第二十三話「バカップルでもやっぱり喧嘩はするようです」
一旦、泡夢財団に戻ってきたクインテットたちを出迎えたのは心配そうに自分たちを見つめるベルと白衣を揺らす柚樹葉だった。
鈴丸の頭の上に乗っていたスペーメがぴょいと柚樹葉の腕の中に飛び込んだ。自分の定位置に戻ってきたことに安心したのか目を細めるスペーメを撫でてから彼女は改めて帰ってきたメンバーの顔を見比べてからようやく言葉を吐き出した。
「おかえり」
それだけ言ってくるっと彼らに背を向けた柚樹葉はスペーメの位置を自分の腕の中から頭の上へ移動させると何も言わずに歩き出した。
今さら自分が改めて、着いてこいなどというべき必要もないと思ったのであろう。現に彼らは黙って柚樹葉の後に続いていた。
いつもの休憩所に辿りつくや、彼女はためらいもなく椅子に腰かけると入口付近で立ちっぱなしの彼らに視線を投げかけた。
「改めて、ご苦労だったね。少しだけ話をしようよ」
ディスペアの元へ向かう直前まで広げられていた宿題の山々には目もくれず、柚樹葉は淡々とそう言うだけだった。
誰も拒絶を見せなかった。クインテットたちは座っていた位置に座り直し、マリアは当然のようにソファに腰かけ、気怠そうに自分につけていたホルダーを外していた。その動作が酷くゆっくりで、重たそうなものだとベルは思った。もっとも彼女がそれを口に出すことはなく、傷の手当でもしてやらねばと救急箱を取りに一度その場から離れたのだった。鈴丸はマリアの近くの壁に凭れ掛かるだけで腰を下ろすことはなかった。
「さて、まずは今回、君らが戦ったディスペアについての話だ」
いきなり本題に入った柚樹葉の話にその場にいた全員が身構えた。
それが手に取るように分かった柚樹葉はくすっと笑ってから口を開いた。
「γ型。大まかは君らが向こうからされた説明の通りだ。αともβとも違う新しいディスペアだね」
ようやく目的のものを見つけたのか、ベルは救急箱を持ってマリアの元へ駆け寄った。
腕。そう言われて彼女は面倒そうにベルに腕を突き出した。
「言われた通り、あれは普通に倒すだけじゃ駄目なんだ。一度、起動者の精神から切り離さないと。そのためには今までの君らのチェンジャーでは少々力不足でね」
そう言ってにっこり笑った柚樹葉は「そこで出てくるのがさっきシンデレラがやってくれた強化だ」ちらりと柚樹葉の視線が自分に向いたのに気付いて太李は背筋を伸ばした。
「ただこの強化変身には弱点があってね」
「弱点?」
南波が首を傾げ、「そう、弱点」と柚樹葉がもう一度言葉を繰り返した。
「強化型は人間の上限いっぱいギリギリまで身体能力を向上させる。それは確かに強力だけれど、それゆえ連続使用は変身者に多大な負担を与えてしまう。だから、一定期間を過ぎるまで同じ変身者による強化変身は不可能だ」
「普通の変身はできるんだよな?」
太李の問いに「そこは問題ないよ」と柚樹葉は頷き、言葉を続けた。
「それと、君らも見た通り、あの状態になると全員の力の共有が起こる。そのリンクシステムの都合で強化変身ができるのはそのとき、一人だけ。同時に二人以上が変身することは不可能だ」
「なんか、結構制限だらけなんすね……」
うーん、と腕を組み難しそうに唸るよもぎに柚樹葉は苦笑した。
それからぐるりと周りを見て、彼女は問う。
「質問は?」
すっと手を挙げた巳令が首を傾げた。
「あのとき、シンデレラの分しかできてないって言ってましたけど」
「心配はいらない。すぐに残りも出来上がるよ」
涼しく答える柚樹葉をじーっと梨花が見つめる。彼女の視線に気づいた柚樹葉が顔をしかめた。
「どうしたの、梨花。言いたいことがあるなら言っておきなよ」
「うぇ、あ、その」
おろおろと困ったように視線を泳がせてから梨花は小さく言う。
「その、柚樹葉さん、ずっと頑張っててくれたんだなって思って。凄いなぁって」
「……別に。好きでやってることだし」
ぷいっと視線を逸らす柚樹葉に梨花は「あ、う」と困惑の声をあげた。
ぷくく、とスペーメの笑い声が響いた。
「柚樹葉照れてるのですか?」
「う、ううううっせぇ!」
珍しく狼狽したような声をあげながら柚樹葉はバツが悪そうに視線を背けた。
怒らせたわけではなさそうだと小さく安堵の息を彼女が吐くと同時に「一個だけいい?」と太李。
「ん?」
「……再度言うけどなんで俺、女のままなんだよ」
むすっと不満げに告げる太李に柚樹葉はにっこり笑って返した。
「わざわざ聞くほどのこと?」
「ああはいはい九条さんの趣味なんだよな」
頭を抱えながら深々と溜め息を吐く太李に柚樹葉は満足げに頷いてから、腰を上げた。
それから少し間を置いて、これ以上自分に問いかけられることはないだろうと確認してから白衣を翻し、彼女は入口の方へ歩いて行った。
「話は以上だ。何かあれば連絡するよ」
それじゃ、とその場から彼女は居なくなってしまった。
あまりにあっという間のことで驚いていたものの「まぁ、今はそれより」と南波は机の上に散らばったプリントを見てぽつんと呟いた。
「今は、こっちだな」
分からないことだらけのことに対する質問をまとめているよりも、目前の宿題を片づける方が彼らにとってみれば重要なことらしい。鈴丸は小さく溜め息を吐いた。
それから二日後、神都高校の生徒たちはついに長い夏休みを終えて、始業式の朝を迎えていた。通学路を歩く二人も例外ではないのである。
久々に袖を通したワイシャツの白さを眩しく思いながら「しっかし」と太李は隣にいた巳令に対して笑いかけた。
「ほんと、ギリギリだったな……」
何が、と巳令にとっては改めて問うまでもないことだった。無論ながら宿題のことである。
もう。呆れたように巳令は笑う。
「終わったからよかったようなものなんですよ。これに懲りたら宿題は溜めずにやってくださいね」
「悪かったって……」
頭の後ろに手を回しながら太李は苦笑した。
「ほんと、鉢峰がいなかったらどうなるかと思った」
「まったく、調子いいんだから」
ぼそっと言われてごめんってと太李は両手を合わせ、軽く頭を下げた。
なるべく自力でなんとかさせようと思っていたのに気付いたらすでに宿題を終えていた自分は太李の宿題まで手伝ってしまっていた。これが惚れた弱みでも言うのだろうかと巳令は自分の甘さにうんざりするほどだった。
それでもまた太李が同じ状況だったら自分は手を貸してしまうのだろうなとそんな予想を立てることが今の巳令にできた精一杯だった。
どことなく不機嫌そうな巳令に「いや、ほんと反省してるって」と太李は項垂れた。
「次は自分でなんとかします……」
「え、あ、いや」
太李の言葉にまるで取り繕うかのように巳令は弱々しい調子で言う。
「その、頼ってくれること自体は全然嫌じゃないっていうか。むしろ、嬉しいっていうか」
黒い髪を耳に押し付けながら自分を見上げてくる彼女にぐっと太李は言葉を詰まらせた。
そのまま髪から手を離すと指を突き合わせ、「もっと頼ってくれてもいいんですよ。その、恋人、なんだし」
自分で言っておきながら巳令の顔は真っ赤に染めあがっていた。顔中が燃えるように暑い。残暑のせいだけではないだろうと巳令は思う。
太李も太李でその場で硬直してから「お、おう、そうだな! そうだよな!」と自分の顔を手で覆い、ぱっと背けた。
かれこれ、お互いに想いをぶつけあってめでたく結ばれてから数週間経っているものの未だに『恋人』だの『カレシカノジョ』という形容に慣れない自分がいるのを太李は自覚していた。巳令も同様である。
二人で花火大会に行ってみたり、こうして連れ立って泡夢の本部ビルにやら、学校にやらに行ったりこそするもののこれでいいのだろうかとついつい考えてしまう。
手を握るどころか恥ずかしくて距離を詰めることすらままならない。この間の花火大会でこそその場の雰囲気に呑まれてなんとかなったものの、それすら巳令から握ってきたのであって自分からではない。
どうにかしなければとは思うもののしかし、この登校時の人混みの中で彼女の手を取る勇気もない。ああ、意気地なしめと太李は自分で自分を罵った。
そうしたところで彼女の手に自分の手が伸びるわけでは無論ないのであるが。
どうしたらいいのだろうと太李が考え込んでいるとふふっと、巳令が唐突に小さく笑い声をこぼした。何を見て笑ったのかさっぱり分からず、太李は首を傾げた。
そんな彼を見て、口元に手を当てたまま巳令は楽しげに告げた。
「なんだかこんな風に二人で登校するのって楽しいなって思って」
「え、あ、そういうことか」
少なからず自分が妙な言動を取っていたわけではないらしいことに安堵してから太李は「じゃ、これからも一緒に行こうか」とだけぽつんと言い放った。
ぱっと巳令が嬉しそうに笑う。
「いいんですか?」
「いや、別に駄目ってことはないだろ」
苦笑しながら太李がそう返せばふふ、と巳令は照れくさそうに笑うだけだった。
その横顔を見てからばっと視線を逸らした太李はワイシャツの間に空気を送り込みながらわざとらしく言葉を紡いだ。
「今日もあっちいなー」
「そ、そうですねー」
ぎくしゃくと不思議な距離感を保ちながら二人は昇降口を抜けて行った。
教室の前までやってくると「あ、そうだ」と太李は思い出したかのように足を止めた。
振り返って、巳令は首を傾げた。そんな彼女を見つめ返しつつ、カバンの中から財布を取り出した太李は苦笑した。
「飲み物買ってくるの忘れた。今、自販行って買ってくる」
「あ……そうですか……」
すぐ戻ってくるというのにどこか残念そうにする巳令に軽く笑いかけながら「お前は? 飲みたいもんない?」
ちょっと考え込むようにしてから小さく彼女は口を開いた。
「緑茶……」
「はいはい」
財布片手に彼は来た道を戻って行った。
忙しそうに廊下を行き来する生徒たちとすれ違いながら聞こえてくる会話は夏休みの宿題の多さを嘆くものから小麦色に焼けた肌に関する質問が飛び交っている。
そういえば自分も少し日に焼けた気がする。
しかし、今年の夏は今までとは比べ物にならないくらいせわしく、そしてあっという間に過ぎてしまったような気がする。
色々ありすぎて振り返るのも大変なほどだ。今までの自分はこんなことになるだなんて思ってもみなかったことだろう。
小銭を飲みこませ、その代わりに吐き出されたスポーツドリンクと緑茶のペットボトルを取り出して、振り返ると太李はびくっと肩を揺らした。
理由は単純に、後ろに人が立っていたからだ。じっと自分を見つめていたその人物もびっくりしたように太李を見返してから「あ、その」と視線を泳がせた。
長い黒い髪の上に緑色のカチューシャが特徴的な女子だった。確か同じクラスの。太李が彼女の名前を思い出したのはすぐだった。
「諸星さん?」
自分の名前が呼ばれたことで諸星八重は「お、おはよう」と引きつった笑みを浮かべていた。
「おう、おはよう。あ、諸星さんも自販?」
「え、あ、まぁね!」
えへへと何故か照れくさそうに笑う八重を不思議に思っていると「あのさ、灰尾くん」
「ん?」
「今日、放課後って時間あるかな?」
「放課後?」
いつもより早上がりなこともあって鈴丸からの呼び出しまでには授業終了から少々時間があった。
特にしようと思っていたこともない。部活もまだ始まらない。
「あるっちゃあるけど」
「……ちょっとだけ話、あるから、付き合ってくれるかな?」
「話?」
なんだろうと思いつつ特に深い考えもなく「構わないけど」と太李は返答していた。
そんな彼の視界の中に梨花が映り込んだ。太李に気付いたのであろう彼女はぱぁっと顔を輝かせてから右手を挙げて、小走りで歩み寄ろうとしていたものの八重と会話中だと気付くやぴたっと足を止めてしまった。困ったように視線をうろうろと泳がせてからやがて何を思ったのか近くにあったベンチの陰にしゃがんで隠れてしまった。
もっとも顔だけをこちらに覗かせて、様子を伺っている状態で隠れてるとはとても言えない状態である。
「嬉しい! じゃあ、また放課後に!」
「え、あ、おう」
すっかり梨花の観察に神経を注いでいた太李の返事は中途半端だったことにも構わずに八重はぱたぱたと走り去ってしまった。
自販機に買い物に来たのではないのか、と思いながらそれより気がかりな先輩に向かって太李は駆け寄った。
「隠れられてませんよ、梨花先輩」
「ふぇ!?」
びくっと顔を上げて、心底驚いたような顔をしながら梨花は太李を見上げていた。
「お、おはよー灰尾くん、偶然だねーあははー」
「……気にしないで声掛けてくれればよかったのに」
ぼそっと太李が言うとうう、と梨花は顔を俯かせた。
「でもお話の邪魔しちゃ駄目かなって」
「大した話でもなかったんですから」
「ごめんなさい」
申し訳なさげに視線を伏せる彼女に「そんなんだと、また鈴丸さんに怒られますよ」
太李の言葉に梨花は勢いよく立ち上がった。
「す、鈴丸さんは関係ないですぅ!」
「はいはい」
「もう! あたしオレンジジュース買ってきます!」
ぷんぷんという擬音が似合いそうな怒り顔で自販機に向かってずんずん歩いていく梨花の後ろ姿を見ながら太李は苦笑した。
放課後、久々にやってきた図書室に南波は安堵感を感じていた。
古臭い紙の匂いとずらりと並んだ書架の威圧感が南波には心地いい。
傍目から見ても分かるほど今の南波は生き生きとしていた。やはり自分にはここが合うらしいと少なからず自覚していた。
「相変わらず益海くんも好きだねぇ」
のんびりと間延びした口調に南波はカウンターの奥からゆっくりと出てきた女性を見た。
三好生江という司書教諭の女だった。一年生の頃から入り浸るように図書室にいた南波にとってはどの教科の担当よりも馴染みのある教師でもあった。
荷物を抱えながらカウンターの中に入った南波は「悪いか」と無愛想に返すのだった。生江はそれを気にした様子もなく、苦笑で返す。
「そんなに怒らないでよぉ。怖いんだから」
「別に怒ってない」
「はいはいその顔も生まれつきなんでしょ」
書類を抱えながらくすくす笑う生江に南波は何も言わずにカウンター内にある椅子に腰かけた。
カバンの中からのそのそと本を取り出す彼に生江は面白そうに話しかけた。
「ねぇねぇ益海っち益海っち」
「なんだ」
「志摩次晴の新刊読んだ?」
「当たり前だ」
「当たり前と来ましたか……」
ちぇっとつまらなさそうに生江は手元のハードカバーの本に視線を落とした。
「せっかく三好先生頑張って新刊入荷したのにー」
「俺は借りるより買う派なんだよ」
「えへへぇ私も」
しかし、その言葉には南波は声を返さなかった。
すでに彼の意識は本の中の活字の方に潜ってしまったらしく、こうなってしまえば自分が声をかけたくらいではぴくりとも反応してくれなくなるのだ。
またちぇっとわざとらしくこぼしながら口を尖らせた生江は退屈そうに腕を組んだ。
がらりと音を立てて引き違い戸が滑りながら開く。「こんちはー」次いで聞こえてきた声に南波はほぼ反射的に顔を上げていた。
「あ、春風さん、ちょうどよかった。新刊、入ったよ」
「いやったー!」
生江の言葉にぱたぱたとカウンターの方へやって来たのはよもぎだった。
嬉しそうに笑うよもぎに生江は手元のハードカバーを差し出して、にこりと笑う。表紙を眺めてから中をぱらぱらとめくり、よもぎはふぅと息をついた。
「いやーなかなか買えなくって。司書さんに頼んで正解でしたわ」
「でもなんか意外、春風さんって志摩次晴とか好きなんだね」
「なんで意外とか言うんですかー。んもう、とにかくありがとうございました」
ぶーっと不満げにしながら南波の前まで移動したよもぎは「まっすみせーんぱい」と彼に笑いかけた。
用件は終わったからか生江はさっさと奥の部屋へと引っ込んで行ってしまった。溜め息を押し殺しつつ南波は貸し出しカードを探すために近くの引き出しを開いた。
うきうきした様子でカウンターから身を乗り出したよもぎは楽しそうに体を揺らしている。それだけの動作が南波には邪魔に思えて、手刀を振り下ろした。
いつも通り「あいってぇぇ!」と悶絶するよもぎを放って、ようやく見つけ出したカードを南波は彼女に差し出した。
「ほ、ほんと先輩が暴力的すぎて怖い……」
「なんとでも言ってろ」
ふん、と視線を逸らし、また文庫本に意識を投げかけようとした南波の考えはあっさり打ち砕かれた。
「益海くーん」
気弱そうな声をかけられて、振り返った南波は何も言わずに引きだしに手を掛けた。
そんな彼に代わるかのように「うおおお!」と叫び声をあげたよもぎが声の主に抱き着いた。
「制服梨花先輩だー!」
「ひゃぷ!?」
ぎゅううっと抱きすくめられて声の主、こと梨花は顔を真っ赤にしながら固まった。
そんなことにはお構いなしによもぎは梨花の体に顔を押し付けながらきゃっきゃっとはしゃいでいた。
「最近ずっと私服でしか会ってなかったから制服久々っすね! やっぱり先輩は制服が似合いますわー」
「そ、そんなこと」
「あーもーりかわいいんだからこの人は!」
よもぎの言葉にぴくっと梨花は顔を引きつらせた。
「り、『りかわいい』って何?」
恐る恐る問いかけてくる彼女によもぎは悪びれた様子もなく告げた。
「え? 『梨花先輩鬼可愛い』の略です」
「変な略語作らないでぇ!」
慌てた様子で梨花はぽかぽかとよもぎを殴る。殴ると言っても親指姫のパワーで殴られるのとは訳が違う。痛くもなんともない。
にこにこというよりにやにやと笑いながらよもぎは告げる。
「そういうのがりかわいいんですよ、先輩」
「だからそれやめてぇ! せ、セクハラだぁ! セクハラなんだからね! 怒るよ!」
わーんと泣きそうになりながらただただ梨花はよもぎをぽかぽかしているだけだった。
目の前で繰り広げられる戦闘(というより一方的な先輩いじめ)に眉一つ動かさず、南波は黙って貸し出しカードを取り出した。それを見た梨花は渋々、よもぎへの攻撃をやめて、カバンの中から今日が返却日になっていた本を取り出し、彼に手渡した。
「ちゅーかそもそも、りかわいいって言い出したの自分じゃないですし」
「へ!?」
「いや、そんなびっくりした顔されてもなぁ」
複雑そうな顔をしながらよもぎは書き終わったカードを南波に差し出す。
返却手続きを終えた南波がよもぎのカードに手を付けると梨花は「じゃあ、誰?」とよもぎに問いかける。彼女は満面の笑みでそれに答えた。
「鈴さん」
やっぱり! 予想通りの人物にぷくーっと梨花は頬を膨らませた。
それが可愛いんだよなぁ、とよもぎは膨らんだ梨花の頬をぷにぷにと押し返してしぼませようとする。
うーと唸りながら踵を返した梨花は「益海くん、よもぎさん、またあとで!」とだけ言い残すと大股で図書室を後にしてしまった。
「怒ってましたね」
「怒ってたな」
ようやく会話に加わった南波は「ほら」とハードカバーをよもぎに対して突き出した。あざっす、と彼女はそれを受け取って頭を下げた。
やっと本が読める、南波はそう思ったものの現実は甘くはなかった。
「あ、みれーせんぱーい」
ふりふりと手を振るよもぎに入口に立っていた巳令が振り返していた。
なんでこいつらは揃いも揃って人がここにいるときにやってくるんだと南波は嘆きたくなった。
そんな南波の心情など知ったこっちゃないとばかりに巳令の後ろを覗き込んでいたよもぎが「あれ?」と首を傾げた。
「みれー先輩ダーリンどうしたんすか、ダーリン」
「だ、ダーリンとか変な言い方しないでください!」
恥ずかしそうにぷいと顔を背ける巳令は「灰尾はその、用事があるから。ちょっとだけ時間潰しにと思って」
黒い髪を押さえ、そう告げる巳令の姿は同性のよもぎにすら可憐に映った。ふらっと眩暈を覚えたよもぎはカウンターによりかかりながらふふ、と小さく笑った。
「なんてこったい……春風の先輩みんな可愛い過ぎる……可愛い過ぎるぜ……」
「そりゃよかったな」
深々と溜め息を吐きながら南波はそれだけ返した。
困ったように笑っていた巳令は「そういえば」といましがた自分が入って来た入口を見つめて首を傾げた。
「梨花先輩、なんであんなに怒ってたんですか?」
「鈴さんにからかわれたんですよ」
「ああ……むしろ怒ってる梨花先輩が見たいがためにやってますよね、鈴丸さんも」
「ですよねー」
笑い合っている女子二人に南波はもう一度だけ溜め息を吐いた。
一方で太李は八重に呼び出された教室になぜかこっそりと顔を出していた。
後ろめたいことなど特にない。そう思いながら窓際の机の上に腰かける八重以外誰もいない教室に彼は一歩踏み込んだ。
入って来た太李に気付いて八重は笑みを浮かべた。その裏表のなさそうな笑顔に少なからず安堵しつつ、彼は首を傾げた。
「それで、用事って?」
「あ、うん、用事ね……」
目を伏せながら、両手の指を擦り合わせた八重は恥ずかしそうに視線を泳がせたのちに、やがて意を決したようにその言葉を放った。
「あの、好き、です」
顔を真っ赤に染めながら、言ってしまったとばかりに自分を見上げる八重に太李は一瞬訳が分からなかった。
告白された。理解するまでそう時間はかからなかった。
絞り出すような言葉に自分も覚えはある。だからこそ、曖昧にしてはいけないと彼は視線を逸らしながら小さく返した。
「ごめん」
それ以上、どう言葉をかければいいのか、太李には分からなかった。
八重の方はふらっと後ろに下がると「やっぱり……」と弱々しく笑うだけだった。
「やっぱり?」
「いや、なんとなくそんな気がしてて。でも言いたかっただけっていうか、ごめんね、私の我儘なの」
薄く笑う八重に「そう、か」としか太李は返せなかった。
ぎゅっとカバンを抱き締めながら八重はぺこりと頭を下げる。
「ほんとに、ごめんね」
弱々しくそう言って、顔も上げずに八重は歩き出そうとする。
ところが、あろうことか、足をもつれさせた八重がそのままぐらりと前のめりに倒れ込んだ。太李がその体を受け止めようとしたものの微妙にタイミングがズレたせいで二人揃って倒れてしまった。
ぼふんと太李の顔を何か柔らかいものが包んだ。
むにむにと生々しい感触が伝わってくる。人のものに触れたことはないが変身したあとの自分にとってはある意味馴染みのある感覚だった。
一瞬、頭の中が真っ白になって硬直してからやがて「うわぁあああごめん!」と太李は勢いよく起き上がると後ろへ後ずさった。
真っ赤になりながら震える八重になんと言ったらいいのか悩んでいると彼女の後ろに人影を見つけ、彼は恐る恐る、視線を上へと移動させた。
そして、本日、二度目となる硬直を味わうことになる。
「……ふーん?」
黒いスカートをふわりと揺らしながらそこに立っていたのは太李にとっては今この場面を一番見て欲しくなかった人である。
真っ黒な瞳が冷ややかに太李を見下ろしている。その瞳に侮蔑の色すら浮かんでいたのが太李にはよく分かった。
「やたら遅いと思ったらそういうことだったんですか……」
彼女らしからぬ低い声に彼は思わず萎縮した。
鋭い瞳で太李を睨み付けてからちらと自分の胸に視線を落とし、「ああそう」と巳令は何も言わずに踵を返した。
「あ、ちょ、鉢峰!?」
慌てて立ち上がった太李は「あの、ほんとごめん!」とだけ八重に言い残すとさっさと廊下を歩いていく巳令に駆け寄って行った。
その日、ウルフの目に映った聖護院麗子は酷く憔悴しきった様子だった。
原因は単純に、この間、γ型をフェエーリコ・クインテットに破られたことに少なからずな責任を感じているからであるがそれを理解できるはずもないウルフは物陰から疲れ切って、ソファの上に倒れ込む麗子をちらちらと見ながら自分のせいではなかろうかと怯えているのが精一杯だった。
「ウルフ?」
後ろから声をかけられて彼女はびくっと小さな肩を跳ね上がらせた。
それから勢いよく振り返り、声の主に向かって吠えた。
「び、びっくりさせんなうわばみ! ばぁかばぁか!」
「はは、すまない。そこまで驚くと思っていなかったんだよ」
がう、と吠えるウルフにうわばみは小さく笑いかけた。
彼はウルフと視線を合わせるためにしゃがみ込むと「こんなところでどうしたんだい?」と首を傾げた。
菓子類の入った袋をぎゅっと握りしめてからウルフは少し躊躇ったあとに、麗子のことは悔しいながら自分よりこの男の方が理解していると子供ながらに判断して口を開く。
「れーこがつかれてる。あちしのせいかもしれない」
ははっとおかしそうにうわばみが笑い声をあげた。思わずウルフは再度吠える。
「なんでわらうのー!」
「すまない。大丈夫、君のせいではないよ」
彼の言葉にきょとんとしてからウルフは大きく首を傾げた。
「ほんと?」
「ああ。そんなに心配なら聞きに行ってみればいいだろう?」
「……やだよ」
目を伏せながらウルフは不満げに言う。
「れーこはあちしにきをつかうからあちしのせいでもあちしが悪いってゆわないもん」
「気を遣うだなんて難しい言葉を知ってるんだね、ウルフは」
「ばかにすんなー!」
きーっとその場で地団駄を踏むウルフにうわばみはまたおかしそうに笑い声をあげた。
やっぱりこの男は嫌いだ! 心の中で叫びながらそーいえばとウルフは辺りを見渡し、目を鋭く尖らせた。
「キリギリスは?」
「さっき面白そうなのを見つけたってまた出て行ったけど。どうして?」
「だってれーこキリギリスと出かけてかえってきてからあんなんだもん。ずぇったいにキリギリスかあのばかどものせいだもん!」
ぶんぶんと腕を振り回すウルフに間違ってはないね、とうわばみは心の中で答えを返した。
しかし彼がそれを口に出す前に、ウルフはさらに続けた。
「キリギリスが悪くなかったらあのおさかなやろーのせいだよ! ぜったいそう!」
「どうして?」
「だってウルフちゃんあいつきらいだもん! すぐばかにするしー! うわばみみたい!」
べーっと舌を出すウルフにうわばみは苦笑した。
それから何を思ったのかウルフはぎゅっとうわばみの手を握ると「うわばみーきてー」
「トイレ?」
「ちーがーう! れーこんとこ! うわばみにはれーこうそつかねーもん!」
ふんす、と鼻息荒く歩き出す彼女にうわばみはまた苦笑するだけだった。
これくらいで気が済むならいくらでも付き合ってあげるよ。
そう心の中で思いつつである。
先ほどまで怒っていたのが嘘のように梨花はふるふると怯えきった表情で震えていた。
いつもの休憩所で再合流したよもぎは「どうしてこうなった……」と顔を引きつらせ、梨花の怒りの原因であったはずの鈴丸は「お前らは……」と頭を抱え、マリアはちらちらと碧眼で伺いつつ銃を磨いて、南波はお構いなしに本をめくる。
ああ、空気が悪い。紅茶を淹れながらベルはちらりと横目でその原因を伺った。
彼女の視線の先にいたのは雰囲気だけで「私は不機嫌です」と語る巳令と小さくなって項垂れながら正座する太李だった。
「で、何があったのかしら?」
ティーポット片手にこそっとベルはよもぎに耳打ちした。
「さあ。自分らと一旦別れる前は相当機嫌よかったんですけどね」
「女心と秋の空、って奴か」
「あらマリアよく知ってるわね」
ベルの感心したような台詞には何も返さずに彼女は再び銃へと視線を落とした。
いつもなら喧嘩を止めに入る梨花が何もできないくらいには今の巳令は怖いらしいと鈴丸がどこか他人事のように思っていると彼女は重たそうな口をゆっくりと開いた。
「私、待ってたんですけど?」
「いや、だから誤解なんだって」
「待ってた彼女ほったらかして他の女の子といちゃいちゃしといてまだ言い訳します?」
「だーかーら」
話は平行線だった。
巳令が頑固だということは太李もある程度は分かっていたつもりだったがここまでとは思っていなかった。勿論自分に非があるのは分かっているが。
「ごめんなさいね、顔を突っ込めるような胸もない彼女で!」
「ひ、卑屈だ……みれー先輩が卑屈になるあまり自虐してる……!」
ひい、と悲鳴を上げながらよもぎは体を引いた。
「いや、鉢峰、だからあれは事故で……」
「どうせ男の人なんて……」
低い声のまま巳令がぶつぶつ続ける。
「男の人なんて胸にしか興味がなくってちょっとお、お……む、胸が大きいからってデレデレして……諸星さんなんていい人な上に胸が大きいし……」
「あのなぁ……」
「どうせ灰尾だって、胸がないより大きい方がいいと」
「思ってないです」
すっぱり言い放つ太李に巳令はすぐさま答える。
「嘘」
「嘘じゃないって。俺は、鉢峰の胸囲がどうだろうが、その、鉢峰が好きだし」
「それは」
「あとな、鉢峰」
ぽんぽんと彼女の肩を叩きながら太李は勢いよく告げる。
「俺は、その、胸よりも足に興奮するタイプでだな」
「……はい?」
彼の言葉に巳令は思わず固まってしまった。
気まずそうに視線を逸らす太李を見て、巳令はぼそっと告げた。
「変態」
「……すいません」
「そこは嘘でもいいから鉢峰がとか言うところじゃないんですか」
「いや、だってこの状況で嘘吐いたらお前もっと怒りそうだし」
ぶつぶつと言い合う二人になんだかなぁとベルが苦笑しているとやかましいサイレンの音がその場にいた全員の鼓膜を揺らす。
よもぎは口を尖らせて思わず不満を口にしていた。
「うえー……こないだ来たばっかりなのに……」
「文句を言っても相手は待ってくれないの。はい、行った行った」
ベルに促されてようやく重たそうに腰を上げるよもぎを一瞥してから巳令は涼しく告げた。
「……ひとまず休戦です。いいですか、ただの休戦ですからね」
「は、はい!」
びくっと背筋を伸ばす太李に「よろしい」とだけ言い放ち、巳令もまた入口の方へと歩いて行った。
「ほんっと」
銃口を相手に向けながらマリアは笑う。
それは心からの笑みではない。自分の無力さを嘲り笑うかのような、自虐的な笑みだった。
「心底趣味が悪いぜ」
合わせられた照準にはうっすら紅色がかった着物を着た女が刀を抜いて立っていた。深く考えずに、マリアでも分かる。またγ型が来た、と。
その後ろには四本足で地面を踏みしめる焦げ茶色の毛を全身にまとった生き物――巨大なたぬき型のα型が牙を剥いていたもののそれよりも、その女の顔に、太李も巳令も覚えがあった。
「諸星、さん?」
どちらともなくその名前が口からこぼれ落ちた。
諸星八重、まさに今自分たちが対立している原因ともいえる人物だった。適応者だったのかと驚く前に偶然とも必然とも分からぬ事態に太李は焦った。
今の巳令はとてもじゃないが冷静でいられるとは思えない。ちらりと振り返ると巳令は黙って自分の刀に手を掛けている最中だった。
「は、鉢かづき?」
恐る恐る太李が声をかけると「全く」と彼女は鞘から刀を抜き、剣先を八重に向けた。
「私は自分の感情で敵を見誤ってしまうほど愚かだとでも思われたのでしょうか」
だとすればそれはとても不快なことだと、巳令は鉢の下で顔をしかめた。
地面を蹴り上げ、巨体を引きずりながらα型が太李に襲い掛かる。それをきっかけにしたように周囲からぶわっと群がるようにカラスたちが黒で空を埋めた。
マリアの銃口の向きが変わる。カラスを捉え、火を吹いたそこから飛び出した鉛玉が次々とカラスたちを撃ち落としていく。その彼女とは反対側によもぎも矢を放った。
梨花と南波が太李に駆けて行くのを見ながら巳令もまた、駆け出した。目的は無論、八重であった。
振り下ろされた巳令の刀がぎちっと音を立てながらぶつかり合う。鍔迫り合いのような形になりながら刀を押し返されて、巳令がバランスを崩す。
まだ体勢の整っていない巳令に対して黙って振り上げられた八重の刀がそのまま、彼女の首元を捉え、振り下ろされた。間一髪でそれを受け止めると「やっぱり、言葉での説得なんて無理ですよね」と巳令は息をついた。
太李はγ型に唯一対応できる強化変身はまだ出来ない。他の分は完成していない。自分に迫ってくる刀をなんとか押し返してから巳令は自分の懐の手を入れて、小さな箱を取り出した。
自分がやるしかない。それが巳令の答えだった。
当然ながら八重に対して腹が立たないというわけではない。しかし、『人のため』という大義名分で八重を犠牲にしていいはずなどない。
すでに柚樹葉から受け取っていた箱の中から黒い石のついた指輪を取り出した彼女は恐らく自分のことを見ているのであろう友人に呼びかけた。
「柚樹葉」
「相変わらず君は判断が早くて助かる」
通信機越しの彼女に声にふふ、と巳令は笑った。
「当然です。私に友人を犠牲にしろと?」
「君はいい奴だ」
巳令が指輪をはめたのを確認した柚樹葉は「それじゃあ」と言葉を続けた。
「始めようか」
一瞬、光に包まれた彼女から八重が勢いよく離れていく。
きらきらと輝く光が、やがて小さく散っていく。そうして光が晴れたそこには丈が短めの白い着物姿の巳令だった。紅色の華が裾の方でわずかに咲くばかりではあるものの腰に絞められた黒い帯には金糸が華やかな帯締めがされていて決して控えめなだけではなかった。
何よりの違いは今まで頭の上に乗っていた黒い鉢がなくなっていたことである。長く伸びた黒髪が風を拾い、なびいている。
かつんと黒いブーツで地面を蹴りながら綺麗に切り揃えられた前髪をいじり、巳令はぽつんと感想を述べた。
「視界が広い……」
通信機の向こうで柚樹葉の大笑いする声が聞こえてきた。
それに少しだけむっとしつつ巳令は腰に差された二振りの刀を見て、両手にそれぞれ一振りずつ握って引き抜いた。
たんっと地面を蹴り上げた八重が巳令に向かって刀を振るう。それを右手の刀で受け止めた巳令はその刀を巻き込んで、くるりと一回転させた。八重の手から離れた刀がそのまま巻き上げられる。
「……ごめんなさい。すぐ終わりますから」
そう言った巳令は怯む八重から少しだけ距離を置くとぐっと刀を構え、次には踏み込みながら交差するように振り上げた。
斬り付けられた八重の体はまるで糸が切れた操り人形のように地面に倒れ伏した。その姿はすでに元の八重のものだ。
「マーベラス・フィニッシュ!」
ずん、という重い音が聞こえてどうやら向こうも終わったらしいと彼女は二振りの刀を鞘に納めた。
「もう怒ってないですよ」
財団への帰り道、少しだけ自分と距離を置く太李に巳令は静かにそう言った。
太李はぱっと顔を上げるとほんとに? とでも言いたげな表情で巳令を見つめ返した。
「本当ですって」
巳令が苦笑しながら返せば、「そ、そうか」と小走りになりながら太李は巳令の横に並んだ。
やっぱりこの方が落ち着くんだ。巳令は自分がどうにも甘いことを再度自覚した。
「怒ってないですけど」
次いで太李に向けられたのはどこか呆れたようなじっとりとした目だった。
「足に興奮するって発言についてはドン引きです」
はっとしたように太李が慌てて首を振る。
「ち、ちが、あれは勢いで!」
「じゃあやっぱり胸がある方がいいんだ」
「いや、ちが!」
わたわたと一人慌てる彼を心底楽しそうに巳令は見つめていた。




