その瞳に映るもの
綺麗な瞳だと思った。
その瞳に映す物は、きっと更に綺麗に見えるのだろう。
◇
「…最悪なんだが…」
俺、稲田竜一とサークルの皆揃って、肩をがくりと落としていた。
時期が悪いと云えばそうなのだろう。
紫陽花が元気な六月だ。
ジューンブライドなんて言われる六月だ。
しかし、この週末、天気予報ではさんさんとおひさまのマークが輝いていたのだ。
それなのに。
海の色は、空にある雲と同じく灰色だ。
どんよりと漂う雲は暗く重く、今にも涙を零しそうだった。
いや、涙を流したいのは俺達だ。
「天気予報の嘘つきーっ!!」
「朝から曇っていたけどなっ!」
「湯津上さんのばかーっ!!」
成人した良い大人達が海に向かって叫んでいる。
俺も叫びたい。
親父の車を借りて、片道三時間も掛けて運転して来たのに。
「梅雨時なんだから、仕方が無いだろ。青空の下で恋心を自覚するって流れだったが、雨に打たれて自覚にすれば良い。雨はCGで降らせれば良いだろ」
と、淡々と語るのは主演の鈴木珠暁だ。
「それはそうだけど…」
と、渋るのは脚本を書いた佐原嘉恒。
「もう、日にちも無いし、それで良いんじゃない?」
と、ちょっと投げ槍に言うのはヒロイン役の赤畑比呂。
「とにかく、完成させよう? でなきゃ参加も出来ないんだし、お星様も押して貰えないよ?」
と、両手で拳を作るのは自作の小説を書いてはwebに投稿している、湯津上アナ推しの御蔭由奈。
「こんなコンテストは初だって話だしな。とにかく撮影して、どうしても気に入らなければ編集で何とかすりゃいいだろう」
編集する時間を考えたら、今日を逃したら間違いなくアウトだ。と云うか、また片道三時間、往復六時間の移動なんて考えたくない。御蔭はネタになると、必死にメモアプリに逐一書き込んでいたが。
撮影用のカメラを手に俺が言えば、佐原が『そうだな…』と更に肩を落として頷いた。
俺達が所属しているのは、お気楽な文芸サークルだ。
演劇に映像、文章と、それぞれに特化したサークルはあるが、どれもこれも本格的でお堅い。
そんな、お堅いのが苦手な俺達が集まって作ったのが、この文芸サークルだ。
何でもない日常の一コマを切り取って、ドラマ形式にして録画した物を動画サイトにアップしている。それが、俺達の今の処の活動。
先週アップした、靴下とパンツの洗濯の攻防は一万いいねを貰った。
そんなくだらない系と言うか、なんか脱力系と言うか、まあ、肩肘を張る必要の無い動画ばかりを作っている。
で、まあ、そんな俺達がこんな処まで出張って来たのには理由がある。
何時も俺達が利用している投稿サイトとは別のサイトが、芳しいコンテストを開催しているからだ。
『テーマは夏。映画でもコントでもアニメでもCGでも実写でも何でもござれ。動画ならではの躍動感溢れる作品を待っているよ』
大賞作品には賞金三十万の他、高スペックのパソコンにカメラ。
優秀賞や、特別賞でも賞金が出るし、そのサイトでピックアップ動画として宣伝して貰える。
別に人気者になりたいとか、有名になりたいとかじゃない。賞金や賞品が欲しい訳でもない。
ただ、俺達の作った物を観て欲しいだけだ。
その窓口が広がるのなら、利用しない手は無い。
ん? て事は有名になりたいのか? いや、俺は有名人税とかは勘弁したい。俺はカメラを構えて、その瞬間に起こるかも知れない奇跡を撮っていたい。
ああ、でも。
鈴木。
こいつには有名になって欲しいかも。
サークルの中で、こいつとだけは高校の頃からの付き合いだ。
鈴木は高校では演劇部に入っていた。
俺は写真部に所属していて、文化祭とか何かの催し物がある度に、その撮影に駆り出されていた。演劇部専属と言っても良い。
…人気が無かったんだよな、演劇部。人気なのは野球、サッカー、テニス、水泳、応援団やらだ。まあ、画になるよな、うん。
けど、演劇だって華はあると思うんだが、当時の部員曰く『素人の劇なんてつまらないし、動きが無い』んだそうだ。…まあ、顔だけで舞台に上がっている奴は、棒読みだったりするが、そうじゃない奴らの方が多い。動きだってあるだろう? え? スポーツの方が分かり易い? はい、そうですか。てな訳で、特に希望した訳では無いが、演劇部の写真は俺が撮っていた。
入学してから演劇部に付きっきりだったから、それなりに良い、悪いが解る様になったと思う。
で、そんな部員達の中で、一際俺の目を奪ったのが、鈴木だ。
初めてカメラを向けて、シャッターを切ったあの日の事は今でも忘れられない。
二年生や三年生なら、舞台にもカメラにも慣れていると思う。が、奴は俺と同じ新入生だ。それなのに、俺がカメラを向けても動じたりしないで、と言うか、カメラを…俺を見て不敵に笑ったんだ。
真っ直ぐにこちらを見据える視線に、心臓がドクンって跳ねて、気が付いたらシャッターを切っていた。
『撮らさせられた』
俺の意思じゃない、無意識も無意識だ。
勝手に指が動いていた。
何で…と呟いて、レンズ越しじゃなく直に鈴木を見れば、奴は人懐っこい笑顔を浮かべながら、右手で拳を作った後、その親指をピンと立ててみせた。
何だこいつ。
そう思いながら、うっかり撮ってしまった物を確認して、俺の息が一瞬止まった。
綺麗な目だった。
唇はむかつくぐらいに不敵な弧を描いているくせに、細目の涼やかそうなその目は、とても澄んでいたから。
◇
「ぎゃーっ! 降って来たーっ!」
「梅雨なのに、普通に雨じゃん!」
「ってか、ゲリラだろ、これ!!」
撮影が終わりに差し掛かろうかと云う頃に、雨が降って来た。梅雨独特のしとしと降りじゃない、ドザーッて感じの所謂バケツをひっくり返した様な雨だ。
幸いカメラは防水だし、念の為にビニールで保護していた。が、人間は何の保護もしていないから、あっと言う間にずぶ濡れだ。
「くっそ、あと少しだったのに…!」
俺の隣に立つ佐原が悔しそうに砂を蹴った。豪雨のせいで水分を含んだ砂は宙に舞い上がらずに、その靴にこびり付いたけど。おい、車に乗る前にそれ落とせよ。親父に怒られるのは俺なんだからな?
まあ、でもこれじゃ一時中断、雨が弱くなるまで車で待機決定だ。
「稲田、カメラ止めるな」
なんて思いながら、カメラを固定している三脚に手を伸ばした時、波打ち際に立っている鈴木がそんな事を言って来た。
「は? 何言ってんのお前?」
目を瞬かせる俺の耳に佐原の声が届く。
「赤畑と御蔭は車に行ってろ! 稲田、鍵!」
「あ、おう!」
ズボンのポケットに入れてた鍵を取り出せば、佐原はそれを持って、ちゃっかりと木の下に移動してた赤畑と御蔭の元へと走り出した。
「向こうの空が明るい」
佐原の背中を視線で追っていた俺がその声に振り返れば、鈴木は真っ直ぐと腕を伸ばして俺の背後を指差して言った。
「この雨は、佐原が言った様にゲリラだ。天気予報は当たる」
真っ直ぐと俺の目を見据えながら、鈴木が不敵に笑う。
雨に濡れて髪も服もぐっしょりと重く、顔やら身体やらに張り付いているのに、濡れて更に輝きを増した綺麗な瞳で笑う。
ああ、もう。
こうなったらテコでも動かないんだよな。
「止まなかったら、ラーメン奢れよ」
言いながら俺は身を屈めてファインダーを覗き込み、雨の衝撃で画角がずれていないか確認をする。
「本当に好きだよな」
そんな佐原の声と共に、俺の身体に当たる雨が途切れた。
「お前もな」
車に転がってたのを見つけたのだろう。傘を差しながら俺の隣に戻って来た佐原に苦笑を返す。そのまま車に居れば良いのに、わざわざ戻って来るお前も物好きな奴だよ。
そんな遣り取りを交わす俺達の目の前で、鈴木は演技を始める。
クライマックスは、主人公がヒロインを意識する瞬間だ。
二人で海に来てぶらぶらと歩いて、何気ない会話を楽しんでいたのに、ふとした事から喧嘩になって、ヒロインは泣きながら退場。一人取り残された主人公は、そこで気付く。これまで友達だと思っていた奴を、好きだと、この気持ちは恋だったんだと。
あつい…熱い夏が始まる、それを予感させる様な、そんなラストだ。
台詞は無い。
表情だけで、感情の動きを表す難しいシーンだ…と、思う。
鈴木は雨に打たれながら、静かに瞳を伏せた。
だらりと下げられた両腕、軽く俯けた顔、眉間に軽く寄る皺、薄く開かれて僅かに震える唇、それでも脚は力強く砂浜を踏み締めていた。
「…雨、弱まって来たか?」
十分? いや、もう少し短いか? ゲリラ豪雨の名の通り、雨脚は次第に弱くなって来ていた。
佐原の声に反応したのか、ぴくりと鈴木の下げられた両手の指先が動く。
「…っ…」
思わず息を飲んだ俺の目の先で、それは、ゆっくりと指先から折りたたまれて、拳の形になって行った。
そして、左手は拳を作ったままで右手が持ち上げられて、心臓を押さえる様に指先を広げて置かれる。
震えていた唇が、緩く弧を描いて行き、閉じられていた瞳がゆっくりと開かれて行く。それに呼応している様に、空が明るくなって来ていて、雨はポツンポツンとした降りになっていた。
まだ雨に濡れている瞳が完全に開かれたと思ったら、それは直ぐに眩しそうに細められた。
綺麗な瞳だった。
その瞳の先に、恋しい…好きな人が立っているのだと思わせる、そんな瞳だった。
◇
残暑も残暑。あついざんしょなんて駄洒落があった気がする九月も下旬に、コンテストの結果発表があった。
俺達が応募した作品は『特別映像賞』なる物を戴き、日々PVを更新し続けている。
まあ、それは嬉しい事なんだけど。
なんだけど。
作品を観た人達のコメントに気になる物が一つ…どころではないのが、目下の悩みの種だ。
『主人公の瞳に映る、虹を背中に背負った男の人が綺麗』
ああ、佐原か。
銀縁眼鏡のインテリ系だしな。
と、話を振れば佐原は『俺を殺す気か!』と怒鳴るし、御蔭は『ブロマンス? うほー!』っとメモアプリを開くし、赤畑には『ほら。ここ、パートナーシップあるから』と移住を勧められるし、当の鈴木は『俺の演技もまだまだだな…いや、完璧過ぎたのか?』と、首を捻っていた。
…なんで?