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第4話 音楽と日常Ⅰ

(美紅と結花の日常/交差する過去と未来)


① 音楽大学の朝


東京の冬の朝は、冷たい風が頬を刺すように吹きつける。

望月美紅と陽川結花は、並んで音楽大学の正門をくぐった。


「寒っ……今日、めっちゃ冷え込んでない?」


結花がマフラーに顔を埋めながら言う。


「昨日より気温下がってるみたいね」


美紅は淡々と答えたが、結花ほど寒がってはいなかった。


「ちょっと、もうちょいリアクションないの? 美紅って、寒いとか暑いとか、あんまり言わないよね」


「言っても気温は変わらないから」


「そりゃそうだけどさ……もっと“冬っぽさ”を感じようよ!」


結花は楽しそうに大学の中庭を指さした。

そこには、枯れ木に薄っすらと霜が降り、まるでガラス細工のように輝いている。


「ほらほら、綺麗じゃない? こういうの見て『わぁ、冬だなあ』って感じるのが大事なんだよ!」


「……確かに綺麗だけど」


美紅は静かに呟いた。


彼女にとって、こうして日常の些細なことを共有できる夢奈の存在は、貴重だった。


② レッスンと才能


2人は音楽大学で声楽を専攻していた。


美紅はクラシックの発声を学びながらも、元子役として培った表現力を生かし、繊細な歌を得意としていた。

一方、結花は持ち前の明るさと力強さで、聴く人を惹きつけるような歌声を持っていた。


「次、望月さん」


レッスン室で、美紅の順番が回ってくる。


彼女は静かに息を吸い、穏やかに歌い始めた。


(美しい……)


教室の中にいた生徒たちが、思わず息をのむ。

美紅の歌には、どこか“淡い寂しさ”がある。


——届きそうで、届かない距離。

——触れたら消えてしまいそうな儚さ。


そんな感情が、彼女の歌声に滲んでいた。


歌い終わると、先生が静かに頷く。


「望月さん、あなたの歌はとても繊細で美しい。ただ、もう少し“感情”を出してもいいかもしれませんね」


「……はい」


(感情……か)


美紅は、自分の歌に感情が欠けていることを自覚していた。

でも、どうしても「心の奥にあるもの」を表に出すことができなかった。


そんな彼女の肩を、結花がポンッと叩く。


「美紅、めっちゃ綺麗だったよ!」


「……ありがとう」


「私も負けてらんないな!」


そう言って結花は、堂々とした足取りでピアノの前に立つ。


彼女が歌い始めると、空気が一変した。


力強く、まっすぐな歌声。


結花の歌には、圧倒的な生命力があった。


彼女は「感情を込める」のではなく、「そのままの感情をぶつける」ように歌う。

その違いが、美紅には羨ましかった。


歌い終わった後、先生は満足そうに頷く。


「陽川さん、あなたの歌にはいつも力がある。ただ、もう少し細かい表現を意識してみると、もっと深みが増すでしょう」


「はいっ!」


結花は笑顔で答えた。


その横で、美紅は自分と彼女の違いを考えていた。


(私は、歌の中に“感情”を込めるのが苦手)

(結花は、感情そのものを歌にする)


その差は、きっと彼女の“生き方”の違いなんだろう。


③ 結花の無邪気さ


レッスンが終わると、2人は大学のカフェテリアに向かった。


「今日のランチ、何にする?」


「……サラダとスープでいいかな」


「えーっ、美紅、またそんなの? もっとちゃんと食べなきゃダメだよ!」


「別に、そんなにお腹空いてないし」


「もう、しっかり食べないと冬越せないよ!」


「動物じゃないんだから……」


美紅が呆れたように言うと、結花はケラケラと笑う。


「でもさ、北村さんも言ってたじゃん。紅茶ばっか飲んでると、先生っぽいって」


「……そういえば、そんなこと言ってたね」


「北村さん、面白いよね。最初はちょっと怖そうだったけど、話すと普通に優しいし」


「確かに、意外と世話焼きなのかもしれない」


「ていうか、北村さんって本当に60年前の人なのかな?」


結花がふと呟いた。


「……わからない。でも、嘘をついてるようには見えない」


「だよねぇ。私、なんかあの人の話、信じちゃうんだよな」


「私も……どこかで、そう思ってる」


美紅は、自分でも理由はわからないが、幸次の話を疑う気にはなれなかった。


④ 音楽と未来


食事を終えて、大学のピアノの前に座った2人。


結花が軽く鍵盤を叩きながら、美紅に聞く。


「ねえ、美紅は、どんな歌を歌いたい?」


「……まだ、よくわからない」


「そっか。でもさ、北村さんの話を聞いてると、なんか思うことない?」


「どういうこと?」


「昔のこととか、過去のこととか、いろんな時代のことを知ってる人が目の前にいるのって、すごくない?」


「……そうね」


「私、思ったんだけどさ。北村さんが生きてきた時代の歌とか、歌ってみたら面白いんじゃない?」


「……昔の歌を?」


「うん。1960年代の歌とか、北村さんが好きだった音楽とか。そういうのを歌ったら、なんか“繋がる”気がするんだよね」


「……」


美紅は、結花の言葉を考えていた。


1960年代。

60年前の東京。

そして、そこで生きていた一人の男。


その時代に歌われた曲を、自分が歌うことで、何かが見えてくるのかもしれない。


「……少し、調べてみる」


「やった! じゃあ、北村さんにも聞いてみようよ!」


「……そうね」


美紅は、ピアノの鍵盤を軽く叩きながら、ぼんやりと考えた。


音楽には、時間を超えて人を繋ぐ力がある。

もし、それが本当なら——


彼女の歌は、何を伝えられるのだろうか?


(第四章 完)

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