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第二十二話「魔女は魔女なりに苦悩しているようです」

 目の前に広げられた資料は『蓮見和歌』としては懐かしいものであったが『ベルガモット』としては煩わしいものだった。

 過去に自分が勤めていた職場の職員資料。自分のもの以外を手に入れるのは今のベルにとっては非常に安易だった。

 否、手に入れるという言い方は少し違うのかもしれない。自分の過去を処分する上で、持ってきていた当時の資料を引っ張り出すだけの作業だった。

 ずっと彼女に心に引っかかっていることがある。


 ――あら、うわばみの知り合いというのが誰かと思えば。久しぶりですわね、蓮見。


 あの場に居たトレイターは確かに自分にそう言った。

 返した言葉の通り、ベルにはあの女に心当たりはなかった。当然、あのときの彼女と自分が過去に出会っているのであろう彼女の姿は異なる可能性が高い。現にうわばみはそうだった。

 無駄な足掻きであろうことは分かっていた。それでもベルは目の前の資料から視線を外すことができなかった。

 彼女がこの場にやって来たときにはまだ湯気を吐き出していた白磁のカップは冷たく冷めきっていた。

 冷房の風が湯気をさらって行ってしまった。紅茶があるのにほとんど口をつけずにそのまま置いておくなど自分らしくもないとベルは自分で自分を嘲笑った。


 普段は誰よりも周りを見ているのに、時々、本当に周りが見えなくなるのが君の悪い癖だ。


 誰かにそう言われたことをふと思い出して、ベルは不快感から顔を歪めた。

 言葉の意味が不快だったわけではない。それを発している相手とそれを受け取る存在が不快だったのだ。

 本当はどんな顔をした人だったろうか。もう彼女にはそれをおぼろげに思い出すことしか出来なかった。

 楽しかったことも、愛おしいと思ったことさえも、今となっては、ただただ不愉快で余計な記憶でしかない。だからきっと脳内でそれを排除しようとしているのだろう。ベルは頭の中でそう自分に言い聞かせていた。

 それが事実であろうがなかろうが、彼女にとってはどうでもいいことだ。ただそう思い込むことだけが必要だった。

 そう思っている間でなら自分は『ベルガモット』でいられるのだ。

 蓮見和歌の記憶を許した瞬間、心底弱い自分はベルガモットではいられない。

 過去を許さない。それは分かっているうえで、彼女が選択するしかなかった無意味は罪滅ぼしだった。自分の手で自分を殺す。

 冷めきった紅茶を彼女は一気に仰いだ。わずかな甘みと苦みが口の中で広がる。

 見たくないものに蓋をしているだけ。そんなことは自分が一番分かっている。

 それでも彼女は立ち止まるわけにはいかなかった。立ち止まり、自分の過去をベルガモットとして肯定できない以上はこうして、無意味な罪滅ぼしを続けるしかなかった。

「にが……」

 口から思わずついて出そうになった言葉を押し殺すために、彼女はただそれだけの事実を外に吐き出すのに全力を傾けた。

 ただあの女が誰なのか。それだけを知ればいい。

 今ここで自分が思い悩んだところで兄が返ってくるわけでも、うわばみが元に戻るわけでもないのだ。そう言い聞かせる一方でまそんなことを考えている自分に彼女はうんざりした。




 聖護院麗子は以前はこの名前が自分にそぐわないものだと、常々思っていた。

 麗しい子と書いて麗子。両親が与えた名前はどこか自分に枷を与えている。名前負けだ。きっと周りもそう嘲笑する。

 だから前の自分は名を聞かれても苗字しか答えなかった。それで不便しなかったのだ。

 そうやって自分が名前負けているということを周囲に悟られないように過ごしてきたある日、彼女はいつも通り苗字を名乗った相手にこう言われてしまった。

『苗字じゃないさ。名前の方を教えてくれ』

 そう言われ、彼女は無意味に波風を立てる必要もないと渋々下の名を名乗った。

『いい名前じゃないか』

 たったその一言だけで、自分が救われるような気持ちになるとは思ってもみずにであった。

 叶わぬ恋だと分かっていた。それでも彼女は彼を追い、想うことをやめられなかった。

 手に入れたいとそう願うようになった。

 そしてその日、麗子は彼からその言葉を聞いた。

『君は私の味方でいてくれるかい?』

 涙が出るほど嬉しかった。

 選ばれたのはあの女じゃないのだと。

 自分はあの女に勝ったのだと。

 麗子は自分の中に湧き上がってくるどす黒い何かを隠そうともせずに、ただ落ち着いた声音で答えた。

『勿論ですわ』

 これは自分にとって幸せなことなのだと。信じて疑っていない。


 それからの麗子はまるで人が変わったかのようだった。


 湧き上がる感情のまま、生き続けた。臆することも、苦しむこともなく。

 やっぱり幸せなことだと思う。

 自分の膝の上に頭を乗せてすやすやと穏やかな寝息を立てるウルフを撫でながら彼女はそれを自分の中で再確認した。

 子供らしいあどけない寝顔のまま規則正しく息をする。そんな彼女の口元に駄菓子の残りかすがついているのを見つけて麗子はそれを指ですくいあげるとぺろりと舐めた。

 妹とも、娘ともつかぬ彼女を麗子は心のどこかで愛おしく思っていた。

 最初は頼まれたから面倒を見ていただけだったものの、いつの間にかその気持ちは母性に近しいものになってしまったのかもしれないと思っている。

 情を抱くなとは一言も言われていない。だったらいいだろうと麗子は思っている。

 自分より弱い者を見て安心したいという弱者の理屈だということに彼女は少しも気付いてはいなかった。

「魔女さまが聖女ごっこ?」

 頭上から聞こえてきた不愉快な声に麗子は眉を寄せた。

 それからその不快な声の持ち主を確認するまでもなく、どこからか取り出した拳銃を相手に突きつけた。

「お黙りなさいな、キリギリス」

 麗子の視界の端に映り込んでいた緑色のコートがわずかに揺れる。

 キリギリスが眼鏡の奥の目を細めて、わずかに笑う。

「そんなに怒らないでおくれよ」

「分からない奴ですわね、ウザいと申してますの」

 麗子の鋭い眼光が彼を捉えた。やれやれとキリギリスは肩をすくめた。

「そんなに僕が嫌い?」

「それより、γはどうしたんですの?」

 あくまで彼の質問には答えずに自分のペースで話を進める麗子にキリギリスは苦笑するばかりだった。

「少し、君にも手伝って欲しくてね」

「うわばみはなんと?」

「君の返答次第だと」

 麗子は溜め息を吐いた。あの人はそうやっていつも大事なことを人に任せてしまう。

 信頼されてはいるんだろうが。なんともいえない気持ちで奥歯を噛み締めながら「お手伝いしてあげても構わなくってよ」とウルフの頭をわずかに持ち上げた。

 素早くその頭の下にクッションを置いてやるとその枕元に小さなお菓子の缶を一つ置いてやった。

 一連の流れを眺めを見つめながらキリギリスがからかうように告げる。

「すっかり母親だねぇ」

 その言葉を当たり前のように麗子は無視した。




 黒塗りの銃口が弾を吐いた。

 動き回っていた的の動きがぴたりと止まる。その真ん中には綺麗に穴が空いていた。

 煙を上げる銃口を見つめながらその銃の持ち主たるマリアは首を傾げる。

 何かが微妙に違う。感じている本人ですら言葉にするのは難しいような微妙な違いにマリア自身が戸惑っていた。

 そっと瞳を閉じたマリアは鈍く輝く銀色の銃を取り出した。それを両手で構えてから彼女は引き金を引いた。

 またしても中央に空いた穴を見つめながらそれでもマリアは満足そうな顔をしなかった。

 目を伏せながら二丁の拳銃を丁寧に片付けてから彼女はようやく訓練場を後にした。

 その足はどこか重い。本当に調子が悪いのはなんなのかよく分からなかったからだ。

 くそったれ。彼女が日本語で呟いたつもりの言葉はいつの間にか母国の言葉に変換されて耳に届いた。

 そんな日だってある。そういえば納得できないわけでもなかったがそれで納得するにはあまりにも酷いありさまだとマリアは思っていた。

 焦ってロクなことはない。廊下を突き進みながら彼女はいつも通り、休憩室の扉を開いた。

「ああああもう無理っす! ぜってぇおわんねぇ!」

「落ち着け春風、まだだ、まだ二日ある」

「あんたこそ落ち着いちゃ駄目なんですよ益海先輩!」

 がぁっと吠えるよもぎの声を聞いてマリアは入口できょとんと固まった。

「あ、マリアさん……」

 ととっと自分の元に駆け寄ってくる梨花に「どういう状況だよ」と彼女は苦笑した。

 梨花は気まずそうに視線を逸らすと「その、みんな宿題が」

 マリアには心当たりがある。高校時代の夏休みの終了間際、長期の休みの前に出された大量の宿題に対して友人たちが悲鳴を上げていたことがある。それが冬と春にも同じようなことが起こったように彼女は記憶している。どこか一ヵ所に集まって大騒ぎしながら終わらせたのも一度や二度のことではなかった。

 懐かしさすら感じながら呆れたように彼女が言う。

「溜めてたのか、お前ら」

「いや、なんかすっかり忘れてて……鉢峰と梨花先輩はまだマシだったんですけど俺らは重症で……」

 ワークにシャーペンを走らせながら険しい表情を浮かべる太李にマリアは頭を抱える。

 仕方のないことだとは思うが、かといって学校側にヒーロー活動が忙しくて宿題を忘れましたなどと言い訳できるはずもない。

 それから不意に、辺りを見て「鈴とベルは?」と彼女は首を傾げた。それに答えたのは巳令だった。

「鈴丸さんは用事があるから大人しく宿題してろと。ベルさんは今日はまだ」

「……あいつら二人揃ってあたしに押し付ける気かよ」

 わしゃわしゃと髪を掻き毟りながら、小さく笑ったマリアは「うーし」とぱきぱき首を鳴らす。

「しゃあねぇなぁ。あたしが手ぇ貸してやる。分かんないとこあったら持って来い」

 にっと笑ったマリアにおお、と歓声が上がった。

 じゃあじゃあ、と一番にマリアに歩み寄ったのはよもぎだった。

「これ、これよくわかんなくって」

「ん?」

 彼女の手の中にあるプリントを覗き込むとところどころ穴の空いた年表が印刷されている。

 その宿題の出し方にマリアは心当たりがあった。苦笑しながら問う。

「これ、作ったの城之内(じょうのうち)だろ?」

「え、あ、はい。マリアさん、城之内先生のこと知ってるんですか?」

「知ってるも何も二年んときの担任。あいっかわらずわかりづれー問題出すよなーそいつ」

 けらけら笑いながらプリントを眺めるマリアに「あ、そっか、マリアさんそういえばうちの高校の卒業生でしたっけ?」と太李。

「まぁな」

「なんか、マリアさんが高校生ってあんまり想像できないですね」

「なんだよそれ」

 巳令の言葉を笑い飛ばす。

「別にお前らと同じような感じだったぜ。ダチとつるんで、おんなじとこに集まって騒ぐんだ」

 懐かしいな、とマリアは碧眼を細めた。

 その優しそうな横顔に「なんかマリアさんって」と太李は特に他意もなく問いかけた。

「ほんと、友達の話するとき楽しそうですよね」

「そうか? ま、一応大事なダチだしな。あ、これお前らもそうだかんな」

 とそこまで言い切ってから急に恥ずかしくなったのかよもぎにプリントを押し返しながら彼女は慌てたように首を左右に振った。

「いやいや! あたしの話はどうでもいいんだって! お前らもあんな感じで必死になれ!」

 そう言った彼女が指差したのは数学のプリントを目の前にして唸りながら頭を抱える南波だった。




 麗子は自分のいる空間の不快さに思わず顔をしかめていた。

 ちらりと視線を投げた先には色とりどりのドレスを着せられ、じゃらじゃらと装飾の付けられた女の『人形』たちだった。

 しかし、そのうちの一体は肌はただれ、ところどころ骨が露出し、普通なら我慢ならないほど、ただ永遠と不快にしか鼻を刺激しない腐臭や床に散らばる破片や髪の毛がそれがただの『人形』ではないことは誰の目から見ても明らかだった。

 まして、ある程度、目の前にいるキリギリスのことが分かっている麗子には尚更だった。

 彼はこれらを見ては美しいと称賛するのだが麗子にはどうもそうは思えなかった。うわばみもきっと同じ答えを返すだろうと踏んでいる。

 どうでもいいか、そう思いつつ麗子はそのどうでもいいことに関して言葉を発していた。

「悪趣味ですわ」

 ぽつんと宙に放たれた麗子の言葉をキリギリスは聞き逃してはいなかった。

 踵を返し、くるっと振り返った彼は爛々とした瞳を麗子に向けて今にも歌でも歌い出しそうなほど楽しそうな声で話し出した。

「この美学が理解できないなんて、だから人間に価値はないのさ」

「あなただって人間じゃありませんの」

「まぁね。でも人形の素晴らしさが分からない魔女たちよりは遥かにマシな人間さ」

 そう続けながら『人形』に唇を落とす彼にげっと麗子は身を引いた。

 彼にとって生きる者を『殺す』という行為は単に『人形を作っているだけ』に過ぎない。彼にとっては裁縫をするのと殺人は同義なのだ。

 死体そのものが好きなわけではない。あくまで彼が好きなのは『人形』なのだ。その違いは麗子にも全く分からないがとにかくそういうことらしい。

 生きることを放棄させられて、『人形』と化したそれらだけに彼ははじめて愛にも近しい、燃え上がるような感情を覚えるのだという。

 全く理解できないことでもある。理解できなくても困ることはないだろうと思っている。


 これ以上この場にいることも、自分の理解の範疇を越えた価値観を永遠と聞かされることもうんざりだった麗子は「それで」と無理やり話を打ち切った。


「どうなってるんですの、γの方は」

 言わせまいとする麗子の意思が伝わったのかキリギリスは不満げにしつつもその瞳をゆっくり後ろへ向けた。

「本当は人間になんて興味ないんだけどね、うわばみが言うから仕方なくだよ」

「適応者ですの?」

「抜かりはない」

 二人の視線の先には、腰を抜かして涙目で震えている女がいた。

「まぁまぁお可哀想に」

 上っ面だけ取り繕った、実にわざとらしい麗子の言葉が狭い部屋に響く。

 麗子が手を伸ばせばぴくっと女が体を跳ね上がらせた。逃げ出したそうに手を、足を、伸ばそうと試みているのは麗子にも分かったがそれを手助けしてやることは一切せずに魅力的な笑顔を浮かべたまま、また言葉を続けた。

「大丈夫、すぐに恐怖などなくして差し上げますわ」

 麗子の握り拳が女の腹部に直撃する。

 小さく呻いてから、女は前のめりに倒れ込んだ。それを受け止めて、白いカチューシャを取り出した彼女はそれを女の頭の上に置いた。

 女の姿は変わっていく。淡い青色のドレスに美しい黒髪が映えている。

「ほんとにうまくいくの?」

「わたくしを疑うことはすなわち、うわばみを疑うこと」

 いつの間にか自分も白いハイヒールを履いた麗子の姿も変わっていき、やがて魔女になった。

 その手に握った拳銃を迷いなくキリギリスに向けながら彼女はにっこりと笑う。

「もし今度無駄な口を叩いたらそこの不快なお人形のお仲間にしてさしあげますわ」

「それは勘弁して欲しいもんだね」

 そっと銃口を自分から外しながらキリギリスは傍らに置いていたシルクハットをぽんと被った。

 もう、そこに居たのはコート姿の男などではない。先ほどのコートとほとんど同じ色の九尾服に滑稽なほどしっかりと蝶ネクタイをつけた丸メガネの男だった。白い手袋をはめ直すその姿を見ながら紳士というよりは路上でパフォーマンスでも始めそうだと麗子はおかしくなった。

 くるくるとキリギリスの手元のステッキが弧を描く。上の方を見上げながら「さあ」と麗子は両手を広げた。

「はじめましょうか」

 どうか、見ていてくださいまし、うわばみ。心の中で麗子はそう呟いた。




 変身済みの南波の声がどこか不満げに響く。

「本当にここなのか?」

 金髪を鬱陶しそうに払う南波に通信機越しのベルの声が答えた。

「確かにここに反応が出てるのだけれど」

「別にベル姉様を疑ってるわけじゃないんですけど、ねぇ?」

 振り返ってくるよもぎに太李は小さく頷いた。

 ディスペアが出現する合図であるサイレンのせいで宿題の中止を余儀なくされた彼らがいたのはすでに廃れてしまった廃病院の前だった。もはや清潔感を失い、くすんだ白の壁には蔦が絡まりつき、薄汚れた外見は果たして昔本当に病院として機能していたのかどうかを疑ってしまうような見た目だった。

 しかし、空は暗い。

 頭の後ろで手を回しながらマリアが唇を尖らせた。

「そもそも、ディスペアって人が多いとこに出なきゃ意味ねーんだろ? これじゃ、多いどころかゴキブリくらいしかいそうにねぇよ」

「でもセンサーはここを差してるし、こういうときに限って柚樹葉さんはいないし」

 ぶつぶつ一人で言いながらベルは「少し見て回ってくれないかしら」了解です、と一番に返事をしたのは巳令だった。

 一歩踏み出したマリアがわずかに顔をしかめる。

「マリアさん?」

「……待ち伏せたぁ、穏やかじゃねぇな」

 梨花の声を聞きつつ、目を細めたマリアがホルダーに手を伸ばすと「そうでしょうか?」と本当に純粋に疑問を含んだような声がどこからか上がる。

 声の主は、すぐさま、全員の前に現れた。

「ご機嫌よう、フェエーリコ・クインテットとその愉快なお仲間さん」

「トレイター……!」

 ようやく見えた麗子の姿に全員が身構えた。

 はぁ、と麗子は溜め息を吐いた。

「嫌ですわ、相変わらずお馬鹿丸出しの仲良し集団で。吐き気がしますわ」

「そういうお前だって仲良く仲間引きつれてるだろ」

 太李が麗子を睨みながら後ろにいる人影を差してそう返せば、彼女は甲高い笑い声をあげた。

「これだからお馬鹿さんは困りますの。この高貴なわたくしをこんな使い捨てのディスペアと変態と一緒にしないでくださる?」

「変態って、酷いなぁ。魔女は」

 そう言ってくねくね体をくねらせるのはキリギリスだった。

 彼は対峙している全員の顔を見渡してから「そことそこ」と太李と南波を順に指差した。

「そこは元々、男なんだっけ? 『人形』にしたら元に戻るのかな?」

 寒気を感じて、太李はわずかに身を引いた。南波の方も愉快そうな顔はしなかった。

「知りませんわ、そんなこと」

 冷たく麗子が返す。

「そんなことより」

 梨花は後ろに控えている淡い青のドレスを着た女を見つめながら「ディスペアって、どういうこと?」と少しだけ震えた声で問いかける。女の持っていた剣がわずかに動く。

 ぱちくり。わざとらしく瞬きを繰り返してから麗子は「言葉の通りですわ」

「言葉の通りって、だって、その、今まで、あんなにはっきり人の形してたディスペアなんて」

「γ型」

 忌々しげなベルの声が通信機を越えて告げる。

「完成してたのね」

「あら蓮見、聞いてたの」

 一瞬だけ不愉快そうに眉を寄せてから「今日は試験ですの。ぜひ協力してくださる?」

「試験だ?」

「ああ、心配しないで」

 目を鋭くさせるマリアに麗子は心底楽しそうに微笑みかけた。

「あなたはわたくしが相手をして差し上げますわ。光栄に思ってくださいまし」

 そもそも麗子の変身は身体能力そのものはほとんど常人より上程度のものだった。それこそ生身のマリアでもやり合える程度のものだ。

 だからこそ、それを補助するために彼女の武器は銃なのだ。そして今回の目的はあくまでフェエーリコ・クインテットとγ型の衝突であってこの女に邪魔されるのは面白くない。

 何より、身体能力的な差が歴然とついてしまっているキリギリスとやらせるより自分とやった方が『面白い』だろうと麗子は思っていた。

 自分の間合いに入り込んでくる麗子に引き金を引いてからマリアは舌打ちしつつ後退した。


 両足で地面を踏みしめながらマリアの銃が先に火を吹いた。それをわずかに身をずらすだけでかわした麗子は自分の銃を彼女のものとぶつけ合わせた。

 鈍い音を立てながら銃と銃がぶつかり合う。ズレた照準を先に合わせたのは麗子だった。引き金を引く。それを寸前でかわしてから今度はマリアが麗子に銃口を向けた。

 しかし同時に、麗子の銃口もまたマリアに向いていた。お互い硬直する。

「……ウザいですわ」

 マリアの碧眼を睨み返しながら麗子はぽつんと呟いた。

「あんな女の部下だってだけで殺してやりたいくらい不快なのに、その上、自分の身を危険に晒してまでお仲間ごっこだなんておかしすぎてわたくしがお馬鹿になりそう」

「そりゃよかったな」

 ぎりっと麗子が奥歯を噛み締めた。

「なぜ、あの女ですの」

「あ?」

 それ以上、麗子は何も言わずに、空いていた左手を空中でぱっと開いた。

 紫色の光を帯びて、やがてそれが右手に握られているものと同じ拳銃になった。右手を突き出して一度引き金を引いてからさらに麗子は軽く回転しながらもう片方の引き金も引いた。当てるつもりはない、距離を開けるためだけに撃ち込まれた弾だった。

 その考えの通りに、麗子の足元に銃弾を撃ち込んでから間合いを取って、手に握っていた拳銃を放り投げた。

 新しく銃を持ちかえるとそのまま麗子の向かって向けられた銃口が火を吹くのはすぐだった。それを高く飛び上がってかわした麗子は空中で引き金を引き続けた。

 迷いも疑いもなく撃ちこまれていく銃弾をマリアはただ後退しながらギリギリでかわすだけだった。

 地面に着地した麗子がそのまま地を蹴ってまた飛び上がった。

 そうしてマリアとの距離を詰めながら首を傾げた。

「どうしたんですの? 前とは比べ物になりませんわ」

「ちょっとしたスランプなんだよ、ほっとけ!」

 また銃声が上がった。




 ゆらりゆらりと左右に揺れるγ型を見ながら太李は底知れぬ違和感を覚えていた。

 今までとはまるで違う。直感でしかないものの自分たちが今まで戦ってきていたはずの『ディスペア』という『機械』とは何かが違うのだ。人の形をしているということ以上の違和感が。

「シンデレラと私でディスペアを叩きます。三人はトレイターの方を」

 それだけ言ってγ型の方へと駆けて行く巳令の後ろ姿にはたと我に返った太李が続く。

 見送ってから南波はよもぎの方にちらと視線を向けて「いばら、俺と親指の背中は任せた」にっと笑ったよもぎが頷いた。

「どーんっと任されました」

 それだけの返答を聞くや、南波はキリギリスに向かって一気に踏み込んだ。

 握られた三叉槍が振り上げられる。身をよじってよけるキリギリスに対して彼はさらにそれを振り下ろした。やれやれと言いたげにその先端を睨んでから彼は手に持っていたステッキを放り投げると緑色の光と共に現れた剣でそれを受け止めた。

 槍ごと薙ぎ払いキリギリスの足が南波の腹部に直撃する。揺らぐ彼の体にさらに追い打ちをかけようとキリギリスの回し蹴りが次いで、同じ場所に喰らわせられた。

 ぐっと顔を歪めて、南波が後退する。その彼に代わるように梨花の斧が地面を抉るように振り下ろされた。


 しかし、これをもかわしたキリギリスはよりにもよってその斧の上に乗りながら歪な笑みを浮かべるばかりだった。斧を蹴り付け、飛び上がった彼は急降下しながらキックをかましてきた。

 両手でなんとかしのいだ梨花ではあったものの彼女の表情は決して明るくはない。わずかに後ずさりながら負けじと足を振り上げた。キリギリスはその足を掴んでぽんと押し返した。

 梨花がバランスを崩すと同時に今までタイミングを伺っていたよもぎの矢がキリギリスの頬をかすめる。自分の頬から流れる血を拭い取ってから彼は涼しい表情のままで頭にかぶっていたシルクハットをよもぎに向かって投げつけるとゆっくりと立ち上がっていた南波に足を振り下ろした。

 円を描きながらまるではじめから決められていた軌道をただ滑って行くだけのように、はたまた、まるで吸い寄せられるようによもぎの手元に飛んで行った。

 普通ならただ当たって落ちるだけのはずがよもぎは手元にやってきた衝撃に耐え切れず、弓を手放した。そのまま弓は放物線を描きつつ地面に落ちて、シルクハットは彼の元へ戻って行った。

 自分に向かってきていた梨花の腕を掴み、南波の方へと投げ飛ばしたキリギリスがよもぎとの間合いを詰める。弓を取りに戻っている暇はよもぎには与えられていなかった。黒い髪を揺らし、身を低くしたよもぎが握り拳を叩き込む。


 もっともそれは、直前で受け止められてキリギリスに届くことはなかった。


 ぐっとよもぎを引き寄せてからキリギリスは彼女の体を自分に向かってきていた梨花に放り投げた。

「おわ!?」

「きゃ!」

 二人が重なり合って、地面に倒れ伏す。

「さあって、次はどうする?」

 心底楽しそうなキリギリスに南波は不快感すら覚えていた。




 一方で、間合いを保っていた巳令は相手が何もしてこないことに眉を寄せている最中だった。

 ゆらめくだけで、相手の方からは動きがない。こちらの攻撃こそ受け流してはいるもののだ。今この場には不適応者はいないのだから時間稼ぎなど必要のないことのはずなのに。

 なんにせよ、油断ならないことだけは分かる。柄に手を掛けながら一歩踏み込んだ巳令は鞘から刀を抜こうとして顔を強張らせた。

 がちゃがちゃと音がするばかりで一向に刃は鞘から姿を見せない。慌てて腰に差した刀を見れば鞘から鍔にかけての箇所が透明な何かで固定されている。

 凍ってる。巳令にはすぐに分かった。目の前のディスペアの力であろうこともだ。

 こんなときに動き出した相手から自分目がけて振り下ろされる剣を鞘がついたままの刀で受け止める。鈍い音と共に氷はわずかに飛び散るだけで凍結が溶ける様子はない。凍ったままの刀でγ型を押し返すと相手は後退しながらもするりと伸ばした足で巳令を蹴り飛ばした。

「あぐ……」

 呻きつつしゃがみ込む巳令に代わって太李がγ型との距離を詰める。

 γ型が足を振り上げる。それを両腕で受け止めてからその場にレイピアを呼び出した太李はそれを構える。


 そのときだった。キリギリスの声が響く。


「α、βの両型とγ型の決定的な違いが分かるかい?」

「え?」

 ゆらゆらと自分を見つめる女からは視線を逸らさずに太李はキリギリスの声に耳を傾けた。

「起動の方法が違ってね。αとβはボタン一つでどうにかなるけどγはそういうわけにもいかない」

「なに、なに言ってるの?」

 突然、通信機越しからでも分かるほど狼狽したベルの声が響く。あれ、とキリギリスはおかしそうに笑った。

「驚いた、蓮見ですら分かっていなかったんだ。いや、薄々は気付いてたのかな?」

 しかしベルの返答は待たずにキリギリスは言葉を続けた。

「γは適応者の体に、もっといえば精神に寄生してはじめて起動する」

「……え?」

 目を見開きながら太李は目の前の女を見た。それで大体のことは分かったらしいとキリギリスも気付いたらしく「そうとも」と笑った。

「シンデレラ、γを倒すというのは僕らに利用された適応者を『殺す』ことなんだよ。正確に言えば強化された肉体的には死ぬことはまずない。でも、寄生された精神はγもろとも死ぬ」

 はったりかもしれないことなど太李にも分かっていた。

 だが万一本当のことだったとしたら? 彼にはとてもレイピアを突き刺す気にはなれなかった。

 敵であり、同時にフェエーリコ・クインテットにとっては守らなければならない存在なのだ。その矛盾した存在がγ型。

 硬直する太李の間合いに一気に入り込んだγ型が剣を振り下ろした。慌てて横にそれてかわすも剣先は太李の腕をかすめ、血を帯びた。

 腕を押さえながら後退した彼はレイピアを握りしめながらキリギリスを睨み付けた。ただそれだけが彼に残された抵抗だった。

「何もできないのは悔しいか?」

「……なんとかするさ」

「どうやって?」

「どうやっても!」

 柄を強く握りしめながら太李は声を張る。

「必ずγは倒して適応者は救う」

「そんな都合のいいことはできないんだよ!」


「そうかな?」


 彼にとって救世主ともいえる声が通信機から響いた。


「なるほど、大方は予想通りだったね」

 そのまま、そう続く声。一体いつぶりだろう。一番最初に声をあげたのは巳令だった。

「柚樹葉!」

「やあ、随分無様じゃないか、全員揃っておきながら。君たちがそこまで弱かっただなんてそれは予想外だ」

 ほう、とキリギリスが楽しそうに告げる。

「九条柚樹葉、確か君がチェンジャーシステムの開発者だとかどうとか。直接会えなくて残念だよ」

「私は会えなくてよかったと心底安心しているところだがね」

 少しも冷静さを失っていない柚樹葉の声は尚も続ける。

「しかし、君らも妙なことにばっかり頭が回るんだね。彼らがお人よし馬鹿集団だって知っているからこその精神寄生による起動、君らがシンデレラを連れて行ったとき、ベルガモットが送って来たデータを見てもしやとは思っていたけど」

 だとしたらそれはうわばみにはじめて自分たちが遭遇する少し前だろうと巳令は思った。あのとき操作していたのは自分がデータを見るためだけではなかったらしい。

「……へぇ?」

 キリギリスが両手を広げて笑う。

「だがどうしようもない。君の造ったシステムではどうすることもね。このまま殺されるか、相手を殺すかなんだよ」

「ははっ」

 芝居がかった口調に柚樹葉が笑い声をあげた。心底おかしい。そう言いたげな声だった。

「何がおかしい?」

 キリギリスの低い声に怯みもせずに柚樹葉の笑い声はまだ続く。

 ひとしきり笑ってから、ふんと彼女は笑い飛ばした。

「私を誰だと思ってるの?」

 一拍も置かず、柚樹葉は当たり前の事実を告げた。

「九条柚樹葉だよ?」

 その言葉を待っていたかのように激しいエンジン音が轟いた。

 怒り狂った猛獣のような鳴き声をあげながらキリギリスの視界に黒いバイクが滑り込んできた。ヘルメットをかぶった運転手は腰から拳銃を取り出すとそのまま数発を彼の足元に撃ち込んだ。

 キリギリスがそれを飛び上がってかわす。同時に摩擦音を立てながら動きを止めたバイクから運転手が飛び降りた。その手が荷物入れを開くなり「ぷはぁ!」と形式的に空気を吸い込む声が聞こえる。

「つ、ついにスペーメバイクデビューしちゃったですワルなのですワルワルなのですワルウサギになっちまったですうへへへへぇ」

「うっせぇぞお前」

 毛を震わせ、興奮を示すスペーメに一喝してから運転手は小さな箱を取り出すとぽんぽんと手の中で弄んだ後にそれをクインテットの手元に放り投げた。寸分の狂いもなく、決められていたかのように太李の目の前に落ちていく箱を見ながら運転手はそこでようやくヘルメットを脱いだ。

「さっすが鈴丸さん、ナイスコントロール」

「自画自賛とかイタい奴なのです」

「仕方ないだろ褒めてくれる奴がいないんだから」

 そこに立っていたのは蒲生鈴丸その人だった。

 耳につけていた通信機に手を当てながら「おい柚樹葉」と鈴丸は銃を構えながらにっと笑った。

「デリバリー料金は普段の報酬とは別だからな?」

「はいはい好きなだけ泡夢に請求しなよ。君にデリバリーの才能まであったなんてとんだ誤算だよ」

 呆れたような柚樹葉の声をどけるようにベルの声が響く。

「……鈴丸、あなた」

「しゃあねぇだろ、柚樹葉が万が一のためにいてくれって言うんだから」

 それで今日いなかったのか、とクインテットは妙に納得した。

 だがなんのため。それを誰かが問うより早く、鈴丸の頭の上に登ったスペーメが声を張り上げた。

「さあシンデレラ! 耳の穴ぁかっぽじってよおうく聞くです! さっさと箱を開けて、中に入ってる指輪を左手薬指につけるがよいです! あとは柚樹葉がなんとかするです!」

 その声を聞いて、太李は目の前に転がっていた箱に手を伸ばす。

 中には銀色に輝く指輪が一つだけ丁寧にしまわれている。水色の大きな石がついた指輪だった。

 今はもう、スペーメの言葉と柚樹葉を信じるしかなかった。言われた通り、手袋の上からではあるものの太李が指輪をはめる。

「柚樹葉! いっちょかましてやるです!」

「うっせ、お前が仕切るな!」

 怒鳴り返す割に、通信機越しの柚樹葉の声はどこか楽しげだ。

「さあ、悪役に目にもの見せてやれ、シンデレラ」

 そんな柚樹葉の言葉のあと、突然、太李が新しくはめていた方の指輪が輝きだした。

 閃光にその場にいた全員が目を瞑り、視界を閉ざす。

 そうして開けた視界の中にいたのは元のシンデレラではない。

「まず君らには謝罪をしよう。チェンジャーの強化が遅れてしまった。追加情報の対策に時間を使いすぎたのがまずかったね、おかげで残念ながらシンデレラの分しか用意できなかったんだ」

 そんな柚樹葉の声に意識を向ける間もなく、太李は自分の足元への凄まじい違和感を覚えた。

 足が涼しい。風が酷くよく通る。恐る恐る手を伸ばした太李は情けない声をあげた。

「うお!?」

 自分が身にまとっていた衣装はいつもの、あのマント付きの衣装ではなかった。リボンやフリルといった派手な装飾こそないものの左右に大きく広がった白のミニスカートのドレスだったのだ。

 肩口から手首にかけて伸びたレースの袖を見つめながら「何これ……」とだけ顔を引きつらせながら太李は呟いた。

「強化版シンデレラ、かな。気に入った?」

「……男に戻ってたらもっとよかった」

 忌々しげに胸元に視線を落としながら重たそうに胸を自分の腕で持ち上げてから溜め息を吐いた。

 不服なはずなのに不思議と体には力を湧くのが尚のこと腹立たしい。

「……お嫁さん?」

「やめろ鉢かづき言うな、気付いてたから」

 悩ましげに頭を抱える太李を見ながらキリギリスが笑い声をあげる。

「姿を変えたところで、何ができる!? 結局そいつはγを壊すことをためらうだろう! 馬鹿だからな!」

「ああ、そうだろうな」

 小さく答えたのは肩で息をしながら、槍を地面に突き刺してゆっくりと立ち上がっていた南波だった。

「……まだ立てたんだ」

「ただ、うちのシンデレラをそこらへんの馬鹿と一緒にするなよ」

 ようやく立ち上がった南波は金髪を振り払い、槍で宙を切り裂きながらキリギリスを睨み付けた。女になってもまだ残る、目つきの悪さ以上に、彼の目を何かが鋭くさせる。

「あいつは、底抜けの馬鹿だ」

 もっと言い方ないのかよ、と太李は苦笑した。

「おい親指、いばら、いつまでヘバってるつもりだ」

「うっせうっせー! んなこたぁ、人魚先輩に言われるまでもねーんですよ!」

 梨花と肩を貸し合いながら立ち上がったよもぎがにっと笑う。

「でもそこのヴァーミリオン馬鹿先輩以上に、親指先輩がげきおこですぜ」

「もう、絶対の、絶対に、許さないんだから」

 キッとキリギリスを静かに睨み付けてから梨花はよもぎの体を抱き上げて、そのまま放り投げた。

 くるくる空中で弧を描き、弾き飛ばされた弓の元までやってくると矢筒から矢を抜いて一瞬でつがえ、それを放った。腹部ギリギリをかすめた矢を見て「惜しい!」と彼女は悔しそうに地面を蹴りつけた。

「なぜまだ抗う」

「だって私たち」

 太李と背中合わせになるように立った巳令がにこりと、可憐な笑みを鉢の下で浮かべた。

「底抜けの馬鹿の仲間ですから」

 とんっと太李の背中を押してから巳令はキリギリスの元へと踏み込んだ。

 みんなして馬鹿馬鹿言うなよ。気恥ずかしいやらおかしいやらで、不思議と太李の中にくすぶっていた恐怖は消え去っていた。

 いつも通り、武器を呼び出そうとして一瞬目を閉じる。しかし、青白い光と共に彼の手元に現れたのは鞘付きの剣だった。

「武器が全く同じじゃ、面白くないだろ?」

 いらない柚樹葉の気遣いを解説されて、太李は肩をすくめた。

 鞘から細身の剣を抜く。普段のものより少し重みのあるそれに太李は息を吸い込んだ。

「……俺はどうすればいい?」

 今この場に居ない友人に彼は問いかけた。

「簡単だ」

 彼女の答えは簡潔だった。

「目の前の敵を倒せ」

「それじゃ」

「灰尾太李」

 柚樹葉の声が淡々と続けた。

「私が信じられないかい?」

 ははっと太李が笑う。

「卑怯だなぁ、九条さんって」

「君の馬鹿に応えるなら同等の馬鹿になるか、こうするしかないからね」

「全く」

 だっと踏み込んだ太李の剣とγ型の剣が鋭い金属音を立ててぶつかり合う。

「ただ俺、九条さんも同じくらい馬鹿だと思うよ」

「勘弁してよ」

「……信用してるからな、九条さん」

「うん」

 頼りがいのある返事に小さく笑ってから彼は相手の剣を弾き返した。

 そのまま振り上げられた足がγ型の手元に直撃する。手放された剣を奥へ追いやってから太李がさらに間合いを詰めた。

 しかし、その右足がぴたりと止まる。

 視線を落とすと足元が凍っている。顔をしかめていると「さあ、シンデレラ。ここからが強化版の凄いところだ」

「え?」

「今の君には全員の力がリンクしている、といっても過言ではない」

 その言葉にああ、と太李は強引に右足を突き出した。

 ぱき、ぱき。音を立てながらやがてそれは脆くも崩れ去ってしまった。

「親指の怪力の共有くらいなんともないよ」

 次の柚樹葉の言葉を高速でγ型との間合いを詰めていた太李が聞いていたかは怪しいものだった。

 不思議だ。自分はどうすればいいのか分かる気がする。


 一瞬だけ目を閉じた太李は剣を振り上げた。

「そこだぁああ!」

 その剣先が捉えていたのは女の頭の上に乗ったカチューシャだった。それだけを見事に切り上げた太李は落下してくるそれを真っ二つに切り裂いた。女がまとっていた青いドレスは消え、元の彼女の姿に戻って行く。

 馬鹿が。キリギリスは心の中で嘲笑った。確かにγ型の本体はあのカチューシャだ。しかし、あれを切り落としてしまっては彼女の精神もろともを殺すことになる。もう言葉を発することすらできなくなる。


 ところが太李に抱き止められた彼女はげほごほと咳き込みながら「私、なんで……」と言葉を発してしまった。


 キリギリスも、マリアと戦い続けていた麗子でさえもそれに驚いた。

「だから言ったでしょ」

 そんな中で柚樹葉の声だけが響く。

「γ型本体を壊すときに一緒に精神から切り離せるようにする作業に時間がかかったんだって」


 なんてことだ。九条柚樹葉はすでにそこまで克服していたというのか。


 そう叫びたいのを押さえて梨花の体を蹴り飛ばしてからキリギリスは地面を蹴り上げて、立ち去った。

 それを見た麗子はマリアと睨み合いながら口を開いた。

「仲間だ、信用だ、本当にうすら寒い連中ですわ……」

 忌々しげにそう言ってから銃口をマリアから外さずに、問う。

「あなた、お名前は?」

 知らないわけではなかった。麗子は『彼女自身の口から』その名前を聞きたかったのだ。

 はっと笑いながらマリアはそれに答えた。

「マリア。柊・マリア・エレミー・惣波だ」

 それから麗子にとって予想通りの質問が飛ぶ。

「お前は?」

 笑いをこらえながら、麗子は堂々と自分の名を告げる。

「聖護院、麗子と申しますの」

 ぺこりと頭を下げてから「ではマリア」と照準を下げ、引き金を引いた。

「ごめんあそばせ」

 足元に撃ち込まれた銃弾をマリアがかわしている間に、麗子の姿は消えていた。


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