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第28話 喪失と虚無

(母を失い、何者でもなくなった美紅)


① 何も感じない日々


母の葬儀は、親族だけの小さなものだった。


報道もなかった。芸能界の関係者も来なかった。


——望月美花子という女性は、世間に何の影響も与えずに消えた。


「美紅ちゃん……大丈夫?」


遠い親戚が私を気遣うように声をかけた。


「……大丈夫です」


口ではそう言ったけれど、本当は“何が大丈夫じゃないのか”すら、わからなかった。


(悲しくないわけじゃない)


(でも、涙は出ない)


葬儀が終わり、私は母の遺影をぼんやりと見つめていた。


——その時だった。


「……美紅」


静かな声がした。


私は顔を上げる。


そこに立っていたのは、中崎明——私の祖父だった。


② 祖父・明との再会


「……おじいちゃん?」


私がそう呟くと、彼——中崎明はゆっくりと頷いた。


「美紅、大きくなったな」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が痛くなった。


「……なんで、来たの?」


(お母さんとは、もう何年も会ってなかったのに)


(それなのに、なんで今ここに……?)


そんな疑問が浮かんだけれど、それ以上に懐かしさがこみ上げてきた。


私は、幼い頃、おじいちゃんの家が大好きだった。


——母が忙しくて、私をかまってくれない日。

——撮影やレッスンがなく、自由になれたほんの少しの時間。


そのたびに、私はおじいちゃんの家へ遊びに行った。


「おじいちゃん、将棋教えて!」


「ふふ、またか。じゃあ、今回は美紅が勝てるように頑張らないとな」


おじいちゃんと過ごす時間は、私にとって唯一「普通の子ども」に戻れる瞬間だった。


——それなのに、いつの間にか、私はそこへ行かなくなった。


「……久しぶりだね、おじいちゃん」


「……ああ」


明は、母の遺影をじっと見つめた。


「美花子を……もっと気にかけるべきだったのかもしれない」


その言葉に、私は思わず息をのんだ。


(おじいちゃんが謝ることじゃない)


(だって……お母さんを追い詰めたのは、私だから)


だけど、言葉が出てこなかった。


明は、私の表情をじっと見つめた。


「美紅、お前はどうする?」


「……どうする、って……」


「これからのことだよ」


(これから……?)


考えたこともなかった。


母がいない世界で、自分がどう生きるかなんて——


「……何も、わからない」


私はただ、それだけを答えた。


明はしばらく私を見つめた後、ゆっくりと頷いた。


「……そうか」


そして、彼は懐から封筒を取り出し、それを私に差し出した。


「これは?」


「美花子が生まれたときに書いた手紙だ」


「……手紙?」


「私が、あの子に贈ったものだよ」


私は、そっと封筒を受け取った。


開くことができなかった。


明はそれ以上何も言わず、私の肩に優しく手を置いた。


「美紅……お前は、お前の人生を生きなさい」


「……おじいちゃん」


「辛くなったら、いつでも来なさい。昔みたいに、な」


その言葉に、胸が詰まりそうになった。


だけど私は、ただ頷くだけだった。


明は、最後に私の頭を軽く撫でると、静かに去っていった。


私は、手元の封筒を握りしめたまま、ただ立ち尽くしていた。


③ 失った“肩書き”


私は、女優だった。


私は、“望月美花子の娘”だった。


私は、母の夢を背負う存在だった。


でも、それが全部なくなった。


「……」


SNSを開けば、私の名前はすっかり世間から消えていた。


少し前までトレンドに上がることもあったのに、今では誰も私のことを話していない。


《新・若手女優◯◯、ドラマ主演決定!》


(……そっか、代わりはいくらでもいるんだ)


私がいなくても、世界は何も変わらない。


私が何をしていたとしても、誰も気にしない。


(じゃあ、私は……なんのためにいるの?)


生きる意味がわからなくなった。


④ 孤独の中で残された手紙


机の上には、祖父から受け取った封筒が置かれていた。


(おじいちゃん……)


私は、ゆっくりと封筒を手に取った。


(お母さんが生まれたときに、もらった手紙……)


まだ開くことができなかった。


でも、いつか——


(いつか、読める日が来るのかな)


私はそっと封筒をしまい、静かに目を閉じた。


——私は、まだここにいる。


その事実だけを感じながら。


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