3.お姉ちゃん
未来は変わってしまった。
どうしても窓から町のほうを覗いてしまう。彼を探してしまう。
そんなことしても意味なんてないのに。我慢しなきゃダメなのに、心が張り裂けそう。
涙がまだ収まらない。止まらない。
どうしても思い出してしまう、馬鹿みたい――もう彼とは会えない。近づくこともできないのに。
「――いつまで落ち込んでんのよ!」
針のように尖った声とともに、扉から銃声のような音があがった。
お姉さまが顔を歪ませて部屋へ押し入ってきた。
いきなり何なの。
「な、なに! 勝手に入ってこないでよ!」
「なにって、あんたがずっと泣いてて煩いの。いいかげん、泣き止みなさいよ!」
「煩いってお姉さまの部屋はあっちでしょ。聞こえるわけない!」
「聞こえてんのよ。毎回毎回、ここの廊下通ってるときに!」
嘘だ。ここなんか通らなくても浴室にも寝室にも、どこにでも行ける。
わざと私を虐めるための文句だ。
ムカつく。いつも私が泣いてるときに絶対、こうやって――もう許さない。今日は徹底的に言い返してやる。
「だったらここ通らなきゃいいでしょ!」
「こっちのほうが近いのよ」
「馬鹿になった? あっちから回った方が浴室は近いんだよ?」
「だ、だから町に行ったり――」
「町に行く? お姉さまはめったに町に行かないじゃない。それに窓から見てたけど、一回もお姉さまを見かけなかった!」
「……」
お姉さまは苦しい表情をして親指の爪を噛んでいる――勝った。
わざわざ煽りに来るからこうなる。
トドメだ。
「私が泣いててもお姉さまには関係ないでしょ。さっさと出てってよ!」
私がその言葉をはっきりとお姉さまの顔面へ、その醜い面にぶつけると、お姉さまはさらに顔を歪ませ、顔は真っ赤になった。
「関係ない? 食事もろくにしないで、もう一週間。このまま痩せぼそって貧相になったらラインブルの風格が損なわれるでしょ。でももうその心配はないわね。一生、部屋に閉じこもってるんでしょ。いい気味だわ!」
「――出ってって!」
「言われなくてもそうするわ!」
私が怒鳴ると、お姉さまはヒールの踵で強く音を鳴らしながら出ていった。
本当にムカつく。八つ当たりに来て、騒ぐだけ騒いで。
一体何なの。煩いのはそっちでしょ。
「はぁー、もう一生、顔見たく…………」
見たくないわけじゃないけど。
ふと、目に入った。机の上、家族三人が映った絵。
父は真顔で、私は作り笑いして、お姉さまは強張った表情をしていた。
私って酷い女だ、数か月後に亡くなるかもしれない姉をあんなに強く言って。アレンのことばかり考えて、お姉さまのことをまったく覚えてなかったなんて。
――ロゼリアンナは腹違いの姉だ。
最初に会ったのは今から十年前、私がまだ七歳の時。
お姉さまも十歳でまだ顔がまん丸だったし、正直太ってた。
でもその意地は変わりなくて、威張ってばかり。すぐに私を罵倒したり、デザートを横取りしたり、石投げつけてきたりして、笑ってた。
それが許せなくて、せめて学業と品性だけは勝ってやるって努力したんだけど、見る見るお姉さまは細く綺麗になって、博識になって、完璧になっていった。
今思えば、大きくなってからお姉さまは真面目に私を注意してくれてた。
なんかもう、私がお姉さまに勝てる要素なんて一つもなかったんだな――でも、先に男ができたのは私だった。
お姉さまは選り好みしすぎて、全然相手ができなくて、私がアレンと恋してるのに嫉妬して、よくアレンを「平民だからクソ野郎」とか「鍛冶師の男なんてロクな奴じゃない」とか、言ってた。
だから私がアレンと結婚することになっても、お姉さまはずっと反対してた。
何回もアレンがしなくてもいい土下座してたけど、お姉さまはまったく聞かなかったな。
理由一貫しては「まだ出会ってから七カ月程度。信用できない」って。
どうにかしてお姉さまを説得しようと頑張ってたけど――その数か月後、突然お姉さまは亡くなった。事故だった。
――結局、最後までお姉さまに結婚を認めてもらえなかったな。
机に絵を立て戻した。
ちょっと私、熱くなりすぎてた。
お姉さまにムキになったところで何も解決しないし、さっきのじゃ私も八つ当たりしてたみたいなものだし。
「謝りに行こう」
私は開けられたままの部屋から踏み出し、お姉さまを探す。
――屋敷は広くて疲れる。遠くには行ってないはずだけど……見つけた!
お姉さまは中庭の廊下で召使いと話していた。
「ロゼリアンナ様、少し言い過ぎでは」
「あれくらい言わないと、あの子は出てこないわ。そんなことより、ここ汚れてるわよ」
「は、はい。すぐに掃除いたします」
「ったく。世話が焼けるわ」
青空を見上げ、お姉さまは廊下を歩いていこうとした。
私はその後姿を全力で追った。
「――お姉さま!」
大声を出すと、お姉さまは足を止めた。
しかし背中を向けたままだ。
「なに? そんなに走って、体力が有り余ってて羨ましいわ」
「……お姉さまだってお風呂入ってるだけのくせに」
「また喧嘩するつもり?」
違う。なんでこうなっちゃうんだろう。
なんか言葉が滑ってしまう。
だけど素直にならないと、謝らないと――お姉さまがいなくなって心に残るのは嫌だ。
「お姉さま、今までごめんなさい」
「――は? なにを謝ってるの?」
「え?」
揺らぎ尖った声が素の心に突き刺さる――というか突き刺さって燃え上がった。
こっちがせっかく謝ったのに、なんで煽ってくるの。信じられない。
もういい。呆れた。結局、お姉さまがしたのはただの八つ当たりだったんだ。
「わかった。私が謝る必要なんてなかった」
そのまま私は回れ右して帰る。
あんな女のために私がなんで謝らないといけない。そもそも私はなんにも悪いことしてないし、散々説教してきた血統をむしろ守ったでしょ。
私がアレンと出会わなかったおかげで、家は救われる。
そうだ。私は家を救った。何も落ち込むことなんてないじゃない……何も落ち込む必要なんて。
「――バレンシア!」
お姉さまの強い声が背中にぶつかる。とっさに私の足は止まった。
なんか怒ってる? 私は恐る恐る振り向く――そこには真っすぐ私を見つめるお姉さまがいた。
「どうしてもダメな時は、私に言いなさい。あなたの悩みくらい、私ならすぐに解決できるから」
ハッキリとお姉さまはそう言い放ち、少し微笑んだ。
それは温かく心地の良い日の明かりのようで、荒んだ私の心を優しく包みこんだ。
「……お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃ……――わ、わかればいいのよ!」
お姉ちゃんは赤らめた頬を隠すように向こうへ歩いて行った。
なんか歩き方、少し変になってるし、向こうには壁しかないのに。
「そっか」
もう私にはアレンはいない。彼はいない。
でもそれでいい。だって私には家族がいる。
男なんてまた作ればいい――お姉さまより私はモテるし。
「……」
ギラッと睨まれた気がした。
いい話かな。
うん、いい話だろう。
なんかロゼリアンナのセリフ書くの楽しい。
あと可愛くなった。
何故かモテない設定だけど。