第九部:すれ違いの始まり
(“結花にふさわしい男になりたい”——理央が選んだ道と、二人のすれ違い)
① 理央の決断
理央が芸能事務所にスカウトされてから、数週間が経った。
最初はあまり乗り気ではなかった理央だったが、ある日、突然こう言った。
「……俺、芸能界に入ることにした。」
結花は驚いた。
「えっ、理央、本当に?」
「ああ。」
「すごいじゃん! ついこの前まで ‘別に’ って言ってたのに!」
「……まあな。」
理央は少し気まずそうに視線をそらした。
結花はその様子を見て、ふと違和感を覚えた。
(なんか、理央らしくない……?)
「どうして、芸能界に行くって決めたの?」
「……。」
理央は少しの間、黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「お前に似合う男になりたいから。」
「……え?」
「……お前さ、音楽高校行って、将来は歌手になるんだろ?」
「う、うん……。」
「だったら、俺も ‘お前にふさわしい男’ にならねえと、ダメじゃねえか。」
(……理央……。)
結花は、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような気持ちになった。
(理央は、わたしのためにこの道を選んだんだ。)
② 変わっていく理央、変わらない結花
芸能事務所に入ってから、理央は忙しくなった。
最初はレッスンが中心だったが、次第に雑誌の撮影や小さなドラマの端役などの仕事が入り始めた。
「今日、撮影あったんだ。」
「えっ、すごい! 何の?」
「……雑誌の特集ページ。モデルみたいなもんだな。」
「カッコよかった?」
「まあ……たぶん。」
結花は素直に喜んだ。
(理央、本当にすごいな……。)
でも、その一方で——。
(最近、理央と会える時間、減ってきたな。)
そう思うことが増えた。
③ すれ違いが生まれる瞬間
ある日の放課後。
「なあ、今日ちょっと会えねえわ。」
「え?」
「急に撮影が入って……悪い。」
「そっか、しょうがないよね!」
結花は笑顔でそう言った。
「うん、また埋め合わせする。」
(大丈夫、大丈夫……。)
そう思いながらも、心のどこかが少しだけ寂しくなった。
(でも、理央が頑張ってるんだから、応援しなきゃ。)
しかし、それからも理央のスケジュールはどんどん埋まっていった。
最初は「週に2回」だった会える日が、「週に1回」になり、やがて「2週間に1回」になった。
(これって……大丈夫なのかな。)
結花は、不安を感じ始めていた。
④ それぞれの立場、すれ違う気持ち
ある夜、電話で話していたとき。
「なあ、最近会えてねえな……。」
理央の声が少しだけ申し訳なさそうだった。
「ううん、理央が頑張ってるの、すごく嬉しいし!」
「……そうか。」
「でも……ちょっとだけ、寂しいかな。」
結花がそう呟くと、一瞬だけ電話の向こうが静かになった。
「……ごめん。」
「え?」
「俺、もっと時間作るから。」
「理央……。」
理央は自分でもわかっていた。
結花を一番大切にしたいのに、芸能界に入ってから、二人の時間がどんどん減っていることを。
でも、それでも。
(俺は、結花にふさわしい男になりたいんだ。)
そのためには、この道を進むしかない。
「……もうちょっと待っててくれ。」
「うん……。」
結花は笑ったけれど、その笑顔の奥に、わずかな寂しさが滲んでいた。