第18話 御門隼人、正式に参戦す
放課後、夕焼けに染まった廊下を俺はぼんやりと歩いていた。
きっかけは、担任に呼ばれて掲示物を貼る手伝いを頼まれたことだった。
「生徒会から回ってきたやつ、各教室前に貼っといてくれるか?」と頼まれ、A3サイズのプリントを何枚か手に持って、校舎内をひとりで回っていた。
いつもは即帰りコースなのに、今日はなぜかちょっと真面目に仕事してみた。
最後の一枚を貼り終えて帰ろうとしたそのとき——
生徒会室の前を通りかかった。
そのとき——
聞き慣れた声が、ドアの向こうから微かに漏れてきた。
「……そういうことなら、私も協力は惜しまないわ」
その声は、間違いなくエリザベートだった。
気になって、反射的にドアのガラス越しに視線を向ける。
中には、エリザベートと御門隼人がいた。
エリザベートはまっすぐな瞳で御門を見つめて話していて、御門はいつもの穏やかな笑顔を浮かべて、丁寧に相槌を打っていた。
生徒会長と優等生のお悩み相談——そう見れば、きっと何もおかしくはない。
……でも。
(近くね?)
御門の立ち位置。ほんの数十センチ。けど、それがやけに気になった。
あの落ち着いた態度。癖のない言葉選び。全体から滲み出る“慣れてる感”。
(あいつ、最初からその距離で話してるか?)
エリザベートの表情には警戒も不快もなかった。それがまた、俺の胸をざらつかせる。
ドアを開けて声をかける理由なんて、ない。
けど、このまま黙って通り過ぎるのも、なぜか腹立たしかった。
数秒迷って——俺は何も言わず、その場を通り過ぎた。
(……あの距離感、なんなんだよ)
モヤモヤだけが、靴音の後ろに残った。
一方その頃、生徒会室内では——
エリザベートが椅子に腰掛け、真剣な表情で御門隼人の話を聞いていた。
「君のような人材が、この学校で埋もれてしまうのは、あまりにも惜しいと思わないかい?」
御門は、静かでよく通る声でそう語りかけた。
姿勢は柔らかいのに、言葉には不思議な説得力がある。
「きっと君なら、もっと大きな舞台でも輝ける。国内じゃなく、世界規模で。……そう思ってるのは、僕だけじゃないはずだ」
エリザベートは、その言葉を真正面から受け止めながらも、表情は変えなかった。
「……光栄だけど。私は、そんなふうに特別扱いされたいとは思っていないの」
その返答に、御門は小さく笑った。
「君らしいね。でも——そういうところに、僕は惹かれてるんだと思う」
その言い回しは告白とまではいかない。
けれど、ただの好意とも思えない。
「……そのとき、僕が君のそばにいられたら、きっと嬉しいな」
エリザベートのまつ毛が、一瞬だけピクリと揺れた。
ただの社交辞令なら、聞き流せていた。でも御門の目は、あまりにもまっすぐだった。
「……私は、今はそういうことを考えるつもりは——」
言いかけた彼女に、御門はすっと言葉を重ねる。
「“今は”、でしょ?」
笑みを絶やさずに、静かに、確信を持った声で。
彼の口調はまるで、もう勝敗は決しているかのようだった。
少し間を置いて、御門は付け加えるように言った。
「もちろん、君の今の関係もわかってる。翔馬君のこと——彼は君にとって、特別な存在なのかもしれない。でも、それが“ずっとそうである”保証なんて、どこにもない」
エリザベートは一瞬だけ息を呑み、言葉を返さなかった。
「僕は、そういう隙を見逃すようなタイプじゃないんだ」
穏やかに微笑みながらも、その言葉には確かに含まれていた。
奪う意志と、余裕の宣戦布告。
エリザベートは何も言わず、ふと視線を外した。
その頬がほんの少しだけ赤く染まっていたのは、夕焼けのせいか、それとも——。