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第9話 人類最後の夜に妹と口づけを

 ちょっと刺激的な日だったけれど、その後は何とか平穏に無人島サバイバル生活を送っていた。だから、昨日、自分の言ったこともすっかり忘れてしまっていた。


「アニキ!」


「ど、どうした?」


 朝の洗濯を終えて洞窟のベットで一休みしていた僕を、美咲は叩き起こしにきた。


「でたんだ!」


「な、何が?」


 どうやら黒い虫がでたとかいうレベルの話ではないことは、美咲の深刻な顔を見て察せられた。でも、組織の人間が連れ戻しにきたという気配もないので、訳がわからないといった顔をしていたんだと思う。


「アニキが言ってたでかい怪物だよ!」


 緊張感がなく寝ぼけているような僕に対して、苛立ったように美咲は言った。




 海辺の近くまで行かなくても、そいつははっきりと姿をとらえることができた。


 まさに鯨みたいにでかい怪物。そいつは海をゆっくりと移動しながらこちらに近づいてきていた。


「そんなはずはない!」


 僕は海辺に向かいながら、思わず声を荒らげる。


 美咲はちょっと驚いて振り返った。一瞬だけ訝しげな目をしたけれど、また目の前の巨大な怪物に向かいあった。


 海辺についた時、最初は何が起こったのか分からなかった。


 急に島全体が影に覆われた気がして、日食でも起きたのかと本気で思って空を見上げると目の前には巨大すぎる怪物が立っていた。そう、鯨みたいに海上に体をだして近づいてきた怪物は立ち上がったのだ。見えていた部分は体のほとんどではなくて、頭の一部でしかなかった。


「昔話にでてくる海坊主ってこんな感じだっけ」


 妹に余裕がありそうにそんなことを言いながらも、僕は恐怖を感じて後ずさっていた。


 しかし、少しくらい後ろに下がったところで、見た目は全く変わって見えなかった。


 海の中から立っているように見えるその巨大な海坊主には目らしきものがついていた。高すぎて本当に目なのか、僕らが見えているのかははっきりとは分からなかったけれど、間違いなくこちらの方を向いて島へと上陸しようとしていた。


「アニキは下がって! 洞窟の中に隠れていて」


「変わらないだろ」


 あまりにも巨大な怪物で、洞窟ごと潰される未来しか見えなかった。


(でも、全力で戦うためには僕がいると邪魔なんだな……)


 そう納得すると僕は、森まで下がって美咲の戦いを見守ることにした。


 美咲は横目でそんな僕を見ていた。ちょっとだけ安心したように緊張した面持ちのまま口元だけ少し笑うと、気合いを入れて空へと舞い上がった。


 海坊主の方は、美咲のことを気にしてもいないようだった。小さい虫が飛んでいるくらいにしか思っていないのだろう。まっすぐ島を見つめて歩みを止めることはなかった。


 もしかして、島を狙っているのではなくて僕を狙っているのだろうか。


 海坊主と視線が合うような気がして、僕はそんな考えに至ってしまう。それが正解なら、この場で泣き叫んでおかしくなってしまいそうなくらいの恐怖だったけれど、何とか正気を保っていられるのは妹の存在のおかげだった。


「はぁぁぁ」


 美咲は地上まで聞こえる雄叫びとともに炎の柱を身にまとった。


 やっと、海坊主も美咲の存在を危険と認識したように、2つの目らしきものがわずかに美咲の方を向いた気がした。


 次の瞬間、海から巨大な水柱が立った。


 水柱が攻撃をするわけではなかった。水柱の中からでてきたのは、数キロにもなる長く黒い腕のようなものだった。海坊主の腕は、ムチのようにしなり、海の上の空気を騒音に近い切り裂いた音を立てながら美咲に向かっていく。


「うわあ」


 さすがに無理だ。僕は美咲が吹き飛ばされる姿しか想像できなくて、顔を手で覆い情けない悲鳴をあげていた。


 しかし、海坊主の腕は炎の柱にわずかにめりこんだところでピタリと止まった。


「おおっ」


 この超自然的な戦いに、僕は感嘆しながらに見上げるしかなかった。祈るような僕の思いが通じたのか、海坊主の巨大な腕は白煙を発しながら、焼け落ちていく。


 焦げた腕は、一回り細くなりながら海面へと落下した。細くはなっていても、その巨大な腕が高いところから落ちた水しぶきは、僕のいる島の中腹にまで飛んできていた。


 実際、表情があるのかはわからないけれど、海坊主は怒ったように美咲に体の向きを変えて、襲いかかるような態勢になった。


「うおおお」


 再び美咲は雄叫びをあげると、さらに炎を身に纏った。さっきの柱みたいな炎ではなくて美咲の周りだけに集まった熱い炎で空気も揺らめいていた。


 その陽炎のような揺らめく空気の中で、拳を振り上げて海坊主に向かっていく姿がわずかに見えた。


 2回、3回と海坊主の側で水蒸気が爆発する。


 水をかぶった巨大な生物を炎の柱を止めて、炎の塊がぶつかって上空には雲が出来上がっていた。


 (遠くからみえれば、これは一体なんの自然現象に見えるのだろう……)


 僕はあまりにも手の届かない化け物同士の戦いに、そんなことを考えるしかなかった。


 最後にもう一度、ひときわ大きな爆発が起きて水蒸気がまきおこった。冷えた蒸気は細かな水滴になって霧雨のように僕の元へにも降り注いでいた。


 上空の雲に隠れていた海坊主が、横たわって倒れていく姿が見えた。




「勝った」


 海坊主が海面に倒れて、巨大な水しぶきがあがったところで僕もやっと勝利を確信した。


 (でも、美咲はどこだ?)


 今すぐにでも頭をくしゃくしゃに撫でながら褒めてあげたいのだけれど、美咲は帰ってこなかった。


 ゲリラ豪雨のように降り注いだ水がやっとにわか雨くらいになって僕は空を見上げた。


「美咲!」


 まだ上空にいる美咲の姿を見つけて、僕は安堵していた。


 でも、高度を落としては、たまに浮揚しようとしていて、落ちる木の葉のように、大きく揺れながら落ちてきていた。


「美咲!」


 僕はもう一度叫んで海に向かってはしっていった。


 マナが尽きたみたいだった。それに加えて意識も失いつつあるようだった。だんだんと自然に落下する時間が増えていった。


 美咲はついに海の中に落下した。


 海面まで数メートルの高さまで、美咲は頑張っていた。だから、落下の衝撃はそれほどではないはずだった。


 でも、もう力尽きて意識もないようだった。慌てて僕は泳いで美咲を抱き抱えた。抱えて泳ぐのも大変だったけれど、泳げる水位ではなくなって美咲を肩にかかえて歩くのはもっと大変だった。波が押し寄せて足を取られる海辺の砂浜がこんなにも歩くのに厳しいなんて、普段は考えもしなかった。


 これくらいヴァンピールの娘たちなら、ひとっ飛びで森の中に戻れるのに、ドナーの僕には何の力もないことに改めて絶望した。


「ぜーはー」


 海の中から濡れた人間を肩に抱えて走った僕は、呼吸を整えるのさえ、何かが出そうになりながらで苦しんでいた。なんとか、本当になんとか、砂浜をちょっと歩いた草むらに、美咲を降ろして寝かせた。でも、これで一安心を寝てしまうわけにはいかなかった。


 外傷は見当たらなかったけれど、美咲は目を覚ましてくれなかった。


(水を飲んでしまったのだろうか……)


 普段だったら、海の中に数時間いても大丈夫なはずのヴァンピールだったけれど、マナも尽きて意識もなく海に落ちたのだから溺れてしまっても仕方がない。


 僕は美咲の呼吸を確認する。一応呼吸はしているけれど、途切れ途切れでかなり危ない状態だった。組織で受けさせられた救命訓練に今は感謝をしながら、なんとか思い出そうとしていた。


「気道を確保して……」


 両手で胸を押して、心臓マッサージをした。この非常時にさすがにやらしい気持ちになったりはしないけれど、訓練で男性の指導員にした時とはかなり違う感触にうまくできていない気がして不安になった。


「人工呼吸は……しなくてもいいんだっけ、いや、少しでも助かる可能性があがるなら」


 恥ずかしがるとか、ためらっている場合ではないのだと気合いをいれた。


(まあ、それにもうキスもしちゃったし)


 いつぞやの舌を吸われた濃厚のキスのことを思えばこんなの大したことない。


 それに鼻をつまんで唇を重ねて空気を送り込む姿は、やってみるとあまりロマンティックなものでもなかった。


「ううん」


 何度か息を送り込んだところで、美咲がわずかに目を開いた。


「アニキ……」


 完全に意識を取り戻して、僕のこともわかってくれたようだった。安心した僕はちょっと涙ぐんでいた。


「寝ている妹を襲うだなんて、変態だなあ」


「違う!」


「冗談、冗談。マナを送り込んでくれたんでしょ」


 マナを送るとかいう発想はあまりなかったけれど、結果的にはそうなっていたのかもしれない。


 マナを得た美咲は、回復能力を発動してあっという間に元気を取り戻したようだった。


 僕の肩に手をかけると、美咲はすっと起き上がった。立ち上がっても、座っている僕の肩から手をどけることはなく、むしろ両肩に手をのせてぎゅっとにぎりしめていた。


「やばい」


「えっ?」


 目がまた興奮状態なのを見て、僕はすごく不穏な予感を抱いていた。


 (でも、例えば、僕の唇が犠牲になるくらいならいいか……)


 その時の僕は、まだそれくらいの楽観的な考えだった。


「やばい。やばいよ。アニキ」


「どうしたの? 美咲」


「すっごいマナが溢れてる」


「え、ああ、元気になってよかったよ」


「からっぽになったのに、今はすごい力が出せる気がする。どんな怪物でも一撃な気がする」


 筋肉の超回復みたいなものだろうか。何となく今までの戦いでも感じていたことを思い出してそう納得していた。


「アニキ」


 でも、そんな解釈なんてたいしたことではなかった。美咲は明らかにおかしな目つきで僕をみつめていた。


 次の瞬間には、骨が折れそうなくらいな力で抱きしめられて草むらに押し倒されていた。


 完全に腰の上にまたがられるのも何度目だろうと思ったけれど、美咲の様子は明らかに今までとは違ってみえた。


 (食べられてしまいそう……)


 比喩的な意味ではなく本当にそう覚悟したけれど、美咲は戦闘用スーツの前のファスナーを開けると肩を出して上半身をはだけはじめた。


 完全に理性を失ってはいない。殺されるようなことはなさそうだと一瞬だけ安堵したけれど、これはこれで危険な貞操の危機だと焦っていた。


 いつのまに完全に全裸になった妹は、僕のズボンに顔を近づけてファスナーを開けて脱がそうとする。


「美咲ちゃん。美咲ちゃん」


 僕の呼びかけにも応えることなく、完全に馬乗りになって刺激を与えつつ腰を下ろそうとしているようだった。


 (これはダメだ)


 興奮状態の妹に過ちを犯させるわけにはいかないと僕は最後の切り札を使う覚悟を決めた。


 ドナーに与えられたヴァンピールたちを制御する力。


 指先に力を込めて、美咲の胸を指した。体の中にある僕のマナを誘導するイメージだ。


 僕は、はじめて使う力だ。どうなるのか自信も持てないままに、どうなるかを見届けた。


 まるでホラー映画のゾンビのように、僕に襲いかかろうとした姿勢のまま固まったまま倒れ込んだ。


 


「落ち着いた?」


「ああ、アニキ?」


 美咲が意識もなくなって倒れていたのは、ほんの一分ほどだった。


 でも、さっきまでとは別人のように大人しくなっているのがわかった。


「よかった。いつもの美咲に戻ったね」


「何かしたっけ? ……ああ、最後にアニキに殴られてふらふらになったよね」


「殴ってなんかないよ」


 普段と変わらないやりとりだった。でも、『いつもの美咲』とは違うとも感じていた。


 (興奮状態ではない……けれど)


 美咲は何事もなかったかのように立ち上がると、手を広げたり握ったりしていた。


「美咲。どうしたの?」


「うん。ちょっとこれは、すごい力が出せそうな気がするんだよね」


「え?」


「パワーアップした感じ。覚醒したって言うのかな」


 マナを限界まで使い切ったから、筋肉の超回復みたいに強くなったということだろうか。


「じゃあ、試しにマナを補充させてくれない?」


 (あれ?)


 美咲はそう言いながら迫ってきた。


 目は普通だ。興奮状態ではない。


 ないのだけれど、獲物を逃がさないという眼光はさっきの興奮状態の時よりも鋭い気がしていた。 


「美咲ちゃん。さっき人工呼吸で十分、補充しているんじゃないかな」


 僕はわずかにあとずさりながら、美咲が冷静かどうかを見極めようとしていた。


「そう……だけど、さっきみたいな巨大な怪物がでた時のためにマナをもっともっと補充しておかないと……ね」


 同意を求めながら、顔を近づけてくる。いつのまにか肩を掴まれて、さっきの興奮状態で襲われたときと大差ない姿勢になっていた。


「み、美咲ちゃん。あのね……さっきの怪物なんだけれど」


 僕は、嘘だったことを告白する決意をした。


「あれは偽物なんだ。本当は地球上にはいなかった生物なんだ」


「いたじゃない」


「まあ、そうなんだけど……元々はいなかったんだ」


 僕は、真帆さんからもらった手紙の最後の一枚を見せようとした。


「『最近の怪物は、私たちが能力を使った時のマナで生まれてしまった怪物なんです』そんなことが書いてあるんでしょ」


 美咲はわざわざ真帆さんの口調を真似しながら、ちらりと手紙を見ただけでそう言った。


「……うん。美咲も気がついていた?」


「……まあ、私もなんとなくそうなんじゃないかって思ってた」


 美咲は、僕には美咲がそんな理解が早いわけがないと思っていたので、目線を上げると美咲の顔をじっと見つめた。


「前にも言ったけれど、私たちにとって嫌なやつは都合よく怪物が襲ってくれていたりしたからね」


「ああ……」


「でも、真帆さんや弥生姉さんともそんなことをちょっと話したこともあるけれど、信じてはいなかった」


 信じてはいなかった。美咲は過去形でそうつぶやいて、僕から手紙を奪うと放り投げた。


「今は信じてる。だって、さっきのあの『怪物』子どもの頃にアニキと見た絵本のお化けそのまんまだったからね」


 笑っていた。目を細めてにっこりと。


 僕は知っている。これは、小さい時から、妹がろくでもないことを思いついた時に見せる表情だ。


「つまり、『マナ』を補充した私が強く願えばすごい怪物が生まれたりするってことだよね」


 美咲は目を細めたまま笑っていた。


 何を考えているのか、僕にはこの時には見当もつかなかった。


「ああ、多分……そうなんだ」


「ふふん」


 再び、美咲は僕の肩を掴んでは、顔を近づけてくる。今度は避ける間もなく唇を重ねると強く抱きついてくると耳元でささやいてきた。


 


「世界が滅んで、人類が私たちだけになったら……仕方ないよね」 


「仕方がない……って?」


「兄妹で子孫を残すしかないよね。変な規則を作る社会もなくなるんだし。仕方がないよね」


「仕方がないよね」


 美咲は、最後の言葉をゆっくりと噛み締めるように繰り返した。


「そんな世界を私が望んでも」




 目を細めて、美咲は微笑んでいた。


 言っている意味は分かるけれど、まだ頭は理解を拒んだままでしばらく僕らは静寂の中で見つめあっていた。


(地震?)


 地面がわずかに揺れ始めた。


 少しだけ揺れは大きくなったけれど、この洞窟が崩れたりするような揺れではなく遠くで起きた地震なのだろうという気がしていた。


 次の瞬間に、巨大な地響きが聞こえた。


 僕には分かる。


 これは、世界が滅んでいく音だ。

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