第81話「美紅の変化」
① 風邪が治った後の日常
「もうすっかり元気?」
大学のカフェテリアで、結花が心配そうに美紅を見つめる。
「うん、もう大丈夫。」
「よかったー! ほんと心配したんだからね!」
「ごめんね……。」
美紅は申し訳なさそうに微笑むが、結花はすぐに笑顔に戻る。
「でも、幸次さんが看病してくれたんでしょ?」
「えっ……!?」
美紅は思わず手元のカップを持つ手を止める。
「いや、それは……その……ちょっとだけ……。」
「ええー!? いいなー! 幸次さんに看病されるとか!」
結花がからかうように身を乗り出す。
「いやいや、そんな大したことじゃ……!」
「だってさ、お兄ちゃんでもなく、隼人さんでもなく、幸次さんが来てくれたんでしょ?」
「そ、それはたまたま……!」
美紅は顔が熱くなるのを感じた。
(どうしよう、今までと同じように話してるだけなのに、すごく意識しちゃう……。)
幸次の名前を聞いただけで、胸がドキッとする。
(これって、もしかして——。)
でも、その先を考えるのが少し怖くて、美紅は無理やり話を変えた。
「そ、そういえば、今日の講義、難しかったよね?」
「えっ? ……あ、うん?」
結花が戸惑いながらも話題を合わせてくれたことで、美紅はなんとか落ち着こうとする。
(なんでもない……いつもどおり、いつもどおり……。)
でも、そんなふうに意識している時点で、すでに”いつもどおり”ではないことに、美紅はまだ気づかないふりをしていた。
② 朔の気づき
一方——。
「美紅、最近なんか変じゃねぇ?」
カフェの隅でコーヒーを飲みながら、朔は幸次の方をちらりと見た。
「変?」
「なんつーか……お前と話すとき、微妙にぎこちない気がする。」
「そうか?」
幸次は特に気にする様子もなくコーヒーを口にする。
「まぁ、気のせいかもしれねぇけど。」
朔はカップを置きながら、ため息をついた。
(いや、たぶん気のせいじゃねぇな。)
美紅の視線、仕草、言葉の選び方。
どれも、以前と比べてわずかに変化している。
(あー、こいつ、もう完全に恋してるわ。)
ここ数日で、美紅の様子が少しずつ変わってきたことを、朔は誰よりも早く察していた。
「人が恋に落ちる瞬間って、こんなに分かりやすいんだな」
ふと、そんなことを何度も何度も思う。
(でも、まぁ……これは俺の出る幕じゃねぇよな。)
そう思いながら、朔は何も知らないふりをすることにした。
③ 美紅の戸惑い
その夜、美紅は自分の部屋で一人、布団にくるまっていた。
「……はぁ。」
ため息が漏れる。
どうして、こんなに意識してしまうんだろう。
どうして、名前を聞くだけで胸がざわつくんだろう。
どうして——
(幸次さんのことを考えるだけで、こんなにドキドキするの?)
ふと、風邪の日のことを思い出す。
優しく世話をしてくれたこと。
「俺がいるから寝ろ」と言ってくれたこと。
帰るときに、なんとなく寂しくなったこと。
——気づきたくなかった。
でも、もう誤魔化せない。
(私……幸次さんのことが好きなの?)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
(でも……もし、そうだとして、私はどうすればいいの?)
分からない。
ただ一つ確かなのは——
もう、以前のように幸次と自然に接することはできないかもしれない、ということだった。
④ 朔の静かな決意
「……ったく。」
自宅のベランダで、夜風に吹かれながら、朔はポケットに手を突っ込む。
美紅が、幸次を好きになった。
それは、もう確定的だった。
(ま、予想どおりっちゃ予想どおりか。)
苦笑しながらも、胸の奥が少しだけ締め付けられる感覚があった。
(でも、俺には関係ねぇ。)
そう言い聞かせる。
今さらどうこうするつもりもないし、気持ちを伝えるつもりもない。
美紅が幸次を好きになるのなら、それでいい。
俺の気持ちは、誰にも知られないままでいい。
「……さて、そろそろ寝るか。」
朔は最後にもう一度、夜空を見上げてから、部屋へと戻った。




