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第十六話「俺は五人揃ってクインテットという当たり前のことを知ったようです」

 かたかたと忙しくキーボードを打つ柚樹葉の耳にかすかにベルの声が届いた。

「本当にこのまま、灰尾太李を放っておくおつもりですか?」

 スペーメがわずかに頭をあげて、彼女はその頭を無理やり押さえつけた。

 少し間を空けてから九鬼がそれに答えた。

「一人くらいいなくなっても問題なかろう」

 それが本音か。

 手を止めた柚樹葉はぐぐっと腕を伸ばした。二人の会話は聞いていないということを示すための無意味なアピールだった。

「適応者だって他にいないわけじゃあない、代わりはいくらでもいる」

「ですが」

「ベルガモット」

 ぐいっと九鬼がベルを引き寄せた。

 うえと顔をしかめた柚樹葉が立ち上がり、椅子にかけていた白衣を拾い上げる。

「君は優秀だ。だから君は残したんだ。俺をがっかりさせないでくれ」

 その言葉にベルはにっこり笑みを浮かべながら「勿論ですわ」とだけ答えてみせた。

 くだらない。どいつもこいつも。

 白衣の袖に腕を通し終えた彼女はぽんぽんと自分の肩を叩いた。乗れという合図だと気付いてスペーメはそこに飛び乗った。




 日が明け、どれほどの時間が経ったのかももはや彼らには分からない。待機を言い渡された四人が取り残された休憩所にはただ重苦しい空気が漂っている。

 ずっと固まっていたような気もすれば、少しだけ眠っていたような気もする。一体今までの時間をどうやって過ごしていたかは四人ともよく分かってはいなかった。

 どうして自分たちが行ってはいけないのだろう、そんな思いでいっぱいだった。

 確かに九鬼の言い分は全てを否定できるほど無茶苦茶なものではなかった。必要以上の危険に自分たちの身を晒し、全滅を避けるべきなのも分かっていたし、もし万が一ディスペアが出現した時にそちらを放っておいていいはずもない。

 そう頭で理解していても、我慢できるかといえばそうではなかった。

 太李は今どうなっているのかも分からないのに自分たちだけがこうして安全な場所にいる。それが許せないことのように思えてならなかった。

 自分たちには何もできない。そんな虚無感がじわじわと四人を蝕んだ。

 膝を抱え、顔を俯かせていた巳令が扉の開く音を聞いた。そこに立っていたのは白衣をわずかに揺らし、肩にスペーメを乗せた柚樹葉だった。

 机の上に並べられた手の付けられていない食事を見つめてから彼女は中に進み、椅子に腰かけるとそこではじめて口を開いた。

「残念ながら、私は君たちに灰尾太李がどこにいるかを教えることはできない。私も我が身が可愛いからね、そう簡単に組織には逆らえないよ」

 がたっと南波が立ち上がった。その手を引きながらよもぎはふるふると首を左右に振った。

 それに構わず、柚樹葉の言葉が淀みなく続いた。

「だから今から私が言うのは全て独り言だよ」

 巳令がわずかに顔をそちらに向ける。ふぅ、と息を吐きながらぼさぼさの髪をいじって柚樹葉は言う。

「シンデレラのチェンジャーについていた発信機の反応がある一定の座標で拾えなくなった」

 わざとらしく両手を広げながら彼女が続ける。

「でもあのチェンジャーはね、そうそう簡単には壊れたりしない。勿論追尾機能が阻まれることだってない。ではなぜか。恐らくは電波を阻害されている」

 こんこんと机を叩きながら「簡単だよね、通信が遮断されるエリアに彼はいて、そんなものが作れる連中の元にいることくらい」

 じゃあ、とよもぎが柚樹葉をちらと見た。それでも彼女はそれを聞かなかったことにして続けた。

「灰尾太李は恐らく、敵の基地にいる。少なからず私はそう見ている。そして状況は最悪だとも思ってる」

 白衣のポケットを探ってから柚樹葉は一枚の紙を机の上に置いて立ち上がった。スペーメがわざとらしく言う。

「あー柚樹葉ってばうっかりさんなのですー。シンデレラの電波が途絶えたところの座標のメモをうっかり机の上に置きっぱなしなのですー。まぁでも座標が分かったところで蒲生や惣波がいないお前らだけじゃどうしようもないから問題なさそうなのでスペーメは何も言わないですー」

 わざとらしい台詞のあとに巳令は慌てて机の方に歩み寄って、メモを拾い上げた。

 メモを握りしめながら巳令は小声で「ありがとう」と礼を述べた。はぁ、と柚樹葉は溜め息を吐いた。

「何に感謝されてるのか全く分からないよ。私はちょっと大きな声で独り言を言って、渡したところで移動手段のない君たちにはどうしようもない座標のメモをうっかり落としてしまっただけだ。単なるミスに礼を言われる筋合いはないよ」

 九鬼とこの四人。どちらについた方がいいのかは分かっているはずなのに、それ以上に彼女は自分の好奇心を押さえられずにいた。彼らはこれからどうするのだろう?

 うんざりしながらやれやれと首を左右に振った彼女は休憩所を出てからぼそりと呟いた。

「誰かの馬鹿がうつったよ」

「じゃあ文句言ってやらなきゃです」

「そうだね」

 肩に乗ったスペーメの頭を撫でつけながら柚樹葉は来た道を戻って行った。


 一方で今まで顔を俯かせていた梨花がばっと顔を上げた。

 彼女はふらふらと立ち上がると荷物を抱え、休憩所の入口へ覚束ない足取りで歩いていく。

「梨花先輩……?」

「行かなきゃ……」

 ぎゅっとリュックサックを大事そうに抱えた彼女は「鈴丸さんと、マリアさんのところに行かなきゃ……」と告げた。自分に言い聞かせる意味もあった。

 分かってる。こんなことしてはいけないのは分かっている。九鬼という男はきっと自分たちの上司にあたる人のはずだ。そうでなくても年上の人の言うことに逆らったことなど梨花には指折り数えるほどしかない。もしかしたらそれすら自分の考え過ぎで、もしかしたら一度もないのかもしれない。

 あの二人がどこにいるかなんてわからない。力を貸して貰えるかどうかの保証もない。でも自分ができることはこれくらいしか思いつかなかった。

 フェエーリコ・クインテットという新しい自分の居場所を失いたくなかった。五人揃わなければ駄目なんだ。大事な後輩を失いたくない。

 地面を蹴りながら駆けていく梨花に「ちょ、梨花先輩!」とよもぎが立ち上がろうとした。


 それを制したのは南波だった。


「春風、俺が行く」

「益海先輩……」

「どうせあの人のことだ。また妙なことをする。お前一人じゃ荷が重い」

 そう言うなり、彼は梨花のあとを追って行った。

 残されたよもぎが茫然とする中、ぱちんと巳令は自分の頬を張った。うじうじしている暇などない。

「よもぎさん!」

「は、はい!」

「行きましょう、私たちも」

「行きましょうって、どこぞにですか」

 きょとんとする彼女に巳令は笑いながら言い放った。

「ベルさんのところです」




 自分がどこにいるのか、太李には全く分からなかった。

 大きく揺れる中で小さな手を握りしめながら溜め息を吐いた。

 他の四人は今頃どうしているだろうか。味方は来るのだろうか。ちらと考えてからそんな不安をとっ払おうと彼は首を左右に振った。

 絶対に来る。必ずどんな手を使ってでも。今の彼はそう信じる以外なかった。

 ごとんと車内が再び大きく揺れる。それまで与えられていた浮遊感がなくなって彼は首を傾げた。よもやどこかに着いたのではなかろうか。

 不安に震える少女に彼は言う。

「何があってもここを動かないで。お、私がなんとかするから」

 あくまで自分はシンデレラのままなのだ。余計なことを言って混乱させるべきではない。

 少女がこくんと頷いた。暗闇の中でにこっと微笑んでから太李はレイピアを構える。


 間もなく、ぎぃと軋んだ音を立てながらトラックの扉が開いた。

 光が見えた瞬間、太李は外に飛び出した。入口付近を取り囲むようにする男たちが一斉にざわめいた。

 屋内のようだ。不気味なほどに真っ白な場所だった。床も壁も、照明さえも全て白い。物々しい雰囲気に押されながら彼は地面を踏み込んで男たちのうちの一人を掴み上げると、首元にレイピアを押し付けた。


「この誘拐犯が……! ここはどこだ、何が目的だ!」

「な、なんでこんなところにシンデレラが」

 その名前に太李はわずかに目を見開いた。

 なぜだ。その名前をどうして知っている。泡夢財団の関係者か、否、そんなはずはない。

「どうして俺のことを」

 そのときだった。

 とんっと鈍い痛みが彼の首元に落ちる。男から手を離し、前のめりに倒れ込む。その手から離れたレイピアを黒いハイヒールが蹴り飛ばした。

「全く、こんなところまで来るなんていけない坊やですわね。ああ、今はお嬢さんでしたか」

 視界に捉えた女の姿に太李は思わず呟いた。

「トレイター……!」

「ご機嫌よう、シンデレラ。お久しぶりですわね」

 鈴丸とマリアがはじめて彼らの前にやって来た日、自分たちを襲ったあの女だった。

 なぜこんなところにこの女がいるんだ。ただの誘拐じゃないのか。

「面白いおまけでしたわね。適応者が二人も捕れただなんて。しかも片方はフェエーリコ・クインテット」

 くすりと妖艶に笑いながら女はその足を太李に振り下ろした。

 あまりの痛みに彼の意識は一瞬で飛んだ。そのまま動かなくなったシンデレラはすぐに元の男子高校生の姿へと戻った。

「運んでおきなさい」

 男たちに冷たく言い放ってから彼女はトラックの中に居た少女に笑いかけた。




 金属のこすれ合う規則正しい音が錆びたブランコが鳴きながら揺れていることを周りに示していた。

 そのブランコに揺られながら、鈴丸はコーヒー牛乳の入った紙パックにストローを刺し込んだ。中身を吸い上げながら溜め息を吐いた。

 クビになった以上、自分はこれ以上この国にいる理由はないのだ。日本に傭兵ができる仕事は少ない。払いのいい人間だって多くはない。さっさとこんな国とはおさらばして、もっと儲かる仕事を探そう。鈴丸はそう考えていた。

 それでも彼の足は一向にブランコを漕ぐことをやめなかった。

 ストローのずずっという音がいつの間にかパックの中身がなくなっていたことを知らせた。舌打ちしながら彼は立ち上がろうとしてそれをやめた。

「よう、隣いいか?」

 そこに立っていたのはマリアだった。「勝手にしろ」とだけ告げて、立ち上がるタイミングを失った彼は再びブランコに腰を据えた。

 マリアは銀髪を揺らしながら鈴丸の隣のブランコに腰を下ろすと大きく揺らし、その後、その上で立ち上がった。いわゆる立ち漕ぎの状態だった。

 きーきーとブランコの声だけが響く。暑さのせいか公園には二人の他に誰もいなかった。以前梨花と来たときは結構人がいたのにな、と思ってから鈴丸はそれを振り払おうと声を発した。

「お前、ダチのところに行ったんじゃなかったのか?」

 マリアにはこの国に、しかもこの付近に高校時代の知り合いが何人もいるはずだ。頼るには充分だろう。

 少し間を空けてからマリアは「いけるわけねーだろ」と吐き捨てた。

「ただでさえ今までほとんど連絡してねーのに仕事クビになったから泊めてくれなんて言ってみろ。あいつら全員あたしのこと殴り飛ばすぜ」

 ははっと軽く笑ってから「これからどうすんだよ」とマリアは問いかけた。

「どうするって? クビになったからこんな国とはもうさよならだ。次はどこに行くかね。アメリカさんはやっぱり儲かりそうだよな」

 にっと笑いながら鈴丸は「お前も来る?」と首を傾げた。彼女は聞こえるように舌打ちした。

「ちげーよ、灰尾のことだよ。このままほっとくのかよ」

「俺たちにはもう関係ない話だ」

 ぼそりと告げる鈴丸をマリアは思いっきり睨み付けた。

「なんだよそれ」

「俺だって、自分の関わった人間に死なれたら気分は悪い。でも慈善事業できるほど俺には余裕がねぇ」

 やるならお前一人でやれと続いたその言葉にぐっとマリアは言葉を詰まらせた。

 鈴丸がいなければ自分だけではどうしてやることもできない。

 苛立ちすら覚えていると、唐突に柔らかい声が二人の鼓膜を揺らした。


「鈴丸さん! マリアさん!」


 はっとした二人が声の方に顔を向けるとぜぇぜぇと息を切らした梨花が胸を押さえながら二人を見つめていた。その後ろには南波もいる。

 マリアは取り繕うように笑顔を作った。

「よう! 梨花! どうしたんだよ、そんなに慌てて」

「ふ、二人に、どうしても、話がしたくて」

 これ以上この場にいると、自分の築き上げた何かが崩れ落ちそうな気がする。鈴丸は今度こそブランコから腰を上げるときっぱり言い放った。

「俺はもう話すことなんてない」

 梨花の脇を抜け、立ち去ろうとする彼の腕を南波が黙って掴んだ。

 鈴丸にとってそれを振りほどくのは酷く簡単だ。ただそれをしようとしない自分に苛立った。

 なんと言ったら彼女は俺の前から消えてくれるだろうかとそればかりを鈴丸は考えた。そんな彼の手を梨花は握りしめた。

「益海くん……ありがとう、もう大丈夫」

 梨花の言葉に南波はゆっくりと手を離した。

 臆病な彼女の折れてしまいそうなほど細い腕に鈴丸は動揺した。それから彼女を睨み付け、低い声で言う。

「手を放せ、梨花」

 その声に梨花は一瞬びくっと肩を揺らしてから首を左右に振った。

「は、放しません! す、鈴丸さんに、ちゃんとお話聞いてもらまでは、ぜ、絶対に!」

「しつこい。俺はもうお前らのお守りする必要ないんだよ。もうお前らとは関係ない。うんざりだ、放してくれ」

「い、いい、嫌です!」

 どれだけ低く言っても、冷たい言葉を浴びせても梨花は決して動かない。

 何がここまで彼女を突き動かすのか鈴丸には全く分からない。だからこそ得体のしれない恐怖を感じていた。自分にはないものが自分の中にあるものを崩そうとしている。そう思えてならなかった。

 一度だけ、崩壊したことのあるそれを再び崩壊させるのが嫌で、鈴丸は声を荒らげた。

「いい加減にしろ!」

 ひっ、と悲鳴をあげてから梨花は黙って俯いた。

 それでいい。そのまま俺から手を放してくれ。そんな鈴丸の願いとは裏腹に彼女は手を放そうともせずに、ポケットの中を探った。

 それから引きずり出した薄っぺらい茶封筒を彼の手に握らせ、そこでようやく梨花の手が放れた。

 何が入ってるのか。鈴丸は封筒の中を開け、中に入っていたものを引きずり出した。

 紙幣が入っている。鈴丸は思わず問いかけた。

「どういうつもりだ」

「全部で四十万円、あります。お年玉とか色々溜めたので、その」

 梨花は思いっきり頭を下げた。

「お願いします! あた、あたしに、雇われてください!」

 目の前の彼女が泣きそうな声で何を言っているのかが鈴丸は本気で一瞬、理解ができなかった。

 それはマリアも同じようできょとんと目を見開いている。一緒に来ていた南波でさえ、口を半開きにして梨花を見つめるだけだった。

「今すぐにはそれしか用意できなくって、全然、足りないの分かってて、いつもより、安くしてくれだなんて言いません、鈴丸さんがいつも貰ってるくらいのお金をぜ、絶対に、必ずいつかお支払いしま、す! だから、灰尾くんを、あたしの大切な後輩を、たすけてください……!」

 大きな目から今にも涙をこぼしそうな梨花に鈴丸は固まった。

「なんでもしますから、お願いだから」と繰り返しながら泣くのを懸命にこらえる彼女に鈴丸は頭を抱えた。

 封筒に入った四十万。それを見つめながら「なぁ梨花」と鈴丸はぼそりと呟くように言う。

「俺はな、自分の命を売り物にしてるんだ。なんでか分かるか?」

「え?」

「何より高く売れるんだよ。金を儲けるのには一番手っ取り早い」

 黙りこくる梨花に彼は続けた。

「俺は、多分お前が思ってるほど立派な大人じゃない。金のためならお前らに言えないような仕事だっていくつもやって来たような奴だ。ただただ金を儲けるため。それだけのために今日までこうして自分の命を売り歩いてきた」

 ああ、と梨花は絶望的な気分になった。やっぱり虫のいい話だったのかもしれない。

 ふるふると小さく震えながら涙をこらえている梨花を見てから鈴丸は携帯電話を取り出した。手慣れた様子でどこかに電話を掛けると口を開いた。

「よう、ベル。クビになった鈴丸だけど?」

 ゆっくり梨花が顔をあげる。泣きそうになりながらそれを堪え、ぐちゃぐちゃになった梨花の顔を見ながら彼は一瞬だけ口元を緩めた。

「新しい依頼人ができたから早急にヘリかなんか手配してくんねぇ? いや、仲介はもういい。できれば、そうだな。七人くらい乗れるのがいいな」

 あ、と彼女が声をこぼす。

「報酬? 聞くなよ、俺史上始まって以来の大金で腰抜かすぜ。大口契約取った俺超偉い。臨時ボーナスを要求したいくらい。とにかくそういうわけだ。ああ? 依頼内容?」

 鈴丸はなんのこともなさげにきっぱり言い放った。

「灰尾太李の救出、かな」

 ぱぁっと梨花は顔を輝かせ、南波がおお、とこぼした。そんな中でマリアが苦笑する。

「なんだって?」

「大口なら仕方ないからアシーナの支部からヘリチャーターしてくれるとさ」

「あーあ」

「嘘は言ってないだろ。バイトもしてない高校生にとって万単位ってだけでも腰抜かすほど大金じゃねぇか」

 中の紙幣を取り出しながら「報酬は前払い十五万、成功報酬は必要ない。強いて言うなら今度ジュース奢れ」

 そう言って十五枚だけ紙幣を取り出すと残りを彼は梨花に押し返した。

「これはとっとけ」

「あ、あの」

「あ? なんだ不服か?」

「ど、どうして……」

 おろおろと問いかけてくる梨花に鈴丸は笑って見せた。

「俺は依頼主に無理な報酬引っかけるほど酷い傭兵じゃないの」

「よく言うぜ」

「うっせーぞ」

 けらけら笑うマリアは梨花を覗き込んで「受け取っとけって。大事に溜めてきたんだろ、こんなやつに使ってやるこたねーよ」

 ぶんぶんと梨花が首を左右に振る。受け取れない、ということだ。

「だ、駄目です」

「わかんねーかな。この金は、もし万が一、また俺たちを雇う必要が出たときに使えばいい。一回だけで全部巻き上げるのは馬鹿がすること。ちょっとずつ巻き上げるのが俺のやり方なの」

 な、と鈴丸がそう言えば梨花は困ったように視線を泳がせて、やがて残りが入った封筒を受け取った。

 それに満足げに頷いてから鈴丸はマリアに数枚を手渡して「お前が二万、ベルが三万、俺が十万でいいな?」おう、と彼女はそれを受け取った。

「俺が言えた義理じゃないが本当にいいのか、それで」

 南波の言葉に鈴丸ははっと笑い飛ばした。

「何度も言わせんな。俺は金が貰えればそれでいいんだって」

 ポケットに残りの紙幣をねじ込んだ鈴丸は「本当にいいんだな?」と首を傾げた。

 こくんと梨花が頷く。

「は、はい!」

「うっし。んじゃ、交渉成立ってことで」

 差し伸べた鈴丸の手を梨花が握る。

 その様子を見ながらやれやれとマリアは肩をすくめてから横に居た南波に笑いかけた。

「益海、お前が一緒とは意外だったぜ。案外面倒見いいんだな」

「……別に。あのままただですら危なっかしいのに冷静さまで欠いてる東天紅先輩を突っ走らせておいたら交通事故でも起こしそうだと思っただけだ。そうなったら相手の運転手に申し訳が立たない」

 突っ放した南波の言葉にむっと梨花が頬を膨らませた。

「ひ、酷いよ益海くん! いくらあたしそんなことしません!」

「どうかな」

「起こしませんー! も、もう! 先輩をなんだと思ってるの!」

 ぶんぶんと手を振り回しながら必死に抗議する梨花を見つつ、鈴丸はポケットの中の紙幣を握りしめた。

 鈴丸にとってこの報酬額は今までで最低金額だった。それでも『金を受け取って仕事をする』なんらいつもと変わらない仕事だ。別に梨花だから情があってこの金額で引き受けたわけではない。彼女にとってそれが普段の金額に値するほどの大金だったというだけの話だった。まだ出せるのに出し惜しんで安い金額を提示してきている、いつも依頼を断る連中とは違っただけ。そして何より都合がよかった。それだけだ。

 自分の中では筋が通っている。ただほんの少し譲歩や妥協があっただけで自分の中のルールは何も変えていない。彼は自分に言い聞かせた。

 言い訳がましい。そんな風に思わないわけでは無論なかった。




 アシーナには世界中を駆け巡る所属傭兵のため、いくつかの国に支部がある。

 日本も例外ではない。ヘリの手配くらいはどうということはなかったのだ。

 そして、今自分たちには新しい依頼主がいるという建前がある。なんて都合がいいんだろう。そう思いながらベルは通話を終了させ、じっと携帯の画面を見つめた。

 そんな彼女に不意に声がかかる。

「ベル姉様」

 まだ幼さを残した優しい声に、ベルは精一杯の笑みを浮かべて答えた。

「あら、よもぎさん。それに巳令さんも。何か用かしら?」

「ベルさんは、何か知ってるんですか」

 巳令の声に彼女はかすかに苦笑した。疑われても仕方ない。

 どうかしら。ベルの口からこぼれたのはそんな曖昧な言葉だった。からかわれているようだと巳令はその言葉を不快に思った。

 けれど、巳令が太李を助けたいのは確かだった。それはよもぎもである。ベルがどちらの側にいるのかが二人には未だに分からなかった。

 まっすぐな自分を捉える瞳を見て、ベルは息を吐いた。

「鈴丸とマリアが太李くんのところに行くとして、きっとあなたたちはそれについていくでしょう? だとしたら泡夢に未だに雇われてる私としてはあなたたちを止めないといけないわ」

 やっぱりか。巳令は眉を寄せた。

 でも、と彼女は続ける。

「きっとあなたたちは私の言うことなんて聞いてくれないわ。だとしたら監督責任のある私はあなたたちについていかないといけない」

 巳令とよもぎが顔を見合わせる。それは、つまり。

「本当は規則ギリギリアウトなんだからね」

 ぱちんと片目を閉じ、ウインクしてみせる彼女に二人は同時にはいと頷いた。

 その勢いのある返事にふふっと笑いながらベルは目を伏せた。

 自分でやったことくらい、自分でケリつけるわよ。

 心の中で彼女はそう呟いた。




 足元に広がる駄菓子を見ながら少女は満足げに微笑んだ。

 麩菓子に、ラムネにスナック菓子。チョコレートにクッキーに、ソフトキャンディー。全て自分ひとりのものだった。

 黒く短い髪をふわふわと左右に揺らしながら彼女は袋をびりびりと音を立てながら破ると中に入っていた棒状の麩菓子を口に詰め込んだ。

 ばきっと音を立てながらそれを折って、もしゃもしゃ口の中で咀嚼しながら彼女は更にグミが入った瓶に小さな手を突っ込んだ。手がいっぱいになるまで色とりどりのグミを掴み上げて、麩菓子を飲みこむなり、それを口の中にねじ込んだ。

 くちゃくちゃと音を立てながら噛み締めていると「相変わらず下品な食べ方ですわね」と彼女にとってみれば水を差す声が聞こえた。彼女はむぅと顔をしかめた。

 ドアをくぐってやって来ていたのは紫色のスカーフをまいたスーツ姿の女だった。ハーフアップにされた黒い髪がどこか育ちのいいような印象を与えていた。かつんかつんとハイヒールを鳴らしながら自分の元へやってくる女にごくんとグミを飲みこんでから少女は唇を尖らせる。

「れーこはうるさいなー。どんなたべかたしよーとあちしの勝手じゃん」

「目の前で下品な食べ方をされるとこちらの気分が害されるんですの」

 そう言いながら女は少女の口元をハンカチで拭った。

 なされるままにしながら、彼女は少なからず自分がこの、聖護院(しょうごいん) 麗子(れいこ)という女を嫌っていないことを自覚した。

 麗子はハンカチを少女の口元から離すと首を傾げた。

「うわばみはどうしたんですの?」

「散歩」

「呑気ですわね」

 そう言って少女の手に握られていた麩菓子に麗子は噛り付いた。

「あーあちしの!」

「こんなにあるんですから少しくらいいいでしょう?」

「ばかぁ! れーこのぶぅわぁかぁ! おたんこなーす!」

 うう、とじたばた足を踏み鳴らし懸命に自分の不満を伝えようとする少女に麗子はふんと顔を逸らすだけだった。

 涙目になりながら頬を膨らませる少女はチョコレートの包みを乱暴に開けながら問いかけた。

「そーえば、あのクソなまいきなばかどーするの?」

 シンデレラのことだろう。麗子はすぐに分かった。

「さあ。うわばみはしばらく手元に置いておくと言ってますけど」

 チョコレートを噛み砕きながら「さっさとぶっころしちゃえばいーのに」と少女は吐き捨てた。

「もし、あのクソなまいきなばかのクソなまいきなウザイ仲間が来たらどーする気?」

「その心配はないですわ」

 うふ、と嫌に自信に満ちた麗子に少女は冷たい目を向けた。

「れーこはクソ女だね」

「褒め言葉ですわ」

 心底楽しそうに笑った麗子にうげぇ、と少女が顔を歪めた。


 まさにそのとき、建物全体がわずかに揺れる。驚いたのかふにゃ、と声をあげながら少女は後ろへひっくり返った。


「ふぎえ! なに、なに!」

「上からでしたわ」

 カツカツとハイヒールを鳴らし、麗子が扉の方に向かえば軍服を着た男が慌ただしく扉を開き、中に入った。

「なんの騒ぎですの?」

「そ、それが、アシーナの傭兵連中と残りのフェエーリコ・クインテットが」

 そこまで聞いたところで麗子はハイヒールで思いっきり男の足の甲を踏みつぶした。

 声にならない悲鳴をあげながら激痛に顔を歪め、うずくまった男を見下ろしながら「話が違いますわ!」と彼女はヒステリックに叫んだ。

「八つ当たりこえー」とこぼしながら少女はチョコで汚れた口元を袖でぬぐって、近くにかけてあったパーカーを羽織った。

 部屋の中に戻ってきた麗子は白いハイヒールから真っ黒なハイヒールに素早く履き替える。

「ちょーうざいね! こんなとこまでじゃましにくるなんて!」

「潰しに行きますわよ」

「あたぼーよ!」

 一歩歩くごとに、二人の姿は変わって行った。

 少女の黒かった髪は灰色に染まり、真っ黒な瞳は鋭く攻撃的な金色へと変わっていく。

 ハーフアップにされていた麗子の髪はいつの間にかウェーブがかかった長い長い髪へと、スーツも体格を強調するワンピースへと変貌している。

「しくじんなよー魔女!」

「そっちこそ、きちんと頼みますわよウルフ」

 廊下を歩きながら二人はそう睨み合った。




 上空で起こった爆発を背に、一番に着地したのはすでに人魚姫に変身済みの南波だった。

 ぶわりと金髪を揺らしながら手に握った槍の柄で自分の元へやってくる軍服の男の一人の腹部を突いた。ふらつく男に構わず、別の男が足を振り上げ、それを左手で受け止めてから軽く受け流した。

 その南波の後ろに次いで着地した鉢かづき姿の巳令が南波に向かっていた男の目の前に腕をつきだして直撃させる。また一人、男が駆け出して来れば今度は彼女は自分の頭を突き出して鉢で思いっきり叩き付けてやった。

 そんな二人に掴みかかろうとした数人の服が射抜かれた。矢を放ったのはよもぎだった。あくまで体には触れず、服だけを射抜き、それができなければ体の周辺に矢を放つ。

 最後に着地した梨花が気絶させられていた男を担ぎ上げ、その体を思いっきり投げ飛ばした。数人が巻き込まれ、倒れていく。


 その光景をパラシュートで降下しながら眺めていたマリアが「あくまで殺さず、か。やりづれーな」と吐き捨てた。


「ディスペアならまだしもさすがに人は抵抗あるでしょうから仕方ないわ。あー、それにしても」

 炎上しながら海の中へ落ちていくヘリを見ながらベルが深々と溜め息を吐いた。

「ヘリ上空爆破して支部にどう説明するのよ……絶対怒られるわ」

「お出ましは、派手に伝えてやった方がいいだろ? どうせバレるんだ」

「何よその理屈」

 パラシュートを肩から外しつつ「にしても」と鈴丸は息を吐いた。

「こんな孤島で研究施設なんて作っちゃって大した連中だこと」

 周りを海に囲われた孤島、その島の山の上に立っている不釣り合いな科学施設のようなもの。そこの屋上、それが今現在、彼らのいる場所だった。

 どんな場所だろうと関係はない。太李はこの中に居るはずだ。なんとしても見つけなければと巳令が拳を握りしめると軍服の男たちは一斉にその場から引いていく。

 なんだ、と眉を寄せてからその理由はすぐに分かった。


 はばたく音と共に、現れたのは時折、ディプレション空間に現れる黒い鳥たちだった。

 これでもう巳令が刀を抜かない理由はなくなった。地面を蹴り上げ、鞘から刀を引き抜くとそのまま周りに居た鳥たちを切り裂いた。

 自分も加勢しなければ、矢を鳥たちに向けながらよもぎが弦を引く。


 しかし、それを放つ前に彼女の体は横転する。原因はすぐに分かった。


「ちょーうっざい!」

 自分に馬乗りになったウルフが長い爪を構えていた。振り落さなければ、そう思っても思うように力が入らない。

 どんっと鈍い音がして、ウルフの体がよもぎの上から離れた。ぜぇぜぇと息を切らす梨花が体当たりしたらしかった。

 体勢を立て直し、再び弓矢を構えるよもぎと自分を睨み付ける梨花にウルフは小さく吐き捨てた。

「うっざ」

「情けないですわねぇ」

 小馬鹿にしたような台詞を放ったのは麗子だった。

「トレイター……」

 南波がはっと笑う。

「うちのシンデレラはどこだ」

「残念ながらあれをお渡しするわけには参りませんの。お引き取り願えます?」

「納得するわけないだろう?」

 双眸を大きく見開き、怒りを隠そうともしない南波にはぁ、と麗子は溜め息を吐いた。

 それから、ふと視線を泳がせて彼女はある一点で視線を止めた。

「あら、うわばみの知り合いというのが誰かと思えば」

 その視線の先に居たのはベルだった。

「久しぶりですわね、ハスミ」

 愉快そうに微笑む麗子に彼女は歯ぎしりした。

「あなたなんて知らないし、ハスミなんて名前も知らないわ」

 んふ、と麗子が笑う。

 ここで時間を使っているわけにはいかない。なんとか鳥たちを一掃した巳令が鞘に刀を納め、そう思っていると南波が三叉槍を構えて、小声で彼女に言う。

「ここは引き受けた」

「え、でも」

「いいからさっさとあの馬鹿連れて来い」

 調子狂うんだよ。

 三叉槍の先が虚空を切り裂く。それを見ながらこくんと頷いた巳令は梨花とよもぎの手を引いて走り出した。

 地面を蹴り上げて、ウルフに南波が三叉槍を振り下ろす。ウルフが槍を爪で受け止めるのを見ながら「そう簡単に行かせませんわよ」と麗子が一歩踏み出そうとした。


 その足元に、弾丸が撃ち込まれる。


「かっこつけやがって」

 銃口を麗子から離さないまま、マリアは小さく笑った。

「鈴、ベル。ここにはあたしも残る。お前らもさっさと行け」

 その彼女の言葉に二人は何も言わずに巳令たちの後を追った。

「ああ、ベル」

 マリアの言葉に彼女が足を止める。

 お互い振り返らず、マリアが言葉をかける。

「帰ったらちゃんと全部教えろよ、馬鹿」

 吐き捨てるようなマリアの台詞に、ベルは何も答えずに駆け出した。

 その足音を掻き消すように麗子が甲高く笑った。

「馬鹿ですわねぇ、あの女がなんなのかも知らないで」

「うっせぇ」

「ベルだなんて可愛い名前名乗って、昔のことに蓋をし」

「うるせぇ!」

 麗子の真横を銃弾がすり抜ける。

 マリアの碧眼には確かな憎悪と怒りが満ちていた。

「確かにあたしは、あいつのことはなんにも知らねぇ! いつも紅茶飲んで、太る癖にお茶菓子食ってることくらいしか知らねぇよ。昔、何があったとか、そんなの全然わかんねぇ。向こうはあたしの昔話知ってるのにな」

 でも、とその目が麗子を捉える。

「ベルガモットっつー傭兵のことは、よく知ってる。だからあたしは、傭兵のあいつを信用する。それだけだ」

 麗子の目にはわずかな軽蔑の色が浮かんでいた。

「寒いですわ」

「いってろ」

 引き金が引かれる。

 飛んできた銃弾を跳びあがってかわしてから麗子の手元が黒く光り、何かが現れる。それが銃だということにマリアはすぐさま気が付いた。

 どちらからともなく、銃口が火を吹いた。


 施設内に入るなり、ベルは「西側の地下二階」とぼそりと告げた。

 え、とその場にいた全員が彼女に振り返る。ベルは顔を俯かせながら「太李くんを閉じ込めておくなら。そこしかない。変わってなかったら、の話だけど」

「お前、昔、ここにいたのか?」

 鈴丸の問いに、ベルは視線を逸らすだけだった。

 それから、やがて「データをね、見ただけなの」

「どういうことだよ」

「とにかく、ここのメインシステムを止めないと。太李くんが見つかっても帰れないわ」

 すっと目を細めながら「お願い、私が怪しいことくらい私だって分かってるわ。でも太李くんを助けたいのは私だって同じなの」と震えた声で言う。

 その言葉にちっと鈴丸は舌打ちすると「親指は俺と西側。鉢かづきといばらでベルと一緒に行ってくれ」

 はい、と三人が声を揃えて返事する。顔を上げるベルに「勘違いすんなよ」と鈴丸。

「今はとにかく怪しくたってお前を信用するしかない」

 それに、と鈴丸はにっと笑った。

「お前は敵にしちゃむしろ怪しすぎて怪しめないレベルだ」

 その言葉に巳令たちは小さく苦笑した。




 白塗りの鉄格子に太李の体が直撃する。

 当然のように鉄格子はびくともせず、ただただ彼の体が痛みを覚えるだけだった。目が覚めてから何度繰り返しただろう。息を切らし、地面に崩れ落ちながら太李はふらふらとまた立ち上がった。

 チェンジャーも取り上げられ、金庫にしまわれているせいで変身も出来ない。

 助けは来ると信じていても大人しくしてもいられない。

 太李の中に諦めるという選択肢は存在しなかった。それは彼が今まで憧れてきたヒーローたちがそうだったからだ。

 何があっても最後まで諦めない。その姿が、自分の目には格好よく映っていたのだ。馬鹿馬鹿しいと言われるかもしれない。けれど、そんなことは太李には諦める理由にはならない。

 もう一度助走をつけよう。覚束ない足取りで壁際まで下がった太李は息を吸い込んだ。


 そのとき、部屋の外から鈍い大きな音と太い呻き声が聞こえてきた。

 ぴたっと太李が動きを止める。まさか、と思っていると部屋の扉が勢いよく破壊され、ふわふわとスカートを揺らしながら彼の待ち望んでいた誰かが入って来た。


「灰尾くん!」

「太李!」

 鉄格子にしがみつくように梨花と鈴丸が彼を視界に捉えていた。

 安堵で太李の足から力が抜ける。

「梨花先輩……鈴丸さん……」

「よかったぁ、よかったぁ……」

 同じく、無事な太李を見て安堵したのか梨花が大粒の涙を流している。

 それを拭ってから梨花は「ちょっと、そこで待っててね!」と鉄格子に手を掛けた。

 どうするつもりだという太李の疑問はすぐに解消された。

「ふぐ、んぐ、ぐぐぐ……!」

 力む梨花の手に握られた今までびくともしなかった鉄格子が、ぐにゃりと曲がる。

 ようやく人一人が通れるほどの隙間ができるとへにゃりと梨花がその場に座り込んだ。

「て、手が痛い……」

 パワー特化の親指と言えど、安易に鉄格子を曲げてしまうとは。

 苦笑しながら太李は立ち上がる。その手に指輪がはまっていないのを見て鈴丸は顔をしかめた。

「お前、チェンジャーはどうした」

「あ、それがあそこに……」

 太李が指差す先にある金庫を見て「親指ー」と鈴丸は梨花に視線を向けた。

 うう、と小さく唸りながら立ち上がった梨花は握り拳を作ると「ええい!」と金庫目がけてそれを振り下ろした。

 分厚い鉄の板を貫通した梨花の手が引き上げられる。その手にはきちんと銀色の指輪が握られている。ぱたぱたと太李に歩み寄りながらにこっと梨花は笑みを浮かべた。

「はい、灰尾くん」

「ありがとうございます」

 変身後の梨花はなるべく怒らせないようにしよう。そう心に決めながら彼は指輪をはめてほっと息をついた。

 指輪をかざし、太李が叫ぶ。

「変身!」

 まばゆい光に包まれて、それが晴れた頃には太李はすでにシンデレラへと変身を終えていた。

 鈴丸は疲れ切った様子の梨花の頭をぽんぽんと撫でながら「よーし、んじゃもう一仕事。行くぞ」

 自分たちに背を向ける彼を二人は慌てて追い掛けた。




 手慣れた様子で施設内を突き進んでいくベルは跳ね上がっている心臓を無理に抑え付けていた。

 この先にはきっと自分の見たくないものがあるはずだ。それを見るのが怖い一方で向き合わなければならないという責任感にすら追い立てられていた。

 自動ドアが開く。中に足を踏み入れた途端、横に居たよもぎがわ、と声を漏らす。

 壁一面に設置された大きな液晶画面に至る所に伸びる配線、いかにも精密そうな機械が広い部屋の中に並んでいる。

「いかにも悪の秘密基地って感じですね……なんちゅうベタな」

 そんな台詞を聞き流しながらきょろきょろと辺りを見渡していた巳令は一点で視線を止めた。

 ベッドの上には鎖を手で繋がれた一人の少女がぽろぽろと涙を流していた。太李が追って来た彼女だった。

 よもぎもそれに気付き、二人で慌ててそちらに歩み寄るとよもぎが「どうしたの?」と首を傾げた。彼女はびくっと肩を跳ね上がらせてからわからないとばかりに首を左右に振った。

 少し困ったようにしてからよもぎは続けた。

「悪い奴に捕まったの?」

 彼女は小さく首を縦に振った。

 それから「お姉さんが、助けてくれようとしたけど、駄目で」と涙声で続ける。太李か。巳令は確信しながら彼女ににこりと笑いかけた。

「ならもう大丈夫。私たちは、そのお姉さんの仲間ですから」

「ほんと?」

「ええ。少し動かないで待ってて」

 刀の柄に手を掛けた巳令は一瞬でそれを引き抜くと鎖を切断して刀を鞘に納めた。

 自由になってよろける彼女をよもぎが抱きとめた。

「よーしよし、大丈夫」

 少女を抱き上げると「灰尾先輩、これで捕まってたんですね」

「全く、どこまでお人よしなんだか」

 巳令が呆れたように溜め息を吐いた。


 一方、まっすぐ機械の方へと歩み寄ったベルはそれを操作しながらぼそりとこぼした。

「やっぱり、γ型、か」

 画面に映った小難しい計算式や設計図らしきものの意味をベルはよく分かっていた。

 唇を噛み締めながら操作を続けていた手を誰かが掴み上げた。

 無理やり体がそちらの方に向かされて、彼女は黒い瞳を見開いた。

 そこに立っていたのは真っ黒な着流しに、それとはまるで正反対な白い髪を一つに結わえた男だった。

 光の宿っていないその目に、彼女は恐怖と共に焦りを覚えた。

「やあ、和歌」

 懐かしくて不愉快な名前だとベルは相手を睨み付け、その手を振り払おうと抵抗した。

「放して!」

「久しく会った元婚約者にそんな言い方ないだろう」

 キッと彼を睨み付け、彼女は言い放った。

「ふざけないで! あなたのせいで兄さんは!」

「あれは不幸な事故だ」

「黙れぇ!」

 叫べば叫ぶほど、自分は虚しいほど悲しい何かに憑りつかれている。ベルにはそう思えた。

 そんなベルの手からぱっと男の手が放れ、ベルと彼の間に刀が割って入った。

「なんなんですか、あなた」

 冷たい巳令の声にははっと男が笑う。

「君らと会うのははじめてかな、フェエーリコ・クインテット。今は二人だからデュエットかな」

「その名前を知ってるということはあなたは敵?」

「相違はない」

 ぱっと両手を広げながら男は清々しいほどの笑みを浮かべた。

「私の名前は、うわばみ。魔女やウルフが世話になったようだ」

「じゃああなたもトレイター?」

「そうだとも」

 うわばみが一歩踏み出した。巳令がそう思ったときにはすでに彼女と男の間合いは寸前までに迫っていた。

 身構えても遅く、彼の手は巳令の首根っこを掴み上げた。

「あ、あく」

「鉢かづき先輩!」

 少女を下ろしてからよもぎが背中にかけていた弓を構える。しかし矢をつがえる前にうわばみは淡々と告げる。

「はい止まっていばら姫。今の私には鉢かづきの喉を潰すくらい簡単だ」

 ぐっと言葉を詰まらせたよもぎは、やがて、弓を下ろした。

「いい子だ」

「……あなたたち、トレイターの目的はなんなの」

 よもぎの問いにふっとうわばみは笑んだ。

「唯一無二の王の復活」

 なんとかうわばみの隙を見つけ出して、巳令を助けなければ。よもぎは焦った。

 その間にも、巳令の意識は遠のいていく。

 ああ、なんとかしなければ。そう思いながらも彼女の体は思うように動かない。助けて。目を閉じながら彼女はそんな三文字を思い浮かべた。

 まるでその願いが叶ったかのように巳令の首元の圧迫は消え去った。体が落ちていくのを感じていると誰かの腕がそんな彼女を抱き止める。

「鉢かづき!」

 その声に、ぱっと巳令は目を開けた。

 いつぞやに見たヒーローを、また再び見た。彼女はそんな気がした。

「灰尾……」

 ぎゅっと太李の首元に抱き着いた。

 彼がほーっと息を吐くのが分かった。安心してくれているのか。立場は逆のはずなのに、と巳令は内心そんなことを考えていた。

 レイピアがかすめ、血が流れる頬を拭いながらうわばみはやれやれと肩をすくめた。

「もう出てきたのか」

「余計なお世話だ!」

 そう吠えた太李から視線を逸らし、入口の方からかけてくる梨花と鈴丸の姿も捉えるなり、うわばみは首を押さえた。

「私もここでやり合うのは分が悪い。今日は和歌にも会えたし、よしとしよう」

 硬直するベルに視線を向けてから「それじゃあ」とうわばみは指を鳴らした。

「また会おう、フェエーリコ・クインテット」

 もうそこにはうわばみという男の姿はない。

 真っ白な、多少大きな蛇が壁を伝い、ダクトから逃げて行った。

 後を追わねば、いばらが身を乗り出すと同時に警報が響く。画面には英文が立ち並び、それによもぎはうろうろと視線を泳がせた。

「な、何事ですか!」

「……あと数分で証拠隠滅のために建物自爆しますだと」

「わお凄いさすが鈴さん、グローバル」

 とよもぎは感心してから「あれ、これやばくないっすか。SF映画とかでよくある展開ですよね!」とよもぎが顔を引きつらせる。

「超やばい!」

 まだ腰の抜けた様子のベルを抱きかかえてから「お前ら、外出るぞ!」と彼は来た道を戻って行った。




 自分のいる場所に的確に撃ち込まれる銃弾をかわしながらマリアは舌打ちした。マガジンを交換してからマリアは引き金を引く。どれほどこのやり取りを繰り返したのか分からない。

 放たれた弾丸を走ってかわしながら麗子が引き金を引く。それを前転しつつかわす。

「ただの動きの読み合いですわね」

「そうだな」

「久々に楽しい遊びですわ」

 言葉の通りに、心底嬉しそうな笑顔を浮かべる麗子にマリアははっと笑い飛ばす。

 だったら、とマリアは麗子めがけて駆け出した。距離を詰め、銃口を突きつける。

 麗子はそれに一瞬にやりと笑うとしなやかな足を振り上げ、彼女の銃を吹っ飛ばした。空中に浮かぶ自分の銃を見上げるマリアの左こめかみに麗子が銃口を突きつける。マリアは腰に携えていた銃を右手で引きだすと自身の左手に放り投げ、麗子の銃をぶつけ合わせた。

 軌道が彼女の脳天から外れ、弾が地面に撃ち込まれる。

 再度右手に持ち直してからマリアは左足を彼女の腹部目がけて蹴り出した。距離とわずかな隙が生まれ、彼女は麗子の銃めがけて銃弾を放った。

 不安定な状態でも放れた銃弾は見事に麗子の右手に握られていた銃に命中し、くるくると宙を舞わせる。

 やった。そう思ったのもつかの間、麗子の左手がまた黒く輝いて、その手には同じ銃が握られている。火花を吹いたそれから放たれた弾はマリアの肩を直撃した。

 血と火薬の匂いの不快さに顔をしかめながらマリアはしゃがみ込んだ。

「降参ですの? 白旗ですの?」

 うふふ、と笑う麗子にマリアはにっと口の端を持ち上げた。

 ズボンの裾から手榴弾を取り出したマリアはピンを抜くと麗子めがけてそれを放り投げた。

 飛躍して、それをかわす麗子にマリアは再び引き金を引いた。空中で身をよじり切れなかった彼女の頬を弾丸がかすめる。

 頬を流れる血を拭いながら麗子は地面を蹴り上げて再びマリアとの距離を詰めた。そのまま足がしなやかにマリアの銃に直撃する。吹っ飛ばされるマリアの銃に麗子はさらに銃弾を撃ち込んで、銃口を彼女に向ける。

 まだ煙を吐く銃口を睨み付けながらマリアはゆっくりと両手を挙げる。やっぱりつまらない遊び相手でしたわ、と思っているとマリアは頭の上で片手に握っていた手榴弾のピンを外して上空へ放り投げた。

 そのまま物理法則に従ってその場に落ちてくる。麗子が身を引くとマリアも後ろへ下がり、先ほど吹っ飛ばされていた銃を拾い上げた。

 空気を揺らし、手榴弾が爆発する。

 煙と共に上がる火柱を見つめながら麗子はふふっと笑みをこぼした。

「本当に楽しいですわねぇ」

 悪趣味だぜ、とマリアは銃口を麗子に向けた。


 その横で、爪を振り下ろしながら「あームカつく! ちょームカつくー!」とウルフが叫ぶ。

 がむしゃらに振り下ろされる爪を三叉槍の柄で受け止めながら「さっきから馬鹿の一つ覚えだな」と南波は吐き捨てた。

「かっちーん。ウルフちゃんを怒らせるとどうなるかわからせてやるー!」

 きーっと叫びながらウルフは姿勢を低くすると爪を突き出して、南波に向かって突進した。

 身をよじったもののかわしきれなかったようで腹部の辺りの服がわずかに破れる。

「うーおしー! まっぷたつにしてやろうとおもったのにー!」

 自分のスピードでかわしきれないとは、南波は内心舌打ちした。

 わずかに後ろに下がってから地面を蹴って跳躍する。空中で三叉槍を構え、一気に降下する。

「ふん、ばーか! あたるかー!」

 ひょいっとそれを少し跳んでかわすウルフに槍を軸にして蹴り込んだ。

 後退するウルフは「いちち」と顔を歪めながら「もーゆるさない」と低く言い放った。

「ぶっころす!」

 突き刺さった槍を抜きながら「やってみろクソガキ」と南波は挑発的に告げた。


 そのとき、けたましい警報が鳴り響き、両者の動きが止まる。

「ウルフ、行きますわよ」

「ちぇっ」

 わざとらしく舌打ちしたウルフは南波を睨み付けて、べーっと舌を出すと言い放った。

「こんどあったらぶっころしてやるからおぼえてろクソやろー!」

 ウルフがばっと飛び降りる。「それではまた後日、この決着はつけましょう」とにこやかに微笑んでから麗子もその後に続いた。

 それを見送ってから「大丈夫か、マリアさん」南波の言葉に「こんくらい唾つけときゃ治る。それより」と後ろを振り返った。

「なーんかこの警報、あんまりいい感じじゃあねぇよなぁ」

「さっさと出るか」

 少し考え込むようにしてから南波はその場にしゃがみ込んだ。

「掴まれ」

「え、なんで?」

「俺たちも飛び降りる」

「ああ、薄々そんな気はしてたぜ」

 どこか遠い目をしながらマリアは渋々、南波の背に掴まった。

 マリアの体を背負いながら少し後退して、助走をつけ、南波は地面を蹴り上げ、飛び降りた。




 爆発音が響き渡る。

 びりびりと背中に熱気を感じながら太李は地面に座り込んだ。

「あ、あー……ギリギリセーフ……」

「も、もうこれ以上走れないっす……」

 たははと笑いながらよもぎがその場に倒れ込んだ。

 少女を抱きかかえながら走って来ていた梨花もくたくたと座り込んで、巳令もはぁーと疲れ切った息を吐き出している。

「おーお前ら! お、灰尾も無事みたいじゃん」

「マリアさん! 益海くんも!」

 遠くから駆けてきた南波とマリアに巳令は顔を輝かせた。

 一方で、太李は顔を俯かせると「えっと」と言い辛そうに口を開いた。

「その、なんつーか、色々、迷惑かけて、ごめん」

 その場にいた全員がその言葉に固まる。

 やがて、「ぷっ」となぜか南波が吹き出した。びくっと太李が肩を跳ね上がらせる。

「な、なんで笑うんだよ!」

「うるさい気持ち悪い」

「気持ち悪いってなんだよ!」

 ばんばん地面を叩く太李に「いやー灰尾先輩はマジ馬鹿っすね」とよもぎは吐き捨てた。

「よもぎちゃん!?」

「これだからヴァーミリオンファントムは」

「変な罵り方しないで!」

 ぎゃあ、と叫ぶ太李を「灰尾くん」と梨花がまじまじ見つめた。

「はい?」

「ご、ごめんね」

 それだけ断って、ばしんと梨花が思いっきり太李の頬を引っ張った。

「ひゃ、ひゃにすんすか!」

「も、もう! お馬鹿さんの後輩なんて知りません!」

 ぷくっと頬を膨らませながらそっぽを向く梨花にええーと太李は首を傾げた。

「……当たり前じゃないですか、五人揃わなきゃフェエーリコ・クインテットじゃないんですから」

 ぼそっと放たれた巳令の言葉に、あ、とようやく太李は何故自分が怒られているのかを理解した。

 それから気恥ずかしくなって頭を掻きながら「あーっとじゃあ」と改めてその言葉を口にした。


「ありがとう」


 そのやり取りを聞きながら鈴丸の腕から下ろされたベルは息を整えた。

 見たくなかった事実を再確認しただけだ。自分は自分のやるべきことをするだけでいい。

 上空にヘリが横切って行くのを見ながら「さーて」と両手を叩いた。

 そこに居たのは蓮見(はすみ)和歌を捨てた、ベルガモットという一人の傭兵だった。

「みんなで帰りましょ」




 そこまでの会話を聞いてから柚樹葉はゆっくりとヘッドフォンを外した。

 はーっと息を吐いて両腕を伸ばす。安堵の吐息だった。

 まだ分からないことがたくさんある。確認しなければならないことも山積みだ。

 だが、それよりも、と彼女は眠っているスペーメを抱き上げて、ゆっくり歩きだした。


 ■


「話が違いましたわ」

「……まさか、そこまでするとは」

「思わなかった、じゃあ済まないのですのよ」

「ま、待ってくれ!」

「殺して差し上げますわ、と言いたいところですけどいいですわ。γの開発は多少遅れましたが支障はありませんし。でも二度目はないと思ってくださいまし?」

「あ、ああ……」


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