第93話「隼人の葛藤」
① 書くことへの未練
冬の冷たい風が窓を揺らす。
部屋の中は暖かいはずなのに、隼人の指先は冷たかった。
「……さっきの話だけど。」
隼人はカップを持ったまま、静かに口を開いた。
「僕は、牧師の道を選んだことに後悔はしていないよ。」
「そりゃそうだろ。」
朔が気だるそうに煙草をくわえる。
「でも……。」
隼人は少しだけ視線を落とした。
「“もし兄が家を継いでいたら” って考えることはある。」
「……。」
「そのときは、たぶん僕は小説を書き続けていたと思うんだ。」
穏やかな声だったが、その中には消えない未練が滲んでいた。
② 選ばなかった道
「隆一が家を出たとき、僕の選択肢は一つになったんだ。」
「……ああ。」
「“僕がやらなきゃいけない” って、自然に思った。」
「無理してたわけじゃねぇのか?」
「ううん。無理はしていないよ。」
隼人は小さく微笑む。
「父さんのことは大切だし、教会の仕事に誇りを持ってる。」
「……そっか。」
「でも、たまに考えるんだ。」
隼人はカップを置き、指で縁をなぞる。
「もし兄が違う道を選んでいたら、僕の人生も違ったのかな、って。」
その言葉に、朔は何も言わずに煙草の煙を吐き出した。
③ 朔の率直な言葉
「……だったら、書けばいいじゃねぇか。」
「え?」
「別に、牧師だからって書いちゃいけねぇって決まりはねぇだろ。」
朔は無造作に言った。
「書きてぇなら、書けよ。」
隼人は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……そんな簡単なものじゃないよ。」
「簡単じゃねぇのは分かってる。」
朔はコーヒーを飲み干し、言葉を続ける。
「でも、お前が今書かねぇで、10年後に”あのとき書いてたら” って思うなら、今のうちにやっとけよ。」
「……。」
隼人は、静かに考え込んだ。
④ 書くことへの迷い
「僕は……。」
言いかけて、言葉を止める。
本当に、また書けるのか?
もう何年も、小説から離れているのに——。
「……少し、考えてみるよ。」
隼人はゆっくりと答えた。
「ふん、まぁお前の好きにしろ。」
朔はそう言いながらも、どこか満足そうに微笑んだ。




