第10話 庶民流お礼(R指定)からの、母の色気でダブルKO
翌朝、エリザベートの熱はようやく落ち着きを見せていた。
昨晩の高熱が嘘のように、今朝の彼女は顔色もよく、朝食もきちんと食べていた。
「……ちゃんと寝たら、すぐに治るのよ。わたしの体力、舐めないでくれる?」
そう言いながらも、どこか恥ずかしそうに視線を逸らすその様子に、俺は昨夜の“そばにいて”発言を思い出して変に意識してしまった。
(……まぁ、何事もなかったことになってるなら、それでいいけど……)
今日は合宿明けの振替休日で、学校も休み。
エリザベートも大事を取って、一日家でゆっくり過ごすことにしていた。
俺も買い出しやら洗濯やらを片付けたあと、昼飯を済ませ、ダラダラと漫画を読んだり、テレビを観たりして過ごした。
夕方には日が傾き、部屋の隅が薄暗くなってきたころ、ようやく風呂でも入ってさっぱりしようかと立ち上がった——その矢先だった。
そんな安堵も束の間、風呂に入ろうとした俺に、まさかのイベントが待ち受けていた。
風呂場のドアを開けた瞬間、俺は一瞬、現実を見失った。
そこには——バスタオル一枚で立つ、エリザベートの姿があった。
「え、えええええっ!? お、お前、なにしてんだ!?」
「なにって……看病のお礼に、庶民風の感謝をしてあげようと思って来ただけよ?」
湯気に包まれたその光景は、完全に夢かバグ。白い肌、濡れた銀髪、そしてタオルから覗く太もも。視線の置き場が見つからない。
「いやいやいや、庶民ってそういう感謝しないから!? てか、そもそも“背中を流す”って、それ家族とか、恋人とかのイベントだろ!?」
「え? そうなの? ……まぁいいじゃない。感謝に形式は不要でしょ?」
ニッと笑うと、彼女は俺の腕を掴んで強引に風呂椅子に座らせた。
「ちょっ……お、おい!? 本当にやる気かよ!」
「もちろんよ。……動かないで。こっちは初心者なんだから」
そう言うなり、エリザベートは泡立てたスポンジを手に取り、ぬるぬると俺の背中を擦り始めた。
「ひゃっ!? ちょ、冷た……っ、ぬ、ぬるぬるしてるぅ!?」
「ほら、静かにして。こことか凝ってるわよね? ……気持ちいい?」
耳元で囁かれた瞬間、俺の脳がバグった。
(これ絶対テレビじゃ放送できねぇやつだろ……!)
背中から伝わる泡まみれのぬめり、腰に触れる太ももの柔らかさ、そして首筋にかかる湿った吐息。
(やべえ、理性が……限界突破する……!!)
「翔馬って、意外とたくましいのね」
「いやもう無理!! 出る!! 一回出させて!!」
叫ぶように言って風呂場から逃げ出す俺の背中を見て、エリザベートはぽかんとしていた。
——その顔が、ちょっとだけ、寂しそうに見えた気がした。
逃げるように風呂場を飛び出し、自室に駆け込む。
背中に残る泡とぬるぬる感が、さっきの出来事が夢でも妄想でもなく、現実だったことを強烈に主張してくる。
「っっっ、なにが“感謝”だよ……こっちの心臓が死ぬっての……!」
タオルで髪を拭きながらも、脳内ではさっきのぬくもりや囁き声が繰り返される。
そして、あの最後の一言——「たくましいのね」。
(あれって、完全に……アレじゃね? これもう心臓のデスゲームだろ……なんで風呂で殺されかけるんだ俺……)
顔が熱い。風呂に入る前なのに、もう汗びっしょりだ。
シャツを脱ぎかけたところで、リビングの方から足音が聞こえる。
——コツ、コツ、コツ。
不意にドアがノックされた。
「翔馬君?」
この声はエリザベート……いや、お母さんのナターリアさんか!?
「さっきの……楽しかったみたいね?」
「ぶふっ!? な、なに言ってるんですかナターリアさん!?」
ドアを開けると、そこにはネグリジェ姿のナターリアが、グラス片手に立っていた。
シルクのような薄布越しにうっすら浮かぶ肌色。濡れた髪をかき上げる仕草が妙にサマになっていて、目のやり場に困る。
(って、やばいって! この人、色気で殺しにきてるのか!? HP残ってねぇっての!)
「背中洗い合うほどになったのね。仲が良いことはいいことだわ」
にこやかな表情とは裏腹に、彼女の目はどこか試すような光を帯びていた。
「で、どうだった? ……私の娘の“お礼”は」
「ど、どうって……っ!」
赤面しながら言葉に詰まる俺に、ナターリアはわざとらしく溜め息をつく。
「ふふ……でも、ちょっと寂しいわね。翔馬君、もう私の身体には飽きちゃったのかしら?」
——耳元で、そっと囁かれる。
「ッッ!!?」
背筋が凍るやら、火照るやら、訳がわからない感覚に襲われる俺。
「な、なんでそんなこと言うんですか!!?」
「冗談よ。……ただ、あの子に手を出すくらいなら、いっそ私にしておいたほうが安心だと思って」
ナターリアはふわりと微笑みながら、グラスを傾けた。
その仕草に、大人の余裕と牽制の色が混じっているのを、俺は確かに感じた。
(試されてる?……いや、試されてるにしては、距離が近すぎる……!)
「翔馬君が、娘に相応しい男かどうか。もう少し、見極めさせてもらうわね」
そう言い残し、ナターリアは踵を返して廊下の奥へと消えていった。
残された俺はというと、ただもう、脱力するしかなかった。
(なんなんだよ……この家……理性が一日三回も試される家って何!? 修行か!?)