第16話 小悪魔ミアとの急接近
昼休みの教室は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
誰かが机を並べてお菓子を開けていたり、スマホを片手に動画を見ていたり。そんな中、俺は窓際の席でパンをかじりながら、ぼんやりと校庭を眺めていた。
(……なんか、普通の日常って感じだな)
先週末、エリザベートと出かけた日のことがふと思い出される。和服姿、二人で分けたアイス、あのちょっとだけ素直だった一言——。
……思い出して勝手にドキドキしてんの、バカみたいだ。
午後の授業が終わる頃には、そんな感傷もだいぶ薄れていた。
チャイムが鳴り、ざわめきが一斉に立ち上がる。みんな一斉に帰り支度を始める中、俺はプリントを置き忘れたことに気づいて一度教室に戻ることにした。
放課後の教室には、もう誰の声も残っていなかった。
忘れ物を取りに戻った俺は、自分の席の引き出しを探りながら、ふと教室の入り口に視線を向けた。
——そこで目が合った。
「おっそ〜。もっと早く来るかと思ったのに」
入り口に立っていたのは、金髪にパッチリした瞳、ニットのカーディガンを制服の上からラフに羽織った女子——紅蓮寺ミアだった。
「……なんでお前がここに」
「たまたま? あ、でも偶然ってさ、時々運命に見えるって言うじゃん?」
ニッと笑ってウィンクしてくる。
(……出たよ、唐突なやつ)
俺が視線を逸らすと、ミアはつかつかと教室の中へ入ってきて、そのまま俺の机にヒョイっと腰をかけた。
「ねえ翔馬君、今日って“なんか始まりそうな日”っぽくない?」
「……それ、占い的な意味か?」
「んー、直感? ってことで、今日は寄り道しよ。ほら、せっかく二人きりだし」
そう言いながら俺の腕に軽くくっついてくる。
「ちょ、近いって!」
「えー、なにそれ、意識してる〜? ……ってか、ほんとはこっちが誘う前にお礼される立場なんだけどな〜」
「……お礼?」
「うん。あの宝くじのときの話、まだだったじゃん。翔馬君がちゃんと感謝してくれるまで、ちょっと付き合ってあげようかなって思って」
ふざけた口調のくせに、その目だけはまっすぐ俺を見ていた。
「……そうだな。あのときは、確かに助けられた。……ありがとな、ミア」
そう言うと、ミアは少し驚いたように目を瞬かせて——
すぐに、嬉しそうに微笑んだ。
「よし、それでよし。じゃ、行こっか。ちょっとくらい、寄り道付き合ってくれるでしょ?」
「……まぁ、ちょっとだけなら」
俺がそう答えると、ミアは目を輝かせて「やったー♡」と声を上げた。
(仕方ないか。本来なら当選金の何割かをあげたっていいぐらいの恩はあるんだし)
そのテンションの高さに押されつつも、気づけば俺は、帰るつもりだった足を駅前へと向けていた。
駅前のショッピングモール。
人通りの多い夕方のゲーセンは、電子音と眩しいライトで溢れていた。制服姿の学生たち、仕事帰りのサラリーマン、カップル。みんな思い思いに遊んでいる。
その一角、UFOキャッチャーの前で、ミアが身を乗り出すようにしてガラスの中を見つめていた。
「ねえ翔馬君、見て! あのぬいぐるみ、めちゃくちゃ可愛くない?」
「……そんなに?」
俺が横目で確認すると、確かに今どきっぽい猫のキャラだった。SNSでよく見るやつだ。
「うちの部屋に置いたら、絶対映える。これ運命じゃない? 取るしかなくない?」
「……いや、俺に言われても」
ミアは100円玉を取り出して、迷いなく投入。
「私の引きの強さ、見せてあげる♪」
自信満々に操作するが、アームはぬいぐるみの耳をかすめてスカッと空をつかむ。
「……はいっ!? 今の絶対いけてたでしょ!? え、ウソじゃん」
何度目かの失敗でミアが唇を尖らせたところで、俺は黙って財布から小銭を取り出した。
「貸してみ。こういうのはコツだよ」
慣れた手つきでアームを動かし、ぬいぐるみの角を狙って落とす。
カシャン。
「はい」
「え、取れたの!? ちょっと、かっこよすぎない? え、やば……」
ぬいぐるみを受け取ったミアは、ふにゃっと嬉しそうに笑いながら俺の腕に軽くしがみついてきた。
「ありがと、翔馬君。……なんか、意外と頼れるとこあるじゃん」
「頼れるって言い方……」
こそばゆい言葉に思わず顔をそむけると、ミアはくすっと笑った。
「さ、次はプリ撮ろ! 今ならテンション上がってるし、いい感じに盛れる気がする!」
「え、もう次行くのかよ」
「寄り道ってのは勢いが大事なの。はい、リードよろしく♪」
笑顔でくっついてくるわざとらしくない距離の詰め方が、逆に心臓に悪い。
(やばい……意識するな、するな……!)
俺の内心を知ってか知らずか、ミアはそのまま俺の腕を引っ張って、次の目的地へ歩き出す。
プリクラ機のブースは、ゲームセンターの一角にひっそりと並んでいた。外からは見えないようにカーテンが閉められていて、中はピンク色のライトと鏡張りの壁に囲まれている。
「はい、入って入って〜」
ミアに押されるようにしてブースの中へ入ると、やけに狭く感じる空間に、俺の心臓がバクバク言いはじめた。
「ちょ、近いって……! この距離感どうにかならんの?」
「ならない♪ ていうか、プリってこういうもんでしょ? 二人でひっつかないと画面に入らないよ〜」
そう言いながら、ミアはぴたっと俺の腕に体を預けてくる。
柔らかい感触がシャツ越しに伝わってきて、思わず背筋が伸びた。
「は、はやく撮れ……」
「焦りすぎ(笑)。あ、じゃあまずは“仲良しポーズ”でいこっか♡」
ミアが俺の肩に腕を回し、顔をぐっと近づけてくる。
「ほら、笑って笑って! ……はい、チーズ♡」
ピカッとフラッシュが光るたびに、俺の鼓動は加速していった。
そして次のカット。
「次は“アゴくい”してみよっか」
「はあ!? 誰が!?」
「翔馬君が! ほら、こうやって——」
ミアが俺の手を取って、自分の顎に当ててくる。そのまま、ぐいっと顔を近づけてきた。
近い、いや、近すぎる。
視線がぶつかりそうな距離で、ミアは小声で囁いた。
「……カメラの中だと、何してもバレないよ?」
「なっ……お、お前っ……」
顔が真っ赤になるのを自覚しながらも、俺はぎこちなく笑ってシャッターを切った。
モニターに映し出されたツーショットは、思っていた以上に“カップル感”が強くて——
なんか、逃げ場がない。
ミアはそれを見て満足そうに微笑むと、俺の耳元でぽそっと囁いた。
「……ねえ翔馬君、今日だけ特別だからね」
その意味は聞けなかったけど、たぶん、聞いたら余計に動揺してたと思う。