第十五話「青春かと思っていたらなんだか組織を巻き込んだ壮大に厄介な話になったようです」
空っぽの桶が床に当たった音が天井や壁に反響して大きく響く。
自分たち以外の人がいなかったことで尚更大きく聞こえるのだろうと思いつつ巳令は自分の頭を覆っていた泡を一気に洗い流した。
ぱちっと目を開くと白いタイルが反射する光がまぶしくてついつい彼女はまた目を閉じた。そんな彼女におお、とよもぎが歓声をあげる。
「みれー先輩、やっぱ髪すっごい綺麗ですよね」
「え、そうですか?」
黒い髪を耳にかけながら巳令が首を傾げるとよもぎがこくこくと頷いた。
「やっぱり綺麗な黒髪っていいですよねー。ウチなんて茶髪に染めてるから大分痛んでるし。どーせ痛むならもっと別の色に染めればよかったなぁ、似合わないし」
「よもぎさんだって充分茶髪似合ってますよ」
「恐縮っす」
にこっと笑うよもぎは「いやはや、それにしても」と後ろに振り返った。
「髪ほどいた梨花先輩もげきかわっすね」
「ふぇ?」
シャワーを止めながら梨花がゆっくりと振り返った。
「そ、そんなことは」
「しかも肌もスベスベだし、あー自分が男だったらこういうきゃわいい彼女が欲しいです」
「くすぐったいよぉ、よもぎさん」
すりすりと頬ずりするよもぎに梨花が困ったように微笑んだ。
手元のスポンジで泡を立てながら巳令がくすくすと笑い、左隣にいた柚樹葉に問いかける。
「そうだ、柚樹葉。背中流してあげましょっか」
「うわ、なるべく君らに関わらないようにしてたのに」
顔を引きつらせる彼女の後ろに回り込みながら「まぁまぁ」と巳令は泡の立ったスポンジを押し当てる。むすーっと不満げな柚樹葉に「いつも頑張ってるんですから背中くらい流させてください」と巳令が微笑む。
どうやら悪い気はしなかったようでふん、と柚樹葉は顔を逸らす。
「そこまで言うなら、まぁ、いいけど?」
「ありがとうございます」
ふふ、と巳令が笑い声をこぼすのと同時にマリアの叫び声が響く。
「んだぁ、いいって! 自分でやるっつってんだろ!」
そんな叫び声にも動じずにマリアの髪を泡立てていたベルが楽しげに告げる。
「んもー遠慮しないの。ほら、目、閉じないと泡が入っちゃうぞー」
「てっめぇマジ覚えてろよ!」
そう言いながらぎゅっと目を閉じ、口を結ぶマリアに照れ屋なんだからと心の中で呟きつつベルはその泡をシャワーで洗い流した。
白銀の髪が水と一緒にきらきらと光を反射する。いいわよー、とベルが洗い流したことを伝えるとマリアは勢いよく頭を左右に振った。
「あなたね、犬じゃないんだから」
「うっせーうっせー!」
顔を手で覆いながらぷはーとマリアが息をついた。
それから少しして、多少は涼しい夜風に吹かれながら露天風呂の湯に浸かった柚樹葉が「あー」と濁点がつきそうなほど気持ちよさそうな声をあげ、空を見上げた。
自分の中に溜まっていた疲れが湯の中に溶けだしていくような感覚を覚えながら彼女は大きく息を吐いた。
「生き返るー」
「おっさんかよ」
けらけら笑いながらマリアも肩まで湯に浸かり目を細めた。
ぐぐーっと湯の中で手と足を伸ばしながら梨花が小さく左右に揺れ、適当なメロディを口ずさみだした。
「おーふろーはきもちーなみーんなでたのしーなふんふんふー」
即興と思われるその歌に堪えきれなかったのか巳令の顔に笑みが咲く。
「梨花先輩、なんですかその歌」
「お、お風呂の歌」
恥ずかしそうに顔を俯かせる梨花に巳令は「先輩らしいですね」とだけ告げた。
夜空に輝く星たちを見上げながら「こんなに気持ちいいのにスペちゃんだけ入れないだなんてちょっと可哀想ですね」柚樹葉は首を軽く左右に振った。
「別にあのデブは大丈夫だよ。せっかく耐水加工してやったのに風呂嫌いだし」
「ええー」
それは面白くないなーとよもぎは小さく笑った。
そんなやり取りを聞きながら温泉の効能が書かれた立札を眺めながらベルがぼそりと呟いた。
「ここで汗流したら少しは痩せるかしら……」
全員が、思わず自分の体を見つめていた。
ぶくぶくと湯船の中に浸かりながら未だに混乱したままの頭をフル回転させて太李は今、自分が置かれている状況を整理していた。
巳令が自分のことを好きと言っていた。その事実は例え本人の口から聞いたとしてもまだ彼の中で現実味を帯びていない。
聞き間違いだったのかもしれない。そんな希望的観測が頭をよぎる。
その事実だけでも混乱していたのに偶然とはいえ、事実だとしたらこの合宿に来ているメンバーの中で一番自分が聞いてはいけなかった内容を、偶然とはいえ立ち聞いてしまった罪悪感が彼を蝕んでさらに混乱させていた。
悩ましそうに一人唸る彼を見ながら「何あの面白いの」と鈴丸が笑う。
「さあ、大方鉢峰と何かあったんだろう」
「違うわアホ!」
南波にお湯を引っかけながらふいっと太李はそっぽを向いた。いや、違わない。違わないのだが。
太李の態度に鈴丸はぽんと手を叩くと彼の元に近付いた。
「そうだ、俺、お前に合宿に来たら詳しく根掘り葉掘り聞かせてねってお願いしてたよね」
「いいですよなんて言った覚えありませんけどね」
しかもよりによってこのタイミングとは。
顔を引きつらせる彼に「んじゃ、一つ凄く簡単な質問をしようか」と鈴丸はにっと口角をあげた。
「お前は結局のところ巳令が好きなのか? 嫌いなのか? そしてそれは、恋愛的な好意なのか否か」
好きか嫌いかで問われれば、彼は間違いなく、そして迷うことなく巳令が好きだと答えるだろう。
ではその好意の正体がなんなのか。その部分に太李は引っかかっていた。
巳令を仲間として信頼していることに違いはなかった。一番最初に仲間になって、それ以来、共に戦い続けた大切な仲間だ。彼にとっては梨花とはまた違った意味の頼れる先輩でもある。
異性として鉢峰巳令を見たとき、彼は自分が彼女をどう思っているのかがよく分からなかった。巳令に好きだと言われたとき、悪い気は起きなかったがそれだけで彼女を好きだと断定できるとは思えなかった。
それにどちらかといえば、彼女の思考を占めていたのは彼女が自分を好きだ云々よりも立ち聞いてしまったことに対してどうしようかという悩みだった。
そこでふと、あれ、と太李は自分の頬を手で覆った。巳令に立ち聞いてしまったことを知られることを必要以上に恐れている自分がいるような気がしたからである。
どうして、と考えれば答えはすぐに出てきた。実に単純だ。彼女に嫌われたくない。嫌われることが怖いのだ。
それは何故か。堂々巡りのような思考の末に得た答えに「ああ!」と叫んだ太李はずるずると湯船の中に沈んでいった。
だらだらと汗が湧き出てくる。それはきっと、風呂が暑いからというだけではないと彼は思った。
「お、俺、あの」
「あーうんいいよ、大体分かった」
今にも目を回して溺れそうな太李を手で制しながら鈴丸は頭を抱えた。
「とにかく、その感情をあとはどうするかはお前次第だ」
「は、はぁ」
「持て余すもよし、ぶつけるもよし、好きにしろ。その代わり問題は起こしてくれるなよ、俺の責任問題になりかねん」
それだけ、と鈴丸は嫌に楽しそうに告げた。
「んじゃ、俺上がるけど。お前らどうする?」
鈴丸の言葉に南波は黙って立ち上がり、太李は「もう少しだけ」と息を吐いた。
太李が男湯ののれんをくぐり、外に出ると荷物を抱えた巳令が壁によりかかってどこかを見上げていた。
その光景にぎょっとしつつも、彼は一度深く息を吸い込んで吐き出してから手を軽く上げた。
「よう」
彼の声に巳令が顔を上げ、小さく微笑む。
「随分長風呂でしたね」
「ちょっと考え事」
軽く笑いながら「他は?」と問いかければ巳令がすぐに返答をよこしてくる。
「先に行っちゃいました」
「……待っててくれたんだ」
「迷惑でしたか?」
わずかに目を伏せる彼女に太李が慌てて首を左右に振る。
「いや、そんなことはちっともないぞ! むしろ、嬉しいくらいだ、うん」
「よかった」
心の底からほっとしたように巳令がふにゃりと笑う。そんな一挙一動がいちいち彼の心を揺るがした。
少しずつ歩を進めながら話題がないのは嫌だったのか巳令はぽつりと、「今日はよく眠れそうです」
「そうだな」
俺は正直そうでもなさそうだけど。
そんなことを思いつつ太李は息を吸い込んだ。
「あ、そういえば、聞いてくださいよ、よもぎさんったらね」
「あのさ、鉢峰」
巳令の言葉を遮って、太李は彼女の名を呼んだ。
彼女はぱちぱちと瞬きしてからやがて、こてんと首を傾げた。
「はい?」
「その、俺、隠し事とか苦手だし、ずっと黙っていられるよりお前もいいだろうと思って話すんだけど」
「なんですか?」
きょとんとする彼女に太李はきっぱり告げた。
「その、スペーメのバッテリー取りに行ってたとき、偶然、話が聞こえちゃったというか。ほんと、わざとじゃなかったっていうか」
「へ?」
驚きのあまり、足を止め、目を見開いたまま固まった巳令はぱしぱしとしきりに瞬きを繰り返す。
やがて、それがどういう意味かを理解したのか外気にさらされて冷めていたはずの頬が真っ赤に染まり、驚きと恥ずかしさをごちゃ混ぜにした表情を浮かべた。
いたたまれなくなってくるっと彼に背を向けながら「あ、あれは違」と今にも逃げ出そうとする。
その腕を掴みながら慌てて太李がそれを止める。
「や、ちょっと待て! とりあえず鉢峰の言い訳は後で聞く。黙って聞いてたのも悪かった。だからひとまず俺の話を一回聞いていただくわけには参りませんでしょうか!」
勢い余って敬語になった彼の言葉に巳令の動きがぴたりと止まった。
少し間を置いてからこくんと巳令が頷く。
「お、おおうありがとう……」
ぱっと巳令の細い腕を離してから太李はわざとらしく咳払いをした。
何から話せばいいのだろう。考えをまとめながら彼は必死に言葉を紡いだ。
「えと、まず、うん、嬉しかった。鉢峰が、俺のことをああいう風に見てくれてるんだって思うとすげー嬉しかったし、誇らしいくらいで」
「…………」
何かを言いたいのか、ぱくぱくと巳令が口を開け閉めする。
しかし、それに構っていられるほどの余裕も今の太李にはない。
「前も言ったけど、俺は、お前のことカッコいいと今でも思ってる。カッコいいし、美人だし、最近は、その、可愛いなぁとも思ったりしないでもない」
じっと彼女の目を見ながら話すのが苦しくて、太李は彼女から視線を逸らした。
相手に聞こえるのではなかろうかと思うほど、心臓の音が彼の耳にこびり付いた。
「あのな、鉢峰、俺は――」
そこまで言いかけたとき、「シンデレラー! 鉢かづきー!」という声と共に何かが太李の顔面に衝突した。
よろけながら、柔らかいそれがスペーメであるということを彼はすぐに理解した。顔から引きはがして「な、なんだよ!」と彼は取り繕った。
「ディスペア! ディスペア出たです! しかもこの近くで!」
こんな最悪のタイミングでか、と太李は頭を抱えたくなった。
しかし、それより早く溜め息を吐いた巳令が「分かりました」と頷いた。
「灰尾」
「は、はい!」
「即効で片付けて、話の続き、聞かせてください」
顔を俯かせながらそう言った彼女に太李は大きく頷いた。
「お、おうよ!」
「随分都合がよすぎるんじゃない?」
カタカタと膝の上にのせたパソコンのキーボードを打ちながら柚樹葉は隣にいるベルに問いかけた。
彼女は乾かしたばかりのオレンジ色の髪を振り払いながら「なんのことかしら」と告げる。それが柚樹葉には異常なまでに白々しく感じられた。
「こうも運よくディスペアの出現地点に私たちがいることが、だよ。小説やアニメじゃあるまいし出来過ぎた話だと思って」
「事実は小説より奇なりってよく言うでしょ?」
くすっと笑うベルに柚樹葉はふーんとこぼした。
パソコンの小さな画面ではカマキリ型のディスペアとフェエーリコ・クインテット、そしてマリアが交戦しているところだった。
小さなホテルの目の前でディスペアを蹴り飛ばす南波の姿を見ながら柚樹葉は眉を寄せた。
画面の端に何かがちらついて見える。大きなカマにレイピアを受け止められて、吹っ飛ばされながら着地した太李を見てから柚樹葉は通信機を引っ掴んだ。
「ちょっと待って、もう一体いる!」
そう彼女が叫んだ時にはもう遅く、目の前に現れた牛型のディスペアに太李が後ろ足で蹴り飛ばされた。
吹っ飛ばされ、近くの茂みへと滑り込んでいく太李を見ながらよもぎが叫ぶ。
「シンデレラ先輩!」
助けに行こうとして自分目がけて突進してくる牛型に彼女は地面を蹴り上げ、飛び上がった。
そのまま空中で矢をつがえ、放つ。降り注いでくる矢が命中するのを見ながら地面に着地した彼女は今度はカマキリ型がふりかぶったカマを間一髪のところでしゃがんでかわす。
「こ、こえぇよおい」
「く……」
カマキリとの間合いを詰め、巳令が鞘から刀を抜いて斬り付ける。青黒い体液を出しながらよろめく体を睨み付けながら「厄介ですね」と溜め息を吐いた。
一方、吹っ飛ばされた太李は木に衝突した痛みで顔を歪めていた。
「もう一体いたのかよ……」
一人で呟きながらなんとか起き上がった彼は再び、戦闘へ戻ろうとレイピアを構えた。
しかし、彼が一歩踏み出す前にどこからか、叫び声が聞こえた。
小さな子供の、泣き声が入り混じった声だった。
もしかしたら適応者がいたのかもしれない、と彼は辺りを見渡してから目を見開いた。
まだ十歳程度の少女を担ぎながら黒服の男がトラックの荷台に乗り込むのが見える。
どうしようか、と迷ってから彼はその後を追って、荷台の中に飛び乗った。
相手はα型だ、そう聞いてすぐさま動いたのはマリアだった。
鈴丸がよこしてきたランチャーに弾を装填して構えると「二体まとめて、あたしと親指の技でぶっ潰す」と言い放った。
充分な火力だろう、となれば。その言葉の聞くなり「了解です」と巳令はカマキリに対して軽く一撃を加えた。
ぎ、と歪な声をあげるそれに彼女は挑発的に「ほら」と両手を広げた。
「こっちですよ」
ぎぃ! 短く叫んでカマキリが巳令のいる場所に飛びかかる。
そこで南波の方も「いばら」とよもぎに振り返る。彼女は黙って頷くと一本だけ牛に向かって南波の後ろから矢を放った。
びくっと体を震わせて、二人の方を向く。それに怯まず、彼は堂々と告げる。
「こっちだ、単細胞」
大きく鳴いた牛が南波に向かって突進する。
それを南波が跳びあがってかわすと二体の影が重なる。
「親指、行くぞ!」
「はい!」
マリアの言葉に梨花が斧を大きく振りかぶり、投げる。
巨大な斧に傷つけられたと同時にマリアの弾が直撃する。
煙が晴れた頃には、二体は跡形もなく消え去っていた。
倒れ込んだ男を見ながら太李は「大丈夫?」と少女に声をかけた。彼女は震えながら小さく頷いた。
殺してはいない。単に当て身を当てただけだ。恐らくしばらくしたら目を覚ますことだろう。鈴丸の訓練を受けていてよかったと彼は心の底から安心していた。
しかし、この怪物騒ぎにかこつけて女児誘拐とは許せない奴め、と心の中で吐き捨てつつ太李は少女に手を伸ばした。
「行こう」
彼女がこくんと頷いて手袋のはめられていた太李の手をぎゅっと握りしめた。
その手を握り返しながら太李がくるりと振り返った、まさにそのときだった。
軋むような音を立てながらトラックの荷台の扉が閉まった。な、と太李が駆け出したときには遅く、完全に金属の扉で閉ざされてしまった。
いや、それなら、と彼は暗闇の中でもう片方の手で持っていたレイピアを握りしめる。簡単だ。この力があれば恐らくここを突破できるだろう。
「ちょっとごめんな」と優しく声をかけ、太李がレイピアを構えた。
刹那、ごとんと大きな音と共に車体が揺れる。
「うお」
咄嗟のことでバランスがとり切れず、太李がその場に倒れ込む。
その後も不安定に揺れ続ける車と体を襲う奇妙な浮遊感。太李はこのトラックが単に走っているわけではないと直感的に感じた。
だとしたら、自分だけならともかく小さな子供がいる中で扉を破壊しない方ではいいのではないだろうかと立ち止まった。
「お姉さん……」
不安げな少女の声に「ああ、そうか俺はお姉さんに見えるよなぁ」と思いながら「大丈夫だよ」と見つけ出した彼女の手をもう一度握りしめた。
突然響いた轟音がヘリコプターの大気を切るブレードの音だと鈴丸が気付いたのは太李を探して茂みの方へと駆けて行った四人の背を見送った直後だった。
「鈴、あれ!」
「あ?」
興奮気味のマリアの指差す先には大型ヘリが一台のトラックをワイヤーで吊りあげて空へ飛び立っている光景だった。
茂みから四人が慌てた様子で出てきた。
「す、鈴さん! マリアさん! あ、あの、ヘリコプターがトラック一本釣りであの、その!」
「ああ、見えてる」
よもぎの言葉に鈴丸が顔をしかめる。
泡夢財団のヘリだとは彼にはとても思えなかった。もしそうだとしてもなんのためにここにいる。はっとした様子で巳令が呟く。
「ま、まさか灰尾があそこにいるなんてこと」
その場にいた全員が揃ってヘリコプターを見る。
「なぁ、鈴、どう思う。この距離からあたしのランチャー当たると思うか?」
「やめなさい」
無線からベルの声が響く。
でも、と言葉を詰まらせるマリアに「落ち着け、万が一トラックに当たったら一大事だ」と鈴丸も彼女をなだめる。
いるとしたらトラックの中。今ここで見つからないのも頷ける。
「まずいね」
柚樹葉の声が無線から次いで響く。
「チェンジャーの発信機の反応が移動し続けてる、ヘリが飛んで行ったのと同じ方向へ」
無線越しの彼女の声に全員が目を見開いた。
「どうするんだ九条」
「待って、今考えてる!」
南波の声に苛立った風に柚樹葉が返す。
「ひとまず泡夢財団に戻りましょう。発信機がある限り、見失うこともない。今ヘリを手配するわ」
一拍置いて、響いたベルの声に全員が固まった。
泡夢財団の本部では深夜にも関わらず人がばたばたと行きかっていた。
財団あげての一大プロジェクトであるディスペア殲滅における変身者がさらわれてしまったという報告に、その処理に追われていたのだ。
主任である九鬼は奥歯を噛み締めながら現場から帰ってきたという面子に話をするために長い廊下を歩いていた。
休憩所の扉を開けば、普段モニター越しで見ている高校生たちや傭兵が一斉に自分に視線を向けた。
「九鬼さん」
「話は聞いた」
重苦しい彼の声に九鬼に呼びかけたベルは視線を下に向けた。
九鬼は間を空けながら実にわざとらしく躊躇って、言葉を続けた。
「灰尾太李の救出はひとまず保留となった」
がたんと巳令が勢いよく立ち上がった。
てっきり、自分たちが今すぐにでも助けに行けると思っていたのだ。他の面々も同じようにその顔に動揺を浮かべている。
「どうして……」
「この間にもディスペアが出現しないとも限らない。情報もまだ確定していない。そんな危険な状態で向かわせることはできない」
彼の言葉に巳令は怒りすら覚えた。太李の方がよほど危ないのに。
ぐいっとマリアが九鬼の襟首を掴み上げた。
「てめぇ」
「マリア、やめなさい」
ベルの制止も聞かず、マリアは鋭い碧眼を彼に向けた。
「ふざけんじゃねぇ、あいつを見捨てろってことか。このまま何もせずに指くわえて待ってろってか」
「そうは言ってない」
「言ってるようなもんだろうが!」
ぎゅっとマリアの手に力がこもる。それに一切構わずに彼はまた続けた。
「それから、今この場を持って、蒲生鈴丸、柊・マリア・エレミー・惣波両名をこのプロジェクトから解任する」
さすがに力が抜けたとばかりにぱっとマリアが九鬼から手を離す。
「どういうことだよ……」
「言葉のままだ。もっと簡潔に言うならクビだ」
「なん、だよ、それ」
すっかり力の抜けた様子のマリアを見ながら鈴丸が小さく舌打ちする。
この状況でどう動くか分からない自分たちを置いておくほどこのおっさんも馬鹿ではなかったか、と鈴丸はポケットから泡夢財団から渡されていたIDを取り出した。
それを机の上に思いっきり叩き付けると「今までの分の報酬は払え。んで二度と俺の前に顔みせんなクソ親父」と吐き捨てた。
「す、鈴丸さん……?」
「……わりぃな、俺にもできないことがあった」
バツが悪そうにそう梨花に告げ、鈴丸はそれ以上何も言わずに休憩所から出て行った。
マリアも同じようにポケットからIDを取り出すと「クソったれ!」と叫んで駆け出して行った。
「君らを思ってのことだ。ひとまずこの場で待機していてくれ」
明らかに作られた優しい声音に吐き気がすると南波は顔をしかめ、よもぎは聞こえないように舌打ちした。梨花はしゅんと肩を落とし、巳令は彼を精一杯睨み付けた。
そんなことされても、もうあなたはなんとも思わないんでしょうねとベルは小さく息を吐いた。