだ。
「なんだって?」
「自分で言ったのに分からない? 君らがここに来たのは必然だよ」
あっさり肯定されたうわばみの言葉に太李はわずかに目を見開いた。
次の問いが口からこぼれ落ちたのはすぐだった。
「なんでだよ」
ぴんとうわばみは右手の人差し指と中指を立てた。
「理由は二つほどある。一つは君らには関係ない」
「もう一つは?」
うわばみの乾いた笑い声が響く。
「聞くまでもないだろう? 君らが邪魔なんだよ」
「お前らの邪魔をするのが俺たちの仕事だ」
「それが人類の進化を妨げてるとも知らずに愚かだ」
うわばみの言葉に太李は腹の底が煮え立つような、今まで感じたことのないほどの感情が湧き上がってくるのを感じた。
気が付けば、彼は一歩踏み込んで、うわばみの首にレイピアを向けていた。
「愚か? 人のことを犠牲にして、何が進化だ。何が愚かだ! 笑わせんな!」
その言葉にはっとうわばみは笑い飛ばした。
「実験に犠牲はつきものだ」
「だったらお前らで勝手にやればいいだろ。関係ない人を巻き込むな!」
「それはできない相談だよ、シンデレラ」
自分の首にレイピアが向けられているのにそれでもなお、落ち着いた声音でうわばみは続けた。
「研究者は常に一歩離れた状況で冷静に事を見守るものさ。そうして人類は結果的によくなっていく」
一瞬、太李は言葉が出なかった。
やっと出来たのは、追いついた思考から生まれた言葉を吐き出すだけだった。
「お前なんかのために、ベルさんは……」
うわばみはわずかに驚いたように目を見開いた。
「驚いた。君は、和歌のために怒っているのか。てっきり私が悪だと信じ込んで怒っているのかとばかり」
「そうでもあるし、そうじゃないのかもしれないし。俺だってよく分からない」
太李はうわばみを精一杯睨み付けた。
「お前が本当に正しいのか、間違ってるのか、俺には分からない。でも、俺は間違ってると思う。俺が正解だとは言えないけど、やっぱり俺は、関係ない誰かを巻き込むお前のやり方が気に入らない」
「勝手だ。しかも幼稚だ」
「世の中のためなんて勝手なこと言ってるお前の方がよほど幼稚だ」
ふぅ、とうわばみは呆れたように息を吐いた。
「それが君の答えか。残念だよ」
鈍い音を立てながら太李がうわばみに蹴り飛ばされた。
壁に叩き付けられた体を必死に起こしている彼の耳に今まで沈黙を保っていたスピーカーから声がこぼれた。
『シンデレラ』
「九条さん……」
なんとか立ち上がる太李に、柚樹葉は冷たく告げる。
『どうやら君だと勝てそうもない』
「…………」
太李が返答できずにいると柚樹葉はまた続けた。
『でも君はラッキーだ。その場にγがいる様子はない』
「え?」
『強化版で叩き潰してやれって言ってるんだよ、鈍いな』
吐き捨てるようにそう言ってから柚樹葉は押し殺した様子の声で、
『君は間違いなく、ヒーローだよ』
「褒め言葉として受け取っておくよ」
ポケットからもう一つの指輪を取り出すと彼はそれを掲げた。
眩い光が晴れ、そこにいたのは白いドレス姿の『シンデレラ』だった。
「一人だけど、ヒーローと言われたからにはやっておくかな」
じっと自分を見据えるうわばみを見ながら太李は高らかに告げた。
「哀れな役に幸せを与える姫――」
あれほど嫌がっていた口上もここまでくれば、どこか誇らしくあった。
「シンデレラ!」
「てりゃああ!」
ドアを蹴破ったよもぎは辺りに何もない空間を見て小さく舌打ちした。
先ほどからこの調子だ。見てくれこそ立派だったが中身はほとんどない。それで十分だったのだろう。
長居をしている暇はない。一旦誰かと合流しなければとくるりと向きを変えたよもぎは目の前に誰かが立っているのを見て顔をしかめた。
深々とした青色の髭をたっぷり蓄えた男だった。同じ色の髪の毛は全て後ろに撫で上げられていた。金色を基調にしたジャケットを見ながらよもぎは「趣味わる」と心の中で毒づいた。
味方でないことは嫌でも分かった。弓を手に握りしめながら彼女は口を開く。
「やーやー、すいません。なんか迷子になっちゃいやして」
矢をつがえ、相手に向けながらよもぎは続けた。
「とりあえずあんた誰。はじめましてだよね」
きりきりと弦を引きながらよもぎが問えば、髭の下の顔に笑みを浮かべながら男が答える。
「青髭、とでも名乗っておこう。いばら姫」
顔をしかめながらよもぎは首を傾げた。
「トレイターさん?」
「ご名答」
彼の言葉に参ったなぁ、とよもぎがこぼした。
「前情報なし初見プレイは苦手なんだけ、ど!」
そう言って、彼女は弦から手を離す。
弓弦が鳴り、勢いに任せて矢が飛び出した。
飛んで行った矢を横に身を反らし、かわしてから拳を握った青髭は地面を蹴り上げるとよもぎ目がけてそれを振り下ろした。新しい矢をつがえようとしていたよもぎはうわ、と顔を引きつらせながら後ろに飛んでそれをかわす。
鈍い音と共に先ほどよもぎが立っていた場所に、青髭の拳がめり込んでいる。
「親指パイセンレベルでやばそうでちょっといばらは泣きそうです」
そう言いながらよもぎは矢を放った。
二発目はわずかに青髭の肩をかすめる。それでも直撃することのない矢に彼女は苛立ちを覚えた。
自分の肩から流れる血を指ですくいとってからぺろりと舐めた。
「俺に一撃喰らわせた奴は久々だ」
「そりゃよかった」
また矢をつがえようとするよもぎとの距離を青髭は一瞬で詰めた。
今度は逃げる隙を与えずに彼女の顎を掴み上げた。突然襲ってきた苦痛によもぎは顔を歪めた。
「が……あ……!」
「どうした、いばら。そんなもんか」
「う、ぐ」
みちみちぎりぎりと顎が音を立て、体が持ち上げられる。
からん。彼女の手から弓が落ちた。
ああ、こんなとき益海先輩がいてくれたら。らしくもなく、よもぎは南波のことを考えていた。
どうしてあの人はもの食べるときは散々人の隣でやりたい放題なのに人がピンチのときは来ないんだよ! 前あんたがピンチのとき行ってやっただろ! この場に居ない彼を罵ってから、それも無駄だと思い直した。
最後の力を振り絞り、彼女はまだ辛うじて握っていた矢を青髭の胴体目がけて突き刺した。見事に腹部に直撃した矢に顔を歪めた青髭はぱっとよもぎを離した。体が地面に落ち、咳き込みながら弓を拾い上げた彼女は横に転がり込むと構え直した。
「あ、顎が砕けるかと思ったぜ……あんた、無表情で酷いことする辺り、人魚先輩に似てるわ」
でも、とよもぎは青髭を睨み付けた。
「人魚先輩の方がよほどイケメンだったこんにゃろう腹立つなあいつ」
そんな理不尽な怒りをぶつけられているとは南波は思っていないのだろうなと思いつつ、よもぎはまた弓弦を鳴らした。
その理不尽な怒りをぶつけられている張本人である南波の槍とウルフの爪がぶつかり合っていた。
爪ごと南波が槍を横に薙ぐとウルフはごろごろと横に転がって、彼を睨み付けた。
先ほどから、こんな具合に鋭い音と共に、勢いのままぶつかり合った両者は言葉の通り、火花を散らしてから離れるを繰り返している。
「おさかなやろー! なんでいっつもあちしのじゃまばっかりするのー!」
キーッと足を踏み鳴らすウルフに、はっと南波は笑い飛ばした。
「邪魔されるようなことをしてる方が悪い」
「なんだよそれー!」
「逆に聞こう」
槍の先をウルフに向けながら南波は淡々と尋ねた。
「お前はなんで俺たちに邪魔されるようなことをしているのか考えたことがあるか? 本当にお前の意思か?」
ぴたりと、ウルフは動きを止めた。
なんで? だってそうすれば麗子が喜んでくれたから。そうしろとうわばみが言ったから。そうでなければいけないと、今まで育てられた。
理由は頭の中に浮かんだのにウルフはそれを口に出さなかった。南波が求めている回答ではないと気付いてしまったからだ。
「う、ウルフちゃん難しいことわかんない!」
逃げ道を口に出しながらウルフはまた南波に飛びかかった。
鋭利に光る爪をかわしてから槍で宙を薙いだ南波は彼女と一定の距離を保ちながら眉を寄せた。
こんな子供が、自分の意思でこんなことに加担している。南波にはそれが信じられなかったのだ。
けれど他人のため。それならまだ理解が及ぶ。それと同時にこの子供に感じていたどうしようもないほどの苛立ちの正体も掴めるのだ。
「お前は、俺と同じなのか」
「はぁ?」
誰かのためと言い訳して戦い続ける姿に、無意識に自分を見ているような気分になって、お互い腹を立てていたのかもしれない。
薄く笑った南波は首を左右に振ると槍を握り直した。
「なんでもない。独り言だ」
「……おさかなやろーも、喜んで欲しい人がいるの?」
ウルフのまっすぐな言葉に南波は「さあ」と曖昧に答えた。
いるんだ。ウルフは直感した。
「おんなじなのに、じゃましてくる。やっぱ、おまえ、ちょームカつく」
爪を擦り合わせ、不愉快そうに顔を歪めるウルフに南波はまた元の無表情を取り戻して答えた。
「俺もだ」
再び、互いにぶつかり合った。
一方で、巳令は目の前の光景に顔をしかめている最中だった。
ぐったりと倒れ込むスーツ姿の男女がそこにはいたのだ。中にはやつれた様子の人間もいれば、点滴を繋がれた人間までいる。これ自体、覚えがある。ディプレション空間だ。
ならばそれを発生させているディスペアがいるはずなのに。その姿は見えなかった。
ディスペアでないとすると。そこまで考えてから巳令は地面を蹴り上げた。
背筋を跳ね上がらせるような破裂音が響いた。着地してから後ろを振り返るとそこに立っていたのは黒の長い丈のドレスに灰色のファーケープを合わせた女だった。爛々と輝く青と金色の瞳は巳令を捉え、長く伸びた漆黒色の髪は今にも腰に届きそうだ。
その手にはブルウィップのような長い鞭が握られている。
「また一匹可愛い子が忍び込んできた」
そう言って、女はにこりと微笑んだ。
巳令は腰に携えた刀の柄に手を掛けながら一歩後ずさった。それに舌なめずりすると彼女は嬉しそうに手を叩いた。
「おまけに可愛がり甲斐のありそうな生意気な鉢かづき」
「このディプレション空間はあなたのせいですか」
薄気味悪さを感じながら巳令は極めて冷静に問いかけた。
女は笑みを崩さぬままでそれに答える。
「ええ。私はトレイター。区別名は黒猫。よろしくね」
「よろしくなんてしたくありません」
キッと自分を睨み付ける巳令にンフフと黒猫は特徴的な笑い声をあげた。
「そんなに冷たいこと言わないで。私は、あなたみたいな子のこと好き」
「私はあなたのような人は嫌いです」
「そう、それ!」
床に対して振るわれた鞭がまた破裂音を立てる。
「この状況下でも強気だなんてゾクゾクしちゃう。あなたみたいな子を屈服させるのが大好き」
「私があなたに屈服だなんてあり得ません」
自分を睨み付けてくる巳令に黒猫は身を抱いて、また特徴的な笑い声をあげる。
「ンフ! ああ、いいわぁ……気に入った。うわばみにお願いしてあなただけは生かしておいて貰おうかしら……私のオモチャとして」
「冗談じゃない……」
「冗談じゃないもの。あなたの目に直接見せてあげたいの、あなたの大切な家族が、仲間が、友達が、あるいは恋人が、傷ついていく姿を」
なんて不愉快な女なんだ。ぎりっと歯ぎしりする巳令に黒猫が笑う。
「そしたらあなたどんな顔してくれるかしら。その綺麗な顔が涙で歪むのを見てみたいわ」
「ふざけるな!」
地面を蹴り、間合いを詰めた巳令は鞘から刀を引き抜いた。
くるっと一回転してそれをかわすと黒猫は長い鞭を勢いよく振るった。巳令の肩に直撃した鞭が破裂音を立てた。
「きゃ!?」
「予想通り、いい声で鳴くのね」
また振るわれる鞭に刀を振る彼女を見て黒猫は確認するかのように呟いた。
「顔は傷つけないようにしなきゃね。勿体ないわ」
面倒な奴に出会ってしまった。巳令は素直にそう思った。
床を蹴り上げた麗子の体がふわりと跳び上がる。
後退する彼女に向けられた銃口が火を吹いた。追い立てるように自分の後をついて回る鉛玉に鬱陶しい、と麗子は心の中で吐き捨てた。
部屋の隅まで走った麗子は壁に足を掛けるとそのままそこを駆け上がり、自分に銃口を向けているマリアに向かって引き金を引く。
わずかに怯んだ彼女を見て、麗子は口元に笑みを浮かべると壁を蹴り付け、空中でくるりと回転してからその目の前に着地してみせた。
碧眼を少しだけ大きくしたマリアが銃を握った右手を振り上げる。それを麗子が左手の銃で叩き落とすと右手の引き金を引く。
マリアが身をかがめ、鉛玉をかわす。体勢を戻すの同時に振り上げられた黒い革製のブーツを履いた足が麗子の銃を打ち上げる。その足はそのまま麗子の腹部にも叩き込まれた。
バランスを崩しかけた黒い体は倒れ込む寸前で、自分を支えていた足の片方を体の横を通して、マリアの体に叩き込んだ。
「Shit!」
吐き捨て、マリアはごろりと横に転がり込んだ。
ふらりと揺らいだ麗子の体が地面に崩れる。それに追い打ちをかける余裕は今のマリアにはない。
へぇ、と麗子が面白そうに彼女を見つめた。
「あなた、英語、喋れたのね」
「……あたしが日本語しか喋らないと思ったのか?」
顔を引きつらせるマリアに麗子は首を振る。
「いえ、あなたは日本人には見えませんわ」
「だろうな」
「本当に余裕がない時、人は普段から自分が使っている言葉が出てしまいますわ」
にこりと微笑んだ麗子はさらに続けた。
「あなたの余裕を崩せたようでわたくし嬉しいですわ」
「たまたまだ。普段はこれでも、善良な日本人共に変な英語聞かせないように気ぃ遣ってんだ」
「じゃあわたくしの前だと素ということかしら?」
「Rubbish!」
くだらねぇ。笑いながらそう告げてマリアはやっと立ち上がった。
彼女の鋭い言葉に麗子もゆらりと立ち上がると銃口を向け、淡々と言う。
「マリア、ついでだからもう一つくだらない話を聞いていただいてもよろしくて?」
「……なんだよ」
「わたくし、あなたに頼みごとがしたいんですの」
眉を寄せたマリアも銃口を向けながら首を傾げる。
「勿体ぶらずにさっさと言いやがれ。あたしは鈴やベルと違って気長じゃねぇ」
「残念。もっとあなたとお話していたかったのに」
肩をすくめる麗子にマリアは違和感を覚えた。まるでこれが最後になるとばかりの、麗子らしからぬ言葉だった。
「きっとわたくし、あなたのようにはなれないけれど、なるつもりもないけれど。でもわたくし、わたくしでいたいんですの」
「……何、言ってんだ、聖護院」
「最後にあなたの母国語が聞けて良かった」
そう言って薄く微笑んだ麗子は銃口をマリアから外すと真横に向け、引き金を引いた。
何もなかったはずの場所に現れたのは肩を押さえたキリギリスだった。
「魔女……!」
憎々しげに自分を見るキリギリスに麗子は穏やかな笑みを浮かべた。
「ご機嫌よう、クソ野郎」
まるで自分のように吐き捨てた麗子にマリアが混乱していると「れ、れーこ……?」と震えた声でウルフが呼びかけた。
「ど、どうしたの? なんでキリギリスがいるの」
「マリア」
ウルフには一切答えず、マリアに振り向いた麗子は続けた。
「わたくしの最後のお願いですわ。あなたの愉快で無愛想なお友達と、うちのウルフを連れて、ここから立ち去ってくださいますこと?」
「おい! 聖護院!」
「立ち去れ、と申し上げてますのよ」
自分との距離を詰めるマリアの額にもう片方の手で銃口を突きつけた麗子は冷淡に告げる。
マリアが一歩下がる。ふわりと、麗子の顔に笑みが戻る。
「そう、いい子ですわね、マリア。人魚姫、あなたもよ」
南波の方にちらりと視線を投げると南波は溜め息交じりに言う。
「状況が読めない」
「これだからお馬鹿さんは困りますわ」
まだキリギリスから銃口を外さないまま「あなたたちなんて本当はどうでもいいですの。わたくし、こいつを処分したいだけですわ」
それから麗子はウルフに視線を向けて告げる。
「ウルフ、一つだけ謝ります」
彼女から視線を逸らした麗子は、
「わたくしあなたが嫌いでしたわ」
「……れー、こ?」
「言うことは聞かないし、悪い子だし、お馬鹿だし」
「ねぇ、れーこ?」
「ごちゃごちゃうるさいですわね! わたくしあなたが嫌いですのさっさと行ってしまえばいい! 顔も見たくない!」
麗子の怒鳴り声にウルフはびくっと肩を揺らした後に黙り込んだ。
「……聖護院、それは、罪滅ぼしのつもりか?」
「まさか。ただの内部抗争の末ですわ」
自分を睨み付けてくるマリアに麗子は黙って目を伏せる。
「あなたたちと騒ぎを起こせば、彼を処分しやすくなる。分かりやすいでしょう?」
「おい」
マリアの言葉を最後まで聞かずに麗子はくるりとキリギリスに向き直ると、言う。
「わたくしが全員撃ち殺してもよろしくてよ? 本気ですから」
「それで納得するわけねぇだろ」
「ああ、もう!」
一瞬で間合いを詰めるとマリアの体に麗子は思いっきり銃で殴り付けた。
「て、め、なに、しやがる……」
「あなたの聞き分けがよろしくないのがいけないんですわ」
碧眼を閉じて、彼女の体が崩れ落ちる。彼女の体を探ってから麗子は床を蹴りつけた。
南波の真後ろに立った彼女はそのまま彼の首にも銃のグリップを振り下ろした。
顔を歪めながら崩れる彼を見て「この子を頼みますわ、お馬鹿さん」と麗子は呟いた。崩れ落ちた体はすでに人魚姫ではなく、益海南波だった。
ぐったりと倒れた二人分の体を担ぎ上げてから最後に泣きじゃくるウルフを担いだ麗子は「二分だけちょうだい」とキリギリスに告げ、部屋の扉を開けた。
彼女の腕の中に抱えられながらウルフは泣き叫んだ。
「はなせよばかれーこ! どーゆーこと!? キリギリスがなんなの!? いみわかんないんですけど!?」
「今からあなたはトレイターじゃなくなりますわ」
「はぁ!? ウルフちゃんはウルフちゃんですけど!?」
「お馬鹿さんはお馬鹿さんたち同士で生きなさい」
淡々と告げて、自分を下ろした麗子にウルフが飛びかかろうとすれば、彼女は最後だとウルフの小さな体も銃で殴り付けた。
固まるウルフに笑いかけてから彼女はこてんと、首を傾けた。
「ごめんあそばせ」
たった一言、誰も聞いていない別れの言葉を告げて麗子は扉を閉めた。
「お待たせしてごめんなさい」
「いいや、支障はない」
肩を押さえているキリギリスを睨み付けながら麗子は自嘲気味な笑みを浮かべた。
「あっさりあの子を外に出させてくれた辺り、はじめから処分したいのはわたくしみたいね」
冷え切った麗子の言葉に彼は薄く笑みを浮かべるのみだった。
「ウルフは外に出ても問題ない。トレイター化さえできなくなればさほど脅威ではない。事情を知ってるお人よし集団も知り合いにいることだしね」
「でもわたくしは違うと」
「君は少し母性に目覚めすぎた。邪魔なんだよ」
キリギリスの言葉に息を吐いてから麗子は問うた。
「誰の意思ですの?」
「分かってるくせに」
「……うわばみがそう願うなら、それがわたくしにとっても本望ですわ」
髪を振り払って、麗子は弱々しく笑んだ。
「しょせん君も彼にとってはモルモットさ。裏切られた気分はどう?」
「裏切るだなんてとんでもない」
大事そうに銃を抱えながら麗子は首を左右に振った。
「はじめから彼の心にわたくしなど居ませんわ」
「それでも今まで仕えてきた」
「だって愛しておりましたもの」
胸を押さえながら目を細めた麗子は「それがわたくしが、聖護院麗子として誰に指図されるまでもなく願ったこと。そして、あの子を逃がしたのもそう」
「それから?」
「あなたをぶち殺してやるのもそうですわ」
床を蹴り付け、麗子が飛躍した。
紫色の空を仰ぎながら盗賊は腰に手を当てた。
ゆっくり正面に視線を戻せば、屋上へ来るための唯一の出入り口から梨花と鈴丸が飛び込んできたところだった。やれやれと彼女は首を軽く左右に振った。
「あんたたちもしつこいねぇ」
「生憎、しつこくするのが仕事なもんでな」
自分に銃口を向ける鈴丸にくく、と盗賊は笑ってみせた。
「たぁああ!」
その間に振り上げていた斧を梨花が振り下ろす。おっと、とその場で飛躍し、刃をかわすと盗賊はぴょいと斧の上に飛び乗った。
「おー可愛い」
からかうような言い方にかちんと来た梨花は握りしめていた斧を横に薙ぎ払った。
刃を蹴り、空中で一回転しながらやれやれと盗賊は肩をすくめた。
「普段はこれ出さないんだけど。かわいこちゃんに特別サービスだ」
そう言って、盗賊が手を真上に突き出すと藍色の光の中から鎖に繋がれた鉄球が現れた。
地面に着地するなり、鎖を握りしめたまま、盗賊はそれを大きく振るう。
鉄球が、勢いよく梨花に襲い掛かった。
「ふな!?」
慌てて斧を構え直し、自分に向かってくる鉄球を受け止めるも、彼女の体がわずかに後退する。
「ほらほらどうした!?」
一旦自分の元へ鉄球を引っ込めてから再度、彼女がそれを振り回そうとしたときだった。
空気が揺れ、下から爆発音が聞こえてくる。わずかに目を見開いてから盗賊は舌打ちした。
「なーにやってんだか」
呆れ半分といった感じでそう告げて、盗賊は鉄球を放り出すと口角を引き上げた。
「今日のところはここまでだ。また近いうちに会おうじゃない」
じゃあね、と自分の手にキスをしてから彼女はそれを放り投げるような動作をしてみせた。
腕を振り上げ、くるりと二人に背を向けた瞬間、彼女はその場から消えていた。
「逃げたか」
舌打ち交じりにそう言いながら銃をしまう鈴丸の服を梨花がそっと引っ張った。
「い、今の、下から、でしたよね?」
「……見に戻るか」
「はい!」
返事をしながら梨花はすでに階段を駆け下りはじめていた。
太李の振り下ろした剣を防いだのはうわばみの持つ黒い刃の剣だった。
床を蹴り、大きく後退した太李は小さく肩を上下させながらうわばみを睨み付けた。先ほどからこの繰り返しだ。
軽く空中で剣を振ったうわばみはじっと自分の足元を見つめてから息を吐いた。
「ああ、よかった」
「何が」
「やっと本来の目的が果たせたらしい」
「……どういう意味だよ」
眉を寄せる太李に「言葉のままだよ。やっと失敗作の処分が終わったらしい。多少手違いはあったようだけど」
「なに言って」
「もう片方は君らにあげよう。煮るなり焼くなり好きにするといい」
訳が分からない。太李が声をあげようとするとうわばみは彼を見てにこりと微笑んだ。清廉な顔に浮かんでいたのはどこか歪な笑顔だった。
「君は勝手で幼稚だが、見込みはある」
「はぁ?」
「嫌になったら私のところに来るといい。歓迎しよう」
両手を広げるうわばみを太李は思いっきり睨み付けた。
「誰が行くか」
「じゃあ言い方を変えよう」
ぱっと剣を手放して、うわばみは言い放った。
「いつか君は必ず私のところにやってくる」
どういう意味だ。
それを問うより先に、うわばみの姿は白い蛇へと変わり、するりとその場から逃げ出していた。
鼓膜を揺らす激しい爆発音に、南波が目を開ける。
首元を襲い続ける鈍い痛みに顔をしかめながら自分の手が、男のものに戻っているのを見て彼はさらに顔を歪めた。そうだ。確か、トレイターに殴られて、そのまま。
はっとして顔をあげると目の前の部屋が火に包まれていた。何もかもを燃やし尽くそうとせんばかりに、炎が揺らめき、申し訳程度のスプリンクラーが鎮静しようと躍起になっていた。
辺りを見渡すとマリアとウルフが倒れ込んでいる。
――この子を頼みますわ、お馬鹿さん。
そんなようなことを言われた気がした。
南波は、じっと、燃え盛る炎を見つめてからやがて首に掛かったネックレスを握りしめ小さく「変身」とだけ告げた。
一瞬にして、人魚姫へと戻った彼はマリアとウルフの体を抱き上げてからようやく立ち上がった。
「……クソ」
たったそれだけ、吐き捨てて。




