第91話「かつての夢」
① 隆一が家を出た日
「……俺は自由に生きる。」
その言葉を最後に、隆一は家を出た。
隼人が中学二年生の冬のことだった。
(……兄貴がいなくなる。)
その現実を受け止めきれず、隼人はただ玄関のドアが閉まる音を聞いていた。
家業を継ぐはずだった兄がいなくなった。
(じゃあ……誰が、父さんを支える?)
考えたとき、答えは一つしかなかった。
(俺が……やるしかない。)
その瞬間、隼人の未来は決まった。
② 夢を諦めた日
「神学校に行こうと思う。」
高校二年の春、隼人は父にそう告げた。
「……そうか。」
父は少し驚いたようだったが、すぐに深く頷いた。
「お前がそう決めたなら、応援するよ。」
「うん。」
そう返事をしながらも、隼人の胸の奥では小さな痛みが広がっていた。
(本当は……俺も、小説を書きたかった。)
幼い頃から、文字を書くことが好きだった。
家族や社会をテーマにした物語を書くのが楽しかった。
でも——。
(俺は、兄貴みたいに自由に生きることはできない。)
(誰かがこの家を支えなきゃいけないなら、それは俺の役目だ。)
だから、夢を諦めることにした。
(これで、いい。)
そう言い聞かせながら、ペンを置いた。
③ 現在の隼人
「……それで、俺は牧師になった。」
隼人はコーヒーを飲みながら、静かに語った。
「……そうか。」
朔は腕を組みながら、じっと隼人を見つめていた。
「まあ、今さらどうこう言うつもりはないよ。」
隼人は、どこか達観したように微笑む。
「でも……。」
「?」
「もし兄貴が別の道を選んでいたら?」
隼人は少しだけ視線を落とした。
「俺は、今も小説を書いてたかもしれない。」
その言葉に、朔はゆっくりと煙草に火をつけた。
④ 幸次の言葉
「まあ、書けるうちに書いとくのが正解だな。」
幸次が淡々と呟く。
「……幸次さん?」
「俺も昔は書いてたけど、途中でやめた。」
「どうして?」
「さあな。」
幸次は静かに笑い、カップを傾けた。
それ以上は語らなかったが、そこには何かの諦め があった。
隼人は、そんな幸次の横顔を見つめながら、自分の選択について改めて考えていた。




