第21話『これは調査。……たぶん、きっと、そう』
放課後の帰り道。
私は、こっそりと翔馬のあとをつけていた。
帽子深め、マスク装備、手には観察用ノート。……傍目には完全に不審者だが、本人は至って真剣である。
電柱の影や自販機の裏にひそみ、慎重に距離をとって尾行を続ける。
(庶民、校門を出て左折。特に寄り道の素振りなし。歩幅、安定。姿勢、やや猫背。表情、無感情気味)
私はメモ帳を開き、サラサラとペンを走らせる。翔馬にバレてない(つもり)で、ひたすら“冷静な記録者”を装っていた。
けれど。
(……なんで私、こんなことしてるんだろう)
そんな疑問が浮かんだその瞬間、翔馬が道の途中でふっと左に曲がった。
慌てて追いかけると、目の前に広がったのは、小さな川が流れる公園だった。
彼は迷いもなく川辺へ向かい、しゃがみ込む。
「……なにしてんのよ、あれ」
思わず声が出そうになって、あわてて口を押さえる。
その視線の先では、折れた枝と針金を器用に組み合わせて、何かを作っている。
(庶民、河川敷にて謎の手作業。目的……不明。集中力、意外と高め)
彼はそれを川にそっと沈めた。
(え、もしかして……)
数分後。
私は茂みに身を隠しながら、メモを取り続けていた。
「庶民、野生生物採集行動に突入。対象:ザリガニ。道具:即席仕掛け。……意外と手慣れている」
驚くことに、その周囲に小さな子供たちが集まってきた。
「翔馬兄ちゃん! 今日も釣ってるのー?」
「おー、今日もなかなかのサイズ来てるぞ」
笑顔で答える翔馬は、釣れたザリガニを一匹ずつ子供たちに手渡していく。まるでヒーローのように囲まれている姿が、なぜか板についていた。
私は手帳を抱えたまま、唖然とするしかなかった。
(……なにこれ。すごく……意外。面倒見よすぎじゃない?)
「庶民、地域の児童と良好な関係を構築済み。人気……ある。なぜ」
メモを取る手がふと止まる。
翔馬がふとこちらを向き、子供たちに囲まれながら笑う。その笑顔を見た瞬間、胸の奥がキュッと鳴った。
(……こういう顔、私、初めて見たかも)
夕方の光が川面にきらきら反射していて、その中にいる翔馬が、なんだかちょっと眩しく見えた。
──それから数時間後、夜。
私たちはいつものようにダイニングテーブルを囲んでいた。
その日の夕食は、テーブルの中央にどんと置かれた、真っ赤なエビチリ。
「……エビチリ?」
私は皿を見つめたまま、思わずつぶやいていた。
白いお皿に、つややかな赤いソース。ぷりっとしたエビがきれいに並び、ふわりと甘辛い香りが立ち上る。
なぜか無性に美味しそうに見える。
というか……絶対おいしいやつじゃない?
つい、ひと口ぱくりと口に運んでしまった。
「……っ、おいしい……!」
唐辛子のピリッとした刺激に、ケチャップのやさしい甘さ、にんにくの香ばしさがじわっと広がる。
口の中が幸せで満たされていく。
でも。
「……って、エビなんて、冷蔵庫にあったかしら……?」
ふと手が止まる。
思い返しても、エビの姿なんて見た覚えがない。
(まさか、まさか……まさか、あのザリガニ……!?)
瞬間、頭の中でザリガニの姿と目の前のエビチリが重なってしまった。
そしてフォークが止まる。
……いやいやいや!
(いくらなんでもそんな……たぶん冷凍庫の奥に眠ってたエビ。うん、絶対それ。ザリガニなんて、そんなはず……!)
もしくはすごくエビに似てるだけのザリガニ……って、それはそれで問題だ!
そんなパニック気味の思考をよそに、向かいの席から聞こえる低めの声。
「……うまい?」
ちらっと顔を上げると、翔馬がいつも通りの無表情で、箸を進めながらこちらを見ていた。
私は、ぴくっと肩を揺らす。
「……当然じゃない」
そっぽを向いたつもりなのに、頬がじんわり熱くなっているのが自分でもわかる。
エビ(たぶん)をもうひと口運びながら、私は心の中で小さくつぶやいた。
(……仮にあれが本当にザリガニだったとしても……美味しかったんだから、それってもう、負け、なのかも)
なんだか少し悔しい。
でも、なぜかほんのりうれしい気もして——
私の記録には、今日も新しい一文が追加されていた。
『庶民、料理スキル高め。素材はさておき、結果オーライ』
──その日の夜。
私はベッドに寝転がりながら、今日の記録ノートをぱらぱらとめくっていた。
最初のページには、「庶民、校門を出て左折。歩幅安定」など、今思えばどうでもいいような記述が並んでいる。
けれどページを進めていくごとに、内容がだんだんおかしくなってきていることに気づく。
「庶民、カレーパン選びに3秒迷った」
「ミアに向けた笑顔がやたら優しかった(許せない)」
「……触った。今、触った。完全にそういう手慣れたタイプ」
頭を抱えたくなる。
「私、何を書いてるのよ……!」
記録じゃない。これはもう……ただの、観察っていう名の、恋愛日記じゃないの!?
私は手帳を閉じかけて、ふと、あるページに目をとめた。
そこには、たったひと言だけ——
『笑った……?』
無意識に書いたらしいその言葉に、私は息をのむ。
思い出すのは、川辺で子どもたちと笑っていた翔馬の顔。
普段は見せない、やわらかい表情。
(……そんなの、見たら、意識しちゃうじゃない)
そして、最後のページ。
> 『……庶民も、悪くないかも』
自分で書いたのに、その文字を見た瞬間、顔が一気に熱くなる。
「な、なに言ってるのよ私〜っ!!」
思わず枕に顔を押しつけてジタバタ転がる。
記録どころか、観察どころか、冷静さなんてどこかに吹っ飛んでいる。
(だ、だめよ。私は観察してただけ……そう、これは調査……研究……なのに……)
でも、あの笑顔を思い出すと、目が離せなかった理由も、ペンが止まらなかった理由も、全部つながってしまう。
(……なんであんなに目で追ってるの、私)
手帳を胸に抱きしめながら、私はベッドの中で小さくつぶやいた。
「……明日も、ちゃんと観察、しなきゃ」
自分への言い訳のようにそう呟いて、枕に顔をうずめる。
でも胸の奥では、観察では説明できない“何か”が、じんわりと広がっていた。




