第14話 “庶民デート”という戦場へようこそ
センターコートに足を踏み入れると、そこには想像以上に本格的な和の空間が広がっていた。
竹垣に囲まれた即席の茶室、色とりどりの浴衣が並ぶレンタルコーナー、そして墨と筆の香りが漂う書道ブース。
「……ふぅん。庶民も、意外とやるじゃない」
エリザベートは腕を組みながら、あちこちを見回してそう呟く。
すると、近くにいたスタッフがにこやかに声をかけてきた。
「こんにちは、お二人とも。よかったら浴衣、着てみませんか?」
エリザベートが一瞬、目を丸くした。
「え、わたしが……?」
「せっかくだし、やってみようぜ。滅多にない体験だしさ」
俺が背中を押すと、エリザベートは渋々うなずいた。
「……まあ、そこまで言うなら、着てあげてもいいわ」
着付け室に入って数十分後——
現れたエリザベートを見て、俺は思わず息をのんだ。
深い藍色の浴衣に、繊細な桜模様。帯は紅色で締められ、銀髪が艶やかに映えていた。
「……どうかしら」
本人は少しむくれた表情で袖をいじっていたが、俺の目にはそんな仕草すら絵になっていた。
「……いや、普通にすごい似合ってる。つか……今までで一番、綺麗かも」
その一言に、エリザベートの目が見開かれる。
「なっ……!」
次の瞬間、ぷいとそっぽを向いてしまった。
「そ、そう……? ま、まあ、庶民の感覚じゃ悪くない方、なのかしらね」
だがその耳は、赤く染まっていた。
次は茶道体験。
正座を始めて数分で、エリザベートはすでに限界に達していた。
「これ……拷問? 庶民は拷問に耐えながらお茶を飲む文化なの?」
「そうそう、静かなる戦いってやつ。精神修行みたいなもんだな」
俺が笑って言うと、エリザベートは小声で「ばかじゃないの……」と返しながらも、茶碗を丁寧に回して口をつけた。
真剣な横顔に、なんだか胸がちょっとだけざわついた。
書道体験では筆を構えるのに苦戦しつつも、エリザベートは真面目に筆を運んでいた。
彼女が書いたのは、「礼」の一文字。
「なんとなく……ぴったりかなって思ったの」
その言葉に、俺は思わず目を細めた。
すべての体験が終わり、着替えを終えて私服に戻ったエリザベートは、ほんの少しだけ表情を和らげていた。
「……ちょっとだけ、楽しかったかも」
そのつぶやきが、春の光と一緒に胸に染み込んできた。
エリザベートが着替えを終えて戻ってきた頃、俺はイベント会場近くの雑貨コーナーで、あるものを手に取っていた。
「着物は買ってあげられないけど……」
そう言いながら、和風の小ぶりな髪飾りを手渡す。
薄紅の花があしらわれた、控えめながら上品なデザイン。
「これなら普段も使えるし、まあ……似合うと思っただけ」
「……へ?」
エリザベートがぽかんと俺の顔を見る。
「な、なによこれ……」
「べ、別に深い意味はねぇよ。ただ、今日の浴衣姿見てて……」
「……ま、まぁ、ありがたく受け取っておくわ」
赤くなった顔を隠すようにそっぽを向きながら、エリザベートは髪飾りを両手で受け取った。
その後ろ姿が、なんだか妙に嬉しそうに見えたのは、きっと気のせいじゃない。
そして俺たちは、再び私服に戻って、モールの外へ。
夕方の街は、春の夕陽でほんのりと金色に染まっていた。
人通りの少ない通りを、並んで歩く俺たち。
その沈黙を破ったのは、俺だった。
「……今日、なんかデートっぽかったな」
「っ! な、なに言ってるのよ!」
エリザベートが即座に反応し、顔を真っ赤にする。
「ち、違うし! これはあくまで、付き添いで、で……庶民文化の社会科見学でっ!」
慌てすぎて語彙が迷子になってる。
その様子が可愛くて、つい笑いそうになるのを必死で堪えた。
そんなときだった。
「翔馬ーっ!」
背後から聞き覚えのある女の声。
振り返ると、そこに立っていたのは、俺の“元カノ”だった。
昔の幼馴染。明るくて、よく笑う、あの頃と変わらない雰囲気。
「あれ、翔馬? 久しぶりじゃん!」
「うわっ……お前、なんでここに……?」
俺が驚く間にも、エリザベートは彼女をじっと見つめていた。
(……誰よ、この女)
表情には出さなかったけれど、その視線は明らかに警戒モード。
——甘かった午後に、少しだけピリッとした空気が混ざり始めた。