わたくしはくまがいいとおもっております
ズーラウンド王国にあるランツ伯爵家。
庭園が望める図書室の一角で、ランツ伯爵家の令嬢シーラが今日も愛読書を耽読していた。
シーラはランツ家の一人娘。
赤茶色のふわふわっとした髪に薄緑のちょっとだけ釣り目で大きな瞳の、猫っぽい容姿の可愛らしい極々平凡な貴族令嬢だ。
その見た目から大人しそうな可愛らしいご令嬢と周りの評判は悪くなく。
そこそこ婚約の話も届く当たり障りのない一般的なご令嬢。
ただし、その趣味が少しだけ変わっており、その事で父アティカス・ランツはいつも頭を悩ませていた。
「はー、やっぱりヘクトール・グリズリーさまはすてきですわ。お一人でじょーもんを守りきるだなんて、なかなかできることではありません、完ぺきな英雄さまですわ」
シーラは幼いながらも英雄伝にハマっており、その中でも自国ズーラウンド王国一の英雄ヘクトール・グリズリーが大好きだった。
暇があれば英雄伝を読み返し、同じ本を、観賞用、保管用、そしてこの図書室用と三冊も用意している。
二度のおやつより英雄伝。
そう自分で豪語するほど、英雄ヘクトール・グリズリーにハマっていた。
今日も家庭教師からの教育が終わると、図書室へと一直線。
お気に入りの席に座り、ヘクトール・グリズリーの物語を楽しんでいる。
それがシーラの充実した日常だった。
「シーラ! シーラ! 何をやっているんだい、そろそろドレス職人との約束の時間だよ。本を読むのをやめなさい。応接室へ向かわないと」
今丁度ヘクトール・グリズリーが敵武将の首を自慢の大剣で落とした良いところで、父アティカス・ランツが話しかけて来た。
心の中で (おとうさまはおじゃまむしですわ) と思いながらも、シーラは本に視線を送ったまま父に無難な笑顔で応える。
「お父さまごきげんよう。だいじょうぶですわ。しょくにんが来る時間まであとじゅっぷんもございます。なのであせる必要はないとぞんじますわ」
そう答え、本にニッコリと笑いかける。
邪魔者の父に向ける笑顔はない。
(はああ、ヘクトールさまは、やっぱりかっこいいですわ)と敵将を切り刻む自身の推しにすっかり心を奪われている。
「シーラ、シーラ、何を言っているんだい。取りあえずこっちを見なさい。良いかい、あと十分と言ってももう職人たちは屋敷に来ているんだよ。シーラも淑女になる身としてきちんと出迎えないと」
「おとうさま、わたくしはまだまだみじゅくものですわ、しゅくじょなどとよばれるのははだはだしいのでございます」
「はいはい、何でもいいから早くしなさい。羊の会に着て行くドレスがなければ困るのはシーラだよ。シーラに今一番必要なのはドレスなのだからね」
羊の会とは、このズーラウンド王国で七歳ぐらいから就学前の十二歳前後ぐらいの貴族の子供たちが集められる月に一度のお茶会だ。
歳が近い幼い子供たちの社交の場であり、集団お見合いに近い場所でもある。
そしてそんな華やかで楽しいはずの場がシーラは何よりも嫌いだった。
口を開けばどこそこのご子息が素敵だと話すご令嬢たち。
カッコイイと自分を勘違いし傲慢な振る舞いを見せるご令息たち。
自分とは話も合わないし、見ているだけで辟易する。
だったら屋敷の中で本に夢中になっている時間の方がよっぽど素敵な時間の過ごし方だ。
シーラはそんな考えのもと、自分にはドレスなど必要ないとそう思っていた。
「お父さま、わたくしは羊の会に行きたくありません。なのでドレスはひつようありません。お話はいじょーですわ」
毎回そんな我儘を言うシーラに父アティカスはため息を落す。
「シーラ、シーラ、君は一体何を言っているんだい。貴族の子供として羊の会に出るのは義務なんだよ。それに羊の会は婚約者を見つける場でもある。シーラは一人娘なんだよ、婿に入ってくれる者を探さないといけないんだ。分かったかい?」
父アティカスはシーラを優しく諭す。
実は今妻が二人目を妊娠中。
なのでシーラが絶対に婿を取らなければならない理由はないのだが、ちょっと変わったこの子の未来を考えれば出来るだけ優秀な婿、もしくは夫が欲しいところだ。
それは父アティカスの強い願いであり、切望とも言えた。
「でしたらわたくしはヘクトール・グリズリーさまと結婚したいです。ヘクトールさまは今は未婚ですから」
自国ズーラウンド王国の英雄ヘクトール・グリズリーは現在80歳。
二年前に妻を亡くし、今は確かに未婚男性ではある。
だが父アティカスは娘のその淡い恋心を応援など出来るはずもなかった。
「……シーラ、いいかい、グリズリー将軍は御年八十歳だ。八歳の君との恋には無理がある。勿論結婚もだよ。それに私も流石にグリズリー将軍を息子とは呼べないよ……」
「お父さま、たちばやねんれいで人をはんだんしてはいけないのですよ。いつもそう言っているでは無いですか。それにヘクトールさまなら120歳まで生きるかもしれません。何と言ってもこの国のえいゆうなのですから。ふしちょーのかのうせいは高いですわ」
確かに生活に気を付け健康に気を配り、どうにか頑張れば長生きできなくもないだろう。
だがすでにグリズリー将軍は長生きの域に達している。これ以上頑張れとは言いにくい。
それに流石に八歳と八十歳の恋は無理があるだろう。
周りがどう見るか考えるだけで頭が痛くなる。
父アティカスは娘の言葉に疲労一杯になりながらも父としてそこは根性を見せた。
甘やかしてはいけない、その一心で。
「ほら、シーラ、ドレスを作りに行くよ! 本を離しなさい」
そう言ってシーラから本を取り上げる。
娘はやっと自分の顔を見た。
「おとうさま、返してください! おうぼーですわ」
そう言って父アティカスを睨むシーラはまさに怒った猫のよう。
威嚇し牙をむき出しで、敵に対し容赦しないそんな様子だ。
まったくなんでこの子は娘に生まれてしまったのか……男の子に生まれていれば少しは違ったのに……
と、そんな事をちょっと思ってしまう父アティカス。
可愛い娘なのに趣味だけは異常で困ってしまう。
「あっ! そ、そう言えば新女傑歴伝という本が出たと部下が言っていたな~」
「えええっ?! なんですって?!」
本好きの部下から仕入れたシーラが好きそうな本のタイトルを、父アティカスはここぞとばかりにぶら下げる。
こうして今までも何度も同じ攻防を繰り返し、シーラが同じ本を三冊も持つ理由となったのだが、背に腹は代えられぬと、とにかく羊の会にシーラを出席させたい父アティカスは、勝利を掴むため必死だった。
「羊の会の日に新女傑歴伝をシーラにプレゼントしようと思っていたんだけどなー残念だったなー」
父アティカスの言葉にシーラの目が光る。
今現在女傑歴伝は既に三冊持っているが、新女傑歴伝は勿論一冊も持っていない。
絶対に手に入れなければならない逸品!
シーラはその為ならば、どんな苦行も乗り越える気持ちでいた。
「お父さま、わたくしきゅーに羊の会に行きたくなりましたわ。さあ、ドレスを作りにまいりましょう」
ニッコリと笑ったシーラはやっと笑顔で父の顔を見たのだった。
「シーラ……やっぱりその色のドレスは止めた方が良かったんじゃないのかな……」
羊の会に向かう馬車の中。
新しいドレスに身を包んだシーラはいつになくご機嫌だ。
ただしそのドレスの色は紺色。
一瞬だけ見ると喪服に見えてしまう一品なのだが、辛うじて白のレースが付いている為、よーく見れば喪服には見えない。
「そうですか? では赤いドレスの方にすればよかったですね」
シーラがもう一つ選んだドレスは赤色のドレス。
年齢にそぐわない胸元の開いた深紅のドレスに父アティカスは開いた口が塞がらなかった。どうしてもそのドレスだけは着て欲しくなかった。それが正直な感想だ。
貞淑な淑女色の紺か、悪女色の赤。
歴女なシーラの選択はその二つしかない。
その為消去法で選んだドレスが紺だったのだが、父アティカスは頭が痛かった。
(ああ、妻がいてくれたら……)
妊娠後期で里帰り中の妻を思い、娘のドレスを見て胃を押さえるアティカスだった。
羊の会の会場は、本日バード侯爵家の庭園となっている。
高位貴族の中で羊の会に所属する年齢の子を持つ家庭が持ち回りでこの会を開催するのだが、バード侯爵家の次男が丁度羊の会の年齢範囲なのだ。
その為今日は侯爵家に大勢の子供たちが集まっていた。
勿論この日の子供たちは爵位の垣根を超える。
「さあ、お父さま、いざ、出陣ですわよ」
ふんすと気合いを入れ馬車を降りるシーラ。
その手には新しく手に入れた本「新女傑歴伝」が握られている。
どうやら会場に着いてすぐに読むようだ。
交流などする気がないと言っているような娘の姿に、父アティカスは益々頭と胃が痛くなる。
果たして娘にいいお相手など見つかるだろうか……
「ああ、シーラ、ほんとっ頼むから普通に過ごしてくれよ……もうそれだけでいいからさー」
父の嘆きのような呟きが聞こえたシーラは、猫のような目を細め良い笑顔で振り返る。
「お父さま、女の戦いはいまはじまったばかりですわ。わたくしに任せて下さいませ」
変な言葉ばかり覚えるシーラに父アティカスは深い深いため息を吐くのだった。