おさるかひよこのにたくだそうです
「シーラ……良いかい、よく聞きなさい。明日君の婚約者候補が我が家にやって来る、しっかりとお出迎えするように」
「えっ? お父さま、どういうことですか?」
無事羊の会を終えてから数日。
夕食の席で父アティカスにそう言われたシーラ。
突然の婚約者候補の出現に首を傾げるが、父の様子から冗談でないことは分かる。
先日の羊の会を思い出して見るが、特に気になる子も出来なければ、仲良くなった子もいない。
とすれば答えは一つ。
父アティカスがシーラの願いを叶えてくれた。それだった。
「という事は、お父様、明日ジクトール・グリズリー様が我が家にいらっしゃるのですね! どうしましょう、サイン色紙を用意しなければ!」
憧れの人が家へやって来る。
恋に浮かれるシーラには、目の前にある苦手なピーマンまでも輝いてみえた。
興奮するシーラを見て父は深いため息を落とし首を振る。
御年八十歳のジクトール・グリズリーが我が家に来る予定はない。
可哀想だがシーラの夢を、無惨に打ち砕くしか無かった。
「シーラ、違うんだよ……熊将軍は君の婚約者候補じゃないんだよ」
「え? そんな、お父様わたくしをだましたのですか? ひどいですわ!」
ぷりぷりと怒り出すシーラ。
一言もジクトール・グリズリーがシーラの婚約者候補になったとは言っていないのに、理不尽な怒りを娘にぶつけられ父アティカスはまたため息を吐く。
あの羊の会からたった数日。
シーラに言えなかった秘密を遂に話すときが来たと父は決めた。
夢見がちな娘に現実を見させるためにだ。
「シーラ、君には今、悪評がある」
「あくひょーですか?」
「ああそうだ、悪評だ」
羊の会で数人の男の子たちをその言葉だけで泣かせてしまった令嬢、シーラ・ランツ。
まさに彼女は辛辣な言葉を振りまくご令嬢、辛辣令嬢だと、たった8歳の娘に対し、酷い噂をたてて笑う者達がいるのだ。むごい仕打ちだ。
平凡な貴族家であるランツ家だが、その歴史は古い。
過去には王女が降嫁したこともある立派な伯爵家でもあり、中には有名な騎士もいた。
政敵の中にはそんなランツ家が気に入らないものもいる。別に憎くはないが、面白い情報を掴んだのなら吹聴してしまえ、そんな程度なのだろう。
だが幼い娘が標的にされた事が父アティカスには苦しかった。
噂を払拭することが出来ない弱い父で申し訳ない気持ちもあり、今回の噂の件をシーラには中々話せなかったのだ。
「シーラ、君は今、辛辣令嬢と呼ばれているんだよ……」
苦々しくそう言った父アティカスに対し、シーラは何故かキラキラした瞳を向けてきた。
「何という事でしょう! あああ、ついにこのわたくしにも二つ名が出来たのですね! すばらしいことですわ!」
どうしましょう!お祝いをしなければ!と喜び頬を赤く染めるシーラ。
いやいやそこは青くなるところでしょう、これは二つ名ではなく汚名だよ、と父は突っ込みたかったがやめた。
せっかく熊将軍から気が逸れたのだ。
そのままにしておこう、と心の中で頷く。
「あー、それでだね、その辛辣令嬢と噂される原因となった二人の少年の家がねー、責任を取ると言ってシーラに婚約を申し込んできたんだよ。あの時傍にいたバード家の次男とモンキナ家の長男だ。羊の会で友達になったんだろう? 二人も婚約者候補が出来たんだ、噂のことは忘れ良かったと喜ぼうじゃないか、なあ、シーラ」
父の言葉に先程とは違いキョトンとした顔をするシーラ。
もしや家名で呼んだから友人たちが分からなかったのか? と考えた父アティカスは、ジェームズ・バード君とサイラス・モンキナ君だよと彼らの名を再度教えてあげた。
「だれですか、それは?」
すんと表情を無くす娘の前、アティカスはまたため息を吐く。
娘よ、一緒に遊んだ相手の名ぐらい覚えてあげてくれ。
父アティカスの願いは最低限のことだった。
「この前は悪かったな……」
お猿さん改めサイラス・モンキナがシーラに謝る。
親から口酸っぱく言われたのだろう、口を尖らせシーラの顔をみずに謝るサイラスは渋々といった様子だ。
「あ、あの、この前は泣いてしまってごめんなさい……」
今も既に泣きそうな顔で謝ってきたのはジェームズ・バードだ。
シーラがひよこと名付けた泣き虫な少年であり本好きの少年。今日もシーラとサイラスのことをチラチラと盗み見し、怯えているのが見てわかる。
はて? いったい何が怖いのでしょう?
シーラは正反対な態度をとる婚約者候補らしき二人に、取り敢えず「しゃざいを受けとりますわ」といって頷いてみせた。
「先日のこと、わたくしは全然気にしておりませんわ。それよりお二人には感謝したいぐらいですの」
「「感謝?」」
「ええ、感謝ですわ」
たった8歳のシーラに辛辣令嬢と言う素敵な二つ名がついたのも、あの日の羊の会で二人が問題を起こしてくれたおかげだ。
そんなシーラの心中など知らない二人は困惑している様だが、シーラは心から感謝し再度 「ありがとう」とお礼を述べる。
憧れの熊将軍ジクトール・グリズリーでさえ8歳時には二つ名など無かった事だろう。シーラの胸の中は誇らしさでいっぱいだった。
「さあ、お席についてくださいませ、精一杯のおもてなしをさせて頂きましたわ」
無事謝罪の会も終わり、東屋へと移動する。
中庭にある東屋にはシーラが準備させたティーセットが用意してある。
元気のいい男の子達を招くのだからと、父に願い出て中庭に設置させた東屋。
戦争中の見張りテントの様だとシーラが喜んだことは庭師だけしか知らない秘密。
そんなお気に入りの新名所に婚約者候補を招き入れるシーラ。
三人で丸テーブルを囲むように座り、メイドに給仕を頼む。
そして目の前に置かれたお茶菓子を見て、ひよことお猿は目を丸くした。
「これはなんだ? 四角いし変な菓子だな?」
「く、くろ? 茶色? 不思議なものだねぇ……」
ひよことお猿の質問に、シーラは満足そうな笑みを浮かべる。
そしてフォークで菓子を一切れ切ると、優雅に口に運んだ。
もぐもぐと満足げに不思議な菓子を食べるシーラを見て、ひよことお猿もそれに習う。
「甘い!」
「凄くあまーい」
「うふふ、でしょう?」
シーラが二人に出したお菓子は羊羹だ。
新女傑歴伝に登場した羊羹を料理長に頼み再現してもらったのだ。
お茶を口に含み口の中を整えると、シーラは二人に向き合った。
「これは新女傑歴伝の中で楊明春という女性が皇帝のちょうあいを得るために出したお菓子だそうです。お二人はわたくしの婚約候補だそうですので、今日はこちらのお菓子を用意させてもらいました。いかかでしょうか? 少しはわたくしにきょーみがわきましたか? わたくしを愛したくなりましたか?」
「「あ、あい?」」
「はい、愛ですわ」
シーラの言葉を聞くと、お猿なサイラスは見る見る真っ赤になり 「誰がお前なんか!」 とプリプリと怒り出した。
そしてひよこなジェームズは同じく真っ赤な顔になった後、うるうると瞳に涙を集め「あ、あいなんて……」と俯いてしまった。
どうやらシーラの羊羹計画は失敗のようだ。
新女傑歴伝のようには上手くいかないらしい。
だがまあ、二人に急に愛されたとしてもシーラも困る。
何故ならシーラの琴線に触れる英雄らしさがこの二人には無いからだ。
赤い顔のままむっつりと黙るサイラス。
同じく赤い顔で下を向くジェームス。
二人のそんな様子を見ながらシーラはため息を吐いた。
「おさるかひよこの二択はきついですわね」と。
シーラの婚約者決めは、難航を示したのだった。