第4話 淫魔な銀髪美女と過ごす夜
同居二日目の夜。屋敷のトイレの場所がいまだに把握できていない俺は、眠気まなこで廊下をうろついていた。
そのときだった。
どこかの部屋から、妙に色っぽい声が漏れてきた。
「……んっ、ふ……っ、はぁ……」
(えっ、エリザベート!? まさか夜な夜な……?)
まさか、そんなことあるか? でも、あいつなら可能性ゼロとも言い切れない。俺の中の理性が警報を鳴らす一方で、野次馬根性が爆速で勝利を収めた。
「いや、ちょっと確認するだけ……な?」
そう自分に言い訳して、俺はそっと扉の隙間を覗いた。
「……ナターリアさん!?」
室内にいたのは、エリザベートじゃなかった。
まさかの、母——ナターリアさん。
しかもソファーの上で、ひとりで、しっとりと……って、ちょっと待て。
表情はいつもの優しげなものじゃなかった。潤んだ目元、艶やかに濡れた唇、そして……色気で攻撃してくるかのような吐息。
(ギャップで死ぬ! 俺の中の理性が死ぬ!!)
逃げなきゃ、と身体を動かそうとした瞬間。
「来ると思っていたわ♡」
ばっちり目が合った。
ナターリアさんは、まるで当然のように微笑んで立ち上がる。
「えっ? ちょ、ま、まさか、これって……」
「近くを通りがかると思って、誘っちゃったの」
そんなセリフ、誰が現実で言うんだよ!?
「私は旦那しか知らないけれど、殿方の悦ばせ方はそれなりに熟知しているのよ」
「な、なるほど……? え、ちょっと待って? 何の話!?」
何がなるほどだ俺、もっと警戒しろ!!
「私たち一家を拾ってくれたこと、とても感謝しているの。でもね、私は“母”だから——家族を守らないと」
ナターリアさんは俺の手を取ると、自分の胸元にそっと導いた。
「娘に手を出されるくらいなら、その前に……お母さんが全部、翔馬君の性欲を受け止めてあげる♡」
「なななななな何をおっしゃってるんですかああああ!!」
叫んだ。全力で叫んだ。でも。
下半身は正直だった。
「あら、旦那よりすごい……ふふ、手だけで済ませてあげるから、ね?」
腕を掴まれた俺は、必死で逃げようとするけど……ナターリアさんの手は、優しくも、やたらと強い。
「や、やめ……っ、やめてぇぇぇぇ!!」
そのままズルズルと部屋の中に引きずられ——
そうになるギリギリのところで逃げた。
……あぶねえ。俺の理性が崩壊するところだった!
翌朝。
俺は食卓についたものの、すでに“オス”としての機能をだいぶ消耗していた。
目の下には濃ゆいクマ、魂の抜けたような目つき。箸を持つ手は震えて、塩もやし炒めの湯気すらどこか遠く感じる。
(理性を取り戻すためとはいえ……やりすぎた)
「アンタ、顔色悪っ。ゾンビかと思ったわ」
そんなツッコミとともに、エリザベートが俺の顔を覗き込んできた。
次の瞬間、反射的に声が出た。
「ひいっ!?」
「はぁ!? ちょっと何よその悲鳴!? 失礼にもほどがあるわよ!」
怒るのは分かる。でも仕方ないんだ……昨夜のことを思い出しちまったんだよ……!
「ふふふっ」
聞こえてきたのは、どこか満ち足りたような笑い声。
ナターリアさんは、朝から妙に艶っぽくて、ご機嫌だった。
肌はツヤツヤ、目元はうるうる、頬にはほんのり紅。
まさに“やり遂げた女の顔”ってやつだった。
「若い子って、すごいのねぇ……♡」
「だからやめてぇぇえええええええええ!!」
◆
「そういや、学校どうすんだ? 一緒に行くのか?」
どうにか気力を取り戻しつつ。塩で炒めただけのもやし炒めをつつきながら、ふと思い出して声をかけた。
エリザベートは、ピクリと眉を上げて俺を一瞥し、すぐさま顔をそらす。
「はぁ? 一緒なんて無理に決まってるでしょ。誤解されたら面倒だし!」
はいはい、今日も絶好調のツンツンぶりです。
(まぁ、そうだよな。クラスでは性格の良い完璧お嬢様キャラを気取ってるんだし。一人でのんびり登校するか)
食事が終わって少し経った後。玄関から制服姿で出ていった彼女の背中を見送って、俺も後を追うように家を出た。
が——
「……おい、どこ行ってんだよ」
見慣れた銀髪が、颯爽と“逆方向”へ歩いているのを目撃。
学校はあっち。お前、真逆だぞ。
「まさかお前……道、知らねーのか?」
声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
「だ、だってしょうがないでしょ!? 今までは運転手が車で送迎してくれてたのよ!」
顔はうっすら赤く、目元はうるうる。
……って、なんだその反則級の破壊力。うるんだ目で見上げてくるとか、心臓を狙撃された気分なんですけど。
「ったく……しょうがねぇな。俺が先に行く」
「え……」
「後ろは決して振り返らないから、鳳条院さんが俺についてこようがどうしようが、勝手にするといいよ」
俺が回りくどい言い方をすると、彼女は意図を理解したのかホッとしたように小さく息を吐いて、そっと俺の制服の裾をつまんだ。
「……今日だけ、アタシをエスコートする“権利”を授けてあげるわ」
はいはい、超絶上から目線の言い訳タイムいただきました。
でもその真っ赤な頬と、そっぽ向いたままの照れ顔は、マジでずるい。
「しょうがねぇな」とか言いながら、ちょっと嬉しかった俺は、完全にチョロいと思う。
「明日はちゃんと行けんのか?」
「……そのときはそのときでしょ!」
口調は強気。でも耳まで真っ赤。
ツンとデレの切り替え、秒速かよこの令嬢。
俺たちはそのまま前後に並んで歩き出した。
制服の袖がふと触れ合って、エリザベートが一瞬だけピクリと反応する。
俺も、彼女も何も言わない。
それでいい、今日は。
……明日も、もしまたこの距離だったら——たぶん、悪くない。
◆
校門が見え始める頃、なんとなく空気の色が変わった気がした。
それもそのはず。
銀髪美少女と平民男子が並んで登校してるってだけで、視線がビシバシ飛んでくる。
「え、ちょ……あれ、鳳条院エリザベートじゃね?」
「マジかよ、超お嬢様が歩いてる!? てか男連れ!?」
「誰!? あの男! 彼氏!? いやボディーガード?」
うわ……視線が痛い。声もデカい。そしてなにより、隣の当人はというと——
「ふん、どうせならもっと堂々と見なさいよ」
なんかちょっとドヤってる!?
……え、俺の立場どこ?
その噂はあっという間に校内に広がったらしく、昇降口に入る前に人だかりができかけていた。
そして、そのざわめきをスッと割るように、ひとりの男が現れた。
長身、整った顔立ち、無駄のない所作。
制服の胸元に輝く生徒会バッチ。そして、誰もが名前を知る人物。
「鳳条院エリザベートさん。……と高坂くん。良い朝だね」
生徒会長・御門隼人。
名門・御門財閥の御曹司で、莫大な資産を持つ家柄の生まれ。頭脳明晰、スポーツ万能、成績は常に学年トップクラス。
しかも自ら立ち上げたベンチャー企業を運営する、現役高校生起業家でもある。
学園内外問わず、女子人気は凄まじく、“学園の王子”とまで呼ばれている。
——対して、俺。
家は貧乏、バイト掛け持ち、学力は中の下。運動は好きだが得意ってわけじゃないし、スマホの機種も三世代前。
そんな俺のことを、あんなセレブお嬢様が、今こうして隣を歩いてくれてるってだけで、もうだいぶ奇跡だった。
目を細めて微笑む彼は、まず俺に視線を投げた。冷静な、まるで人間スキャンでもしてるみたいな目つきで。
「君に姫の騎士は荷が重い」
そう一言だけ告げてから、彼はエリザベートの方に身体を向ける。
「エリザベートさん。僕が、あなたを守る」
は?
「鳳条院財閥や家庭の話は聞いている。状況が安定するまで、僕の家に来ないか?」
何いきなり爆弾投げてんだこの生徒会長。
一瞬、周囲が「キャーッ!」と盛り上がった気がする。本人もほんの少しだけ頬を赤らめて——いや、うそだろ!?
気づいたら、俺の口が勝手に動いてた。
「彼女はもう、俺の家族だ」
場が静まり返った。その空気の中で、御門が目を細めて、口元だけで笑う。
「家族、か……僕には分からないな」
その言葉の奥に、何かを感じたのは気のせいじゃない。
「まぁ、すぐに分かるさ。僕とキミ、どちらが鳳条院さんに相応しいか」
こちらの意見など聞く気もないと、キザったらしく去っていく御門。
けど俺は、それ以上何も言わなかった。
だって横を見ると——エリザベートが、ほんのちょっとだけ、うれしそうに笑ってたから。
◆
夜——俺は自室のベッドに倒れ込んでいた。
「なんか今日、体力以上に精神が削られた気がする……」
御門に目をつけられ、学園中に噂され、妙に距離感の近いエリザベートに振り回され……
いや、朝からナターリアさんの件もあったし。むしろ今日一日生き延びた俺、よく頑張った。
そんな自己評価をつぶやいていると、コンコン、と控えめなノック音。
「入るわよ」
返事する間もなく、ドアが少しだけ開いて、エリザベートが顔を覗かせた。
「あんた、ほら。水分補給」
そう言って、彼女が差し出してきたのは——冷えたレモネードのグラスだった。
「……ありがと」
俺は小さく礼を言って受け取る。レモンの香りが鼻をくすぐり、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
エリザベートはと言えば、そっぽを向いたまま、どんどん声が小さくなる。
「べ、別に……コック係のアンタが体調崩したら、他の皆が困るからよっ!」
頬が真っ赤。耳まで染まっている。
俺は思わず吹き出しそうになったが、レモネードを一口飲んでそれをごまかす。
甘酸っぱくて、少しだけ、心がホッとする味だった。
そのままエリザベートは「じゃ、もう寝なさいよ!」と早口で言って、バタンと扉を閉めていった。
……なんだよ、あれ。
でもまあ——うん。
今日は、いろんな意味で疲れたけど。
ほんの少しだけ、彼女との距離が近づいた。
そんな気がした夜だった。
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美少女……のお母さんって、なんだか響きだけでエッチで良いですよね。