色褪せた陽だまり(陽向葵 視点)
私の名前は、陽向葵。その名の通り、太陽に向かって咲く花のように、明るく前向きに生きたいと願っていた。高校に入って、私は変わった。中学までの地味で内気な自分を捨てて、流行りの服を着て、メイクを覚えて、クラスの中心グループに入った。怖かったから。一人になるのが、何よりも怖かったから。
グループの輪の中にいれば、安心できた。みんなに合わせて笑って、みんなと同じ話題で盛り上がる。その輪の中に、私の本当の気持ちなんて必要なかった。
叢雲朔くん。
私の、隣の家に住む幼馴染。
私が「陽キャ」の仮面を被るずっと前から、私のことを知っている、たった一人の男の子。物静かで、いつも本ばかり読んでいるけど、本当は誰よりも優しくて、頭がいいことを私は知っていた。中学の頃、私が飼っていた猫が死んでしまった時、一晩中黙って隣に座っていてくれたのは、朔くんだった。
高校に入って、彼と話さなくなった。グループの友達に「あんな陰キャと知り合いなの?」と言われるのが怖くて、私は彼から逃げた。廊下ですれ違っても目を逸らし、気づかないふりをした。そのたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。本当は、話したかった。中学の頃みたいに、隣で笑い合いたかった。
あの日の放課後、グループのリーダーの天王寺凱くんに「罰ゲーム」を命じられた時、私の心臓は凍りついた。
「葵、叢雲に告白しろよ。OKされたらお前の勝ち」
嫌だ、と言えなかった。
ここで断れば、グループから弾き出される。また、一人ぼっちに戻ってしまう。その恐怖が、私の良心を麻痺させた。それに、心のどこかで、朔くんなら許してくれるんじゃないかという、甘えがあったのかもしれない。
私は、女優になった。
頬を染め、声を震わせ、一生懸命に練習したセリフを口にした。
「私と、付き合ってくれませんか?」
朔くんが、驚きと喜びに目を見開いて、そして「喜んで」と答えてくれた時、私の胸を刺した痛みは、罪悪感だったのか、それとも微かな喜びだったのか。もう、わからない。
凱くんたちが飛び出してきて、全てが嘘だとばらされた時の、朔くんの顔を、私は一生忘れられないだろう。
世界中の光を全て失ったような、虚ろな瞳。
その瞳に映る私が、醜い化け物のように見えた。私は笑いを堪えるふりをして、俯いた。本当は、泣きそうだったのを隠すためだったなんて、誰も気づいてはくれなかった。
翌日から始まったいじめを、私はただ見ていることしかできなかった。朔くんの机が汚され、教科書が破られても、私は友達とのおしゃべりを止められなかった。助けたい。やめてと言いたい。でも、言えない。言ったら、次のターゲットは私になる。その恐怖が、私の足に鉛の枷を嵌めていた。
時々、朔くんと目が合った。彼の瞳には、もう何の感情も映っていなかった。怒りも、悲しみも、軽蔑さえも。まるで、そこに私が存在しないかのように、完全に無感情な瞳。それが、どんな罵倒よりも私を苦しめた。
そして、運命の日が来た。
突然、学校がひっくり返ったような騒ぎになった。凱くんと伊集院くんが警察に連れていかれ、私にも事情聴取の連絡が来た。私の両親は、叢雲くんの母親だという弁護士から送られてきた分厚い書類を前に、顔を青くしていた。
私は、直接的な暴力には加わっていない。だから、大丈夫。そう思いたかった。
でも、叢.雲くんの母親だという弁護士は、私の罪を明確に指摘した。
「あなたは、偽計を用いて被害者の心を最も深く傷つけました。これは、暴行に等しい、あるいはそれ以上の精神的加害行為です。あなたには、共同不法行為者としての重い責任があります」
学校では、私の立場は完全に逆転した。今まで私を持ち上げてくれていた友達は、「葵が告白なんてするから」「私たちは関係ない」と、蜘蛛の子を散らすように去っていった。クラスメイトたちからは「元凶」「一番ひどい」という囁き声と、冷たい視線が突き刺さる。私が恐れていた「一人ぼっち」が、最悪の形で現実になった。
耐えきれなくなって、私は学校を辞めた。
家にいても、居場所はなかった。両親は、数百万にもなる賠償金の一部を支払うために、毎日働き詰めで、家の中はいつも重苦しい空気に満ちていた。私と顔を合わせても、ため息をつくだけ。かつて陽だまりのようだった我が家は、すっかり色褪せてしまった。
私は、何を守りたかったんだろう。
偽りの友情? くだらない見栄?
そのために、私は本当に大切なものを、自らの手で壊してしまった。朔くんとの思い出も、彼の優しさも、そして、私の中に確かにあったはずの、彼への淡い恋心も。
後悔が、波のように押し寄せてくる。
謝りたい。許してもらえなくてもいい。ただ、この気持ちを伝えたい。
ある雨の日、私は傘も差さずに家を飛び出し、彼の家の前に立った。ずぶ濡れになりながら、ただひたすら彼が出てくるのを待った。
やがて、ドアが開いて、朔くんが出てきた。
私の姿を認めた彼の足は、一瞬たりとも止まらなかった。
彼は、私の真横を、まるで道端の石ころを避けるように、通り過ぎていった。
その瞳には、もう私は映っていなかった。私は、彼の世界から完全に消去されたのだ。
その瞬間、私の中で何かがぷつりと切れた。
足から力が抜け、私はその場に崩れ落ちた。雨が私の体を打ち、涙と混じり合って地面に染みを作っていく。
「ごめんなさい……ごめんなさい、朔くん……」
誰にも届かない謝罪の言葉が、嗚咽と共にこぼれ落ちた。
私は、太陽に向かって咲く花にはなれなかった。
それどころか、たった一つだけ私を照らしてくれていた、優しくて暖かい陽だまりを、自らの手で永遠に失ってしまったのだ。
この絶望と後悔を抱えて、私はこれからどうやって生きていけばいいのだろう。色を失った世界で、答えの見つからない問いだけを胸に、私はただ、降りしきる冷たい雨に打たれ続けることしかできなかった。




