第60話 別れの選択
(“理央にふさわしい彼女” でいられない——結花の決断)
① 事務所関係者との対面
理央と話をする前に、結花は思いがけない人物から連絡を受けた。
それは、理央が所属する芸能事務所のマネージャーだった。
「少し、お話できますか?」
放課後、結花は都内のカフェに呼び出された。
そこには、30代半ばと思われるスーツ姿の男性が座っていた。
「……えっと、理央のことでしょうか?」
結花が問いかけると、マネージャーは苦笑しながら言った。
「察しがいいですね。」
そして、低い声で続けた。
「単刀直入に言います。樫村とは、もう別れていただきたい。」
「——え?」
頭が真っ白になった。
「理央は今、“ブレイクするかしないか” の大事な時期にいます。彼には、一般人とのスキャンダルは必要ありません。」
「……でも、わたしは理央の彼女で……!」
「そう。“今は” ね。」
マネージャーの視線が鋭くなる。
「あなた、“理央の彼女” でいられる自信がありますか?」
「……。」
「彼のスケジュールはこれからますます忙しくなり、プライベートの時間はほとんどなくなるでしょう。それでも、あなたは耐えられますか?」
「……わたしは、理央を支えたいと思っています。」
結花は必死に言葉を絞り出した。
だが、マネージャーは冷静だった。
「支えるだけでは、無理ですよ。」
「……。」
「芸能界は、普通の恋愛が成立する場所じゃありません。特に、理央ほどの逸材には ‘自由な恋愛’ は許されないんです。」
「……そんなの……。」
「あなたが理央を本当に想うなら、“彼の未来を考えるべき” ではありませんか?」
まるで”理央のために身を引け” と言われているようだった。
「……別れたくありません。」
それでも、結花は必死に抵抗した。
「理央は、わたしに ‘お前にふさわしい男になりたい’ って言ってくれました……!」
「そうでしょうね。」
マネージャーはため息混じりに言った。
「でも、彼がなりたいのは ‘あなたの恋人’ じゃない。“トップ俳優” なんです。」
その言葉が、結花の胸に鋭く突き刺さった。
(……理央がなりたかったのは……“わたしの恋人” じゃなくて……。)
理央の未来のために、わたしは——
(もう、必要ないのかもしれない……。)
② 理央との再会——それでも、引き止めてほしかった
数時間後、結花は理央と会うために指定された場所へ向かった。
個室のあるカフェの一角。
理央はすでに席についていた。
「来てくれて、ありがとな。」
「うん……。」
以前なら、会えただけで嬉しかったはずなのに。
今は、何を話せばいいのか分からない。
しばらくの沈黙のあと、理央がゆっくりと口を開いた。
「……記事、見たか?」
「うん。」
「何もない。桐生とは、ただの共演者だよ。」
「……うん。」
それは、分かっている。
「俺、結花に誤解されたくなくて……だから、ちゃんと話したくて。」
「……。」
“誤解”——それが、結花の胸にひっかかった。
(わたしが傷ついたのは、桐生沙月のことじゃない……。)
(“理央のそばにいる自分” が、これ以上許されない気がしたから——。)
「ねえ、理央。」
結花は、理央の目をじっと見つめた。
「わたしたち、このまま付き合っていても……大丈夫なのかな?」
理央の表情が固まる。
「何言ってんだよ。」
「……最近、わたしたち、ちゃんと恋人でいられてる?」
「……。」
「理央はすごいよ。わたしなんかより、ずっと大きな世界で頑張ってる。」
「お前がいるから、俺は——」
「違うよ。」
結花は、はっきりと否定した。
「理央は、もうわたしのために生きてない。自分の夢のために生きてる。」
理央の目が揺れる。
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ。」
「……別れよう。」
そう言った瞬間、理央の手がテーブルの上でぎゅっと握られるのが見えた。
「……嫌だ。」
理央の声が、低く震える。
「……絶対、別れたくねえ。」
「理央……。」
「俺、最初は ‘結花にふさわしい男になりたい’ って思ってた。……でも、今は違う。」
「……?」
「今は……“結花と一緒にいたい” って、心から思ってるんだよ。」
(——そんなの、ずるいよ。)
そう言ってほしかった。
もっと早く、もっと素直に。
でも、もう——
「……理央。」
結花は、微笑んだ。
「わたしは、理央の ‘恋人’ でいられる自信がない。」
「……。」
「だから……バイバイ。」
結花は立ち上がる。
その瞬間、理央の手が伸びた。
(お願い、止めて——。)
でも、その手は、結花に届かなかった。
理央は、ただ結花の後ろ姿を見つめていた。
③ 結花の涙と、新しい道
店を出た瞬間、結花の目から涙がこぼれた。
「……ばか。」
(本当に、これでよかったの……?)
それでも、答えは出ていた。
“理央の彼女” でいることは、もう無理だった。
(理央、夢を叶えてね。)
そして、結花もまた、次の道へ進んでいくことを決意する。




