第8話 その横顔、昨日よりちょっと近くて
朝の冷たい空気が、ロッジの隙間から忍び込んでくる。
目を覚ました俺は、いつもより心臓の鼓動が早いのを感じながら、狭い物置小屋の天井をぼんやり見つめていた。
隣には、まだ寝息を立てているエリザベート。昨夜の騒動の余韻が、頭の奥にまだ残っている。
(まさか、ほんとに一晩このままになるとは……)
手を出したわけでも、見せ場があったわけでもない。
でも……距離の近さと、あの瞬間の表情だけで、どうにもこうにも心がざわついていた。
そのとき——
「……あの、すみません! 二人とも無事ですかー!?」
外から、焦ったようなミアの声が聞こえた。
続けて、「ちょっと御門、扉、力ずくでいける?」と指示する声。
ドンッと衝撃が走り、ガタン!と扉が大きく開くと、朝日と共に飛び込んできたのは——修羅場。
「ま、まさか……一晩ふたりきりで!? なにがあったの……!?」
先頭のミアが、口元を抑えて固まる。
その隣で御門が呆れたように眉をひそめ、静かに一言。
「……昨晩から二人の気配がないとは思ったけれど、まさかこんな所で逢引きとはね」
「べ、別に何もないわよ! ……ちょっとだけ、ぬくぬくしてただけよ!」
慌てて立ち上がったエリザベートが言い訳のようにそう告げる。
「いや、語弊あるだろそれぇぇ!」
俺は全力で否定したが、全員の視線はどこか疑惑に満ちていた。
とりあえず一件落着(?)したあと、俺たちは他の班と合流して、朝食づくりの準備に移った。
冷蔵庫代わりの保冷箱から取り出された卵や野菜、残り物のカレーのルー。簡易コンロと飯盒で、班ごとの自由調理タイムが始まる。
ミアと御門が器用にパンケーキを焼き始める横で、エリザベートは腕を組んで「今日こそ見てなさい」と不敵に微笑んでいた。
「今日は、リベンジ。……庶民風“究極のカレートースト”を作ってやるわ」
目がマジだ。昨日とは違う。エプロン姿も板について、エリザベートはテキパキと手を動かし始める。
俺も慌ててサポートに回りながら、(いや、むしろ俺より慣れてきてるんじゃ……)と密かに感心していた。
そして約二十分後。
カリッと焼かれたパンに、ほどよく辛さを抑えた昨日のカレーが乗り、溶けたチーズがとろける。香りが鼻腔を刺激し、食欲が爆発しかけたその瞬間——
「……さぁ、試食なさい!」
エリザベートが胸を張って差し出してきた。
俺はひとくち、もぐりと齧る。
「……うまい」
自然に、口からこぼれていた。
素直にそう思った。昨日のスパイス地獄が嘘のように、ちゃんと計算されたバランスの取れた味だった。
エリザベートは少し照れたように目を伏せ、もじもじと俺の隣に立つ。
そして——
「……今度は、ちゃんと“おいしい”って言わせようと思って」
そう言って、誇らしげに胸を張った彼女の横顔を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「なんだよ、それ。まだ勝負のこと気にしてたのかよ」
「当然でしょ? あの辛さ地獄を経験して、今度こそ、庶民の舌にも優しいレシピを完成させたんだから」
「……いや、普通にすごかったよ。ちゃんと“おいしい”って言いたくなったもん」
俺がそう言うと、エリザベートは一瞬、驚いたように目を見開いて——すぐに、ぷいっと顔を背けた。
「ふ、ふん……言われなくても分かってたけどね」
「……ありがとな、エリザベート」
「な、なんでそこでお礼なのよ! 変なこと言わないでよバカッ!」
ツンと怒ったように言いながらも、彼女の耳が赤くなっていたのを、俺は見逃さなかった。
◆
その後、ロッジ内の清掃を終えて荷物をまとめた俺たちは、バスの発車時刻までの空き時間を利用して、ウッドデッキでくつろいでいた。
肌寒い風が吹く中、ミアが「最後にみんなで写真撮ろうよ」と提案して、スマホのセルフタイマーをセットする。
エリザベートは「べ、別に記念とか興味ないけど!」と文句を言いつつも、ちゃっかり一番前に立っている。
御門も涼しい顔で並び、俺もその輪に加わった——その瞬間、突然の突風が吹き抜けた。
「きゃっ!」
エリザベートの帽子が風に舞い上がり、慌てて追いかける。
「待てって!」
小さな帽子を追いかけて走り出した俺は、ロッジの裏手まで駆けてようやくキャッチ。
その瞬間、背後から声がした。
「……ありがと」
振り返れば、少し息を切らせたエリザベートが立っていた。
「帽子、失くさずに済んで良かった……。昔、パパに買ってもらったものなの」
そう言って、そっと受け取る指が、俺の手に触れた。
「はは、朝の新聞配達で足を鍛えておいて良かったよ」
ぽつりとこぼれた言葉に、エリザベートはきょとんとしたあと、帽子のツバをぎゅっと握りしめた。
「……もう、バカ」
でも、その口元は、少しだけ緩んでいた。
ロッジの陰から漏れる光が、彼女の銀髪を淡く照らしていた。
この合宿、いろんなことがあったけど——
最後に笑って終われたことが、何よりも嬉しかった。
ロッジを出る頃には、空にかかっていた雲が、少しずつ晴れ始めていた。
帰りのバスでは、疲れが出たのか、みんなすぐに寝息を立てていた。俺は通路側の席に座り、斜め前の窓際では、エリザベートが静かに目を閉じていた。
その横顔を、ふと盗み見た。
合宿初日のドタバタや、料理勝負の失敗、夜の雷事件。それでも、彼女の中で何かが少しずつ変わっている——そんな気がした。
……そして、俺の中でも。
そうしているうちに、バスは学校前に到着。解散の号令と共に、それぞれが帰路についた。
帰宅したあと、俺たちはそれぞれ荷物を片付け、自宅でゆっくり過ごしていた。
……のはずだったが。
「おい、エリザベート。顔、赤くね?」
夕飯のあと、リビングのソファで水を飲んでいた彼女の様子が、どうにもおかしかった。
「な、なによ。別に……ちょっと、暑いだけよ……」
そう言いながらも、額にはうっすらと汗。頬はいつになく紅潮し、目もとに覇気がない。
「熱、測ってみろよ」
「い、嫌よ……そんなの、大げさすぎるわ」
そう言いつつも、立ち上がった瞬間にふらりと身体が傾く。
「ほら見ろ!」
慌てて支えながら、体温計を手渡す。
数分後、ピピッと鳴ったその数字を見て、俺は息をのんだ。
「……38.9度!?」
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一難去ってまた一難……?
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