第二十九話「狼少女は嘘しか言わなかったのではなく嘘しか知らなかったようです」
やってしまった。
柚樹葉が家にやってきた翌日、泡夢財団に向かいながら太李は頭を抱えていた。
ほんの少し油断していただけ。ふとした弾みに自分にかせていたダガが外れただけだった。
それが彼にとってはとんでもない大問題であることは、当然ながら理解していた。
今でも、巳令の唇の感触が生々しく残っている。それを思い出す度に彼は自分を叱責した。
後悔しても仕方ない。それは分かっていても頭の中でぐるぐると色々なことを考え込んでしまう。
翌日が休みだったお陰で学校で顔を合わさずに済むと思ったがよくよく考えるまでもなく、学校が休みなら泡夢財団での訓練が待っている。クラスメイトとしてではなく、フェエーリコ・クインテットとして巳令とは会わなければならない。
会いたくないというわけではない。むしろ、会いたいくらいだ。
ところがどんな顔をして彼女に向き合えばいいのか。太李にはさっぱり分からなかった。
職員区画の廊下を歩きながら思わずそんな思いが口から溜め息としてこぼれてしまう。
そんな太李の後ろから声がかかった。
「ど、どうしたの? 灰尾くん……」
太李が振り返るとそこにいたのは相変わらず理由もなく自信なさげな梨花の姿だった。
はっとした彼は首を左右に振る。
「いや、大したことじゃ」
「もしかして、柚樹葉さんと何かあった?」
目を伏せながら心配そうに自分を見上げる梨花にまた、太李は首を左右に振った。
少なからず、彼女のことは大丈夫なはずだ。自分たちが出来る限りはした。悪い方向に転がっているとも思えない。
言うまでもなく、太李の悩みは全く別のことだ。
「九条さんは大丈夫だと思いますよ」
太李の答えにうーんと考え込んだ梨花はやがて、
「あ、あたしでよかったらお話聞くけど」
「うえ!?」
奇妙な叫び声をあげて、肩を跳ね上がらせた太李はぶんぶんとさらに激しく首を振る。
「いやいや! 梨花先輩に聞いてもらうような話じゃ!」
「そう?」
まだ心配そうな梨花に太李は笑いかけるので精一杯だった。
どうやら巳令と何かがあったとは夢にも思っていないらしく――喧嘩、というわけでもないので仕方ないと太李は思った――難しそうな顔をしながら考え込んでいる。
そうこうしているうちに、休憩所に辿りつき、二人は中を覗き込んだ。
中では彼らの教官役たる蒲生鈴丸が苦しそうにワイシャツの袖を引っ張っていた。正面ではベルが腕を組んで彼を見つめている。
椅子にはズボンと同じ色のネイビーのジャケットがかけられている。
いつも軽装の彼が珍しくスーツ姿だった。
思わず、といった具合にわあ、と梨花が声をこぼした。その声に振り返った鈴丸はおう、と片手をあげた。それから後ろにいた太李を見つけて顔をしかめた。
「珍しいな、太李。梨花と一緒なんて」
「さっき、たまたま会って」
ね、と促され梨花はこくんと頷いた。
ふーんと面白そうに笑ってから鈴丸は琥珀色の縁の眼鏡を手に取るとかけてみせた。
「どうだ?」
「派手すぎない?」
鈴丸の顔からひょいと琥珀色の眼鏡をとるとベルは傍に置いてあった黒縁の眼鏡を拾い上げて渡した。
「こっちがいいわ」
「地味だろ」
言われた通りに黒縁の眼鏡を掛け直した鈴丸は机上の鏡を覗き込むと顔をしかめ、太李と梨花に向き直ってから困ったように笑った。
「地味だよな、これ」
「まぁ、さっきよりは」
「な?」
太李の言葉に大きく頷いた鈴丸は最初にかけていた方を手に取る。
「やっぱこっちがいいって」
「駄目よ。なるべく目立たないようにして」
「へいへい」
けっと吐き捨てながらいかにも渋々という風に机に眼鏡を置くと黒縁の方を掛け直した。
「ピアスは?」
「アホ言うんじゃないわよ」
全くと呆れ顔のベルは硬直したままの梨花を見つけて、首を傾げた。
「どうしたの、梨花さん。ぼーっとして」
「ふぇ?」
ベルの言葉ではっとしたように顔をあげた梨花は「いや、そのぅ」と視線を逸らした。
「か、かっこいいなぁ、なんて」
口にした途端に恥ずかしくなってしまったのか、顔を真っ赤にしながら顔を俯かせてしまった。
鈴丸の方は、彼の方で梨花の言葉に一瞬だけ硬直してから照れくさそうに笑う。
「可愛いなぁ、お前」
悩ましそうに溜め息を吐いてから鈴丸は梨花の頭を撫でてやる。
緊張のあまりガチガチになる梨花を見て苦笑しながら「ていうか」と改めて鈴丸に視線をやった。
「なんでスーツ?」
「お仕事」
ネクタイを二本手に取って、鈴丸が首を傾げる。
こっち、とやはりどこか控えめなデザインのネクタイを指差してからベルは悪戯っぽく微笑んだ。
「言っておくけどあなたたちにも無関係じゃないから覚悟しておいてね」
ぱちんとウインクする彼女に太李と梨花は顔を見合わせた。
唇を口紅で染め上げてから麗子は息を吐いた。
形のいい唇を彩ったのは鮮やかな紅色だった。黒いスーツによく映えている。
いかにも上機嫌というように鼻歌を紡ぎながら口紅を鏡台に置いた彼女は並べられていたピアスを耳に通した。
その様子を茫然と、黙って見つめていたうわばみが腕を組みながら笑う。
「楽しそうだね」
「勿論ですわ」
ピアスが照明の明かりを反射して、輝いた。
いつもより念入りに化粧された顔は普段よりさらに華やかだった。
「女は表舞台に立てばより美しくなりますわ」
「裏で支える美しさというのもあるだろ?」
「確かにあるにはありますが」
髪に手を当てながら麗子はふぅ、と肩を落とした。
「わたくしには不釣り合いですわ。表舞台でスポットライトを浴びている方が好きですの」
自分にはそれだけの資格も、能力もある。麗子はそう信じてやまなかった。
スーツのスカートを揺らし、立ち上がった彼女はうわばみの首に抱き着いて囁いた。
「あなたもね」
「随分面白いことを言うね」
麗子の頬を軽く撫で、うわばみは薄く笑みを浮かべた。
その手を握りしめながら麗子はそっと彼の胸に自分の顔を押し付けた。驚いたようにわずかに身を引くうわばみに麗子は愛おしさを感じていた。この気持ちには間違いなどないはずだった。
「私はどちらかといえば裏で暗躍する方が好きなんだけどな」
自分の背を軽く抱き返してくるうわばみに麗子は口角を引き上げた。純粋な嬉しさから湧き上がってきた笑みだった。
その気持ちを特に隠しもせず、麗子は彼の首元に腕を回した。
「あら。わたくしはいつかあなたと一緒に華やかなステージの上で、照明を浴びながら高笑いするのが夢ですのよ」
「どうして?」
「酷い人。乙女にそんなことを聞いてはいけませんわ」
彼の唇に人差し指を当ててから麗子は悪戯っぽく微笑んだ。
苦笑したうわばみは「そういえば」と窓の外に視線を投げた。
「最近、ウルフはどう?」
びくっと麗子は自分でも驚くほど肩が跳ね上がったことに気が付いた。
「どうって」
「いや、どうも」
声音を少しも変えないでうわばみは淡々と言い放った。
「あの子が外の世界に興味を持っているようにしか見えなくて」
なぜか、麗子は心の奥底が凍るような思いだった。
彼女はふるふると首を軽く左右に振ると「まさか」と誤魔化すように口を開いた。
「あの子に限ってそんなことは」
「……それもそうだ。君の自慢の女の子だからな」
ふわりと笑ったうわばみにほっと息をついてから麗子は時計を見上げてから軽く頷いた。
スカートの裾を持ち上げると軽く会釈して、
「そろそろ時間なので行って参ります。ごめんあそばせ」
「いってらっしゃい」
背後から飛んでくる声に麗子は複雑な気持ちになった。
クインテットが全員揃ったのを確認すると紅茶のカップを傾けながらベルが柔らかく微笑んでいた。
鈴丸の姿はもうそこにはなかった。すでに出かけてしまったのだ。
並べられたビスケットに手を伸ばしながら巳令が問いかけた。
「それで、手伝って欲しいこととは?」
その巳令の手と誰かの手がぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
「あ、悪い」
手を引っ込めた口に出した謝罪の言葉がかぶった相手が自分の恋人だと気付くや、彼女は顔を真っ赤にしながら固まった。
太李の方も、顔を赤くしたかと思うとその場で突っ伏した。
「なんでそんな面白いことになってるの、あなたたち」
ベルがくすくす笑う。
それを聞きながらよもぎはビスケットを梨花の口の前に差し出した。
「はい、先輩。あーん」
「ふぇ?」
「いっつも鈴さんばっかずるいですもん、ウチも梨花先輩に食べさせたいんですー」
なんだそりゃ、と思いながらビスケットが貰えるならいいかと梨花はビスケットに噛り付いた。
はぁ、とよもぎは悩ましそうな表情を浮かべた。
「ほんと鬼かわっすね」
もぐもぐと夢中になってビスケットをかじる梨花を見ながら心底楽しそうな彼女を見て、南波は呆れたように溜め息を吐いた。
それに気付いたよもぎはむっと唇を尖らせた。
「なんすか、その顔」
「別に」
「またそういうこと言うー。ほんとは春風にあーんってして欲しかったんじゃないんですかぁ?」
「アホか」
吐き捨てるような南波ににこにこ笑いながらよもぎはもう一枚ビスケットを手に取ると南波の前に差し出した。
「ほら、あーん、とか。なんちて」
ところがよもぎの言葉と予想とは裏腹に、南波はそのビスケットを口にくわえた。
思わず、びっくりしたようにばっとビスケットから手をの引っ込めたよもぎはわなわなと震えた。
「え、なん、ちょ、なんで食べるんすか!」
あっという間にビスケットを砕いて、飲みこんでから口元を拭った南波は首を傾げた。
「お前がやったんだろ」
「い、いつもはここでチョップじゃないですか!」
「チョップだとお前がうるさいからな。これで満足だろ?」
にっと笑う南波によもぎはぐぐっと言葉を詰まらせた。
紅茶のカップを傾けてから南波は改めて問いかけた。
「それで?」
ベルからしてみればそれで十分だった。
「潜入調査のお手伝い、かな」
きょとんとするそれぞれをベルが見渡していると「最近、奇妙な噂があってね」
そう言いながら入ってきたのは柚樹葉だった。ノートパソコンを一台抱えながら自分の隣に座る彼女にベルが尋ねる。
「あら、もういいの?」
「うん」
パソコンを起動させながらこくんと頷く彼女に「噂って?」と問うたのは梨花だった。
それに答えたのは柚樹葉の肩の上に乗っていたスペーメだった。
「とある新薬の説明会があるのです」
前足をぺろぺろ舐めてからスペーメは続けた。
「そこの説明会の参加者が毎回何人か行方不明になるそうです」
「まさか」
「そう。それがディスペア関連なんじゃないかって」
よもぎが言いかけた言葉に頷きながらベルは言う。そのあとに柚樹葉が続ける。
「で、鈴丸がそこに潜り込んでるってわけ。馬鹿高い追加料金取ってね」
「それでスーツ……」
納得したように呟く太李は、あれ、と首を傾げた。
「マリアさんは?」
「あの子も別ルートでいるの。鈴丸一人で行かせるのはなんかね」
苦笑するベルはまだ画面に食らいついていた柚樹葉に話題を戻した。
「どう、柚樹葉さん」
「ん。できた」
ぱっと画面に現れたのは薄暗いステージが写り込んだ画面だった。
「ばっちり。これで中の様子は見られそうだね。彼もよくやるよ」
満足げな柚樹葉にそうね、と小さく返してからベルはそこに視線を落とした。
その様子からして、鈴丸から送られてきている映像だということはクインテットの五人にもすぐに分かる。それぞれが柚樹葉とベルの後ろに回りながらパソコンを覗き込んだ。
小声で交わされる人の会話が聞こえてくる。
「調子の方はどう?」
通信機越しにベルが話しかければ画面がわずかに揺らぐ。それから気怠そうな鈴丸の声が響く。
『特に今のところは異常もなさそうだけど。頭のよさそうな連中が多くてうんざりするね』
「そう言わないで我慢しててよ」
もーっとベルが呆れた表情を浮かべた途端、ずっと暗かったステージに照明が当てられた。
明るく壇上を照らすスポットライトの中にすらりと女の影が伸びた。
ハイヒールを打ち鳴らしながら光の真ん中に現れた彼女は恭しく頭を下げた。
『ご機嫌よう』
ベルがわずかに目を見開く。
それから掻き消えそうな声で「聖護院、麗子」と苦々しく呟いた。
「トレイターがいるということはやはり、ディスペア絡みなのでしょうか」
「そうでしょうね」
巳令の言葉に大きく頷いたベルは「こうなった以上は、本格的にあなたたちの仕事になりそうね」とクインテットを見渡した。
説明会は、極々自然に進行していった。
といっても鈴丸が聞いていたのはせいぜい冒頭の十分ほどで、残りは耳にすら入っていたかどうか疑うほど彼の記憶にははっきりと残っていなかった。
あらゆる病状に対してある程度の有効性を示した、等の説明を受けていたような気がするがどうせ嘘なのだろうなと聞き流していたのは事実だった。
「それでは、これから個別に詳しい説明をさせて頂きますので皆さま別室へ移動してくださいまし」
そう聖護院麗子が丁寧に促せば、人の波が説明会場から流れていく。
とにかく、今は下手に動いて目立たない方がいいだろう。
その波の中に自分も加わろうとする鈴丸の肩をとんとんと誰かが叩いた。
振り返れば、そこに立っていたのは焦げ茶色の髪を短く切り揃えた女だった。
短いスカートからすらりと伸びた足で地面を踏みつけながら間合いを詰めた女は口元でにやりと弧を描きながら彼の耳元で囁いた。
「今日はいくらで雇われた?」
ははっと、力ない笑いが鈴丸の口からこぼれた。
周りの人間はもう室外へ出て行ってしまった。
スーツの裏に手を伸ばしながら、内心、この状況を少しだけ面白がっている自分に苦笑した。思えば、いつも遠くから見ているばかりで自分で動くことがなかったかもしれない。
「俺に勝ったら教えてやるよ、お嬢ちゃん」
スーツの裏から取り出した銃口を向け、鈴丸は引き金を引いた。
しかし、そこに女の姿はすでにない。
「話の通り、危ない奴だこった」
背後から聞こえてきた声に振り返ってから、鈴丸は薄々予感していたことが当たっていた事実にうんざりした。
先ほどまで焦げ茶色だった髪はくすんだ金髪の二つ結びに、服装はスーツから革製の赤いジャケットに白のショートパンツへと変わっていた。正面が開いたままのジャケットの下からはサラシの巻かれた白い肌が挑発的に見えている。
トレイターだ。出来れば外れていて欲しかった予想の的中具合へのがっかりを拭うために彼はからかうように口笛を吹いた。
「いいね、サラシの女なんて。最高に煽られるよ」
「あんたの好みかい?」
「生憎俺はエロい女より可愛い方がタイプでね」
「それは残念」
肩をすくめた女は双眸で彼を捉えたまま続けた。
「はじめまして、蒲生鈴丸。会えて嬉しいよ」
にぃっと笑った女は両手を広げた。
「あたいの役割は盗賊。新米トレイターだ、仲良くしよう」
「よしてくれ。いくらタイプじゃないとはいえ、お前みたいな女、目のやり場に困る」
「どこを見てくれても構わないよ。なんだったら触ってみる?」
ふふっと楽しそうな盗賊に鈴丸は舌打ちした。
「言ったろ、お前はタイプじゃない」
「でもあんただって男だろ? あんたがこっちについてくれるなら本当にそういう関係になって構わないんだけど」
「俺は現金報酬しか興味ありません」
やれやれ、と盗賊は溜め息を吐いた。
銃声が轟く。視線をぶつけ合う二人の間に、銃弾が撃ち込まれた。
ステージの上で、魔女となった麗子が自分の手元の銃を見つめながら肩を落とした。
「嫌になりますわ、とんだネズミが混ざっていて」
「俺も嫌になるよ、二対一とか」
息を吐いてから鈴丸は「マリア! 出番だ!」
部屋の隅で積み上げられていた段ボールから一発の銃弾が撃ち込まれる。銃弾は麗子の手に握られていた銃を払い落す。
嬉しそうに麗子が笑みを浮かべた。
「よう、聖護院」
段ボールを押しのけながら自分に銃口を向ける彼女の名を、確かめるように麗子は口に出した。
「あら、マリア。ご機嫌よう。あなたもいらっしゃったなら早く言ってくださればよかったのに」
「わりーな」
「まぁ、いいですわ」
にこにこと笑いながら「今日こそ殺して差し上げる」
「やってみやがれ」
またマリアの銃口が火を吹いた。
その光景を見ながら盗賊は溜め息を吐いた。
「ずるいじゃないの。隠し玉なんて」
「そっちだって同じようなもんだろ」
そう言って鈴丸は排気口のカバーに銃弾を撃ち込んだ。
カバーが外れ、落下する。
「ふぎゃあ!」
その上に乗っていたウルフも一緒に、である。
うう、と頭を押さえる彼女に盗賊は口元に笑みを浮かべるだけだった。
「うわあああああ!?」
上空を飛行しているヘリコプターから見慣れた顔が落下してくるのを見ながら人魚に変身していた南波はすっと横に一歩だけ移動した。
そのすぐあとに、先ほど南波が居た場所に背面からシンデレラの太李が叩き付けられた。その場で丸くなる彼が死にそうな声をこぼす。
「い、いってぇ……背中からいったぁ……!」
「何やってるんだ、アホか」
「俺はヘリコプターから飛び降りたのはじめてなんだよ!」
吠える太李に南波は思いっきり溜め息を吐いた。
その横にすとん、と足を揃えて着地した梨花がおとと、とバランスを崩しかける。ふるふる両手を振りながらなんとか持ち直した彼女はまだ倒れたままの太李を心配そうに覗き込んだ。
「だ、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないです……」
背中を押さえながら答える太李に「だよね」と彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
すちゃ、とよもぎも着地する。彼女は太李の顔を見てから、ぶふっと吹き出した。
「いばら!?」
「やっべぇ、シンデレラ先輩やべぇ、さすが期待を裏切らないぜ」
「う、うっさい!」
自分だって格好悪いのくらい分かってる。
やっとの思いで太李が立ち上がったのと同時に、最後に地面に着地した巳令が「はいはい、和むのもそこまでですよ」と手を叩いた。
マントを振り払いながらだな、と返した太李は室内へと続く扉を睨み付けた。
「じゃあマリアさんと鈴丸さんのところには」
「俺と親指で行こう」
金髪をいじりながらそう答えたのは南波だった。
後ろにいる梨花に「それでいいな?」と問いかけると彼女は小さく頷いた。
「んじゃ、俺ら三人で」
「行方不明者探し、ですね」
「っすね」
五人が揃って頷いた。
そのあとに、扉を見つめた太李はふぅ、と息を吸い込んでから足を思いっきり振り上げた。
「おらぁ!」
激しい音と共に鉄製の扉が吹っ飛んで、壁に叩き付けられた。
足を振り下ろす彼に、一同の視線が向けられる。
『乱暴すぎない?』
呆れたような言葉を通信機越しに投げかけてきたのはベルだった。
太李はちらりと梨花を見てから苦笑した。
「多分先輩がうつりました」
「え!?」
そう言って中に入って行く太李に梨花が慌てた様子で問いかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ! あ、あたしそんな乱暴なことしないよぉ!」
「乱暴だろ、東天紅先輩のときはともかく親指のあんたのときは」
「ええ!?」
南波の言葉にびくっと跳ね上がる梨花の肩をぽんぽんとよもぎは叩いた。
「乱暴っす」
「そ、そんな……」
ふらふらと自分に視線を向ける梨花に巳令はおろおろしてから、やがて、
「ご、ごめんなさい!」
逃げるように室内へと駆けこんだ。
そんな後輩たちに梨花は頬を膨らませた。
「も、もう!」
しかしここで文句を垂れ流していても仕方ない。終わってからにしようと心に決めて、彼女も中に飛び込んだ。
もはや階段を駆け下りることすら時間が勿体ないと思ったのか、それぞれが手すりを乗り越えて、下の階へ降りて行く。太李のマントが揺れ、南波の髪が広がって、よもぎのイヤリングが小さく跳ねる。巳令の足が着地したかつんという規則正しい音がしたのと、梨花のスカートがわずかに煽られたのはほとんど同時だった。
走り出しながら「じゃあ、またあとで!」と太李が片手をあげた。
「ええ、気を付けて」
「そっちもな!」
小さくなっていく彼の背中を見送りながら「では私も」と巳令は彼とは逆方向に駆けて行った。
「じゃあウチは正面、っと。人魚先輩、親指先輩いじめちゃ駄目っすよ」
「いいから行け」
へーいとよもぎもまっすぐ走り出した。
固まったままの梨花の背をぽんと叩いてから「俺らも行くぞ」「ひゃ、ひゃい!」上ずった梨花の声に南波は思わず、といった様子で溜め息を吐いた。
マリアの真横を銃弾がすり抜けていく。
室内を走り回っていた彼女はそれに足を止めた。小さく舌打ちしている間に、麗子が舞台を蹴り上げ、空中で一回転してからマリアの前に着地した。
自分の照準を合わせようとあげられる拳銃をマリアは自分の拳銃で叩き落とすと一発蹴り込んだ。
「ぐ」
麗子の体がよろめいて後ろに反れる。
しかし、彼女の体が地面に着くよりも前に新しく麗子の手に握られていた銃はすでにマリアを捉えていた。
その銃が火を吹くより早く、マリアは横へ逃げる。その間に大きく反らしていた上半身を元に戻すとマリアをじっと見据えた。
「この間に比べて随分、マシになりましたわね。何かありまして?」
「余計な世話だ」
向けられた銃口から自分を外すため、麗子はマリアの銃に向かって足を振り上げた。
宙を舞う銃を睨み付けながら舌打ちするマリアに彼女はさらに問いかける。
「あなたとわたくしは似ていますわ」
「んなことねーだろ」
マリアが腰に携えていた銃を取り出したのと麗子がまた銃声を轟かせたのは同時だった。
銃弾はマリアではなく、彼女の足元に撃ち込まれている。
「いいえ、とても似ていますわ」
「冗談きっついな」
「あら、わたくしこれでも本気ですのよ」
笑みを浮かべたまま、麗子は続ける。
「例えば一人の人間に命がけで付き合っているところとか」
はっと、マリアはその言葉を笑い飛ばした。
「ただの仕事だ」
「いいえ、わたくしには分かりますわ」
一歩踏み込んだ麗子が彼女を覗き込んだ。
「あなたにはそれ以上のものがある。それはわたくしと違うけれど、わたくしと同じようにさせる何かが」
黙って自分を捉える碧眼を見て、麗子はくすりと肩をすくめて笑った。
「惜しいのはその相手がよりによって蓮見なところですわ。もっと別の方なら仲良くできましたのに」
「してくれなくって結構だ」
今まで固められたように動けなかったのが嘘のようにマリアは勢いよく銃を握りしめた手を持ち上げた。
その手を軽く振り払いながら麗子が銃口を向ければ、今度はマリアが自分から銃口を外す。
「それに、お前とあたしは違う」
感情を押し殺したようなマリアの声に麗子はたまらずと言った具合に笑い声をあげた。
自分と同等にされたのがそこまで気に入らなかったのだろうか。
「それは何故? まさか、わたくしは悪者で自分は正義の味方だから、なんてくだらない理由ではありませんのよね」
楽しそうな麗子の質問に、マリアはすぐさま答えを述べた。
「あたしはもう迷ってねぇ。迷ってないし、言いなりでもない」
マリアがそう吐き捨てるのを聞いて、麗子はわずかに目を見開いた。
その一方で、振り上げられた足をかわしながら鈴丸は舌打ちしていた。
「いい女がぶんぶん足を振り回してんじゃねぇよ」
「サービスって奴だ」
よく言うぜ、と鈴丸はうんざりしながら距離をとった。
ふぅ、と息を吐いた彼女は両手を広げながら「でも本当に前向きに考えてみない?」
「何をだ」
「あんたの移籍の話さ。金ならいくらでも出す」
「そういう奴ほど後から出し惜しむんだよなぁ」
何を思い出したのか、苦々しい表情を浮かべる鈴丸に彼女は首を振った。
「まさか。あたいがそんなことをする人間に見えるかい?」
「少なからず信用ならないのは確かだ」
「悲しいねぇ」
「嘘つけ」
その言葉を遮るようにぎゅん、とウルフの爪が会話中の彼の真横を切り裂いた。
バランスを崩しかけながら、転がった鈴丸は「あっぶねぇなクソガキ」と眉を寄せた。二対一、どう考えても自分が不利である。
キーッとウルフが足を踏み鳴らした。
「お前もあちしのことをクソガキっていったなー! このやろー!」
「クソガキにクソガキと言って何が悪い」
低めの女声にウルフは鈴丸を睨み付けていた視線をばっと別の方へ向けた。
彼女の目に映り込んできたのは金色の髪だった。
「おさかなやろー……! ここであったがひゃくねんめじゃー!」
そう言ってウルフは鈴丸になど目もくれず、お魚野郎――こと益海南波に飛びかかって行く。
おやおやと悠長にこぼした盗賊が一瞬だけ顔をしかめると、床を蹴り上げる。
先ほど彼女が居た場所を、巨大な斧の刃が抉っていた。
「す、鈴丸さん!」
「親指……」
今にも大丈夫ですかと自分に尋ねて泣き出してしまいそうな梨花の顔を見て、笑いながら鈴丸は安堵の息をこぼす。
「死ぬかと思った」
「お、遅くなってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げてから彼女はキッと盗賊を睨み付けると「きょ、今日は一体何が目的なの!」と声を張り上げた。
くはっと盗賊が吹き出した。純粋な笑い声だった。
「なるほど、こういう子があんたの好みってわけかい?」
「いい趣味だろ?」
「甘ったるすぎてあたいは勘弁だね」
なんのことやら、と視線を行き来させる彼女を見て「親指、あんたの問いかけには悪いが答えられそうもないよ」と言い放つと、盗賊はくるりと方向を変えて室外へと飛び出した。
「魔女! ウルフ! あとは任せたよ!」
そう言い残して、彼女は駆け出していく。
「親指、追うぞ」
「は、はい!」
斧を担ぎ直す梨花の背を押しながら「マリア、人魚、またあとで」と鈴丸たちもそのあとを追った。
南波とマリアが顔を合わせて、どちらともなく、溜め息を吐いた。
先に口を開いたのは南波だった。
「灰尾と言っていることが同じだった」
「マジか。馬鹿ってうつるのな、やっぱり」
そんな会話を聞いてからウルフはまた床に足を叩き付ける。
「いいからこっちみろおさかなやろー!」
「うるさいクソガキ」
「また言ったなー!」
ぐがーと悔しそうに甲高い声をあげるウルフにくすくす笑ってから麗子は両手を開いた。
一瞬紫色の光に包まれてから、その手には二挺の銃が握られる。
「嬉しいですわマリア。追いかけて行ってしまったらどうしようかと思いましたのよ、わたくし」
「馬鹿言え、あたしは目の前の敵をみすみす見逃してやるほど優しくねーっつの」
今まで手に持っていた銃をホルダーにしまい、代わりのものを取り出すとマリアはにっと笑った。
「お前とは決着つけてーんだよ、あたしもな」
「まぁ嬉しい」
ふふっと笑ってから後ろに飛びのき、自分の隣にやってきたウルフに麗子は告げた。
「行きますわよ、ウルフ」
「おうよ!」
麗子の銃とウルフの爪が照明の光を反射させた。




