こぐまでもいいとおもいます
「うっ、ううう……ぐす、う、ううう……」
シーラは今、失意のどん底にいた。
普段涙など見せないシーラが、数日前より何をしていても涙が出て仕方がない。
「ふううう~、ヘクトール・グリズリーさま~」
そう、シーラをここまで落ち込ませることが出来る人物はこの世にただ一人。
それはシーラ憧れの熊将軍ヘクトール・グリズリーだ。
遡ること数日前。
父アティカスが重々しい表情でシーラの部屋へとやってきた。
「お父さまどうかなさいましたか?」
シーラの問いかけに「ああ……」と何だか覇気のない声を出す父アティカス。
次回の羊の会まではまだ日にちがあるし、今日はひよこなジェームズやお猿なサイラスが来る日でもない。
それにシーラは暴れることもなく、我儘を言う事もなく、今日も良い子で本を読んでいる。
なので父が反省中の飼い犬のような情け無い表情を見せる理由が解らない。
もしや妊娠中の母に何か有ったのだろうか?
そんな疑問がわくが、だったら父はもっと大騒ぎしているはずと納得する。
ならば落ち込む理由はただ一つ。
シーラは足取り重い父の前に行き、ポンとお腹辺りを叩いて励ました。
「お父さま、お母さまにまずあやまりましょう。英雄いろをこのむといいますもの。お母さまもきっとわかってくださいますわ」
うんうん、と頷きながら同情のこもった瞳を父に向けるシーラ。
一体どこでそんな言葉を覚えたのか……聞かなくても答えは分かるが頭が痛くなる。
「……シーラ……君は意味を分かってその言葉を使っているのかい?」
「? ええもちろんですわ」
当然だと元気一杯に答えたシーラを見て落ち込んでいたはずの父は、今度は病人にでもなったかのような顔になった。何故だろう?
「もしかして、お母さまにうわきがバレたのではないのですか?」
こてんと可愛らしく首を傾げるシーラに「違うよ」と父アティカスは大きなため息を吐く。
そして目の前にいるシーラの視線の高さまで腰を落とすと、シーラの両肩を掴んだ。
「シーラ、良いかい、しっかり気を持って私の話を聞くんだ」
「お父さま?」
真面目な顔の父アティカスはシーラをジッと見つめてきた。
これまでにない父の様子にシーラもちょっとだけ動揺してしまう。
一体なんなんでしょう?
そう思っていると、シーラにとって衝撃的な言葉が落ちて来た。
「熊将軍が……ヘクトール・グリズリー様が、お亡くなりになった……81歳、丁度お誕生日の日のことだったらしい……」
「そ、そんな……」
ガーン、ガーン、ガーン。
シーラの中で鐘が鳴る。
熊将軍の家族は覚悟していただろうが、シーラにとっては青天の霹靂。寝耳に水。足下から雉が立つである。
いつか必ず会いに行こう。
自分の想いをぶつけてみよう。
出来れば婚約して頂こう。
そう思っていた相手のまさかの訃報。
シーラは足元から崩れ落ち、床に手を突いた。
「そんな、そんな、ヘクトール・グリズリー様が……おなくなりになるだなんて……」
不死鳥だとそう思っていた相手の訃報。
もうシーラは息をするのがやっとだ。
泣き出した娘の背中を父アティカスはそっと摩る。
「熊将軍も寿命には勝てなかったのさ……天寿を全うできたのだ喜ばしい事だよ。さあ、シーラ、泣かずに笑顔で熊将軍を見送って上げよう。ヘクトール・グリズリー様の葬儀は国葬だ。私達も出席するんだよ」
「……さまの……」
「ん? なんだい?」
落ち込む娘にアティカスは優しく問いかける。
長生きできて家族にも恵まれ国民にも愛された熊将軍は幸せだった。
シーラにその事を理解してほしかったからだ。
「お父さまの……」
「ん?」
「お父さまのばかーーーー!!」
「ええええっ?!」
娘の罵倒に驚くアティカス。
馬鹿と罵られ、ポコポコと腹部を殴られる。
「お父さまのバカバカバカー! なんてデリカシーの無いちちなのですか! わたくしの乙女心をふみにじって! ゆるしませんわー!」
「ええええっ?!」
そう叫んだシーラは寝室に閉じこもった。
父がごめんとなんど謝っても許す気は無いようだ。
「ヘクトール・グリズリーさまが……ヘクトール・グリズリーさまが、なくなるだなんて……」
恋する乙女シーラは初恋の相手の死に落ち込んだ。
その相手が八十歳だろうが、何だろうが、シーラ本人は本当の本気で恋をしていたのだ。
そのショックは計り知れなかった。
そして数日たち。
熊将軍ことヘクトール・グリズリーの国葬の日がやってきた。
黒いドレスに身を包んだシーラは、他の子供たちとは違い本気の本気で心の底から熊将軍を弔う。
弔問へ向かう際、弟子(友人)であるサイラスやジェームスに「大丈夫?」と心配されたが、全く以て大丈夫ではないので首を横に振った。
「ヘクトール・グリズリーさま天国でおまちくださいませ……わたくしシーラもすぐにむかいますわ」
腫らした目で棺を見つめそんな事を呟くシーラ。
余りの落ち込みように本当に天へ召されそうで父アティカスは恐ろしい。
「シ、シーラ、ほら見てごらん、あそこにいるのがこの国の王様、国王陛下だよ」
少しでも気を紛らわそうとそんな事を言ってみるが、涙で腫れたシーラの目では遠くにいる国王陛下など、トウモロコシのような人間にしか見えない。
「ヘクトール・グリズリーさまぁ……」
えっぐえっぐと全く泣き止む様子の無いシーラに、周りの大人たちは少し引き気味で流石の父も肩身が狭い。
(ああ、誰か娘の涙を止めてくれ……)
三日三晩泣かれ続け流石のアティカスも疲労困憊だ。
だが、父アティカスの願いが遂に天に届く時が来た。
とある人物の登場で……
「本日は我が父、故人であるヘクトール・グリズリーの為、多くの方に集まって頂き心よりお礼申し上げます。故人ヘクトール・グリズリーも天の国にてさぞかし喜んでいることと存じます」
ヘクトール・グリズリーの息子であるジクトール・グリズリーの挨拶が始まった途端、シーラの泣き腫らした赤い目が輝く。
父親であるヘクトールによく似た逞しい体。
短く切られた髪は少し白髪交じりで銀色に輝いている。
顎髭と口ひげで口元を囲むサークル型の髭は厳つい顔に良く似合い、シーラの好きな英雄男子な理想そのもの。
(まあ、なんてことでしょう! ヘクトール・グリズリーさまが若返ったみたいですわ!)
ヘクトールとジクトールは血の繋がりのある親子なので似ていて当然なのだが、失恋で涙するシーラには衝撃が強かった。
「お、お父さま、あの方はどなたですの?」
すっかり泣き止んだシーラは父の袖を引き、理想の殿方について質問をする。
「ああ、あの方は熊将軍の息子であるジクトール・グリズリー様だよ」
父アティカスはやっと娘の気が晴れたと喜び、何の疑問も持たずそれに応えた。
「ジクトール・グリズリーさま……」
なんと素敵な名前でしょう!
父であり、英雄であるヘクトール・グリズリーにそっくりなその容姿。
その上名前までそっくりときた。
もう自分にはあの方しかいませんわ! とシーラがそう思うのは当然のことだった。
「お父さま、わたくし、ジクトール・グリズリーさまとけっこんしたいですわ」
ふんすと鼻息荒くそう言い切る娘に、父アティカスは葬儀の場だというのに「えっ?!」と大きな声を出してしまう。周りの目が痛い。
「ジクトール・グリズリーさまはヘクトール・グリズリーさまよりもだいぶお若いのですから、宜しいですよね?」
今泣いた烏がもう笑う。
シーラの機嫌は急上昇。
恋する相手を見つけ元気いっぱいだ。
「いや、シーラ、ジクトール・グリズリー様はご結婚されているはずだよ……」
余りに突然な娘の告白に、父アティカスはそんな当たり前な事を答えてしまう。
「ではわたくしは第二夫人でがまんいたしますわ」
いやいやいや、それ以前にジクトール・グリズリー様は御年60歳。
どう考えても8歳の子からの結婚申し出を受け入れるとは思えない。
父アティカスは苦笑いを浮かべシーラに応える。
「シーラ、それは流石に無理だと思うよ……」
いや、もし万が一の可能性があっても自分が無理。ジクトール・グリズリー様を息子だとは思えない。
「お父さま、なにごとも最初からあきらめてはダメですわ! たちむかって行きましょうよ」
もっともらしいことを言う娘に父アティカスは頭が痛くなる。
熊将軍の次は子熊将軍。
シーラの恋はどこまで行っても英雄贔屓だった。