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第6話 暗闇の中で、君の声がやけに近い



 ——キャンプファイヤーの片付けが終わり、夜の帳が静かに山を包み始めていた。


 薪の焦げる匂いと、微かに残る煙の名残。

 人の気配がまばらになった焚き火跡地に、俺はひとり、火ばさみを持って残っていた。


 ……カレー勝負、負けたのは悔しいけど、それよりも。


(御門とエリザベートが、今……二人きりで話してるんだよな)


 あいつ、何を話してるんだろう。何を言ったんだろう。


 考えるだけで、胸がざわつく。


「やっぱり、気になるんだね?」


 不意に背後から、柔らかくも芯のある声が響いた。


 振り返れば、そこにはマグカップを両手に抱えたミアが立っていた。

 湯気の立つそのひとつを、無言で俺に差し出す。


「……ココア?」


「うん。余った分。あったかいうちに飲んじゃお?」


 マグカップを受け取ると、ミアはすぐ隣に腰を下ろした。

 距離が……近い。


「エリザベートさんのことで、悩んでるの?」


「うっ……」


 言葉に詰まる俺を見て、ミアは小さく笑い、そっと身体を寄せてきた。


「お、おい……ちょ、距離……」


「料理勝負、私たちの勝ちだったよね? だから……少しくらい特権をもらっても、いいでしょ?」


 ミアの肩が、俺の肩にふわりと触れる。

 そのぬくもりに、妙に意識してしまう自分が情けない。


「……でもね」


 ミアはふっと視線を焚き火跡に落とし、小さく囁く。


「私は知ってるよ、翔馬君がどれだけ優しい人かってこと。誰かのために動ける、すごく強くて、温かい人だってこと」


「ミア……」


「だから、もし彼女に疲れたら——私のところに来てもいいのよ?」


 不意に耳元に吐息を感じた。次の瞬間、ミアの声が、甘く、誘惑のように響く。


「……こっそりキス、してみる?」


「なっ……!?」


 思わず顔を背けた俺に、ミアはくすっと笑って囁いた。


「ふふ、私はいつでも歓迎、だよ?」


 それは冗談のようで、どこか本気の響きを持っていて。

 俺はどこか返事ができず、視線を逸らすことしかできなかった。


 ——その様子を、遠くの林の陰から、ひとりの少女が見ていた。


 月明かりの下、銀髪が風に揺れる。


 見つめるその瞳は、静かで、少しだけ……寂しげだった。



 ◆

(エリザベート視点)


 火の残り香が、まだ空気に漂っている。

 赤くなった焚き火跡を遠目に眺めながら、私は何度目かのため息をついた。


 どうして、こんなに胸がざわつくのか。

 どうして、あの人が他の誰かに優しくされているのを見ると、こんなにも心がざわつくのか。


 ——私、あの人のこと、見てたはずなのに。


 あの丘の上の家が手放されると知った日。

 父が姿を消し、母の頬がやつれていき、弟の笑顔が消えて。

 それでも私は、あの家だけは手放したくなかった。

 家族の思い出が、愛情が、あの家には詰まっていたから。


 そんな私の前に、彼は現れた。


 「この家……俺と一緒に住まないか?」


 唐突で、無茶苦茶で、ありえない提案だった。

 でもその声に、私は少しだけ救われた気がした。あの時の私は、きっとひとりで立っていられなかったから。


 彼は……高坂翔馬は、少なくとも、私にとって“知らなくてもいい他人”ではなくなった。

 特売の卵をめぐって一緒に買い物をしたこと、初めて“庶民の技”を教えてくれた日——

 そんな些細な時間が、どうしようもなく心に残っている。

 一緒に過ごす時間が増えるほど、気づけば私は、彼の言葉に耳を傾け、彼の仕草に目が留まるようになっていた。


 あの笑い方、不器用な優しさ——それに触れるたびに、少しだけ、心が揺れてしまう。


 ……別に、恋とか、そういうんじゃない。

 ただ、気になるだけ。

 ちょっと、目が離せなくなっただけ。


 料理勝負で負けたとき、確かに悔しかった。

 でも、それよりもモヤモヤしたのは——


 翔馬が、別の誰かに心を向けているかもしれないと思ったこと。


 あのミアという転校生。

 ふわふわした笑顔の裏に、何か底知れないものを感じていた。

 ずっと前から、私と翔馬の距離を測っているような、そんな目。


 ——そして今。


 彼女の隣で笑っていた翔馬の横顔が、頭から離れない。


 優しくて、頼りなくて、でもまっすぐで。

 自分のことよりも誰かのことを考えて、時にはバカみたいなこともして——


 ……どうして、そんなあなただから、ちょっと……気になってしまうのよ。


「……バカ」


 誰にともなく呟いたその言葉は、風にさらわれて夜空へ溶けていった。


 でも、ほんの少しだけ決意のようなものが、胸の奥に芽生えていた。


 ——このまま見ているだけじゃ、きっと後悔する。

 まだ“友達”にもなれていないのかもしれないけれど。


 せめて、ちゃんと並んで歩けるくらいには——なりたいと思った。



 ◆


 夜。


 雷が轟いた瞬間、ロッジの明かりが一斉に落ちた。


「うわっ……停電?」


 部屋の中は一瞬で真っ暗。山奥の夜はただでさえ暗いのに、厚い雲で月も星も隠れていて、手元すら見えない。


「他の奴らは大丈夫か?」


 ロッジには部屋の余裕があったので、各自一人ずつ使っている。


「御門やミアはともかく、鳳条院さんは……」


 俺はポケットからスマホを取り出し、ライト機能をオンにした。

 頼りない光だけど、何も見えないよりはマシだ。

 足元と壁を照らしながら、廊下を進んでいく。

 スマホの充電はまだあるけど、電気が通ってない今、いつまで保つかは分からない。

 このままじゃ本当に何もできなくなる。

 代わりになる照明が欲しい。


 その途中——


「いてっ……って、鳳条院さんか?」


「高坂翔馬……!? アンタ、こんなとこでなにして——」


「停電でランタン探してた。お前こそ、ひとりで歩くとか危ないだろ」


 暗闇の中、偶然にもエリザベートと鉢合わせた。


「べ、別に……っ、雷がうるさいからアンタに文句を言おうと思って、探してただけよ!」


 強がる声はいつも通りだけど、その言葉の端々には、寂しさと動揺が滲んでいた。


「たしか外の倉庫に予備のランタンあったよな。案内するから、ついてこい」


「ちょ、手、引っ張らないで!」


「暗いからだろ。転ばれたら面倒だし」


 手を引いて、裏手の物置小屋に向かう。


 建て付けの悪い扉をギィと押し開けた瞬間——


 バリバリバリッ!!


 轟音と共に雷光が空を裂く。

 思わず身をすくめたエリザベートが、驚いた拍子に俺の背中に飛びつくように押し寄せた。


「わっ、ちょ、おまっ——!」


 その勢いのまま、俺は小屋の中へと倒れ込んだ。

 エリザベートも一緒にバランスを崩してついてきて、俺の上に乗る形でもつれるように床に転がる。


「い、痛った……って、お前、何して……!」


「し、しょうがないでしょ! あんな音、心臓に悪すぎるわよっ!」


 顔を赤くしながら言い返すエリザベート。俺も思わず息を呑んだ。

 距離が近すぎる。ていうか、ほぼ密着状態……!


 ふと視線を下ろすと、エリザベートの太ももが俺の腰に密着しているのに気づいた。

 しかも、あろうことか足が絡まるような体勢になっていて——


(おいおいおい、柔らか……って、うわ、やばっ)


「い、いいから早く離れろ……!」


「言われなくてもそうするわよ!」


 もたつきながら体を離したその直後——


 ガタン!!


 鈍い音とともに、小屋の扉が勢いよく閉まった。直後、ドスンという音がして、何かが扉の外に倒れかかる。


「……うそだろ」


 急いで立ち上がって取っ手を引いてみるが、ビクともしない。


「ねぇ、開かないってどういうことよ……?」


「たぶん今ので、外から木材か何かが倒れて、扉がふさがれたんだ……」


 扉に肩を当てて押してみても、手応えは重く鈍い。完全に塞がれてる。


 狭い小屋に、再び雷が轟く。

 薄暗がりの中で、エリザベートが静かに息を呑むのがわかった。


 さっきの接触のせいか、彼女の頬はわずかに赤く染まっているようにも見える。

 けど、プライドの高い彼女がそれを指摘されたくないのは目に見えていた。


 俺は何も言わず、棚の奥からランタンを引き出し、小さな火を灯した。


 柔らかな光が、狭い物置を照らす。


「……べ、別に怖くなんてないけど……その、しゃべっててあげるだけよ? あんたがビビってると面倒だしっ」


 頬をそむけてそう呟く彼女に、少しだけ笑ってしまいそうになる。


 ——このまま、誰かが気づいてくれるまで、俺たちはここから出られない。


 物置小屋の、湿った木の匂い。

 雨音と雷鳴。

 そして、ふたりきりの沈黙。


 心臓が、やけにうるさく感じた。


(……マジかよ。これ、どうすんだ)



 ——夜は、まだ長い。



次回は本日19時半ごろを予定!

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